10、零番隊
「おはようございます、司令」
朝の『パッタイ』艦橋。
不機嫌そうに扉を開けて入って来たバカラを、艦長のベンソンが敬礼で出迎えた。
それに対し、片手を上げて「おう」とぶっきらぼうに返すバカラ。
だが別に不機嫌な訳ではない。作戦前のバカラはいつもこうだった。
そのまま作戦司令専用の椅子にドカッと腰掛ける。
猿族に大打撃を与えて二週間。
『パッタイ』と護衛艦二隻は、新たな作戦に臨もうとしていた。北部侵攻である。
「準備は?」
「『エルシモ』含め、すべて滞りなく」
「よし、予定通り一時間後に出航すんぞ。最終確認させとけ」
「了解」
「おい、お前。今はやることねぇだろ。コーヒー持ってこい!」
「はい!」
バカラに怒鳴られ、火器管制の兵士が慌てて駆け出した。
それを横目にベンソンがバカラの横に立つ。
こちらは特に萎縮していないのはバカラの性格に慣れているからだった。
「しかし、司令……西に北にと、統合本部も人使いが荒いですな」
「西の猿共には大打撃を与えた。南は現在進行形で殺りあってる最中だ。西への増援はねぇ。その隙に、もっと内陸部に前線基地を造って置きてぇんだとさ」
「それで北へ?」
「そこで問題になるのが北のワービースト共だ。今は大人しいが、こっちが基地の建設始めたところで、突然後方で兵を挙げられちまったら厄介だからな」
「ああ、それで先手必勝って訳ですな」
「本部のじい様達は後顧の憂いを絶って置きてぇんだろ。別に、自分等が前線に出る訳じゃねぇのにな」
「しかし、いくらアイツ等がいるとはいえ……これだけの戦力でやれますかね」
「別に殲滅が目的じゃねぇ。奴等の住処とライフラインを破壊して、街に住めなくしてやりゃあいいんだ。そうすりゃあの街の驚異はなくなる。要はお引っ越し願うって訳だ。更に行き先をこっそり追跡すれば奴等の街も芋づる式に判明する。後はそん時考えりゃいい」
「考えるとは?」
「駆除だよ」
そこにカップに入れたコーヒーが差し出された。
それを一口啜ってからバカラがポツリと呟いた。
「今年は……それで終わっちまいそうだな」
「冬の間に基地を建設。本格的に攻めるのは来年ですね」
窓の外を眺めながら、ベンソンもポツリと呟いた。
「連隊長!」
カルデンバラックがASデッキに向かって歩いていると、後ろから呼び止められた。振り向けば第七中隊隊長のマッケンジーが愛想笑いを浮かべながら近づいて来るところだった。
「どうした?」
「いえね、ちょっと小耳に挟んだんですけど……今度の作戦、俺達もワービーストの街中に突撃するって本当ですか?」
「それがどうした?」
「おかしくないですか?」
「おかしいとは?」
質問の意味が分からず、思わず質問に質問で返すカルデンバラック。
「だって、アイツ等も参加するんでしょう?なら前みたいにミサイルぶち込んで、アイツ等を突っ込ませればいいじゃないですか?」
「なんだマッケンジー、臆したのか?」
「そういう訳じゃありませんよ!」
カルデンバラックに指摘されると、さっきまでの愛想笑いから一転、マッケンジーが顔を真っ赤にして不機嫌になった。どうやら図星なのだろう。
「考えて下さいよ。うちの隊は補充兵が六人もいるんですよ?部下の事と作戦の成功を考えると、前みたいにアイツ等が先陣切った方が確実じゃないかと言ってるんです」
「まるで、アイツ等はどうなってもいいように聞こえるな」
「そんな事言ってませんよ。ただ、そうした方が部下が危険に合わないと言ってるんです」
「俺にとっては、アイツ等も部下の一人だ」
「連隊長はそうかもしれませんけど、俺は自分の隊の事言ってるんです。無謀な命令下されて部下が死んでも俺は責任取れませんよ。それとも、命令下した連隊長が責任取ってくれるんですか?」
その一言にカチンとくるカルデンバラック。
だが、仮にも上官が感情的になる訳にもいかない。
カルデンバラックは冷静を装い、スッと目を細めてマッケンジーを睨み付けた。
「俺は連隊長だ。全ての責任は俺が負う。お前に言われるまでもない、当然の事だ。だがマッケンジー……お前は中隊長だろう?部下を死なせんよう努力するのが中隊長の責務だ。それを忘れるな」
それだけ言うと、カルデンバラックは踵を返して歩き去ってしまった。
何も言い返せず無言で立ち尽くすマッケンジー。
背中に刺すような視線を感じるが知った事ではなかった。
あれがマッケンジーの性格だった。
だから言ったでしょう?俺はあの時言いましたよね?
と、言質を取っておきたいのだ。
要は自分で責任を負うのが嫌なのだ。
だから事ある毎にああだこうだと食って掛かる。
そして部下が死ねば俺は悪くない。
作戦通りに動いただけだと言い張り責任逃れをする。
例えその場に自分がいて、直接指示を出していたとしてもだ。
口には出さないが、カルデンバラックの一番嫌いなタイプだった。
マッケンジーのお陰ですっかり不機嫌になったカルデンバラックが通路を曲がると、そこには第二中隊隊長のリーディアがニヤニヤ笑って立っていた。
その顔を見るに、今のを盗み聞きしてたのだろう。
そのままカルデンバラックと並んで歩き出す。
「今日もまた、ずいぶんと絡まれたね。ギルちゃん」
「ギルちゃん言うな」
「二人の時くらいいいじゃない。他に誰かいたら、ちゃんと連隊長って呼ぶからさ」
そう言ってにっこり笑う。
マッケンジーのやらしい笑いと違って、こちらはカラッとしたものだった。
通称、特攻隊長のリーディア。
腕は立つ。
今回の作戦で連隊長として『パッタイ』に転属させられた際、元の部隊から引き抜いたカルデンバラックの片腕的存在だった。
そのリーディアの笑顔のお陰で、さっきまでの不愉快さがかなり和らいだ。
「一応言っておくが、アイツも別に絡んでた訳じゃない。自分の意見を言ってただけだ」
「自分本位の勝手な意見をね。私には、自分の方が年上なのに他所から来たギルちゃんが連隊長になっちゃったもんだから、気に入らなくてやたらと絡んでるようにしか見えないけど?」
「そう思うなら、アイツにはっきり言ってやってくれ」
「ええ~……私はギルちゃんみたく絡まれたくないからなぁ(笑)」
「俺だって嫌だよ」
「まぁまぁ、ああいう手合いを相手にするのも仕事だよ。がんば!」
「……お前は気楽でいいな」
※
同日の正午過ぎ。
『パッタイ』と護衛艦『ビンセント』、『エルシモ』の二隻からなる艦隊は、北に160キロの地点にまで移動していた。
ここから北に30キロ行けば攻撃目標であるワービーストの街、朝江がある。
その『パッタイ』の左舷デッキでは今、奇数番であるAS第一、第三、第五、第七中隊の隊員達を前にカルデンバラックが作戦要項を説明している最中だった。
その集団から一歩下がった位置にはアインス達の姿もある。
「AS隊は『パッタイ』を発進後、二つの大隊に分かれて進撃する。奇数番は俺を頭に左翼、偶数番はリーディアを頭に右翼だ。ランドシップからの砲撃支援を受けながら、二隊纏まって街の南側から突入する。第一目標は水、電気のインフラ設備。第二目標は食料プラント及び食料貯蔵庫だ。破壊するのに時間が掛かると思ったら無理せずマーキングしておけ。後でランドシップで砲撃する。突入後は各中隊長の指示に従って行動しろ」
「連隊長、ワービーストを見かけても戦わないって事ですか?」
「そうだ。もちろん掛かって来る敵は排除する。だが、それ以外は目をくれるな。今回の目的は街のインフラ破壊と食料だ。とにかく、奴等が街に住めなくすればいい。破壊後は大隊毎に街を離脱。今回はマップデータも無く、敵の規模も分からん状況だ。連絡を密にしろ」
そこで突然、艦が揺れた。『パッタイ』が加速したのだ。続けて艦内放送が響き渡る。
『作戦開始五分前。総員、第二種戦闘配置。最終チェック急げ。繰り返す……』
「話は終わりだ。行くぞ」
「「はっ!」」
「よぉし、始めんぞ。ベンソン!」
「はっ!総員、第一種戦闘配置」
「総員、第一種戦闘配置」
部下が復唱するのと同時に『パッタイ』艦内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
少し遅れて左右に並走する『ビンセント』、『エルシモ』からも警報音が鳴り響く。
「『パッタイ』最大船速まで四十秒!」
「左右ハッチ開放。AS隊はカタパルトへ移動後、順次発進せよ」
「司令、間も無くミサイルの射程圏に入ります」
「ならとっととぶっ放せ!ASは?」
「今、発進します!」
部下が答えるより早く、左右のデッキからは次々とASが飛び立って行った。
大陸東岸にある朝江の街は地理的な関係から西の猿族は遠く、話に聞くだけで感染症のワービーストと交戦した記録は一度もなかった。
また、南に約180キロの位置には旧人類の基地があるのだが、こちらも猿族相手に戦っているだけで、今までこの朝江の街が旧人類と戦闘を行った記録もない。
こちらが手出しさえしなければ攻めては来ない。そんな暗黙の了解があったのだ。
つまり、今の今まで猿族の驚異に晒された事もなく、旧人類とも友好的とは行かないまでも、お互いに干渉することなく平穏無事に過ごしてこれたのだ。
その朝江の街に……突然ミサイルが雨のように降り注いだ。
スフィンクスの治める街のように常に物見を出したり、早期警戒の為のシステムもない朝江にとっては、完全な不意討ちだった。
ミサイルで建物が次々と破壊され、慌てて飛び出した住民達が右往左往して逃げ惑う。
一応、街を治める族長もおり、その下には軍隊と呼べる戦闘集団もいるのだが、如何せん敵襲に対してどう対処したら良いのか分からない。
戦争経験の乏しい軍隊の悲しさだった。
そんな状況でAS隊が街中に突入して来たのだ。満足に反撃できる訳もなかった。
始めて目にするAS。
シールドに阻まれるとも知らずに銃を片手に反撃に出るワービースト達。
時折、獣化したワービーストが単独で仕掛けるが、カルデンバラック隊の組織立った反撃を受け、手も足も出ずに殺害されていく。
類を見ないほど呆気ない、一方的な虐殺だった。
「……なんだ、ずいぶんと呆気ないな。これでお終いか?」
第七中隊はカルデンバラックの指示の元、進路上にあった太陽光発電所を破壊したところだった。
隊長のマッケンジーが辺りを見渡す。
敵はいない。全員排除した。
あるのは破壊された太陽光パネルと火を噴く畜電設備だけだった。
「被害報告!」
マッケンジーが周囲に怒鳴る。
だが誰も返事をしなかった。
別に無視をしている訳ではない。誰一人、かすり傷の一つも負っていないだけだった。
「はは、完勝じゃないか。この街の敵は大した事ないな。なんだか物足りないくらいだ」
思わずマッケンジーの口元が緩む。それほどの戦果だった。
「マッケンジー隊長、西から新手のワービーストです。約30!」
本来なら目的達成後、直ちに本隊と合流する事になっていたのだが、この時のマッケンジーは気が大きくなっていた。
だから部下が新手の接近を告げた時、本隊との合流よりも敵との交戦を選択してしまった。
それが不要な戦闘であるにも拘わらず……。
「なんだ、また殺られに来たか。よぉし、703!二人連れて右から回り込め!」
「え!? ですが隊長、連隊長はワービーストには構うなと……」
「反撃されたら排除しろとも言ってたろうが!口答えする暇があったらとっとと回り込め!」
「はっ!」
703が二人の部下を連れて建物の向こうに消える。
それと同時に、敵が銃を発砲し始めた。
「生意気な。全員散開!反撃しろ!」
怒鳴りながらも建物の影に隠れ銃で反撃するマッケンジー。
残りの部下達もマッケンジーに倣って身を隠しながら反撃を開始するのだった。
その街の北側。
目標対象を破壊しながら北上したカルデンバラック率いる左翼部隊は、退路確保の為、ここに留まって残りの第七中隊を待っているところだった。
周りに集まった第三、第五中隊の連中を見回し、誰一人怪我をしていないのを確認するとカルデンバラックはインカムに手を添えた。
「101より201。そっちはどうだ?」
『201、進路上にあった蓄電設備と食料プラントは破壊。貯蔵施設と思われる所にはマーキング。第四中隊は退路確保と援護の為、街の外へ離脱させました。今は第六中隊と一緒に、間も無く合流する第八中隊待ちです。損害0』
「よし。合流次第、街を離脱して待機だ」
『201、了解』
「よし、第三中隊は先に街を離脱して第四中隊と合流。退路確保と援護だ」
「了解」
「第五中隊は俺と一緒に……」
こんなワービーストの街中に長居は無用だった。
こちらも淀みなく後退するため、カルデンバラックが各中隊長に指示を出していると、それを遮るように『パッタイ』からの通信が割り込んだ。
『本部より101』
「101」
『701より支援要請。現在、街の南西側で獣化数人を含むワービーストと交戦中』
〈南西……?〉
なぜ予定進路を逸れて、そんな町外れで戦ってる?
しかも、今の今まで連絡の一つも寄越さないで、いきなり支援要請ときたものだ。
カルデンバラックは呆れる思いだった。
だが部下を見捨てる訳にもいかない。
「101了解」
カルデンバラックは相手に気付かれないよう小さく溜め息をつくと、インカムに向かって短く答えた。
そして通信を聞いていた部下達を見回す。
「そう言う訳だ。予定変更。俺の中隊は第七中隊の支援に向かう。全員、ここで退路を確保しておけ。もし何か不足の事態が起こって俺との連絡が付かない場合はリーディアの指示に従え」
「連隊長」
カルデンバラックが中隊長相手に変更の指示を出していると、今度はアインスがそれを遮り一歩前に歩み出た。
「なんだ、アインス」
「獣化もいると報告があった。俺達が行こう」
「相手は大人数だ。幾らなんでも五人じゃ少なすぎる。それじゃあ満足な弾幕も張れまい」
「問題ない」
「それにお前達にはここで、俺達の退路を確保していてもらいたいと思ってたんだが」
「それも不用だ。連隊長は街の外に離脱して全体の指揮を。俺達は第七中隊と合流後、囲みの薄い所を突破して勝手に街を離脱する。その方が合流地点を決めるより流動的でスムーズな離脱が可能だ」
確かにその通りだ。
その通りなのだが相手はワービースト。
不足の事態が起こる可能性が高い。
もしそうなった時、味方がすぐに駆け付けられる距離にいるのは大きい。
だが、アインスはそれが不用だと言っているのだ。
アインスの顔をじっと見る。
普通なら獣化がいると聞いただけで気後れするものだ。戦いに慣れた自分でさえそうなのだ。
だがアインスは違った。
たった一度しか実戦を経験していないにも拘わらず、その顔は自信に溢れたものだった。
今度はアインスの後ろに控えた四人の少年少女に視線を移す。
全員が全員、気後れした様子は一切見えなかった。
通称、零番隊。
カルデンバラックも詳しくは聞いていないが、彼等は遺伝子操作で造られた被検者達だった。
軍の上層部曰く、我々人類の最終兵器。
対ワービースト戦の切り札。
ちょっと大袈裟な気もしていたが、先の実績を見る限り決して誇張とは思えなかった。
連隊長の身で部下に丸投げするのはちょっと気が引けるが、確かに彼等に任せてしまうのが一番確実なのかも知れない。カルデンバラックはそう判断した。
「わかった。では、すまんが頼む。だが決して無理はするなよ?何かあれば知らせろ。すぐに駆け付ける」
「了解」
アインスは静かに答えると、仲間を促して街の中に向かって引き返して行くのだった。
「全員、固まれ!陣形を乱すな!獣化に近づかれたらおしまいだぞ!弾幕を切らすな!」
街の南西部。
ちょっとした城程もある大きな屋敷。
その屋敷のだだっ広い庭の真中でマッケンジーが吠える。
味方は9人。
遮蔽物の無い広い庭で、火力重視のA型が4機残っているのが大きかった。
戦いに不慣れな獣化達は、弾幕を怖れて完全に攻めあぐねていたのだ。
十分程前。
逃げる敵を追ってここまで来たら、突然獣化の攻撃を受けた。
待ち伏せしている所にまんまと誘い込まれたのだ。それで三人の部下が死んだ。
乱戦の最中、暴れ回る獣化に向かってマッケンジーが銃を乱射した。
まさか味方ごと撃つとは思っていなかったのだろう。反応が遅れ、数十発の弾丸をその身に浴びた獣化が、やがてドサッっと崩れ落ちた。
「……死んだか?」
マッケンジーは銃口を向けたまま、まるで相手に確認するように呟いた。
敵はピクリとも動かない。
暫く待っても一向に返事が返って来ないのを確認すると、マッケンジーはそこで初めて、ホッと一息付いた。
「……ふぅ……仕留めたか。……おい、誰と誰がやられ……」
バンッ!
だがそれも束の間。
マッケンジーの頬に銃弾が当たって弾けた。
ハンマーで思いきり頬を叩かれたかのように首を明後日の方向にグキリと曲げるマッケンジー。
だが死んではいない。ASのシールド様様だった。
「くそっ!囲まれてんじゃねぇか!全員、俺を中心に密集隊形!D型はシールド並べろ!A型はシールドの隙間から弾幕!急げ!」
そうして今に至るのだった。
第七中隊のビーコンを便りに零番隊が屋敷の敷地に踏み込むと、物陰という物陰にワービーストが溢れ返っていた。
こちらに気付いた敵が慌てて遮蔽物に身を隠しながら発砲してくる。
アインスはそれ等を無視して、ざっと戦場を見回した。
庭の中心に大きな物理シールドを並べ、その隙間から火力でもって弾幕を張りワービーストに対抗する第七中隊。
それを完全に包囲して、全方向から銃撃を浴びせながら隙を伺うワービースト達。
しかし、味方ながら下手な防御だった。
あれではバズーカでも撃ち込まれたら一溜まりもないあるまい。
こっちはAS。
多少の弾丸はエネルギーシールドが防いでくれるのだ。痛みを我慢してとっとと強行突破すればいいものを……。
そんな事を考えていると、ロケットランチャーやバズーカ砲を担いでいる者がチラリと見えた。
「まずい!」
最早、一刻の猶予もない。
アインスはそう判断すると、敵の囲みの一番厚いところに向かって敢えて突っ込んだ。そこに指揮官がいると睨んだのだ。
それを見て敵が明らかに動揺する。
どうやらアインスの勘は正しかったようだった。
零番隊の面々も遅れずアインスに続く。
「貴様等!!」
逃げ惑う敵を二人、三人と斬り伏せたところで獣化が二人、アインスに挑み掛かってきた。
だがそこにツヴァイとゼクスの二人が割って入る。
〈……あれか〉
ほんの20メートル程先。
この街の族長なのだろう。偉そうな口髭を蓄えた男と、それを守るように三人の獣化がいた。
「フィーア!ノイン!援護しろ!」
「「了解!」」
向こうもこちらの意図に気付いたのだろう。
護衛の獣化が立ち塞がるように壁を作り、口髭の男がくるんと背中を見せて逃げ出した。
「ちっ!フィーア、敵の親玉が逃げる。お前はアイツを殺れ!」
「了解」
アインスの指示を受けたフィーアがホバリングの速度を上げて敵の一人に一気に近づく。
そのフィーアの胴体目掛け、獣化したワービーストが「はっ!」と列泊の気合いと共に握った刀を横薙ぎに払った。
「なに!?」
紙一重。
ワービーストの鋭い斬撃をかわして、フィーアがくるりと宙を舞う。
そして斬り掛かったワービーストの後ろに着地すると、そのまま後ろも見ずに再び加速した。
「行かせる……があっ!?」
敵がフィーアを追おうと背中を見せた一瞬。それが命取りとなった。
クンっと軌道を変えて近づいたアインスが、すり抜け様に刀を振るったのだ。
「……き……貴様……」
脇腹を深々と斬り裂かれ、大量の血を滴らせたワービーストがその場にドサッと倒れこんだ。
これで二対二。
アインスは刀についた血糊を腕を振るって吹き飛ばすと、正面に立ったワービーストをジロリと睨みつけた
「死ねぇ!!」
「ーーーッ!?」
フィーアが逃げる敵を追って屋敷の玄関に踏み込んだ瞬間、上から獣化したワービーストが降ってきた。
玄関の扉を抜けたと同時に飛び上がり、天井のシャンデリアに飛び移っていたのだ。
寸でのところで気付き、咄嗟に前に跳んでかわすフィーア。
そのまま前転すると、片膝立ててしてすぐさま銃撃を加えた。
だが、敵もフィーアがかわした時にはその場から飛び退いていた。
広い玄関ホールの壁に沿って逃げる敵を銃弾が追う。
壁に掛かった絵画や窓ガラスが次々と砕け散った。
しかし、いつまでも逃げられない。銃弾が敵に追いつく。
そう思われた瞬間、敵はそのままの勢いでジャンプし、ホールを見下ろす二階の廊下に着地した。
そしてそのまま二階の奥へと消え去る。
それを追って階段を駆け上がるフィーア。
二階に上がると、廊下の先の角を曲がる敵の姿がチラリと見えた。
そこにホバリングで一気に近づく。
〈……いる〉
待ち伏せしてる。
そう感じたフィーアは、壁伝いに進みながらヘッドスライディングした。そのまま床を滑るように進み、視界が開けた瞬間に銃の引き金を引く。
「……かはっ!」
やはりいた。
腹に銃弾を浴び、口から血を吐きながら、がっくりと両膝を付くワービースト。
いつでも追い討ちを掛けられるよう、油断なく銃を構えるフィーア。
だが、敵にそこまでの余力は残っていなかった。
フィーアの見ている目の前で踞るようにして倒れてしまった。
ゆっくりと立ち上がったフィーアが敵を見下ろす。
腹に5、6発は食らわせたのだ、いくら獣化といえども助かるまい。
また、それが分かってるのか、ワービーストが震える声でフィーアを見上げた。
「た、助けてくれ……」
迫り来る死の恐怖に涙を流しながら懇願するワービースト。
その瞳はフィーア達とまったく同じだった。
いや違う。
フィーア達が、彼等ワービーストと同じ目をしているのだ。
自分と同じ目のワービーストに見つめられ止めが刺せずに躊躇するフィーア。
このまま逃がしてあげよう。
どうせ助からない。
ならせめて、最後は安らかに、自分の死にたい場所で死なせてあげよう。
そう決めた瞬間だった。
バンッ!
突然銃声が鳴り響き、懇願するワービーストの頭が吹き飛んだ。
「アインス!?」
いつの間に来ていたのか、躊躇するフィーアに代わりアインスが銃の引き金を引いたのだ。
「……どうして?」
悲しそうな瞳でフィーアが尋ねる。
「どうして?それはこっちの台詞だ。なぜ躊躇する?ワービーストは殺せ!俺達はその為に造られたんだぞ。それを忘れるな、フィーア」
「……アインス」
強い意志のこもった目で睨みつけられると、フィーアはなにも言い返せずに黙って俯いてしまった。
街から15キロ以上も離れた地点。
数キロ先も見渡せる平原のど真ん中で、左右に護衛艦を従えた『パッタイ』が静かに待機していた。
「もう三時か。野営するなら、あと20キロは下がっときてぇな」
「もっと南まで下がらないんで?」
バカラの呟きに、ベンソンが意外そうな表情を浮かべた。
「このまま基地まで帰るんならそれでいいが、明日は明日で仕事が残ってんだよ。つっても、ピクニックみたいなもんだがな」
「仕事……? あの……なにも聞いてませんが?」
バカラの呟きにベンソンが苦笑いを浮かべた。
せめて艦長の自分には一言くらい言って下さいよ。そういう顔だった。
それを無視してバカラが続ける。
「前線基地の下見だとよ。出撃直前についでのように言ってきやがった」
別にバカラも言外に批難するベンソンに気付いていない訳ではない。ベンソンの言う事はもっともだとも思っている。
ただ、いちいち説明するのが面倒なだけなのだ。バカラはそういう性格だった。
また、それが分かっているからベンソンも何事もなかったように会話を続けた。
「それはまた……ヴィンランドも人使いが荒いですな。それで下見する場所はどこです?」
「決まってねぇよ。条件だけ一方的に言ってきやがった。後は勝手に探せってよ。まったくムカつくぜ」
「はは……因みにどんな条件です?司令」
「地平線まで見渡せる平原のど真ん中で、高過ぎず低過ぎない穏やかな山。それでいて水源にも困らない。出来れば川や湖が近くにあって、仮に攻められたとしてとも攻め口を限定できる守り易い絶妙の地点だとよ」
「メチャクチャな条件ですね。統合本部がそんなことを?」
「サカマチの野郎だよ。あの野郎、先の遠征じゃAS半分やられた上にビビって逃げ出したくせに。偉そうなんだよ」
「まぁ……軍の派閥の御曹子ですからね。偉いかどうかはともかく、権力は持ってますな」
「あんなんが次期評議会のメンバーだとよ。ヴィンランドの連中、全員頭がおかしいんじゃねぇか?」
ああ、やってらんねぇ。
そんな心を態度に表すようにドカッと足を組み天を仰ぐバカラ。そこにカルデンバラックから通信が入った。
『101より本部。AS全機、街の外に待避完了。損害3』
「やっとか。つか、損害が3?今回は随分と少ねぇじゃなねえか」
「良いことじゃないですか、司令」
なぜか不満気なバカラの呟きを、苦笑いを浮かべたベンソンが嗜めた。
「まぁ、そうだけどよ。で?主砲の準備はできてんのか?」
「一番、二番共にいつでも」
「よぉし。カルデンバラック、これから主砲をぶち込む。着弾を確認したら帰って来い」
『101、了解』
「ベンソン、マーキング箇所にじゃんじゃんぶち込んでやれ!」
「はっ!主砲一番、二番、砲撃開始!」
「砲撃開始!」
砲手が復唱するのと同時、『パッタイ』の左右に設置された主砲が火を吹いた。
朝江の街に、再び住民達の悲鳴が響き渡る。
※
『インジェラ』も無事回収し、集められたワービースト側の技術者と修理の打ち合わせも終わった翌日の朝。
シンがふと気配を感じて目を覚ますと……、
「ん~~~ん!」
目の前にアクミの顔があった。
小さく開いた唇を、ツンっと突き出して。
ペチンッ!!
「あぐっ!?」
「な、に、を、し、て、い、る?」
アクミの頬を両手で挟み、そのままグリグリとこね繰り回す。
「い、いえね……私も春ちゃんばりに、朝の口づけで起こして差し上げようと……」
「アイツ等は毎朝こうなのか……まったく」
「みゅう!」
呆れたように呟き、アクミの柔らかい頬を軽く左右に引っ張ってから開放してやるシン。
そのままノロノロと上体を起こすと、部屋の中央にはアムとひめ子の二人も立っていた。
「なんだ、お前達もいたのか」
「うん。いつもの時間になってもシンが起きてこないんで、みんなでお起こしに行こうって事になって。アクちゃんが昔のように起こしましょうって言ってキスしようとした時はビックリしたけど……あはははは」
「ビックリしてる暇があったら止めてくれ。ほら……いい加減に降りろアクミ。俺が立てん」
「えぇ~、もっとスキンシップしましょうよ先生」
「これか?」
「ノォ!それはカラテチョップ!私が欲しいのはスキンシップです!」
「こっちか?」
「それはナックルパンチです!」
「いや、これはこう使うんだ」
「ちょ……痛い痛い。梅干し痛いです!」
等と、なんのかんのと言いながらベッドで戯れるシンとアクミを思いつめた顔のアムがチラチラと伺う。
「あの……シン?」
「なんだ?」
「……その……昔はよく……ああやって起こして貰ってたの?」
「そんな訳あるか。自慢じゃないが、俺は生まれてこの方キスなんてしたことない」
「そ、そうなんだ……?」
「またまたぁ。昔は毎日毎日、おはようとおやすみのキスしてたじゃないですか?」
「えッ!?」
ホッとしたのも束の間、アクミの爆弾発言に再びアムがドキリとする。
「記憶を捏造するな!そんな事一度も……」
「おや、本当のことですよ?ねぇ、ひめちゃん?」
「ええ」
「……は?」
ひめ子の思わぬ返事にシンが固まった。まったく身に覚えがなかったのだ。すると、
「アクちゃん、毎日キスしてましたよ?先生が寝息を立てた頃と、目を覚ます前に」
そう告白してにっこり微笑んだ。
それを聞いてシンとアムが無言でアクミを見る。
「……ええと……アクミ?」
「ナンです?」
「……本当なのか?」
「本当です」
「…………」
「…………」
「……その……毎日?」
「毎日です」
「…………」
「…………」
「……それは頬っぺた……って事だよな?」
「正確には頬っぺたも、です」
「…………」
「…………」
「し……知らなかった……」
右手で顔を覆って項垂れるシン。
子供の悪戯だったとは言えキスはキス。
それを毎日されてて全く気付かなかったのだ。落ち込むのも当然だろう。
「ふふ……アクちゃんにとって、先生の唇は使い古された歯ブラシみたいなものかしら?」
「どんな例えだ!」
「あ、あはは……」
ひめ子の揶揄に思わず苦笑いを浮かべるアム。だがその心はちょっと複雑だった。
アムの知らないシン。
そしてそこに、アクミとひめ子はいたのだ。
もちろん、それはどうしようもない事だとアムも分かってはいる。分かってはいるのだが、寂しいと思う感情はどうしようもなかった。
「でもまぁ、ここ数年は今みたいに気配で目覚めちゃうんでキスは出来てません。だから安心して下さい先生」
と、まったくフォローになってないフォローを入れてアクミがにっこり笑った。
「……はぁ。……まぁ、野良猫に顔を嘗められたとでも思うか」
「ちょっと先生、野良猫は酷いですよ!」
そう言って口を尖らせるアクミ。
今日も平和な一日の始まりだった。
※
「あぁ、シン。ちょうど良かった。今、呼ぼうとしてたんだ」
食事後。
模擬戦の訓練前にシャングに顔を出しておくか。
そう思ったシンがアクミとアムを連れて『アイリッシュ』にやって来たのだが、向こうもタイミング良く用事があったようだった。
「なにかあったのか?」
「また『パッタイ』が現れたんだ」
「『パッタイ』が……? 猿族がいない隙に西のマッピングでもしようってのか?」
「いや、位置はツインズマールの南東500キロ。まだ遠い。だが東の見張り所からの連絡だと、そこからゆっくり西に移動しながら何やら調査してるらしい」
「ならマッピングだろう?」
「もちろんマッピングもしてるんだろうが、それにしては時間を掛けてるそうだ」
「……ふぅん」
「どうする?」
「どうすると言われても……まさか『パッタイ』に戦争仕掛ける訳にも行くまい。リカレスならともかく、ツインズマールやローエンドルフ城が観測気球に補足されるとも思えん。放っておくしかないだろう。だが……」
「だが?」
「ちょっと様子は見ておくか。と言っても、遠くから眺めるだけだが……」
やはり気にはなるのだろう。シンが独り言のように呟いた。
それを見てシャングがニヤリと笑う。
「あのグレーのASか?」
「ASもそうだが、いつも『パッタイ』に乗り込んでるって言う司令官……なんて言ったか」
「アルザック・バカラだ」
「そう、そのバカラ。そっちの方が気になるな。あの強引な用兵。なにを仕出かすか分からん奴だ」
「確か……効率優先で用兵は直線的。一気に急所を叩くタイプだったかな。口が悪くて人使いは荒いって評判だったな」
シャングがヴィンランドで聞いた噂を思い出しながら語った。
「まぁ、総じて『パッタイ』が気になるって事か。ASで行くにはちょっと遠い。『アイリッシュ』で行こう」
「分かった。一応、族長と虎鉄殿にも一報入れておこう」
「頼む」
「はい、先生!それなら私も行きます!」
話が纏まったところで、黙って話を聞いていたアクミが勢いよく右手を上げた。だが、
「相手は猿族じゃない。ランドシップ相手じゃ来てもやる事ないからアクミは留守番だ」
と、シンににべもなく断られた。
「ええ!? でも、アムちゃんは連れて行くんでしょう?」
「アムはASパイロットで『アイリッシュ』のクルーだ。万一『パッタイ』と戦闘になった時はASで戦ってもらう。当然だろう」
「私だって、AS相手に充分過ぎる程戦えますよ?」
「森や山みたいに遮蔽物が多いとか乱戦ならともかく、平地では銃火器による面制圧力で押しきられる。心配せずにここで待ってろ」
「でも……」
「あはは……アクちゃん、シンはああ言ってるけど戦闘にはならないわよ。それに私やシャング隊長もいるんだもん。大丈夫、心配しないで」
「むぅ……分かりました。でも気をつけて下さいね?」
アムに諭され、アクミは不承不承といった顔で同意するのだった。
※
「確かにただのマッピングじゃないな……」
『パッタイ』を遠くに望む山の斜面。
木々の拓けた場所にある草むらにうつ伏せになりながらシンが呟いた。
『パッタイ』の周辺にはAS二個中隊が出て警戒にあたっている。だが『パッタイ』周辺だけだった。
実際、3キロ程離れたこの山中にはASはおろか、偵察ドローンもいなければセンサーの一つも設置されていない。
もっとも有ったら有ったで、ここまで近づく事はできなかっただろうが。
「こんな所に停泊してるって事は……観測気球でも飛ばしてるのか……? いや、そんなのは見なかった……なら、なにをしてる?」
シンが疑問に思うのも無理はない。
実際『パッタイ』は何もせず、ただここに停泊しているだけなのだ。
実は、『パッタイ』は既にこの辺りのマッピングは終わらせていた。
では何故?
『パッタイ』がここに居座る理由は二つ。
現在、ここから南東に50キロ程下がった基地の候補地で、水が出るのかどうか工兵隊に数ヶ所の井戸を掘らせている最中だった。
それを猿族に見られては意味がない。拠点を作られると悟られたら、いくら平地とはいえ襲ってくるだろう。
その陽動と、近づけさせない為の警戒が一つ。
もう一つは、バカラが実際の地形を見ておきたかったからだった。
作成されたマップデータと実際の山や地形を眺め、もし敵が布陣するならどこか?
そこから進軍するとしたら、どのルートを通る?
そんな事を『パッタイ』の艦橋でシュミレートしているのだった。
もっとも、陽動中の暇潰し程度の事ではあるのだが……。
だがこの時のシンには、そんな事は知るよしもなかった。
ましてやヴィンランドが前線基地を建設しようとしているとは夢にも思わない。
ただ、『パッタイ』の行動に理由を求めて考えに耽っているのだった。
そのシンの事を見つめる者達がいるとも知らずに。
『パッタイ』の左舷デッキ。
開放されたハッチから、グレーのASを纏った男が遠く北の山並みを見つめてた。
ゼクス。
仲間達からはそう呼ばれている。
アインス達、零番隊の一人だった。
そんなゼクスをいぶかしんで、アインスがそっと歩み寄る。
「どうした?」
「ハエが一匹、こっちを伺ってる」
「なに!?どこだ!?」
「はは……アインスに見える訳ないだろ。俺だから見えるんだ」
まるでアインスを小バカにするようにゼクスが笑って答えた。
実際、ゼクスの目は零番隊の中でも飛び抜けて良い。
「暇だし、ちょっと行って捕まえてくるかな」
なんでもない事のようにゼクスが呟いた。
「なら、俺達も行こう」
「二人も三人も出撃したら逃げちゃうだろ。俺が見つけた獲物だよ。邪魔すんな」
そう言うと、ゼクスはニヤリと笑ってアインスを睨みつけるのだった。
〈アイツも成り損ないの偵察に?〉
シンの後方の草むらからシンを伺うワービーストの男がいた。猿族の燕迅だ。
燕迅がここにいたのは偶然ではない。
一ヶ月前の戦闘で春麗が行方不明になった。
その時救出した恫鼓の証言で逃げ延びたのは確実なのだが、その後の足取りが分からなかったのだ。
恫鼓の話ではその時、春麗は深傷を負っていたらしい。
なら一人何処かに隠れて、ひっそりと傷を癒しているのか?
それを捜索する為に出張って来ていた時、たまたま接近するシンを見かけたのだった。
シンも『パッタイ』に接近するに当たり、周りには気を配っていた。
だが先に発見されて身を隠されては、如何にシンとはいえ気付きようがなかったのだ。
実際、今も周囲にはセンサーを設置して警戒を怠ってはいないのだが、そのセンサーを設置したところを見られていては意味を成さなかった。
センサーの死角に潜み、じっとシンの動向を見つめる燕迅。
シンも成り損ないで、敵である事には変わりがない。
だが何故か、他の成り損ない程の敵意が沸いてこなかった。スフィンクスの温情措置が効を奏していたのだろう。
だからワービーストの鋭敏な感覚でゼクスの存在を知った燕迅が、小石を投げてシンに知らせてやったのは全くの気紛れからだった。
突然、後方の草むらでガサッと音がした瞬間、シンはバッとその場を飛び退いた。
直後にシンの元いた場所が盛大に爆ぜた。ゼクスが大口径のライフルで狙撃したのだ。
〈……見つかったか〉
射撃から逃れる為に身を隠すシン。
「へぇ、よく気付いたな?完全に気配を断ってた筈なんだけど」
だが、相手はその身を晒したまま悠々と近づいてきた。
「その機体……」
「しかし、なんでまた味方が俺達の動向伺ってんの?」
「…………」
まさか説明する訳にもいかず沈黙でもって答えるシン。
だが、その態度がゼクスの癇に触ったようだった。
「ふぅん、黙秘ってやつ?あんまそういう態度しない方が身のためだよ?でないと……痛い目見ることになるけど?」
そう言って、ゼクスは静かに笑った。
※
嫌な予感がする。
左舷デッキの先に立ち、心配そうな顔で遠くの山並みを見つめるアム。
「こっそり様子を見てくるだけだ。人数が増えた分だけ見つかりやすくなる。俺一人でいい」
そう言って単独で出撃して行ったシン。
別に、シンが単独行動をするのは今回が初めてではない。
だが今回は妙に胸騒ぎがした。
いくらシンが強く単独行動に慣れてるとはいえ、ASはツーマンセルが基本なのだ。
「やっぱり、私も付いて行けば良かったな……」
今にしてそう思うが後の祭だった。
「今さら追いかけても、ビーコンを出してないシングレア隊長を見つけるのは不可能。それより一緒にお茶でもどう?」
声を掛けられて振り向けば、カタパルトの脇に丸いテーブルと椅子を持ち出して、優雅に紅茶を啜るカレンがいた。
「あんた、なんでこんな所に椅子とテーブル持ち出してんのよ」
「ここはいい風が入る。陽も当たらないし景色もいい。お茶をするには最高」
そう言ってまた一口啜る。
確かにハッチから入る風が気持ち良かった。
呆れつつもアムが勧められた椅子に腰掛けると、カレンがカップに紅茶を注いでくれた。それを何の気なしに啜る。
「すっぱ!なにこれ?」
「ローズヒップ。このすっぱいのがいい」
カップから口を離してカレンが答えた。
「……ふぅん」
ローズねぇ。
どうせ名前に惹かれたんだろうな。
そんな事を考えながらもう一口啜る。
すっぱいと分かって飲む分には意外といけた。
「クッキーもある。食べるといい」
今度はお皿に乗ったクッキーを差し出すカレン。
「ありがと」
お礼を言って一枚かじる。途端にクッキーの甘さが口中に広がり、とても美味しかった。
「どう?少しは落ち着いた?」
「うん」
「ならいい。今さら心配してもしょうがない」
「うん」
カップをソーサーに置き、頬杖突いて外の景色に視線を移すアム。
そうよね。シンなら大丈夫。
それに、なにかあれば連絡するだろうし。そしたら直ぐに駆けつけよう。
そう思うと、途端に気が楽になった。
「ねぇ、カレン?」
「なに?」
「これ、後で分けて?」
「分かった」
※
〈……強い〉
「なんだよ、もうおしまいか?もっと楽しませろよ」
右手に持ったナイフで自分の頬をペチペチと叩きながらゼクスが笑う。
ゼクスは両手に刃渡り15センチ程のナイフを握っていた。
それに対し、シンはいつものように両手に持った短刀を構える。
そのシンの身体。
致命傷ではないのだが、腕や足のASスーツが数ヶ所切り裂かれ血が滲んでいた。
一方、相手は無傷。
不意に右手の親指がじんと痛んだ。先程の攻防で浅く斬られたのだろう。血が滲み出す。
それをペロリと舐め取ると、相手を……いや、相手の目を睨みつけた。
まるで獣化したワービーストのような目。
……いや、それは獣化したワービーストそのものだった。
〈間違いない。獣人兵だ〉
過去の大戦において、遺伝子操作で造られた兵士達。
今、世界に広がるワービースト達の先祖にあたる存在。
当時のノウハウが今も残るヴィンランドだ。それを新たに造り出す事など造作もないのだろう。
〈いや、それ以上か……〉
相手は間違いなく、並のワービースト以上の反射神経と筋力を得ている。
それもASのアシストを最大限に活用出来る、ギリギリのラインを維持して。
アクミや大牙のように、獣化したワービーストがASを装着してもその恩恵は得られない。
何故ならASのアシスト機能よりも優れた身体性能が災いして、本来なら筋力や瞬発力をアシストする筈の機能が手枷足枷にしかならないのだ。
獣化も人間。
当然個人差もあるので一概には言えないが、優れた獣化とASを比べた場合、獣化に軍パイが上がる。
それを覆すのは豊富な武器と戦闘経験の差、それと戦いのセンスだ。
シンはそれでもって、アクミや大牙相手でも互角以上に渡り合う事が出来る。
だが今、目の前にいる少年は自分以上に強い。戦い慣れている自分よりも。
それもASを使いこなしていると言うよりも、明らかにこちらの動きを見切って後の先を取ってくる。
〈この強さ……族長クラスだな……〉
だが強さの割りには詰めが甘い。いや、それとは違う?
その時、ふと相手の少年がにへらと笑った。
〈あぁ……そうか〉
シンはその顔を見て急に合点がいった。
それは小さな虫を捕まえた時の子供の顔だったのだ。
絶対的強者の立場で、虫の脚や羽根を次々ともいでいく。
そして虫がもがき苦しむのを眺めて愉悦の表情を浮かべる。
あれと同じ顔をしていた。
要は精神が子供なのだ。
こんな時代だ。殺し殺されるのは仕方がない。
それが真剣勝負の結果なら、身内も含めてある程度受け入れるだけの度量を皆が持っていた。
だが、この顔はなんだ?
〈命のやり取りをなんだと思ってやがる〉
見ていてだんだんとむかっ腹が立ってきた。
相手が子供だと言うなら仕方ない。大人がしてやれる事は一つだ。
ガツンとぶっ叩いて分からせてやればいい。
自分も捕まえた虫と同じように、脚や羽根をもがれる立場になる事があると言う事を。
それが、どれだけ相手の尊厳を傷つける下卑た行為であるかという事を。
そう思うと、足が勝手に歩き出していた。
ゼクスは始め、シンがあまりにも無防備に近づいて来たのでキョトンとした顔を浮かべた。
次いで腰を落として身構える。
だが、シンの歩みは止まらない。
ゼクスは警戒しつつも、シンが間合いに入ったその瞬間、一足飛びに斬り掛かった。
右手に持ったナイフをシンの顔の前で一閃させる。
フェイント。
直後、シンの顔目掛けて左手のナイフが突き出された。
それを遮るように、シンが無造作に右手を上げる。
ズガッ!!
その掌に、ナイフが深々と突き刺さった。
流れ出した血が腕を伝い、瞬く間に地面を赤く染め上げる。
最早、右手は使い物にならないだろう。
それを見たゼクスの顔が歪み、歓喜の表情に変わった。
「はっはあ!右手ぇ、ご臨終ぅうううーーーーーーっ!!」
そのゼクスを見据えたシンの目がギラリと鋭く光る。
刺された右手でナイフごとゼクスの左手を掴む。
「あぁ?」
シンは油断したゼクスの胸元、ASの装甲を左手で掴むと、引き寄せ様、その鼻っ柱に頭突きをぶちかました。
「ぶふっ!!」
鼻を押さえてふらつくゼクス。
その顔面目掛け、今度は固く握った左拳を叩き込む。
「がっ!!」
堪らず吹き飛び地面に倒れ込むゼクス。
脳を揺さぶられたのか、四つん這いになった身体がフラフラと揺れる。地面に向けた目の焦点も合っていない。
そこに、シンがゆっくりと歩み寄る。
そして左手を伸ばしてゼクスの首根っ子を掴むと、今度は木の幹に向かって思い切り叩きつけた。
「がぁ!!」
激しく後頭部を打ちつけるゼクス。
そのゼクスの首を、シンの右手が掴んで抑えこんだ。
「……ぐ……ぐるじい……」
刺された右手が痛む。
力も入らない。
だがそんな事は関係ない。左手を振り上げる。
「な、なにを……へぶっ!!」
震える声でゼクスが呟いたところに、思い切りビンタを叩き込んだ。
「あがっ……あ……」
ASのアシストを受けたビンタをまともに喰らったのだ。首が明後日の方向を向く。そこにもう一発。
「ぶぱっ!!」
忽ち鼻血を吹き出し、涙を流すゼクス。
そのゼクスの目に、三度左手を振り上げるシンの姿が写った。
「……や……やめ……ちょ……」
懇願するようにシンを見つめるゼクス。だが更にもう一発。
「ぶっ!!」
そこでシンの右手の握力がなくなった。
その場に崩れるように座り込み、シンを見上げるゼクス。
そのゼクスを上から睨み付けるシン。
それはまるで、親に説教される子供の図だった。
「……あ……あの……」
「命のやり取りをなんだと思ってやがる!真面目にやれ!!」
「ひっ!」
それもおかしな言い分だった。
だがシンの怒りに触れたゼクスは頭を抱えて、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
と小刻みに震えながら、何度も何度も謝った。
「ふん!」
そんなゼクスを一瞥すると、シンは止めも刺さずに飛び去ってしまった。
それに気付かず、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
と、ひたすら謝り続けるゼクス。
そのゼクスの言葉が突然途切れた。
シンが居なくなっていた事に気付いたのだ。
そう気付いた瞬間、その顔が羞恥に変わり、次いで見る見る怒りに染まっていった。
「あ……あの野郎、ぜ……絶対……次は絶対殺してやる。……へへ……もう許さないぞ。許してやるもんか。……へ、へへ……そうだよ……まずは手足を引きちぎって……それから……」
その場面を想像して獰猛な表情を浮かべるゼクス。
涙と涎と鼻血を流しながらも立ち上がり、フラフラとした足取りで一歩目を踏み出す。その時だった。
ゴッ!!
「……あ?」
ゼクスの視界が暗転し、身体がグラリと傾く。
今、頭になにかが激突した。
そっと手をやればベットリと血糊が付いていた。不思議と痛みはない。
いったいなにが?
状況を把握しようとするのだが思考が纏まらない。
傷口から溢れ出した血が目に流れ込む。
急に眠気が襲ってきた。
身体もダルい。
いっそ、このまま地面に寝てしまおうか?
そんな考えも浮かぶが、突然吐き気が込み上げてきた。
そんなゼクスの目の前に鎖鎌を握ったワービーストが立ち塞がった。
先程の攻撃は燕迅が鎖鎌の分銅を放ったのだ。
紅く染まっていく視界の中、燕迅の身体がユラリと揺れた。
そう思った瞬間、ゼクスの首筋は深々と切り裂かれ、血飛沫が噴水のように吹き出した。
声を立てる事すらできず、その場にガクンと崩れ落ちるゼクス。
即死だった。
※
『パッタイ』艦内に突然、警報音が鳴り響いた。
『総員、第一種戦闘配置。3キロ北にて……は?…………いいから、ちょっと貸せ!』
ブリッジでなにかあったのか、艦内放送が途切れた。
放送に耳を傾けていた全員が首を傾げる。どうもバカラがマイクを奪い取るような会話が聞こえたからだ。
『おい零番隊!さっき威勢よく出ていったクソガキ、シグナルが消えてんぞ!とっとと確認してこい!』
「なにっ!?」
だが続くバカラの怒声にアインスが驚愕の表情を浮かべた。
それはカルデンバラックも同様だったようで言葉もなく立ち尽くしている。
『まったく、なにが俺に任せろだ。大口叩きやがって。カルデンバラック!もう逃げてんだろうが、一応シグナルの消えた地点を中心に1キロ四方を捜索しろ。居なきゃ引き上げていい。夜になる前に後退する。リミットは一時間だ!』
「101、了解。リーディア、お前の隊も来てくれ」
『201、了解』
※
『アイリッシュ』艦内に、ピュイーーーーーーッ!と注意喚起の警報が鳴った。
「あ、帰ってきたかな」
アムが天井を見上げて艦内放送に耳を傾ける。
『月白、帰投しました。左舷デッキクルーは注意願います』
それを聞いてアムが安堵の表情を浮かべた。
結局、アムはカレンと二人でカタパルト脇に設置したテーブルに座り、シンの帰りをずっと待ち続けていたのだった。
「だから言った。シングレア隊長なら大丈夫だと」
「そうね」
澄ました顔で言うカレンにアムが笑って答える。
『月白、着艦コースに入ります。左舷デッキクルーは……って、きゃあーーーーーーっ!せ、先生!血だらけじゃないですか!?』
「「えッ?」」
だが続くサナの悲鳴に二人の顔色が変わる。
『……サナくん、医療班を!……はは、はい。い、医療班は至急左舷デッキへ!ミレー先生ぇえええーーーーーー!』
急いで立ち上がったアムとカレンがハッチから外を伺うと、右手を抱えるようにして飛行するシンの姿が見えた。
「シン!」
出血が酷いのだろう。シンが着艦と同時にふらついた。
慌てて駆け寄ったアムとカレンが身体を支える。
「すまん」
そのシンの右手をチラリと見てアムの顔から血の気が引いた。
〈……酷い。間違いなく骨までいってる〉
一目見て分かる程の重傷だった。
「おい、シン!」
そこに放送を聞いたシャング達が血相を変えてやってきた。
「シャング、すまん。見つかった上に戦闘になった。なんとか退けたが、他の奴に付けられてるかも知れん。警戒を頼む」
「そんな事より止血を!カレン、脇の下押さえて!シン、ちょっとこっち向いて!」
「大丈夫だ、アム」
「大丈夫じゃない!」
「大丈夫だ!そんなの後でいい、心配するな!」
「あっ……」
こうなった責任を感じているのだろう。
アムの手を振り払ってシンが怒鳴った。そこにツカツカと歩み寄る影。
「バカもん!」
「いてっ!」
頭に拳骨を落とされたシンが振り向くと、そこには春麗が仁王立ちで立っていた。
「春ッ!?お前、なんでここに……?」
「なんでもなにも、ここは妾の家じゃ。居るのは当たり前じゃろう。ただ出番が無さそうだったんで部屋におっただけじゃ。それよりシンよ、心配するなじゃと?お主、アムの顔を見て良くそんな事が言えるの?」
春麗にキッと睨まれ、シンがアムをそっと振り返った。そしてドキリとする。
シンにきつく言われたからか、或いは心配してなのか……いや、きっとその両方なのだろう。
キュッと口元を引き結んで、今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。
「アムだけじゃない。皆が心配しておる。それが分からんお主じゃあるまい。殊勝な心がけも結構じゃが、見てるこっちが痛々しいわい。まずは傷の手当てをしてこい」
アムから視線を移して今度は周りを見回す。
確かに春麗の言う通り、皆が皆、心配そうにシンのことを見つめていた。
〈俺はなにやってんだ……〉
自分を過信し、たった一人で出撃した。
その結果がこの様だ。独りよがりもいいところだった。
おまけに、俺の身を案じてくれてるアムに怒鳴り散らすとは……。
〈まったく、最低だな……〉
情けないとは、この事だった。
「……ごめん、アム。……手当てを頼むよ」
「……うん」
「みんなも、すまん。……心配かけた」
そう言って、シンは皆に頭を下げた。
形だけじゃない。心からの謝罪に春麗がにこりと笑って「うむ」と頷く。
「ちょうどストレッチャーも来た。とりあえず傷の手当てを済ませてこい、シン。『アイリッシュ』は移動させておく」
「ああ」
シャングが促すと、今度はシンも素直に従った。
「バッカス、アレン、すまんが『アイリッシュ』を移動させる。周辺を警戒してくれ」
「了解」
「了解しました」
※
『パッタイ』の左舷デッキ。
ツヴァイが床に横たえたゼクスの頭と首の傷を改めていた。
それを他のAS隊員達が遠巻きにして見ている。
「頭に一発。ハンマーのような物で殴られたんだろう。頭蓋骨まで陥没してやがる。首の方は斬られたっていうより、刈られたって感じだな。大方、グルカナイフってところか?」
「となると、ワービーストは二人ってところか」
「まぁ、ゼクスがやられるんだ。獣化二人以上は確かだろうな」
「そうだな」
「まさか……ゼクスが死んじゃうなんて……」
ノインが悲しそうに呟いた。フィーアは俯いたままだ。
血が繋がっていないとはいえ、同じ境遇の仲間で兄弟のように育ったのだ。全員悲しみに暮れていた。
それを見守る他のAS隊の面々も一言も発しない。
もっとも、こちらは悲しいというより、無敵と思われた零番隊がやられて衝撃を受けているといった感じだが。
「おいおい、なんだなんだ。いきなり一匹減ってんじゃねえか」
突然、その場の雰囲気をぶち壊すようにバカラの声が響き渡った。
隊員達が慌てて左右に避けて道を空ける。
その道を両手をポケットに突っ込んだバカラが悠々と近づいてきた。
そして横たえられたゼクスを見下ろして呆れた表情を浮かべる。
「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ……まったく、なぁにが「生け捕りにしてくる。俺に任せておけ」だ。殺られちまってんじゃねぇかよ。格好付かねぇなぁ」
「うるさい……」
ゼクスをバカにされたアインスが怒りを露に呟いた。
だがそれを聞いた途端、バカラがスッと目を細めて半眼になる。
「おい……今、なんつった?」
ドスを効かせてアインスを睨み付けると、それを真っ向から受け止めてアインスもバカラを睨み反した。
「うるさい。黙れ。それ以上ゼクスをバカにしたら……殺す」
興奮したのだろう。アインスの両目が獣化したワービーストのように怪しく光った。
「へぇ……おもしれぇな。やってみたらどうだ?」
それをバカラが静かに挑発する。
獣化したワービーストの目に睨まれると普通怯えるものだが、バカラは微塵も怯まなかった。
それどころか興奮したアインスとは反対に、スゥーッと感情が抜け落ちたように物静かになった。
そしてポケットからリモコンのような物を取り出すと、アインスに見せつけるようにしてぷらぷらと振って見せる。
「もっとも、俺がコイツのボタン押す方が早いと思うけどな」
その一言でアインスは動けなくなった。無言でそっと首筋に手をやる。
そこには無骨なデザインをしたネックレスのような物があった。
アインスだけではない。ツヴァイも、フィーアも、ノインも、死んでしまったゼクスにさえも付いていた。
首輪。
それは、万一アインス達が反旗を翻したりして人類に牙を剥いた際の保険。
首輪には小型の爆弾が仕込まれており、遠隔はもちろん、強引に外しても爆発するように作られていた。
「いいか?俺にはコイツのボタンを押す権限が与えられてんだよ。因みにボタンは一つだ。その意味は分かるよな?」
「…………」
「それとだ。コイツは頭が良くてな。俺のバイタルも常にチェックしてんだよ。万一、俺の心臓が止まちゃったりすると勝手にスイッチが入るぜ。だから来んなら全員総意の上で来い。でねぇと、とばっちり受けた仲間に地獄で文句言われっぞ?」
バカラに念を押され、アインスが歯ぎしりして悔しがる。
それを満足気に眺めるバカラ。
だがアインスにはどうすることもできなかった。
自分は愚か、仲間達の生殺与奪まで掴まれているのだ。
「そういやぁ、俺がうっかりその辺に落としてもスイッチ入っちまうんだな。危ねぇ危ねぇ、人の命が掛かってんだ。もっと注意しねぇとな。おめぇもそう思うだろ?あっはっはっは」
勝ち誇り、高笑いをするバカラの顔をアインスが殺気を込めた形相で睨み付ける。
その殺気を真っ向から跳ね返し、再び表情を消したバカラが睨み返した。
「んで?なんだって……?」
「…………」
「俺になんか言ってたよな?犬っころ。ん?」
「……申し訳……ありません……」
「ああん?聞こえねぇんだよ!もっと聞こえるように喋れ!」
「失言でした。申し訳ありません、司令」
そう言ってアインスはペコリと頭を下げた。
「よぉし!分かりゃいいんだ、分かりゃ。飼い犬は飼い犬らしく、ご主人様には従順じゃねぇとな?分かってるかな?ペットくん」
※
「終わったか?」
ベッドに一人腰掛けていたシンにシャングが尋ねた。後ろには春麗の姿もある。
部屋を見回してもアムの姿はない。
どうやら隣室で、医師のミレーにあれこれとシンの怪我についての説明を受けているようだった。
結局、あの後手術に時間がかかり、シンが手術室を出たのは四時間以上も経った後のことだった。
既に陽はとっぷりと暮れ、『アイリッシュ』も各種センサーやドローンを配置して野営の準備を終えている。
「すまんな。どうも、思いの外重傷だったらしい。とりあえず全治一ヶ月だそうだ」
右腕にギプスを巻いたシンがうんざりしたように答えた。
「骨までいっとればそれくらい掛かるじゃろう」
「後遺症は残らないんだろうな?シン」
「それは大丈夫だ。と言うより、一週間後にもう一度手術して人工骨を入れる。その後、経過が順調なら二週間でギプスが取れるそうだ」
「再生医療は使わないのか?」
「骨を一から作ると時間が掛かるからな。ただ人工骨の寿命が五年らしいから、その時には入れたいな。五年毎に手術は堪らん」
妙に生々しい話を聞いて、春麗がブルッと身体を震わせた。思わず想像してしまったのだろう。
「それよりシャング、どこまで移動したんだ?」
「ツインズマールの東150キロってとこか?後方を警戒したんで時間を食った」
「それで……付けられてたか?」
「いや、それは大丈夫だった」
「そうか。それだけが救いだな」
シンがホッと息を吐いて天井を見上げた。手術中もそれだけが気掛かりだったのだ。
そこに説明を聞き終えたアムが呆れた顔してやって来た。
「シャング隊長、春ちゃん、聞いてくださいよ。シンったら、なんで腕を怪我したと思います?」
「なんでって……斬り会いの最中に刺されたんじゃないのか?」
「それが、自分から刺されにいったんですって。それも相手を捕まえるのに手っ取り早いって理由で」
「捕まえる?」
「ナイフを掌で受け止めて、そのまま握り締めて相手を捕まえたんですって。信じられます?そんな理由で右手をダメにしたんですよ?」
「……お前な」
アムが呆れるのも当然だ。とでも言いたげな目でシャングと春麗の二人がじとっとシンを見た。
「いや、実際強かったんだ。そうでもしないと捕まえられなくて……」
「それでも!シンなら他の手段だってあった筈。どうせ相手にカチンときたとか、そんな理由で無造作に掴まえに行ったんでしょ?」
「うっ……」
シンが言葉を詰まらせる。図星だったのだ。
それを見て嘆息したアムは、ベッドに腰かけたシンにツカツカと歩み寄るとその頭をそっと抱き寄せた。
「シン……お願いだから、もっと自分を大事にして。今回だって、ちゃんとツーマンセルで行動してればこんな事には……」
そこで言葉が途切る。
手術中もシンの事をずっと心配していたのだろう。堪えきれなくなった涙が頬を伝っていく。
シンはその涙を気配で感じながらアムの背中にそっと手を伸ばした。
「許せ、アム。もう無茶はしない。次からはアムに背中を任せるよ……」
そう言ってアムの背中を優しく擦った。
「……約束だよ?」
「ああ。約束だ……」
「……うん」
アムが抱き締める腕に力を込めた。
シンはアムにされるがまま、じっと動かずに抱かれ続けた。
そんな二人を春麗が満足そうに暖かく見守る。
そのままどれくらい抱き合っていただろう?
ついに居たたまれなくなったシャングが二人の間に割って入った。
「さて……お二人さん。話が纏まったところでブリッジに来てくれるか?族長がお呼びだ」
「シンよ、シャングから連絡を受けた時はびっくりしたぞ。それで怪我の方はどうなのじゃ?まさか二度と剣が握れないなんて事はあるまいな?」
「それは大丈夫です。一ヶ月もすればギプスも取れるそうです」
「そうか。それは良かったの」
「はい。ご心配をおかけしました」
シンがペコリと頭を下げた。
スフィンクスもシンの報告を聞いて安堵したのだろう。優しく微笑むと、「うむ」と一つ頷いた。
だが、直後にキッと表情を引き締める。
「しかし……先の戦いでASを見られていたとはいえ、こうも我らが絡んでると思われると本格的な調査に乗り出すかも知れんの」
「はい」
「万一ランドシップが見つかると、猿族の前にこちらを驚異と判断されかねん。それだけは阻止せんとな」
「俺のミスです。申し訳ありません、族長」
「気にするな。儂もつい便利でシン達を使い過ぎた。お主等は少し鳴りを潜めた方がよいな」
「俺もそのつもりです」
「よし。ツインズマールに帰投後、『インジェラ』を曳航してリンデンパークに来るが良い。『インジェラ』の修理はこちらでやろう。お主等はそこで暫く羽を休めるがよい。ツインズマールには虎鉄殿を、ローエンドルフ城にはラルゴを行かせる」
「分かりました。引き継ぎが終わり次第、リンデンパークに移動します」
シンが敬礼し、スフィンクスがそれに「うむ」と答えたところで通信がプツリと切れた。
敬礼を解いたシンが、ゆっくりとブリッジを見回す。
そこには艦長のラッセンを始め、ブリッジのクルーに(人手不足と今後の教育の為に、サナとチカの二人も乗り込んでいる)、シャング、アム、春麗、アレンとカレンにバッカスもいた。
「と言う訳だ。俺達は暫く休暇だな」
シンが苦笑いを浮かべる。すると、
「やったぁ!」
「夏休みです!」
と歓声が上がった。もちろんサナとチカの二人だ。
「しかし隊長が見つかるなんて……無茶して近づいたんですか?」
「いや、3キロ離れて遠巻きに観察していたんだが……どうも相手には見えていたようだな」
「3キロ離れた距離で?」
アレンが首を傾げた。
ASの性能から言って、それだけ離れていれば見つかるとは思えなかったのだ。
「ちょっと待て、シン。アンブッシュしていたお主を、3キロ離れた所から見つけるじゃと?そんなの妾でも不可能じゃ」
それはこの中でただ一人獣化できる春麗も同じだったようで、シンの考えを即座に否定した。
「だが事実だ。例のグレーのASが一人で東に向かって出撃したのは知っていた。それがいつの間にか後ろに回り込んでいたんだ。見えていたとしか思えん」
「しかし……」
「だが、これではっきりした。たった五人で猿族の本陣に乗り込む訳だ。奴等……獣人兵だ」
「獣人兵!?」
「間違いない。奴の瞳、獣化したアクミや大牙達と同じだった」
「獣化したワービーストと?」
「そうだ。考えたくないが……おそらく遺伝子操作で新たに戦闘員として造り出したんだろう。それもASの性能をフルに発揮できるよう、能力を調整して」
「ヴィンランドが……」
ワービーストに対抗する為、獣人兵を復活させる。
その事実に一同が言葉を失って黙り込んでしまった。
そこまでやるのか。
いや、そこまで追い詰められているのか……と言うべきか。
だが結果は見ての通りだ。
シンも言っていたではないか。あんな無謀な手でも使わないと捕まえられなかったと。それだけ強いのだ。
「映像で見たのは五人。そんなのがあと四人もいるのか」
シャングが猿族との戦闘場面を思い出しながら呟くと、なぜかシンが、
「いや……」
と、なにか言い辛そうにそっぽを向いた。
「なんだ?どうした?」
「その……俺が遭遇した奴なんだが、実はアクミやアムと一緒か、それより幼い感じでな……」
「ほう、ずいぶん若いんだな」
「ああ。で……これがまた、相手をいたぶって遊ぶような、まるっきりのガキでな……」
「ふぅん。それで?」
「だから……その……」
「なんだ?はっきり言えよ」
「だから……取っ捕まえて……」
「取っ捕まえて?」
「一発、ぶん殴って……」
「ぶん殴って?」
「ビンタかまして……」
「ふん、それで?」
「それで……真面目にやれって……説教して済ませた……」
シャングに促され、事の顛末を語ったシンを一同が無言で見つめる。やがてその視線は右手のギプスへと……。
「お前……そいつに命を狙われたんだよな?」
「……まぁ」
「その傷……全治一ヶ月って言ったっけ?」
「……そうだな」
「で?……説教しておしまいか?」
「…………」
「…………」
「……その……すまん」
シャングの視線に耐えられずに視線を泳がせていたシンが、左手で頬を掻きながら謝罪した。
今後の事を考えれば、例え残酷でも息の根を止めておくべきだったのだ。
それが分かっているからシンも反論せずに謝ったのだ。
「ぷっ……ふふ、ふふふふふ……シンらしい」
そんな申し訳なさそうにするシンがおかしくて、ついにアムが吹き出した。シャングも釣られて笑顔になる。
「ふっ……ランダースの言う通りだ。あまりにお前らしくて、呆れて笑うしかないな」
「確かに」
その場の全員がくくっと笑う。
シンらしい。
まったくその通りだ。全員が全員、そう思ったのだ。
「まぁ、今さらお前のやった事にケチを付けても始まらん。取り敢えずは傷を癒すんだな、シン」




