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見知らぬ空へ  作者: たじま
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9、二隻目のランドシップ



周囲40キロメートルに渡って高い外壁に囲まれた旧人類だけの街『ニュー・ヴィンランド』。

嘗てユーラシア大陸と呼ばれた大地の東岸にあるこの街から、北方に約100キロメートルにあるクラックガーデン前線基地に今、黒い船体の『パッタイ』と護衛艦が一隻入港したところだった。

その『パッタイ』の艦橋。

作戦司令専用の椅子にふんぞり返って、バカラが呆れた顔でモニターを見上げていた。



「あん、一週間……?舐めてんのかお前?三日で揃えろ」

『なんだ、その口の聞き方は!たかが一司令の分際で、このクラックガーデンを預かる私に無礼だぞ!』

「無礼はてめぇだろうが?誰のお陰で、こんな後方で威張ってられると思ってんだ。こちとら全人類の矢面に立ってワービーストと戦ってんだ。基地司令だか何だか知らねぇが、生意気言てっと統合本部に掛け合って左遷させっぞコラ」

『なんだと!貴様にそんな権限があるとでも思っているのか!図に乗るな!』

「そんだけ優先度の高い作戦こなしてる最中なんだよ。こっちは次の作戦控えてて忙しいんだ。ご託を並べてる暇があったらとっとと統合本部に掛け合え。最優先で回してくれるからよ」

『この件も正式に報告しとくから、そのつもりでいろ!』

「どうぞご自由に。てめぇの無能さが一分一秒を争う全人類の平和を妨げてるって思い知るだけだろうがな、基地司令殿」

『減らず口を……』

「いいから、とっととヴィンランドに連絡しろよ。あぁそれと、上下関係がはっきりして後で詫び入れんなら高級ワインの一本でも差し入れろ。俺様はそれだけで水に流せる、器の広~い男だからよ」


バカラは尚も言い募ろうと顔を真っ赤にさせた基地司令を無視して一方的に通信を切ると、背凭れにドカッと身体を預けて天井を見あげた。


「……ったく、一週間も掛かんのかよ。くそったれ」

「仕方ありませんよ。物資だけならともかく、死亡したAS隊と乗員の補充までとなるとそう直ぐと言う訳にもいかんでしょう。それより司令、『インジェラ』の捜索はよかったんで?」

「知るか。あれはブルックハルトの仕事だ。だいたい、どこに置いてきたかも分からん船の捜索に俺達が付き合う義理はねぇよ。護衛艦一隻貸してやっただけでも感謝しやがれてってんだ」

「はは……でも護衛のAS無しで戦場に置いてきたのは少々気が引けますな……」

「あん?ブルックハルト達が居るじゃねぇか」

「たったの三人じゃ、獣化が一人通り掛かっただけでお終いですよ。付き合わされた『エルシモ』の連中も気の毒に……」


そう言ってベンソンは苦笑いを浮かべた。


「あんだけ叩いたんだ、猿共は当分出て来ねぇよ」

「まぁ、確かに……しかし、例の奴等……思いの外やりましたな。まさか本当にやってのけるとは……。あれなら統合本部が切り札って言うのも頷けますな」

「ふん、やれるって大口叩いたんだ。やって貰わねぇと作戦立てたこっちが困るんだよ」


誉めるようなベンソンの口振りが気に入らないのか、それとも例の奴等と言うのを思い浮かべたせいなのか、バカラは面白くなさそうな顔をすると吐き捨てるように続けた。


「それに……例え役に立ったとしても、俺はあんな気持ち悪りぃ連中なら居ねぇ方が清々するがな。躾も大変そうだしよ」

「躾ですか?」


バカラの物言いにベンソンが再び苦笑いを浮かべる。


「ま、噛みついたら噛みついたでお仕置きが待ってるけどな。はっはっはっ」





『パッタイ』艦内。

AS隊員用の共同部屋の一室に、四人の少年達がいた。

ベッドに寝転んで昼寝をしている者やイヤホンを使って音楽を聴いている者。

テーブルや窓際に椅子を移動して本を読む者等、皆思い思いに時間を過ごしている。

その中には先の戦いでアインスと呼ばれた少年と、同じくノインと呼ばれた少年の姿も見て取れた。

そんな彼等の部屋の扉を開けて、金色の髪の少女が駆け込んで来た。

少女は即座に部屋の中を見回し、少年達が揃っているの見て取ると両手を広げて嬉しそうに叫んだ。


「みんな聞いて。三日間の自由行動だって!」


だが部屋の中にいた少年達の反応は淡白なものだった。あまり興味が無いのか、ろくに返事もしない。

唯一、テーブルで本を読んでいた少年が本に視線を落としたままで「自由って言っても、基地の中だけだろ?」と、つまらなそうに答えた。


「あのね、ツヴァイ。ちっちゃいけど基地に隣接して街があるの。みんなでちょっと行ってみない?」


少女に唯一返事をしてくれた少年に向かって、だがその実、この部屋にいる全員に向かって少女が提案すると、ツヴァイと呼ばれた少年はページを捲ろうとした手を止め、初めて少女に視線を向けた。


「フィーアは街に出たいのか?」

「うん。ダメかな?」

「物好きだな」


だが、それだけ言うと再び本に視線を戻してしまった。

フィーアと呼ばれた少女がすがるような目でノインを見る。


「出るのは勝手だけど、僕は行かないよ?」

「俺もパ~ス」

「ノインとゼクスも行かないんだ……」


フィーアはそう呟いて、窓際で本を読み耽るアインスをチラリと見た。しかし、


「悪いが、俺も行かないぞ」


その視線に気付いたアインスがフィーアに声を掛けられる前にピシャリと断った。

結局、誰からの賛同も得られなかったフィーアは、


「そう……」


と寂しそうに呟くと、そっと部屋を出た。一人で街に出るつもりなのだろう。




『パッタイ』を出たフィーアは基地内のどの道が街に向かうのかも分からず、左右を見渡して途方に暮れていた。

すると、ちょうど綺麗に着飾った同年代と思われる少女達が歩いているのを見つけた。

その少女達と距離を置いて後に付いて行くと、ほどなくして基地と街を隔てる柵と門に行き当たった。

少女達に続き、門を警戒する兵士に身分証を見せて基地の門を出れば、そこはもう街の外れだった。

街と言ってもフィーアの言うように本当に小さなものだ。

それでも基地に住む兵士とその家族、インフラ整備を行う人間や、それを支える商業系の人間がいてある程度活気がある。

これでも、ここ二~三年で大きくなった方なのだ。

これは軍による、この方面のワービーストの駆逐とその報道(宣伝)が大きい。

軍が守ってくれるので安全という認識があるのだ。

気の向くまま街の通りを賑やかな方に向かって歩くフィーア。その前方には先程の少女達が歩いている。

あちらも『パッタイ』の乗員なのか、或いは基地の関係者なのかは分からないが、とても楽しそうに話をしながら通りの路地を曲がって去っていった。

それを羨ましそうに見送った後、ふと自分の姿と見比べる。

フィーアの格好はと言えば、赤いスカートを穿いてはいるものの黒を主体とした機能性重視の軍服だった。

自分にはアインス達がいるだけで、他に友達と呼べる知り合いは存在しない。

だから自分もあんな可愛い服を着てみたいと思うのだが、相談する相手がいないのだ。

結果、今のように軍服で街を出歩く事になる。

別に服くらい自分の好みで着れば良いようなものだが、流行を全く知らない自分の基準で服を選ぶ勇気がなかった。

いや、それ以前にああいった可愛い服がどこで売っているのかすら分からないのが現状だっだ。


〈……やっぱり帰ろうかな〉


自分が酷く場違いな所に迷い込んだ気がして心が後ろ向きになり、思わず溜め息が漏れた時、


「そのジャケット、AS隊だね。この街は初めて?」


と声を掛けられた。

振り向けばショートカットでそばかすのある、とても活発そうな女性が微笑んでいた。


「あはは……そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。私も基地勤務の人間さ」

「……そう……なんですか?」

「うん。街が初めてなら案内しよっか?なに探してるの?」

「あの……服が欲しくて……でも、お店が分からなくて……それで……」


別にフィーアも人見知りする方ではないのだが、この時は場違い感からつい元気もなく、小声になってしまった。


「あぁ、それでさっきの娘達をジーっと見てたんだ」

「ーーーッ!あの……見てたの?」

「うん。溜め息つくとこまでね」


まさか溜め息まで見られているとは思っていなかったフィーアが赤くなって俯いた。





「あんたみたいな上品な娘は、さっきの娘達みたいな砕けた服より、こっちのが似合うと思うよ?」


デイジーと名乗った少女に連れられて来たのは、賑やかな通りから一本隔てた裏通りにある、落ち着いた雰囲気の店だった。

外から見た感じ、店構えは量販店に比べると小さいのだが、服の種類は思ったよりも多いようだ。

そしてなにより、他の客が少なそうなのがフィーアは気に入った。お店の人には悪いが……。

デイジーに続いておそるおそると店内に入る。

中には色々な彩りのシャツにインナーにスカート、それと夏直前と言う事もありカラフルな水着まで置いてあった。

フィーアはそれらをぐるっと見回したところである一点に目が引かれ、そのまま釘付けになってしまった。

そこにはコーディネートの一例として、白いワンピースと薄い黄色のカーディガンが壁に掛けてあった。


「あれが気に入ったの?」


じっと見つめるフィーアの視線を追ってデイジーが声を掛けると、フィーアは恥ずかしそうに「……うん」と呟いた。


「でも、展示品だから……」

「ふふ、そんなの別に遠慮することないって」


照れるフィーアをくすっと笑うと、デイジーは店員を捕まえてフィーアの気に入った服を指差した。


「あの、すみません。これ試着したいんですけど……良いですか?」

「あ、はい。今降ろしますので、少々お待ち下さい」


そう言ってにこやかに微笑んだ店員は、嫌な顔もせずデイジーの申し出に快く応じてくれた。

わざわざ悪い事しちゃったかな?

と思いつつも、私もこんな服を着れるんだ……という期待から思わず笑顔が溢れるフィーア。

だが店員から服を受け取り、デイジーの案内で店内奥の試着室に向かって歩き出した時、突然店内の照明が一斉に消えた。どうやら停電したようだ。


「まただよ。はは、やんなるよね。あぁ……電力不足でね。こうやって時々、夕方になると電気が……消え……」


そう言って振り向いたデイジーの表情が固まった。

何故なら、そこには二つの怪しい光がじっとデイジーを見つめていたからだ。

それはまるで、闇夜にギラリと光るワービーストのような目だった。

いや、ワービーストそのものだった。

デイジーが震える指でフィーアを指差す。


「…………?」

「……あんた……その目……」

「え?……あっ!?」


デイジーに言われてフィーアが咄嗟に両目を隠そうとするが遅かった。

怯えた表情のデイジーが一歩後ろに後ずさる。


「こ、これは違うの……あの……だ、大丈夫だから」


フィーアがデイジーの誤解を解こうと、右手を上げた瞬間……、


「きゃあっ!!」


デイジーは突然大声を出すと、フィーアの手から逃れるようにその場にしゃがみ込んでしまった。


「……あ……あの……」

「い、いや……来ないで!来ないでぇえええーーーーーーっ!」


悲鳴に気づいた先程の店員が何事かと思って駆け寄ろうとするが、暗闇に光るフィーアの目を見てデイジーと同じように固まった。

気づけば他の店員はおろか、そこに居合わせた客まで、みんながみんなフィーアを……いや、その目を見ていた。

まるで憎しみと嫌悪と恐怖を織り混ぜたような瞳で……。


「……あ、あの……ご、ごめんなさい!」


フィーアはその場でバッと頭を下げると、手に持った服を棚に置き、急いでその場を逃げ出すのだった。







ランドシップ『アイリッシュ』。

本来はワービーストの科学技術よりも遥かに進んだ旧人類固有の兵器だ。

それを何故キングバルト軍が保有しているのかと言うと、それには訳がある。

数年前、旧人類が西部遠征を行った際の事だ。

東からやって来た『アイリッシュ』が、護衛艦二隻と共に船体を山間に隠した。

もちろん観測気球を飛ばして周囲を警戒した上での事なのだが、実はその時、観測気球では察知しずらい森の中で、キングバルト軍と猿族の兵士達による戦いが静かに繰り広げられている最中だったのだ。

そこに運悪く足を踏み入れた遠征軍は、直後にキングバルト軍と猿族の戦闘に巻き込まれ、そのまま乱戦に突入してしまう。

旧人類側も戦闘に気付いてASを緊急発進させ、ドローンを使って防衛体勢を敷くが時既に遅く、乱戦の中でAS隊は各個撃破され、艦内に侵入した猿族の兵士によってランドシップの乗員達は次々と殺されていった。

その結果、遠征軍はシンを残して壊滅してしまったのだ。

激しい戦闘の末、キングバルト軍が猿族を撤退させてからも、所有者を失った艦はそのままその場に打ち捨てられていた。

後日、それを偶然発見したキングバルト軍は『アイリッシュ』を虜獲。そして現在に至るという訳だ。



その『アイリッシュ』が現在停泊しているツインズマールの街には軍事基地は存在しない。

と言うより、シン達が移住したリンデンパークの街も含め、スフィンクスが治める街には軍事基地と言う物は存在しない。

一応、外敵に備えての防衛拠点はあるものの、それは古くからある城塞に手を加えて有事の際に使用しているのであって、旧人類のように常に兵士が駐屯するような軍事施設はない。

それはつまり、『アイリッシュ』の乗員が日々を暮らす為の宿舎も存在しない事を意味しており、結果『アイリッシュ』の乗員は基本的に艦内生活をしていた。

唯一の例外はシン達で、シン、アクミ、ひめ子、それにアムの四人は、族長が街に用意した一軒家で共同生活をしている。

それはそれで羨ましいように思えるのだが、他の乗員は全員独り者と言う事もあり、艦内生活とは言え三食食事付きは正直居心地は悪くなかった。

また、『アイリッシュ』配備のASが通常の半数以下と言う実状から、隊員が使用する部屋にゆとりがあるのも大きい。



そんな『アイリッシュ』艦内のとある一室。

他の乗員達の部屋よりも広めに取られた間取りと高い天井。

壁際には小さいながらも窓があり、その小さな窓から今、朝の光が優しく射し込んでいた。

時刻は午前六時をちょっと回った頃だろうか?

そろそろ艦内の人間も起き出す時間なのだが、この部屋の主シャングはまだ夢の中だった。

いつもならシャングも起き出す時間なのだが、ここのところ連日行っていたAS隊の訓練を実施、監督していた疲れもあり、訓練のない今日は久々にゆっくり寝ていよう。

そう思っていたのだが、ふと鼻をくすぐる良い香りに意識が覚醒しだした。


〈…………?〉


微睡みの中、回らぬ頭でなんの香りか思い出そうとするのだが答えは出ない。ただ、とても良い香りだった。

人間、一度目覚めると意識が徐々に覚醒していく。

そして意識が覚醒するにつれふと気付いた。どうも胸が暖かい。

別に重い訳ではないのだが……なんと言うか、こう……軽く胸を圧迫されているような感覚もする。

それと先程から鼻をくすぐる妙に甘く良い香り。

そこでシャングはふっと目を覚ました。

目の前に春麗の顔があった。


「…………?」


春麗はシャングの胸に顔を埋め、気持ち良さそうに両目を瞑っていた。それも幸せ一杯な表情で。

意識がはっきりとするにつれ現状を把握するシャング。


「ちょ……おま、なにしてる!」


すると春麗はパチッと目を開け、上体を起こしてにっこりと微笑んだ。それはもう、満面の笑顔で。


「おぉ、シャング。おはようじゃ」

「おはようじゃない、朝っぱらからなにしてんだ!」

「なにって……見ての通り、朝の挨拶をしようとそなたのお腹に股がったら……」

「股がるな!」

「こう、そなたの得も言われぬ良い匂いに、ついふらふらっとしての。思わず頬釣りしていたのじゃ」

「するな!とにかく降りろ!」


そう言ってシャングが上体を捩ると、逃さぬとばかり春麗が股がる両膝に力を込めた。


「…………」

「…………」

「……春?」

「なんじゃ?」

「……どいてくれないか?」

「いやじゃ」

「…………」

「…………」


仕方ない。ほっぺたを思いっきり左右に引っ張ってやれば退くだろう。

そう思ってシャングが両手を上げようとした途端、パッ!と両手を押さえ込まれた。


「…………」

「…………」

「……春?」

「なんじゃ?」

「一応聞くが……なんで手を押さえる?」

「一応聞くが……なにをするつもりじゃ?」

「…………」

「…………」


そのまま無言で見つめ合う二人……。やがて、


……ポッ。


「なんで頬を染める!?」

「いや……だって……のう?」

「目を逸らすな。こっちまで恥ずかしくなるだろうが!って言うか、恥ずかしいなら今すぐそこを降りろ!」


そう言ってシャングが春麗の下から抜け出そうと身体を捻ると、空かさず膝の力を強めて動きを封じる春麗。

たったそれだけでシャングはまったく身動きが出来なくなってしまう。

ワービーストの筋力恐るべし。そして……、


「まったく……なんでそなたはこう……乙女心をくすぐるのかのう?初いヤツじゃ……」


そう言って、そっと瞼を閉じた。


「おい!?なに両目を瞑ってんだ!?ちょ……」


そのままシャングの唇を奪おうと、ゆっくり顔を近付ける春麗。

だがキスに気を取られ、シャングを拘束する膝が緩んだ。

その油断した隙にシャングは腹筋だけで春麗を跳ね返すと、今度は逆に春麗をベッドに組伏せた。


「……へ?……あの……シャング?」


突然の事に慌てる春麗。

その春麗をシャングはひどく生真面目な顔で見つめ続けた。


「シャング……」


この後の展開を想像した春麗が再びゆっくりと目を瞑った……のと同時に、シャングの指が春麗の脇腹に食い込んだ。


「ぴゃっ!?」


そのまま無言で、わきわきとくすぐる。


「あひゃひゃひゃひゃひゃ…………ちょちょ、……ちょっと待…………いひゃ……ひゃひゃ……ひゃめて……ひゃんぐ……ひゃめ……いひゃひゃひゃひゃひゃ…………ひゃめ……ひゃめ……ひふ、ひふ……ひっひゃうひぇ……ひ、ひぃひゃぁあああーーーーーーっ!」


朝の『アイリッシュ』艦内に春麗の喘ぎ声が木霊した。

それはもう、いつまでも……。





「まったく、酷い目にあったのじゃ……」

「自業自得だ」


口を尖らせて不貞腐れる春麗に、シャングが空かさずツッコミを入れた。

現在シャングと春麗は食事をする為、『アイリッシュ』艦内の食堂に向かって二人並んで歩いているところだった。

そんな取り付く島もないシャングを春麗が恨めしそうに見つめる。


「なにが自業自得じゃ。こんな美人がキスしようとしたら、なし崩し的にキスするのが普通じゃろうが。それをなんじゃ、女性の妾に恥を掻かせた挙げ句、気絶するまでくすぐり倒すとは」

「普通、キスは男を拘束した上で強制するもんじゃないだろう」

「……まったく、照れおって」

「照れじゃない!」

「はぁ……今からこれじゃあ、先が思いやられるわい」

「こっちの台詞だ」


春麗はやれやれと言った感じで大きく溜め息をつくと、隣を歩くシャングを見上げてキッと睨み付けた。


「そもそも、そなたは妾の命を救ったのじゃ。その責任は取ってもらわねば困るぞ?」

「責任って……」

「考えてもみい。命を救ってくれたはいいが、妾にはこの街に知り合いの一人もいないのじゃぞ?」

「それは……そうだが」

「ここでそなたに見捨てられると、妾は行く宛もない、哀れな小娘じゃ」


春麗の物言いに思わずシャングがたじろぐ。

確かにあの時、治療の為とはいえシャングは春麗の同意を得ずにワクチンを注射した。

仕方のなかった事とはいえ、感染症の治った春麗からしたら、目を剥き出し、涎を垂らしながら他族を追い掛け回す仲間達を狂った集団としか思えなくなってしまったのだ。

だからと言って、それはおかしいと一度でも口にしようものなら仲間から異端扱いされ猿族の中で孤立する事になる。

実際パンチがそうだったようで、彼の場合は狂った人間として命まで狙われたらしい。

そんなところには最早帰る事は出来ない。いや……春麗はそんな狂った兄達を……家族を見たくないのだろう。

口には出さないがシャングはそう考えていた。

そして、そうなった原因は確かに自分にある。


「行く宛てもない……か」


シャングは遠い目をして、つい一週間前の日を思い浮かべた。

あの日、春麗を連れ帰った日の事を……。







春麗を抱き抱えて『アイリッシュ』に帰還するシャングを、シンやアム、アクミを始め、手の空いている乗員ほぼ全てが出迎えた。シャングが猿族の少女を保護した旨を連絡していたからだ。

そして『アイリッシュ』に着艦し、ストレッチャーに春麗を降ろしたところでパンチが思いがけない一言を投げ掛けた。


「ひひ、やるねぇシャングの兄貴。この人……猿族の姫さんだぜ?」

「なに!?」


その一言で、その場の全員が固まった。

次いで全員の視線が一斉に春麗に注がれる。

それはそうだろう。

よりにもよって、猿族を治める一族の娘だと言うのだから。だが、


「別に構わんだろう。怪我人なら尚更だ」


と、春麗がなにか言おうとするより先に、シンが即座に彼女を受け入れてしまった。

これには春麗の方が面を食らい、思わず「いいのか?」と聞き返したほどだ。


「一応、族長には知らせるが、ワクチンを射ったんだろう?なら問題ない。その上で敵になるなら相手になるが、その気は無いんだろう?」

「ない」


即答だった。


「なら気にする事はない。いいな、みんな?」


誰もがこくりと頷いた。

この場の責任者であるシンが許可したのだ。なら誰も文句はなかった。

それを見て春麗が安堵の表情を浮かべる。


「紹介が遅れたの。孫春麗じゃ。どうやら妾は病気に掛かっていたらしい。色々あったかもしれんが、どうか許して欲しい」


根は良い娘なのだろう。そう言ってペコリと頭を下げた春麗を一同は好意的な目で見た。

そして同時に仲間として受け入れた。

例え春麗が昨日まで敵だったとしても、それはそれと水に流す事が出来る大らかさを全員が持っていた。

そうと決まれば遠慮は無用だ。

アクミがさっそく春麗に駆け寄るとその手を取った。


「春ちゃん春ちゃん、そう言う事ならここにいるみんな、今からお友達ですよ。よろしくです!」

「春ちゃん?」

「春の麗で春麗なんでしょう?だから春ちゃんです」

「うむ、確かに春じゃ。よろしく頼む。……えぇと」

「私はアクミリス・ヴァレンタインです。気安くアクミ、もしくはアクちゃんって呼んで下さい」

「アクミじゃな?よろしく頼む」

アクミに受け入れられたのが嬉しかったのだろう。春麗も嬉しそう微笑んだ。

それを見て大牙が一歩前に出る。


「俺は……「で、私の後ろの彼女がアムちゃんで、その向こうの藍色のショートカットがカレンちゃんです」」


だがアクミが春麗の視線を遮るように割り込んで二人を笑顔で紹介する。


「アムとカレンか。よろしく頼む」

「こちらこそよろしく、春ちゃん」

「よろしく」


アクミの紹介が終わったところで再び大牙が一歩踏み出し春麗に笑いかけた。


「で、俺が……「そんでもって、この人が先生です」」


だが春麗の注意を惹くようにアクミがシンを紹介する。


「そんな紹介があるか。シングレア・ロンドだ。シンでいい。よろしくな」


そう言って右手を差し出した。


「うむ、シンじゃな。良しなに頼む」

「お……「それでこの……」」

「いい加減、俺にも紹介させろ!」


だんだん居たたまれなくなった大牙がついにアクミにキレた。

それをじとっと横目で見るアクミ。

まるで常識を弁えない子供を見るような目だった。


「……まったくうるさいですね。相手は怪我人ナンですから、もっと静かにして下さい」

「誰のせいだ、誰の!」

「だいたい今、主要キャラの紹介をしている最中ナンです。モブキャラがしゃしゃり出る場面じゃないんですよ。あんたは壁際で「ほう」とか「だろうな」ってリアクションだけしてればいいんですよ」

「なんだと!」

「そうそう、それですよそれ。ほらほら、あそこのコンテナと壁の隙間があんたのポジションですよ」

「なに満面の笑顔で壁を指差してんだ。とにかく俺に喋らせる気がないなら、ちゃんと紹介しろ」

「ふぅ……我が儘なんですから……」

「お前が言うな!」


アクミはやれやれといった表情をすると、再び春麗と向き直る。


「じゃあ、改めまして。……えっと、このうるさいのがですね……」

「うるさい言うな!」

「殺るなら俺を殺れ!笑うサンドバッグ!いつもニコニコ、みんなの不満を一手に引き受ける生きたパンチングマシーン!ストレスキャッチャー・大牙くんです」

「変な紹介すんな」

「笑顔一つでナンでも許してくれますから、ムカつく事があったらどうぞ」

「ふざけんな!」


そうやって、アクミは次々と仲間を紹介していった。

そして一通り全員の紹介が終わったところで、アクミがシンに尋ねた。


「ところで先生、春ちゃんはこの後どうなるんです?」

「どうと言っても、取り合えずは傷を癒すのが優先だろう。その後は春次第だな。帰りたいと言うなら帰れるようになんとか手立てを考えるが」

「いいや、妾は帰らん。ここでシャングと暮らす事にした」

「は……?」


春麗の一言にシャングがすっとんきょうな声を上げる。


「なにを驚く?そなたは妾の初めてを奪った男じゃ。責任は取ってもらわねばな」


「「初めて!?」」

「ちょっと待て!!」


驚いたアクミ、アム、カレンの三人がシャングをチラリと見た。三人共、好奇心からかその目は笑っている。


「シャングはの……怪我して満足に動けぬ妾をうつ伏せに組伏せると、スカートを割って後ろから強引に……妾初めてじゃったのに……」


「「……最低」」


だが続く春麗の発言に、その目が急にけだものを見る目に変わった。


「違う!誤解だ!」

「妾……嫌じゃと言ったのに……やめてと叫んだのに……それでも無理矢理射し込まれて……(ホロリ)」

「お前、わざと言ってるだろう!」

「あの痛み……そなたに強引に捩じ込まれた時の、チクリとした感触……妾は一生忘れんだろう」

「そりゃ初めて注射すれば……」

「注射って、お前……」

「なにを想像してる!そもまんまの意味だ!」

「後で見てみたら……パンツに血が滲んでた……」


……じと。


「いや、暴れるんで……しかたなくパンツを穿いたまま……」

「鬼畜の所業にしか聞こえんな」

「おいお前ら!本当は分かってて、わざと言ってるだろう!」

「大丈夫です春ちゃん。シャング隊長は、そりゃムッツリスケベかもしてませんが、責任感は人一倍強いです。きっとキズ者にした責任を取って結婚し、必ずや春ちゃんを幸せにしてくれますよ」

「本当か?」

「当たり前じゃないですか」

「勝手に決めるな」

「安心しろ、春。こいつは照れてるだけだ」

「おぉ、そうか」

「おい!」

「さしあたって家は後々探すとして、それまでこいつの部屋に住めばいい。なに、こいつはこう見えて士官だ。部屋は大きい。今更女のひと……家族の二人や三人増えても問題ない」

「わざわざ言い直すな」

「なんじゃ、なんの障害もないではないか」

「おいシン、なに勝手に話を進めてるんだ。そんなのダメに決まってるだろう」


自分を置いて勝手に話がポンポン進んで行く状況に危機感を覚えたシャングが異議を唱える。だが、


「そう言う訳じゃ。よろしくな、シャング」


春麗の満面の笑顔にシャングはドキリとしてなにも言い返せず、結局は頷く事しか出来なかった。







「そう言えば、腹の傷はもう大丈夫なのか?」

「あれだけ激しくくすぐっておいて、なにを今更……」


パンをかじりながらシャングが尋ねると、春麗はふいっとそっぽを向いてボソッと呟いた。


「それは悪かったから、……それより、傷は完全に塞がったんだよな?」

「うむ、昨日には塞がっておったの。さすが成りそこ……旧人類の医療は進んでおるの。まさか一週間も経たずに治るとは思わなかったわい。傷跡も綺麗さっぱり残っておらんしな。見るか?」

「見せんでいい」


茶碗と箸を置き、いそいそとシャツの裾を捲り出した春麗を見てシャングが慌てて止める。

春麗も特に拘る事なく「そうか?」と言うと、シャツを仕舞い出した。

そこでふと二人の会話が途切れた。

春麗は何事もなかったように食事を再開している。

そんな春麗を眺めながらシャングは少し考え、そして前から疑問に思っていたことを口にした。


「なぁ、春……」

「なんじゃ?」

「……なんで俺なんだ?」

「なんでとは?」

「いや……お前達ワービーストからしたら、俺達旧人類は力も無いし環境の変化にも弱い。……はっきり言えば種として劣ってる。それに、例えば戦闘があったとして、お前になにかあっても、お前を助けるどころか逆に俺が助けられる事の方が多いだろう。それなのに……なんでお前は俺なんだ?」

「なんじゃ、そんな事を気にしておったのか?」

「そりゃあ、まぁ……」

「そんなの決まっておろうが」

「決まってる?」

「うむ。一言で言えば一目惚れじゃの」

「一目惚れ……ね」

「なんじゃ?信じてないの?」

「いや、そういう訳じゃないが……」

「ふふっ、妾はな……そなたに命を救われたあの時、鏡を手渡しながらにっこり微笑んだそなたの笑顔に心奪われたのじゃ」

「それだけでか?」

「それだけでじゃ。だいたい、人が人を好きになる切っ掛けなんてそんなもんじゃろう?」

「そうか?」

「それに、そなたも妾を好いてくれとるしの。相思相愛じゃ」


そう言って満足そうに笑う春麗。

その笑顔はシャングの愛を微塵も疑っていない顔だった。


「相思相愛って、勝手に決めるな」

「なぜじゃ?妾の事を好きだと言ったのはウソじゃったのか?」

「そんな事、……言ってないよな?」

「なにを言う?鏡を手渡した時に言ったではないか。あの時の事を良く思い出してみるがよい」

「あの時?……あの時は……その……」

「なんじゃ?はっきりと申してみよ?」

「その……前より美人だぞ……って」

「うむ、それじゃ。その時の、そなたの心の裏を察してやったのじゃ」

「勝手に察するな!」


思わずツッコむシャング。


「じゃあ、妾の事は嫌いなのか?」

「いや……別に嫌いって訳じゃ……」


だが春麗の瞳に真っ直ぐ見つめられると、さっきまでの勢いは鳴りを潜め、つい照れから顔を背けてしまった。

その笑顔はアクミやアムとはまた違った魅力があった。

強いて言えばひめ子に近いだろうか?どこか気品のある、上品な笑顔なのだ。

この笑顔に比べるとアクミ達のそれは、明るく可愛い街娘と言った感じか?本人達には失礼だが。


「ふふ、初いヤツじゃ」

「こら、抱き付くな!」

「いやじゃ」

「お前等……もう、どっからどう見ても夫婦だな」

「誰が夫婦だ、誰が!」

「お前だよ」


揶揄するような声に振り向けばシンが食堂に入って来たところだった。

その後ろでは満面の笑顔で手を振るアクミと、無言で微笑みながらペコリと頭を下げるアムの姿もある。


「おはようございます、春ちゃん、シャング隊長」

「おぉアクミ、アム、シン、おはようじゃ」


アクミはシャング達の座るテーブルに小走りで駆け寄ると、春の隣の席に陣取り楽しそうに身を乗り出した。


「で、どうです春ちゃん。シャング隊長との新婚生活は?ラブラブしてますか?」

「うむ。さっきまでベッドの上でシャングとラブラブしておったぞ」

「おい!」

「は?……えっと、……マジっすか?」


春麗の予想だにせぬ告白に、聞いたアクミの方がびっくりして聞き返す。

一方シャングの顔には、じとっ……と、シンの視線が突き刺さる。


「ま、待て、俺はラブラブなんてしてない!」

「ち、因みにその……ナニをどう、ラブったので?」


慌てるシャングを余所に、恐る恐るとアクミが尋ねた。

その横では興味を隠しきれないアムが無言で聞き耳を立てている。


「うむ。シャングに指で弄ばれた挙げ句、そのまま逝かされた」

「にゃんですとぉ!」

「おい、妙な言い方するな!」


その場を想像して思わず顔を真っ赤にするアクミとアム。更に追い討ちを掛けるように春麗がその後の顛末を告げる。


「お陰で、妾の下着は中まで(汗で)ヌルヌルベタベタじゃ」


「にゃぁあああーーーーーーっ!」


妙にリアルな発言にアクミが叫び声を上げた。アムは言葉もなく固まっている。


「お、おいっ春!なんでお前はそう、誤解を招くような言い方を……」

「…………?」


シャングが立ち上がって春麗を止めに入るが、春麗は訳が分からないと言った顔で首を傾げている。そんな春麗にアムの質問は続く。


「ひょ、ひょっとして……そのまま最後まで?」

「いや……恥ずかしながら、妾はそこで気絶してしまっての。残念ながら今日はここまでじゃった。別に妾はウェルカムじゃったのにの」


「「きゃぁあああーーーーーーっ!」」


「春!あることないことベラベラ喋るな!」

「なにがあることないことじゃ。本当の事じゃろう?」

「微妙に違う!」

「おい、シャング。夫婦仲が良いのは分かったが、公共の場でイチャつくな。見てるこっちが照れる」

「夫婦じゃない!」

「知らないなら教えてやろう。今のお前等を、世間では夫婦と呼ぶんだ。そもそもお前が……」

「あぁ、もう分かった。俺が悪かった。全面的に悪かったから、勘弁してくれ。それよりシン、なんか用事があったんだろ?」


更に言い募ろうとするシンに、降参とばかりシャングが両手を上げた。


「ふっ……まぁ、この辺りにしといてやるか」


仕方ないと言った顔のシンは、そこで矛先を納めると春麗に向き直った。


「実は、春に聞きたい事があって来た」

「妾に?なんじゃ?」

「昨年……俺達がお前達猿族の追撃を振り切って、住民総出で移住したのは知ってるか?」

「うむ。夏袁兄上が部隊を出してたの」

「その時、旧人類のランドシップが横槍を入れて来たのは知ってるか?カーキ色の奴だ」

「うむ。聞いておる」

「そのランドシップをどうしたかが知りたい。俺達が逃げ出した後、猿族は破壊したのか?」

「地雷や不発弾の可能性を考慮して、遠距離からミサイルを数発撃ち込んだ筈じゃ。破壊できたかどうかどうかまでは確認しておらん」


そこまで聞いてシャングはシンが何を言おうとしてるのかピンときた。


「シン……ひょっとして『インジェラ』を?」

「あぁ。猿族が後退した今、あの辺は一時的に猿族の勢力圏の外にある。チャンスだな」


そう言ってシンはニヤリと笑うのだった。







翌日の昼過ぎ。

シン達一行は『インジェラ』を遥か先に望む事が出来る小高い山までやって来た。

ここから『インジェラ』までは直線距離で5~6キロといったところか。

シャングがトラックを止めると、助手席に座っていたシンとアムがドアを開けて外に降り立った。

いくら猿族が撤退し、この辺りが一時的に勢力圏から外れたとは言え、まったく猿族が居ないとは限らない。

下手にランドシップや輸送機で『インジェラ』に近づいて目撃さた場合、敵を呼び寄せる結果になるかもしれない。それがトラックで来た理由だった。

シン達がトラックから出てくると、その周囲をエアバイクで護衛していたアクミ達ワービーストの面々がバイクを降りてシンの周囲に集まってきた。


「大牙、アクミ、パンチ、レオ、次狼、それと春の六人は、悪いがここで待機だ。大丈夫だとは思うが、もし『インジェラ』で戦闘が始まったら直ぐに駆け付けてくれ」

「「了解」」

「念の為、獣兵衛だけは俺達と一緒に来てくれ。万一、敵が艦内に潜んでいた場合ワービーストの感覚が頼りだ」

「承知した」


頷いた獣兵衛はトラックの後方に回り込むとひょいと荷台に飛び乗った。

中にはひめ子、チカ、サナのブリッジ三人娘に、操縦士のエリック、それと修理の為の整備士五人と猫々が静かに待機していた。

獣兵衛が乗り込んだのを確認するとシンもアムを促して再びトラックの助手席に乗り込む。


「なにもなければ連絡する。そしたらお前達はそのまま周囲の警戒を頼む。ひょっとしたら猿族が居るかもしれん。充分に注意して、いつでも連絡が取り合えるようにしておけ」

「みんな、気をつけてね」


窓から顔だけ覗かせたアムが手を振ると、トラックは静かに走り出した。





暫くしてトラックが見えなくなると、大牙がぐるっと一同を見回した。


「さて、ここで固まっててもしょうがねぇ。とりあえず『インジェラ』の見える位置を確保しつつ、二人づつペアになって周囲の安全を確かめるか」

「了解です。で、組分けはどうします?大牙さん」

「そうだな……」


レオに聞かれて大牙がチラリとアクミを見る。


「それじゃあ、アクミはお……」

「春ちゃん!私と一緒に西を警戒しつつ、ガールズトークに花を咲かせましょう!」


だが大牙の意図を察したアクミは空かさず春の手を取る。


「ほほぅ、ガールズトークとな?どんなトークじゃ?」

「そりゃもう、とてもじゃないけど男の子には聞かせられないような、Aな事から始まって、Zと言う名の壁を突き抜け、∞なエンディングを迎えるまでの、ちょっとエッチでドキドキスウィーツなシークレットトークです。具体的には理性の鎖で繋がれた殿方の本能と言う名のヴィーストを解き放つプランなんぞを話し合いましょう」

「うむ。それは願ったりなトークじゃ」


等と話しながら、そのまま大牙になにも言わせず二人はエアバイクを押しながらとっとと行ってしまった。


「…………」

「ひひ、じゃあ次狼……俺っち達は東にでも行こうぜ」

「わかった」


そう言って次狼を伴ったパンチが東へと去って行く。

後には肩を落として俯く大牙と無表情のレオだけがポツンと残された。


「……大牙さん、なにもそこまで落ち込まなくても……。それじゃあまるで、魂が抜け落ちたゾンビですよ?」


面倒くさいと思いつつもレオが声を掛けてやると、ちょっと涙目の大牙がくるっと振り向いた。


「なぁ、……レオ?」

「なんです?」

「俺ってやっぱり……アクミに嫌われてんのかな?」

「嫌われてると言うより、まったく相手にされてないんじゃないんですか?」

「はぁ……」


レオに指摘されて更に落ち込む大牙。


「まぁまぁ、そんなに落ち込まなくても。時間もありますし、私が大牙さんのグールズトークに付き合いますよ」

「なに?その、ちょっと巧いこと言ったような顔……」





「はい、シン。コーヒーどうぞ」


左舷デッキに立って西の方角を伺っていると、アムが水筒に入っていたコーヒーを差し出した。


「なんだ、そのバックに入れてたのは水筒か」

「ふふん。シンが飲みたくなるかなぁ?と思って。気が利くでしょ?」

「まったく、ピクニックじゃないんだぞ?」

「あら、じゃあいらない?」

「いや。せっかくだから貰らおう」

「もう、素直じゃないんだから……」


そう言いながらもカップを手渡すアム。

シンも自覚したのか、苦笑いを浮かべながらカップを受け取った。


「確かにそうだな。ちょうどコーヒーが飲みたいと思ってた。ありがとう」

「ふふ……どういたしまして」


シンにお礼を言われ、アムがにっこり微笑んだ。そのまま二人並んでコーヒーを啜る。


「で、右舷デッキはどうだった?」

「ハッチ上部が被弾してたから、たぶん開かないんじゃないかな。こっちとは逆ね」

「そうか」

「はい、シン。あーんして」

「……ん」


アムの差し出すクッキーをくわえながらシンが視線を上げる。

そこにはミサイル攻撃を受けて斜めに傾いだハッチがあった。アムの言うように、これは閉まりそうにない。

そうこうしながらお茶をしてると、シンのインカムにシャングから連絡が入った。


『シン、今どこだ?』

「左舷デッキだ」

『お前……なんか食ってるのか?』

「はは、すまん。ちょっと小腹が空いてな。それよりどうだ?」

『酷くやられてるが、なんとか明日の朝までにはエンジンの修理はできそうだ。パネルも生きてるんで、なんとか充電もできるだろう』

「そうか」

『ただ主砲を始め、火器類はダメだな。手酷くやられてる。それでも持ち帰るのか?』

「あぁ。エンジンが無事なら構わん。火器は後で考えよう」

『わかった。じゃあ早速始める』

「頼む。聞いてたな、ひめ子」


シンが声を掛けると、インカムの向こうから『はい』と返事が返った。


「明日の朝には『インジェラ』を動かしたい。ブリッジは大丈夫か?」

『割れた窓から大量の砂埃が入り込んではいますが、これと言った破損箇所はありません。後はエンジンを掛けてみない事には……』

「今、猫々が持ち運び式のバッテリーを急速充電してる。それが来たら、猫々と一緒に計器類の動作確認を頼む。それまでブリッジの掃除でもしててくれ」

『了解しました』

「獣兵衛はブリッジか?」

『そうだ』

「なら、そのままひめ子達の側に居てやってくれ。その方が安心するだろうし、そこからなら近づく敵も発見しやすいだろう」

『了解』


通信を終えたシンが西の空に視線を移す。


「さて……このまま、なにも起こらなけりゃ良いがな……」

「そうね……」




一方、シンとの通話を終えたひめ子は、溜め息混じりにブリッジの惨状を見回した。

いくら屋根があったとはいえ、一年近く放置されていたのだ。

床は勿論、計器の上も、シートも、壁も、一面砂で真っ白で、木の枝まで散乱している有り様だった。


「さぁ、躊躇してても始まらないわ。私達は大掃除よ。猫々ちゃんがバッテリーを充電してる間に、とりあえず砂埃だけでもなんとかしちゃいましょう」

「「はーい(です)」」


思いの外元気な返事をしてサナが操舵席に、チカが火器管制席にとそれぞれ散って行く。


「じゃあ俺は、とりあえずバケツに水汲んでくるわ。別に飲む訳じゃないから大丈夫だろう」

「あ、それじゃあ私も行きます。箒やモップ、それに雑巾なんかも必要でしょうし。獣兵衛さん、ここよろしくお願いしますね」

「荷物持ちなら俺が行こう」

「ふふ、大した荷物じゃないから大丈夫ですよ。それに獣兵衛さんは見張りという重大な任務があるじゃないですか」

「そうか。……じゃあすまんがそうしよう」

「はい」


ひめ子はにっこり微笑むと、エリックと共にブリッジを出て行った。



ひめ子とエリックが去った後、獣兵衛は窓際に移動して外の様子を伺った。

『インジェラ』の周囲には遮蔽物は一切なく、数本の木々がチラホラ見える程度で身を隠せる所はほとんどない。一番近い林でも1キロはあるだろう。

確かにシンの言う通り、これなら接近する者がいれば一目で分かる。

後ろではサナとチカの二人がシート等に積もった砂埃を手で払っている。

見てるだけと言うのも手持ちぶさたで気が引けたが、ひめ子の言ったように外敵の接近を見張るのも大事な仕事だ。獣兵衛はそう割り切って視線を外に戻した。



元『インジェラ』乗員のエリックの話では、この『インジェラ』が放棄される直前まで猿族との間に激しい戦闘があったとの事だった。

その合間の短い時間に食事を採っていたのだろう。計器の上や床には食べ掛けのレーションや紙コップが所々に散乱していた。

サナは当時の切迫した状況をあれこれ想像しながら操舵席に立ち、何気なく計器の上に転がっていた紙製のコップをひょいと持ち上げた。

その中にそれはいた。


「きゃあああーーーーーーっ!?」


サナの悲鳴を聞いて即座に獣兵衛が振り向く。

いつでも抜刀出来るよう、腰を落とした体勢はさすがだった。だが、


「ゴキブリッ!!」


続く一言で緊張を解いた。

たかがゴキブリで何を……。

獣兵衛はそう思ったのだが、サナ本人はそれどころではない。ほとんどパニック状態だった。


「いやいやいやいや、ちょ、ちょ……ちょと待って、ちょ……」


一方、ゴキブリの方もお休み中に突然起こされてパニックになったのか、降参するように両手を上げていたサナと目が合うと、サナの顔目掛けて……と言うより、その光る瞳に向けて茶色い羽をはためかす。


「うきゃあああーーーーーーっ!飛んだぁあああーーーーーーっ!?」


驚いたサナが、その場にストンと尻餅を付いた瞬間……、チンと鍔鳴りがした。


「ーーーッ!?」


するとサナの見ている目の前でゴキブリが真っ二つになり、そのままヘロヘロと落下して床にポトリと落ちた。


「ふん。つまらんモノを斬ってしまった……」


獣兵衛はそう呟くと、何事もなかったように窓際へと去って行く。

サナの悲鳴に驚いたチカも、苦笑いを浮かべて自分の作業を再開し始めた。


「…………」


だが、妙な視線が獣兵衛の背中に突き刺さる。

後ろを振り向くと、サナが獣兵衛の事をじっと見ていた。


「…………?」

「あの……獣兵衛さん?」

「なんだ?」

「その刀……棄てるんなら、ちょうど明日が不燃物の日ですけど?」


「棄てんわ!」

「えぇ!?」


「えぇ、じゃない!なんであれしきの事で一々刀を棄てねばならんのだ」

「だって、バッチいですよ?」

「バッチいとは何だ、バッチいとは!」

「だってゴキブリを斬った刀ですよ?それで人も斬るなんて、相手の方に失礼ですよ」

「別におかしくないだろう!この銘刀『蜻蛉切り』は……」

「あぁ……昔っから蟲専門なんですね?」

「蟲専門とはなんだ!蟲専門とは!この『蜻蛉切り』は……」

「今日から『ゴキブリ切り』ですね」

「勝手に銘を変えるな!そもそも、我が野牛家に代々伝わるこの銘刀『蜻蛉切り』は、ご先祖が戦いに勝利して勝鬨を挙げた際、たまたま切っ先に停まった蜻蛉が、留まることも出来ずにそのまま真っ二つになったと言う逸話もある由緒正しき……」


「サナちゃーーーん!ちょっと、これ持ち上げるの手伝ってです!」

「は~い」


「ちょっと待て、話はまだ……」

だが話の途中でチカに呼ばれたサナは、獣兵衛を無視してさっさとチカのところに行ってしまった。


「……ふん、まったく……」


いまいち治まりが付かないが、肝心のサナがいなくなっては致し方ない。獣兵衛は再び窓の外に視線を戻……、


「きゃあああーーーーーーっ!?じゅじゅ、獣兵衛さん!こっち!……こっちにもゴキブリーーーッ!!」

「知るか!!」


獣兵衛の怒声がブリッジに木霊した。







そろそろ陽も傾き始めた頃、高い木の枝に腰掛けていた大牙のインカムにコールサインが入った。


『大牙、だいぶ陽も傾いた。暗くなる前に合流しよう。そっちは今どういう状況だ?』

「ツーマンセルで三チーム。それぞれ警戒範囲を広げて、『インジェラ』を中心に7キロ地点まで偵察しました。二時間前の事です。今は絞って、『インジェラ』から約5キロ地点でそれぞれ警戒中」

『そうか、ご苦労だったな。一時間後に切り上げて合流しよう』

「了解」

『あぁ、それと飲み水がない。悪いが水を汲んで来てくれ」

「了解。飲料水確保の上、一時間後に合流します」

『頼む』


シンとの通信を終えると大牙はニヤリと笑い、再びインカムに手を添えた。


「だってさ、アクミ。悪いが水汲みよろしくな」

『分かってますよ。じゃあ、ちょろっと行って来ますんで、こっちのフォローお願いしますよ?』

「あぁ、俺かレオが中間地点に移動しとく」




「なんじゃ、大牙のヤツ。水汲みくらい男手が幾らでもおろうに。なんでわざわざ女のアクミを指名するのじゃ?ひょっとして苛めか?」


通信を終えたアクミに春麗が不満そうに呟いた。


「あはは……大牙くんはそんな腐ったような事しませんよ。理由はこれです」


そう言ってアクミは右手を翳した。

するとその右手が光に包まれASのアームが出現する。


「おぉ!それはもしや噂の手甲か」

「おや?噂になってるので?」

「うむ。色んな物をポンポン呼び出す不思議グッズじゃと聞いた」

「あはは、確かにそうですね。つまり、こう言う事です」


アクミが右手の掌を上に向けると、そこに光の粒子が集まりポリタンクが現れた。


「なるほど、そういうことか」

「そう言う事です」


春麗とアクミがにこりと笑った。

つまり水汲みする為のタンクは最初からアクミが持っていたのだ。


「じゃあ、私は水汲みしてきますんで、春ちゃんはここで待ってて下さい」

「うん?一緒に行くんじゃダメなのか?」

「あはは、二人で河原に降りちゃったら見張りになりませんよ。水汲みくらい私一人で充分です」

「まぁ、それもそうか。じゃあ妾はここで待っていよう。すまんが頼む」

「はいです」







『インジェラ』捜索の命令を受けたブルックハルトが、部下二人と共に捜索を始めてはや五日が経過していた。

その間、まったく手掛かりは掴めていない。


猿族に大打撃を与えて撤退させた後、『インジェラ』捜索の協力を要請したブルックハルトだったのだが、バカラは次の作戦の準備があると言って取り合ってくれなかった。

ブルックハルトが、「これは統合作戦本部の命令である以上、バカラ司令にも協力する義務があります」と強硬な態度で望んだ結果、バカラは渋々と言った感じで護衛艦の『エルシモ』を一週間の期限付きで貸し与えてくれた。

猿族の残党狩りを打ち切り、『パッタイ』が護衛艦『ビンセント』を伴って帰路に就いた時、さっそく『インジェラ』捜索を開始しようとしたブルックハルトだったのだが、『エルシモ』の艦長もブルックハルトに対して非協力的だった。

艦長曰く、猿族が撤退したとはいえ、猿族のテリトリー深くに護衛艦一隻だけで停泊させ続けては艦と乗員の安全を確保出来ない。と言うのだ。

そしてなんだかんだと理由を付けて、結局は100キロ以上も後退してしまった。

ならせめて、観測気球を使って捜索のバックアップをして欲しいと頼んだのだが、艦長はそれすらも了承しなかった。

観測気球は艦の安全確保の為に貸せないと言うのだ。

艦のバックアップを断たれたブルックハルト達は、結局、自分達の記憶だけを頼りに、己の足を使って捜索するしかなくなったのだ。

この広い地域一帯を、猿族の残党に怯えながら。

そんな状況で満足に捜索等出来る筈もなかった。


ブルックハルトとて『インジェラ』が無事な状態で残っているとは思っていない。

艦長始め、AS隊の半数を置き去りにして来たのだ。

感染症の猿族に対して降服、投降があり得ない以上、『インジェラ』に籠って決死の防衛戦を展開した筈だ。

そしてブルックハルトの考えでは恐らく全滅。

場合によっては『インジェラ』を墓場に自爆したかもしれない。

だがそれならそれで、破壊された船体は残っている筈だった。

そしてその映像を元に、上層部には猿族に破壊されていたと報告すればいい。

しかし、肝心の船体が見つからないのだ。

そうして、いたずらに時間だけが経っていったのだった。



この日もブルックハルト達はなんの手掛かりも掴めず、河原に腰掛けて途方に暮れていた。

と言うより、山の中に入り込んで迷子に近い状態だった。なんにしてもマップデータが無いのが痛い。

山の谷間から空を見上げると太陽はもう見えない。

だいぶ陽が延びたとは言え、そろそろ今日の夜営地を決めなければならない時刻になっていた。

疲れた表情で空を見上げるブルックハルトに部下の一人がレーションと水筒を放った。続けてもう一人の仲間にも放る。それが今日の夕飯だった。


「すまんな、オール」


ブルックハルトは部下に礼を言うと、水筒に口を付けてゴクリと一口飲んだ。

オールと呼ばれた部下も同じように水筒を煽るとゴクゴクと水を喉に流し込む。

そうして全員が一息付いたところで、オールはブルックハルトに向き直った。


「連隊長……やっぱり、もっと東の方なんじゃないですか?どうもそう思えます」

「ふむ、少し西に来すぎたかな?ヘンケルリンクはどう思う?」

「実は俺もオールと同じ考えです。確かに山間を抜けた盆地みたいな所でしたが、ここまで山の中じゃありませんでした。東か……もしくはもっと南かですが……いずれにせよ、明日の昼が『インジェラ』捜索のリミットなのを考えると、明日の早朝にはここを発ちませんと……」

「しかし、このままなんの手懸かりもなく、おめおめと帰る訳にはいくまい」

「ですが連隊長、遅れた場合『エルシモ』が待ってくれる保証はありませんよ?」


オールに指摘されてブルックハルトは『エルシモ』艦長の顔を思い浮かべた。

付き合わされたこっちはいい迷惑なんだよ。

そう言いたげな、あの不機嫌そうな顔を。

そうして、ふぅと溜め息をつく。


「しかたないか……。よし、明日の早朝ここを出発したら、南を見てから東に向かう。そのまま帰艦するんだ。猿共に見つかっても問題あるまい。空を飛んで行こう」

「了解」

「とりあえず、今のうちにエネルギーパックを交換しておけ。それが終わったら、あの暗がりに寝床を造って……」


その時、ASの警戒ランプが点灯した。

誰かが近付いて来るのを、設置したセンサーが感知したのだ。

三人は無言で頷くと、それぞれ岩陰や木の上、草むらにと、思い思いに身を潜めた。そして待つ事三分。

アクミが一人で水汲みにやって来た。

もちろん、アクミも周囲の状況には気を配っていたのだが、事前にアクミの接近を知って身を潜められた事と、川の音が邪魔をしてブルックハルト達の気配を察知出来なかったのだ。

危険はないと思っているのだろう。油断したアクミは川の水を手で掬って口を濯いでから、持っていたポリタンクを川の流れに沈めた。

悠々と水汲みするアクミの横顔を睨み付けながらブルックハルトが唸る。


「あの女……」


忘れもしない。

突然空から降って来て人の股間を踏みつけて気絶させた女。

ブルックハルトは薄れゆく意識の中で確かに見たのだ。

ニヤリと笑ったその顔と、逆光の中で輝いて見えた青味掛かった銀色の髪とピンクのリボンを……。

あの小娘のおかげで自分は先の戦いに参加出来なかったばかりか、股間を腫らせて数週間も寝込み、今では潰れたムスコの替わりにバナナをぶら下げてると陰口を叩かれているのだ。


〈アイツのせいで……私は……私は!〉


そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、草むらから飛び出していた。


「野良猫ぉおおおーーーーーーっ!!」

「にゃ!?」


突然起こった怒声に慌ててアクミが飛び退く。

直後、ブルックハルトの大剣が振り降ろされ、水中に置き去りにされたポリタンクを真っ二つに叩き割った。


「ナニすんですか、いきなり!って、あんたはハプルポッカ!?」

「ブルックハルトだ!」


ツッコミを入れながらも振り向き、両手で剣を構えるブルックハルト。

更に二機のASが新たに現れアクミを包囲するように取り囲んだ。

それを見てアクミも獣化し、腰の後ろに挿した短刀をいつでも抜けるよう身構える。


「ナンであんたがここに?」

「それはこっちの台詞だ。こんな所でなにしてるのかは知らんが、見掛けた以上生かして帰さん!」

「殺す気あるなら、叫んでないで黙って斬り掛かかりなさいよ。そんなんだから避けられるんですよ。バーカバーカ!」

「減らず口をぉ!」


この期に及んでも相手を挑発するアクミ。

その安い挑発に乗って怒り心頭のブルックハルトが斬り掛かる。

だが当たらない。

確かに鋭い斬撃ではある。だが単調過ぎた。

振り下ろして、斬り上げて、また斬り下げる。その繰り返しだった。

シンのように相手の意表を付く攻撃や、フェイントを入れて斬り込みのタイミングをずらしてくるような事もせず、シャングのように斬り込みの軌道を変えるような芸当もしない。

まるでスポーツ武道の型稽古だった。要は直線的で攻撃が読み易いのだ。

だからブルックハルトが大きく斬り上げた瞬間、腰を落として懐に入り込み鳩尾に掌底を叩き込んだ。


「ぐはっ!」


ASのエネルギーシールドを貫通して衝撃がブルックハルトを襲う。

その痛みに耐え兼ね、思わずガクンとその場に片膝を着く。


「ねぇ、もうやめませんか?今なら見逃してあげますよ?」

「ふ、ふざけるな。言葉を喋る獣の分際で、私に情けをかけるつもりか。貴様は今日、私が、ここで狩る!」


ブルックハルトは腹を抑えながら、絞り出すように答えた。


「ふぅ……ならば仕方ありませんね。掛かって来るなら容赦はしません。あんたのナニは、今日、ここで、私が刈り取ります!」


そう言ってブルックハルトを見下ろしながら、鼻息荒く股間を指差すアクミ。

だがアクミは失念していた。

これは実戦で、しかも三対一だと言う事を。


「……ヘンケルリンク、オール、回り込め」

「「はっ!」」


いかにブルックハルトが直線的な攻撃でも、後ろに剣を構えた人間が居ればそれだけで集中力が削がれる。

もし一瞬でも反応が遅れればあの斬撃だ。避ける事は困難だろう。

それに、後ろに回った敵は必ずやアクミが避ける事が出来ないよう、その動きを制限してくるに違いない。

そうなればいずれはブルックハルトの攻撃を喰らう。

また、仮に攻撃を避けたとしても、避けて重心の固定された瞬間を別の誰かが狙えば結果は同じだ。

それが集団戦の恐ろしさだった。


〈……後ろの二人の技量がいまいち読めませんが、仮にハンブルコッコ?(あやふや)と同程度だとするとちょっと厄介ですね……〉


アクミは後ろで構えた二人をチラリと見ると短刀を左手に持ち換え、空いた右手にいつでも武器を呼び出せるよう油断なく構えた。


一触即発。


緊迫した状況の中、三人がジリジリと包囲の輪を縮め始める。


「ほう、楽しそうじゃな。妾も混ぜて貰おうか?」

「「ーーーッ!?」」


ヘンケルリンクとオールの二人がギクリとして後ろを振り向いた。

それはそうだろう。もし相手がその気なら、接近に気づかなかった自分達はとっくに殺されていたのだから。


「春ちゃん!?」

「アクミよ、敵がいたなら呼ばんか。なんの為のインカムじゃ」

「あっ!?……いやぁ、すっかり忘れてました。あはは……」


新たな敵の出現にブルックハルトが「ちっ……」と舌打ちを漏らす。


「ヘンケルリンク、オール。お前達はそいつを殺れ。私は野良猫を殺る」

「「はっ!」」

「ほう……妾を殺るとな?」


春麗は対峙した二人を見据えながらニヤリと笑うと背中の棍を引き抜き、くるっと回して脇に構えた。


「言っておくが、妾は強いぞ?」


そのまったく隙のない構えに二人がたじろぐ。


「怯むな、オールは正面から掛かれ。俺は後ろだ。二人同時に掛かれば……」

「おがっ!」

「なっ!?」


突然、隣に立ったオールが後ろに吹っ飛んだ。

二人ともまったく見えなかったのだが、春麗が手に持った棍の先を軽く地面に付けた瞬間、地面に落ちていた三センチ程の小石をオールの額目掛けて弾いたのだった。

ヘンケルリンクがそれに気づいた時には春麗は目の前に迫っていた。


「かはっ!」


腹を押さえたヘンケルリンクがガクンと両膝を着く。

春麗の棍を鳩尾に喰らったのだ。

悶絶したヘンケルリンクが地面に倒れ、ASが光の粒子となって消える。

手も足も出ないとはこの事だった。

瞬く間に部下の二人をやられたブルックハルトが動揺する。

その一瞬の隙をアクミは逃さなかった。


「もらったぁ!!」

「うおっ!?」


ブルックハルトの顔面をアクミの短刀が襲う。

それを上体を反らせてなんとか避け……、


「ぽおっ!?」


た直後、上体を反らせた事で無防備に晒された股間に、ピンの抜いてない手榴弾がめり込んだ。

左手の短刀を投げつけながら右手に手榴弾を呼び出し、続けざまに投げ撃ったのだった。


「……き……貴様……またして……も…………」


痛みに耐えかねて内股になったブルックハルトが前屈みになり、そのままこてんっと倒れ込む。

春麗が近づいて覗き込めば、口から泡を吹いて気絶していた。





「ふふん、やっとお目覚めですか?」


ブルックハルトが目覚めた時、目の前にはニヤリと笑うアクミがいた。

ハッとして身体を動かそうとするがびくともしない。木の幹に縛り付けられていたのだ。

首を振って左右を見れば、ヘンケルリンクとオールの二人も同じように縛り付けられている。

アクミの手には三人から取り上げたデバイスがあり、それを指の先に引っ掛けてくるくる回していた。

ASを取り上げられては最早手も足も出ない。


「貴様、なにをする!ほどけ!ほどかんか!」

「ほどけと言われてほどくとでも思ってんですか?あんたはこれから地獄を見るんですよ。生まれて来たのを後悔しながらね」

「……な」

「どうするのじゃ?」


動揺するブルックハルトに代わって春麗がアクミに尋ねる。

するとアクミは両手を腰に充て、よくぞ聞いてくれましたとばかり「ふふん」とふんぞり反った。


「そうですね。先ずはパンツ一丁で手足を縛って木に括り付けて一晩放置。身体中蚊に刺されたら、穴と言う穴に蜂蜜垂らして蟻の巣の上に転がし、程良く中身を食い荒らされたところで、お次は頭の上に蜂の巣被せて叩き割り、怒った蜂さんの手でジャガイモ顔に整形してもらったら、最後はナニに紐を括り付けて、吊り橋から去勢バンジーです」


「ひっ!?」

「……アクミ?」


じと目の春麗がアクミを見つめる。


「い、嫌ですねぇ春ちゃん。冗談ですよ、冗談。二度と悪さ出来ないように、ナニと一緒に血の気を抜いて大人しくさせてから、気持ちよくなるまで心と身体に恐怖を刻み込んでやる(殺る)だけです」

「まぁ、それくらいなら構わんか。だが死なれると寝覚めが悪い。ちゃんと手加減するのじゃぞ?」

「分かってますよ春ちゃん。手加減ですね、手加減。……私の一番嫌いな言葉です!」


にこやかに笑うアクミ。

妙なニュアンスとなにか聞き逃したような気もするが、春麗はスルーするとそっぽを向いた。

これから始まるお仕置きを見ないように。


「さぁ、覚悟は良いですか?良いですね?」


アクミに迫られ、歯の根も合わずにガタガタ震えるブルックハルト。

それを見てアクミがニヤリと笑った。目は鋭く睨み付けたままで。


「なな……なにをするつもりだ?」

「ナニするもナニも、いきなりボコボコにされると痛いでしょ?だから先ずは麻酔するんですよ。麻酔と言う名の血抜きをね」


アクミは見せつけるようにゆっくりと腰の短刀を引き抜くと、ブルックハルトの股間をじっと睨みつけた。

それを見てブルックハルトの顔から血の気が引く。


「ちょ……まま、まさか……」

「ナニ……私も鬼じゃありませんから安心しなさい。あんたのナニはちゃんとお線香上げて供養したら、立派なお墓を建てて、それはそれと叩き壊してから木の枝に突き刺して鳥葬にしてあげますからナニも心配もいりません」


そう言って右手の短刀を引き刺突の構えをとる。


「ま、待て!もうお前には手出ししない!約束する!だから……」

「ブ、ブルックハルト隊長……」


部下が震えた声でブルックハルトを見る。


「ご託はいいんですよ。さぁ、祈りなさい。一足先に天国へと旅立つ、愛しきモノの為に!!」

「ちょ……ちょっと待……」


「死ねやぁあああーーーーーーっ!!」

「わぁあああーーーーーー!?」


ズガッ!


と、短刀の切っ先がブルックハルトの股間に刺し込まれた。

だがいつまで経っても、ヘンケルリンクやオールが想像したような血渋きは上がらなかった。ブルックハルトの股間から血が流れ出す事もない。

見れば短刀の切っ先はブルックハルトの股間を掠め、木の幹に深々と刺さっているだけでブルックハルト本人は無傷のようだった。

ただし、アクミの迫力に充てられ再び気絶してしまっていたが……。


「まぁ、こんなとこですかね」


アクミはそう呟いて短刀を抜き取ると、ブルックハルトを縛り付けていた縄を断ち切った。

そして、その場に倒れたブルックハルトを無視してヘンケルリンクとオールの綱も次々切って二人を自由にしてやる。

縛り付けられていた腕を摩る二人に、アクミがASのデバイスをぽんと放った。

それを手にする事もせず、二人は訳の分からないと言った顔でアクミを見上げている。


「ほら……とっととブルブルクックペンギン連れて……」

「ブルックハルトじゃ」

「…………」

「…………」

「……とっととコイツを連れて帰りなさい」


春麗が思わずツッコむが、何事もなかったように会話を続けるアクミ。

春麗もそれ以上はなにも言わなかった。


「でも気を付けて下さいね。この辺はまだ、感染した猿族のテリトリーですからね」

「逃がして……くれるのか?」

「今回だけですからね?これに懲りたら、金輪際私達に手出ししない事です。次はないですよ?ホントに去勢しますからね?そうブルックコウテイペンギンにも伝えときなさい」

「わ、分かった」


ブルックハルトだよ。

そう心でツッコミを入れながら、黙って頷くヘンケルリンクとオール。


「じゃあ、お終いです。さぁ、早く行きなさい」


アクミに促され、ASを装着したヘンケルリンクとオールがブルックハルトを左右から支えて立たせた。


「ちょっと待て」


すると突然、春麗が二人を呼び止めた。なにかあるのかと怯える二人。


「お主達、東に行くのじゃろう?」


問われてヘンケルリンクとオールが視線を交わした。だが今さら隠してもしょうがない。ヘンケルリンクが「そうだ」と答える。


「ならこのまま真っ直ぐ北に行け。五キロも行くと山を抜けて盆地になる。そしたら盆地を東に行くがよい。そこは平地じゃが、窪地くらいあるじゃろう。そこで一夜を明かすがよい」


「しかし……」

「大丈夫じゃ。一見、平地は隠れる所が無くて不安に思うが、猿族は山の民じゃ。基本、平地には出て来ん。だから却って安全なのじゃ。それがテリトリー外なら尚更じゃの」

「猿族の春ちゃんが言うなら確かですね」


アクミがにっこり笑って然り気無く春麗の出自を明かし二人を安心させた。


「ただし火は焚くなよ。平地の薪は5キロ先からでも見えるぞ」

「分かった」

「じゃあ、気を付けて帰って下さいね」

「あ、あぁ」


にこやかに手を振るアクミと腕を組んだ春麗に見送られ、ヘンケルリンクとオールの二人のASが静かに浮き上がる。

そしてそのままブルックハルトを抱えて、地面を滑るようにして北へと去って行った。

二人が見えなくなるまで手を振っていたアクミが、恐る恐ると言った感じでチラリと隣の春麗の顔を伺う。


「あの……春ちゃん?」

「なんじゃ?」

「その……春ちゃんの気持ちも考えずに逃がしちゃって、すみませんでした」

「ん?……別に構わんぞ?妾はもう、無闇やたらと人を殺すのは止めたのじゃ」

「春ちゃん……」

「まぁ……一番の理由は、血だらけの手で我が子を抱きたくないのじゃがの」

「え?……春ちゃん、ひょっとして……妊娠したんですか?」

「いや、まだじゃ」

「で、ですよねぇ。あはは……。もう、びっくりするじゃないですか……」

「でも、そう遠くない未来の事じゃ。今日のガールズトークで妾は悟った。妾に足りなかったのモノ。それは押しの強さじゃ」

「いえ……話を伺う限り、春ちゃんは充分過ぎる程押しまくってましたよ?」


アクミが真顔でツッコむ。


「とにかく、ツインズマールに帰ったら、シャングにあれやこれを試してみようと思っておる」

「あはは、上手くいくといいですね」

「ふふん、お互いにの」


そう言って二人はにっこり笑うのだった。

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