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見知らぬ空へ  作者: たじま
12/35

8、春麗

シンがシャングから連絡を受けたのは夕方、日が沈んでからの事だった。


アムと二人で買い物を済ませ、アクミ達と新居で合流してみんなで家具と家電を設置している最中に、突然シンのインカムに連絡が入ったのだった。

みんなが緊張した面持ちで見守る中、シンがゆっくりとインカムに手を添えた。


「どうした?」

『猿族が負けた。すぐ来てくれ』





「ここだ」


そう言ってシャングが一同を振り返った。

『アイリッシュ』のブリーフィングルームにはアクミや大牙はもちろん、シンの指揮下にある主なメンバーが勢揃いしていた。

その全員が一斉にモニターを注視する。

そこには超望遠で撮影した猿族と旧人類の戦闘映像が流されていた。

正直、合戦の様子だけはなんとか分かるが、解像度が荒くて見づらい。


「……艦隊の前面にAS全機、8個中隊を展開したヴィンランド側に対して、猿族側が集中砲火を避ける為に鶴翼の陣で部隊を広げ始めたんだが……突然『パッタイ』が展開中の中央と左翼部隊の間に主砲とミサイルを発射した。そして敵が逃げ散って空白地帯が出来た隙に、強引に『パッタイ』を乗り入れて相手を分断したんだ」

「あんなに接近したら、獣化どころか普通のワービーストにも取り付かれるぞ?完全な自殺行為だな」

「そうだ。だからその矛先を逸らす為に、中央と左翼の部隊に今度は護衛艦が一隻づつ突っ込んだ。一応、『パッタイ』から援護の砲撃はしてるが……」

「……あれじゃ、護衛艦は完全な捨て駒だな」


シンが沈痛な面持ちでポツリと呟いた。

モニターでは、まるで砂糖に群がる蟻のように多数のワービーストが護衛艦に取り付き白兵戦が展開されていた。

護衛艦側もドローンを使って防衛線を築いているが、AS抜きでは正直支え切れまい。


「……だが意表を突いたのは確かだ。敵の混乱に乗じてAS隊が中央と左翼の敵に、それぞれ横槍を入れた」

「確かにかなりの損害を与えそうだが、一時的だろうな。獣化が出て来たらそれまでだ。それに敵さんの部隊長もなかなか手強い。そら見ろ、無傷の右翼が翼を拡げて半包囲の形になるぞ」

「あぁ。だがここで、『パッタイ』から新たなAS隊が発進した。数は5機」

「なんだ?グレーのカラーリングとは見ない機体だな。機動性特化のF型に近そうだが、それにしては背中のスラスターが小さいし……」

「強いて言えば、お前の月白に近いな。近接格闘特化って言ったところか?」

「ふぅん、それで?」

「こいつ等が連携しながら、混乱してる敵の本陣に特攻を仕掛けたんだ」

「たった5機でか?」

「そうだ。そして見事にやってのけた。恐らく敵の大将の首を獲ったか、手傷を負わせたんだろうな。そこからはあっと言う間だな。本陣が崩れた途端、艦砲射撃とAS隊の攻撃を支えきれずに、先ず中央の部隊が壊走。その煽りを喰らって右翼が混乱。そのまま後退して行った。酷いのは取り残された左翼だ。なんとかAS隊の攻撃を支えてたんだが、それが仇になって、最終的には敵の集中攻撃を喰らい、最後は散り散りになって逃げ出す始末だ」

「まずいな……この後『パッタイ』はどうした?」

「さすがに夜を警戒して艦隊は後退したよ。だがAS隊とドローンによる残党狩は続いてると見るべきだろうな」

「ふむ……ここから300キロ以上離れてるとは言え、残党狩しながら北上し、観測気球でも飛ばされると、こちらの街を発見されかねんな」

「あぁ、そう思って呼んだんだ。一応警戒した方が良いだろうな」

「よし。『アイリッシュ』を200キロ南下させよう。そこを拠点にASで半径50キロの警戒網を敷く。もし観測気球が近付いて来たら、猿族の仕業に見せ掛けて排除しよう」

「わかった」

「ラッセン艦長、夜明けと同時に出発しますので準備をお願いします」

「了解しました」

「お前達にも来てもらうぞ。ひょっとしたらASの警戒網を抜ける猿族がいるかも知れん。獣化出来る人間で『アイリッシュ』の南側、10キロ圏内の警戒を頼む」

「「了解」」

「大牙、お前が仕切れ」

「おう!」

「ひめ子は、この街で全体の指揮を頼む。それと、この事を族長と虎鉄殿に報告してくれ」

「わかりました」







いきなりだった。

敵のランドシップに対し、こちらは左右の部隊を鶴翼に広げた。

成り損ない共の主砲とミサイルは確かに脅威だが、部隊を広げれば被害は少ない。

それが分かっているから、敵も無闇やたらとは撃ち込んでこない。いつも通りの展開だった。

後は、敵の攻撃の隙を付いて白兵戦を仕掛けるだけ。そう夏袁は考えていたのだが、今回は違った。


動甲冑が配置に付くのと同時に、敵艦隊が砲撃を開始したのだ。

それも密度の低い本隊と左翼の間に向けて。

まるでこちらを攻撃すると言うより、邪魔な兵士を退かすかのように。

そう気づいた時には四つ足が突っ込んで来た。

そっちがその気ならと、続けて突入した小型艦と合わせて白兵戦で一気に蹴りを付けてやる。

そう思って突撃の指示を出した。

だが、それこそが相手の狙いだったのだ。


右手から攻撃を仕掛ける動甲冑と手前の小型艦の攻撃に獣化が出払い、本陣が手薄になったのを見計らったかのように、突然成り損ない共の動甲冑が5機、本陣に突っ込んで来た。

それを相手に数合打ち合った記憶はあるのだが、そこで意識が途切れ、気づけば孔蓮に背負われているところだった。どうやら敵に深手を負わされ逃げている最中らしい。


「気づかれましたか、夏袁様」

「……孔蓮……春麗はどうした?」

「……申し訳ありません。本隊を後退させるのに手一杯でした。恫鼓達を向かわせたので、恐らく大丈夫だとは思いますが……」

「……そうか……なら降ろせ」

「なりません」

「いいから、とっとと降ろせ!」

「なりません、夏袁様。背中に二ヶ所、深手を負っています。その身体でなにが出来ましょう?」

「俺に春麗を見殺しにしろって言うのか?」

「春麗様は恫鼓達にお任せ下さい。奴等はその命に代えても、必ずや春麗様をお守りします」


その時、恫鼓の顔が不意に浮かんだ。

そしてニコリと笑うと闇の中に溶けるようにして消えていった。

次いで春麗の顔が浮かぶ。

同時に背中の傷がズキンと痛んだ。


「……俺は」


気づけば夏袁の頬を涙が伝っていた。


「……俺は……なんて無能なんだ。……数多の部下を死なせ……妹まで戦場に置き去りにして……自分だけ生き残るとは……」


もう止まらなかった。

夏袁はそのまま孔蓮の背に顔を埋めると男泣きに泣いた。

部下達の前で涙を流す。

本来ならその行為は一軍を率いる将としては失格なのであろう。

だが、この場にいる兵士でそれを責める者は一人もいなかった。

いやむしろ、そこが良いとさえ思っていた。

部下の為に、そして肉親の為に涙を流す事さえ出来ない将に、いったい誰が自分の命を預けられよう。

この大将は自分が死んでも同じように泣いてくれる。

そしてこの大将の事だ、残された遺族は手厚く保護してくれるだろう。

だからこの若き大将の為になら死ねる。

この場の全員がそう思った。

そして同時に、逃げる事しか出来なかった自分達の不甲斐なさを恥じた。


「……その罪は、私達全員の罪でもあります。どうかご自分だけお責めにならないで下さい、夏袁様」







夜の帳が森の中を覆っていた。

敗戦から既に数時間。

春麗は部下達とはぐれ、今はただ一人でじっと草むらに身を伏せ息を潜めていた。

数十メートル先の森の中には残党狩りなのだろう。成り損ないの動甲冑が三人、サーチライトを片手に徘徊しているのが見える。

その向こうにもライトがチラホラと見えている。

いや、実は前だけでなく数十メートル後ろにも、同じように動甲冑やドローンが徘徊していた。

有り体に言えば、現在春麗は旧人類に囲まれ、身動き出来ない状態にあったのだった。


正直、なにが起きたのか分からなかった。

敵の小型艦と動甲冑の攻撃を受けたあの時、右翼の煉鳴の部隊が敵の背後に回り込んだのを望見した春麗は、ここがチャンスとばかり動甲冑の部隊に突撃を命令した。

そして自らも棍を掴むと、先頭に立って斬り込んだのだ。

当然、部下達も春麗の後に続き、忽ちその場で乱戦が始まった。

だが直後にいきなり本陣が崩れ、右翼の煉鳴の部隊を巻き込んで後退を始めたのだった。

春麗は乱戦の最中であり、また血が昂ってもいたのだろう。その事にまったく気づかなかった。

そしてそれが命取りとなった。

敵の動甲冑の部隊が突然、まるで潮が引くかのようにスウッと後退を始めたのだ。


勝った!


その場の全員がそう思った。

だが次の瞬間、艦隊の砲弾とミサイルが雨のように降って来た。

着弾を視認出来る春麗や他の獣化達はなんとか無事に済んだが、他の者達はそうは行かない。

爆煙が晴れた時、春麗が見たのは辺り一面見渡す限りの死屍累々の山だった。

そして茫然とする頭で遠くを見れば、そこにいる筈の兄と煉鳴の部隊は既になく、完全に包囲されていた。


そこからはもう、なにがなんだか自分でも分からなかった。

あの包囲をどうやって抜けたのかすら覚えていない。

ただ気づけば脇腹に傷を負い、この森の中にいたのだ。

その時、目の前の動甲冑達が去って行くのが見えた。

サーチライトが向こうを向いている。

今の内にこの包囲を抜け出そう。

そう思った春麗が腰を上げかけた時、突然後ろの草むらに気配が起こった。咄嗟に棍を握る。


「私です、春麗様」

「恫鼓……?」

「サーチライトは罠です。動甲冑は獣化並みに夜目が利きます。その目で反対側をしっかり見ています。それより手傷を負われたのですね?」

「うむ」


恫鼓はその嗅覚でもって春麗の怪我を瞬時に悟ると、そのまま近づいて傷を改めた。

脇腹に銃創が一ヶ所。

弾は抜けているようだが、それだけに深い。


「これは酷い」

「獣化はこれくらいで死にはせん。心配は無用じゃ。それよりなにがあった?兄上は無事なのか?」

「突然、本陣が敵の奇襲を受けまして。夏袁様は怪我を負ったものの、なんとか無事に逃げ延びました。孔蓮も付いていますので、あちらは大丈夫でしょう」

「そうか」


とりあえず、一番心配していた兄の無事を知ってか、春麗が安堵の表情を浮かべた。


「さて……本当は傷の手当てをしたいところなのですが、正直今は無理です。もう少しのご辛抱を……」

「分かっておる」


とは言え、痛いものは痛いのだろう。

春麗は強がっている側から痛みで顔を歪めた。


〈これでは、二人で強硬突破するのは無理そうだな……〉


その時、後ろの残党狩の集団がゆっくりとした足取りで二人の潜む草むらに近付いてきた。

相手との距離は20メートル余り。

気づかれないのを祈りつつ、二人はじっと息を潜めた。


「いたか?」

「いや。だがその辺に隠れてるのは分かってるんだ。絶対見つけてやる」

「手負いだが油断するなよ?女とは言え強いぞ。なんせ猿共を治める一族の女だって話だ」


〈そうか……奴等知ってて。それでこの警戒か……〉


そのまま息を潜める事一分余り。

動甲冑達はゆっくりと遠ざかって行った。なんとか見つからずに済んだようだ。

だが安心は出来ない。

とにかく、この包囲網を崩さない限りは二人が生き残る事は不可能だろう。だから恫鼓の決断は早かった。


「春麗様、これを……」


恫鼓は自分が羽織っていたマントを春麗の背中にそっと被せてやった。怪訝な表情を浮かべる春麗。


「これがあれば、赤外線で感知するドローンは誤魔化せます。ですが動甲冑にはくれぐれもお気をつけ下さい」

「待て!なにをするつもりじゃ、恫鼓」

「私が囮になって西に逃げます。春麗様はその隙に北にお逃げ下さい。そこで無理をなさらず、暫く傷を癒すのです」

「ならん。これだけを相手に一人でなにが出来る。それなら二人で強硬突破しよう」

「その傷では無理です、春麗様」


そう言って恫鼓は静かに微笑んだ。

それは死を覚悟した者特有の、とても澄んだ笑顔だった。


「では……おさらばです、春麗様」

「恫鼓!」


恫鼓は春麗が止めるのも聞かずに立ち上がると、逸早く反応したドローンを思いきり蹴り飛ばして、そのまま西に向かって駆け去った。


「居たぞ!」

「逃がすな、追え!」


その恫鼓に釣られるように、AS部隊が一斉に追撃を開始した。





身を低く構え、驚異的なスピードで森の中を駆け抜ける恫鼓。

だがそれでもASは振り切れなかった。

いや、振り切らないと言った方が正しいのか?

何せ、なるべく多くの敵の目を引き付け、春麗から遠ざけるのが目的なのだから。

走りながらも、夜目の利く獣化したワービーストの視力でもって恫鼓がチラリと後ろを伺う。


〈……動甲冑が十五人。いや……後ろにもっといるな……〉


連絡を受けた他の隊もこの場に続々と集まっているのだろう。敵の数は増えていく一方だった。

恫鼓も腕には自信がある。

相手が五、六人程度なら平気で瞬殺出来るだろう。

だがさすがに、これだけの相手と正面から戦って、無傷で生き残る自信はなかった。

春麗の身を守る為の囮とは言え、できれば恫鼓も死にたくはない。

それに春麗を残して立ち上がった時の……あの心配で、今にも泣き出しそうだった春麗の顔を思い出して、恫鼓は思わず苦笑いを浮かべた。


〈俺が死んだら、春麗様がご自分をお責めになる。そんな思いはさせられんな。ここは何としても生き残る……〉


改めてそう決意し、一際大きく地を蹴った直後……左右から現れた二機のASに突然斬り込まれた。

恫鼓も別に油断していた訳ではない。

現に周りの気配には常に気を配っていた。

にも関わらず、その恫鼓に察知されずに二人が斬り掛かってきたのだ。

恫鼓は咄嗟に身を捻り、なんとか即死を免れたものの、右腕と左脇腹を深々と斬られてしまった。


〈コイツ等……本陣に突入して来た……〉


回り込まれていたのか、それともここに追い立てられたのか……。

斬られた右手をだらりと下げ、左手で脇腹の傷を押さえる恫鼓を、二人の男達は呆れたような顔で眺めた。


「……人違いじゃないか、慌てやがって」

「どうする?アインス」

「コイツは囮だ。とっとと片付けて戻るぞ」


その時、恫鼓を睨み付ける相手の目が夜目にも妖しく光った。

それはまるで、闇夜に光る獣の目のように。


「貴様……その目……」


その時、恫鼓の耳がピクリと動いた。

まるで何かの音を聞き取ったかのように……。

そして突然二人に背を向けると、脇目も振らずに逃げ出した。

途中、銃撃を恐れて右に左にと何度かフェイントを入れながら森を抜け出し、そのまま崖沿いの道を上流に向かって走り続けた。

しかし、100メートルも進まないうちにアインスと呼ばれた男が森の中から現れ行く手を塞いだ。

後ろを振り向けば、もう一人の男が油断なく剣を構えている。

もう逃げ切れないと悟ったのか、恫鼓は崖を背にすると二人の男を交互に睨み付けた。


「もういいか?こっちは忙しい。さっさと死ね」


そう言って斬り掛かったアインスの目の前で、ニヤリと笑った恫鼓が手榴弾のピンを抜いた。


「ーーーッ!?」

「アインス!?」


咄嗟に楯を呼び出そうとしたアインスだが、完全に不意討ちだったため間に合わない。直後、


ボンッ!


という爆発音と共に手榴弾が目の前で爆発した。

爆煙と破片がアインスを襲う。

一方、恫鼓の方は爆風に煽られたのか、後方に吹き飛ばされると、そのまま崖下に向かって落ちて行った。

バキバキッと木々の枝を折る音が遠ざかっていき、暫く間を置いて、ドボンッ!という水音が聞こえた。

どうやら、たまたま崖下を流れる川に落ちたようだ。


「ちっ……俺を道連れに自爆を狙うとは……」


薄まり始めた煙の中から、いまいましそうなアインスの声が聞こえてきた。

だがその身は然したる怪我をしているようには見えない。

恫鼓の捨て身の攻撃も、ASのシールドに完全に防がれたようだった。


「大丈夫、アインス?」

「あぁ。それよりヤツは?」

「崖下に落ちて行ったよ。下を流れる川に落ちたみたいだったけど、どうする?追う?」

「放っておけ。俺達が追っているのは女のワービーストだ。もし止めを刺すなら、連隊長が他の奴らに指示を出すだろう。それよりさっさと戻るぞ、ノイン」

「了解」


それに、腕と脇腹を斬られた上に、手榴弾の破片まで浴びているのだ。あれでは満足に泳げる訳もないし、仮に岸に上がったとしても、どの道出血多量で助かるまい。

アインスはそう判断した。







「……行ったか」


二人が去ったのを気配で察した男がホッと安堵の息を吐いた。

それは猿族の燕迅だった。

その傍らには、川に落下した筈の恫鼓が力なく横たわっていた。







猿族と旧人類の戦闘があった翌日の昼過ぎ。

シャングは一人、南の方角を一望できる山の頂きに立ってじっと空を見つめていた。

左右に数キロ離れた所では、シャングの部下達が、同じようにツーマンセルで警戒に当たっている。

現在、各中隊はAS不足もあって十一名。

各中隊長は人員の関係から、必然的に一人になってしまうのだ。

シャングが空を見つめているのは、観測気球を発見するのが目的だった。

いくら猿族の残党狩りをするとは言え、この辺のマップデータの無いヴィンランド軍が地理不案内のままでASを送り込む事は無い。

だから先ずは観測気球を警戒すれば良い。


因みに、こちらが敷いた警戒網は『アイリッシュ』を中心に、南側に半円を描くような形で三重に巡らされている。

その一番外周に当たる警戒網をシンの第一中隊とシャングの第二中隊が、その内側をアムの第三中隊とバッカスの第四中隊が隙間を埋めるような形でそれぞれ警戒し、更に『アイリッシュ』周辺をASのない大牙達、獣化隊が警戒に当たっていた。

とにかく相手が猿族だろうと、旧人類であろうと、こちらの街の在処が敵方に知られるのは避けねばならなかった。

特にヴィンランド軍に知られるのだけは回避しなければならない。

何故ならヴィンランド軍はその進んだ技術力から遠距離の攻撃手段を持っているからだ。

街の在処を知ったヴィンランド軍が、こちらの知らぬ間にランドシップで近づき、街にミサイル攻撃を行う可能性も否定出来ないのだ。


取り合えず、どこかに腰掛けて気長に行くか。


そう思ったシャングが周りを見回す。

すると左手、200メートル程山を降った斜面の拓けた所に、一軒の山小屋が建っているのを発見した。


「……小屋か」


シャングが緊張した面持ちで呟く。

シンの話では、この辺りにも感染してないワービーストが住んでいたらしいが、今は居ないだろうとの事だった。

だが、ここは昨日の戦闘が行われた所から北に50キロ余り。

ひょっとしたら、猿族の残党がこの辺りに迷い混む事があるかも知れない。それが緊張の理由だった。

シャングは警戒しながら、ゆっくりと山を降って小屋に近づいて行く。

そしていつでも腰の刀を抜けるよう、右手を柄に添えたままで割れた窓からそっと中を伺った。

だが部屋の中は朽ちた椅子が転がり、床の一部が抜け落ちて、どう見ても最近人が入り込んだようには見えない。


〈……どうやら誰も居ないようだな〉


ホッと胸を撫で下ろし、緊張を解いた瞬間……突然足元に影が差した。

考えるより先に身体が勝手に反応し、咄嗟に横に向かって跳ぶ。

直後、シャングの居た場所に棍が降り下ろされた。

すぐさま起き上がったシャングが抜刀して構える。


「……猿族」


シャングが呟くと、獣化したワービースト……春麗がゆっくりと振り向いた。

そして真っ赤に充血した瞳でシャングを睨み付ける。


「妾を追って来たか、成り損い」

〈……追って来た?〉

「最早、逃げも隠れもせん。ここで終わりにしてやるわ。行くぞ!」


春麗は両手で握り締めた棍を槍のように構え、一足跳びに間合いを詰めてきた。


〈ーーー速い!?〉


シャングの顔面目掛けて唸りを上げた棍が突き出される。

それを首を捻ってなんとか避ける。


〈ーーーッ!?〉


その避けたシャングの側頭目掛け、流れるように春麗のハイキックが迫った。

咄嗟に左腕でガードしたものの、シャングはそのまま横に吹き飛ばされてしまう。

なんとか転倒だけは免れたものの、大きく体勢を崩したシャング。

だが予想された追撃は来なかった。


〈…………?〉


シャングを睨み付ける春麗は大きく息を吸って息を整えると、今度は右手に持った棍を左から右に振り下ろして地面を叩き、その反発で棍の先を跳ね上げながらシャングの胸を突いてきた。

だが最初のような鋭さはない。

右手に握った刀で棍を払いのけながら軽く後ろにステップして距離を取る。

その後も春麗は棍を振り回しながらシャングの頭目掛けて左右から打ち振り、流れるように左足を払う。

そしてシャングの胸を、顔面を突き、更には廻し蹴りまで織り混ぜて攻撃してくるが、シャングはその悉くを防ぎきった。


〈……妙だ〉


ここ半年、大牙や獣兵衛達を相手に何度も何度も模擬戦を経験したシャングには、それが獣化したワービースト本来の攻撃とは思えなかった。

始めの突きこそ驚いたものの、その後の攻撃は大した事はなかった。

はっきり言えば精彩を欠くのだ。

だから春麗の攻撃を右に左にと往なしながら、シャングは余裕で相手の状態を観察する事が出来た。

見れば左脇腹から血が滲んでいるのが見える。


〈こいつ……手負いか……〉 


そう思った時にはシャングは春麗に足払いを掛け地面に組伏せていた。


「貴様ぁ!どけ!どかんか!!」

「お前……怪我してるな?」


シャングが左手の腹でそっと春麗の脇腹を撫でる。

おそらく今の戦闘で傷口が開いたのだろう。掌が真っ赤になった。


「まったく、こんなんで暴れまわりやがって……」

「どこを触っておる、無礼であろう!」 

「少し落ち着け。傷の手当てをしてやるだけだ。でないとお前……死ぬぞ?」

「ふざけるな!敵の施しを受けるくらいなら死んだ方がマシじゃ!いいから離せ!」

「まぁ、一年前の俺なら放って置いたところなんだがな……」

「おい。聞いてるのか、貴様!」

「あぁ、聞いてる聞いてる。だからちょっと待ってろ」


シャングは春麗の背中を右膝で押さえ付けながら、掌に小さな箱を呼び出した。中には感染症のワクチンと小さな注射器が入っている。

それを見た瞬間、春麗がピクッと頬を引き吊らせた。


「ちょ……ちょっと待て、貴様! ……なな、なにをするつもりじゃ?」

「お前は知らんだろうが、猿族は全員、ある感染症に掛かっていてな。まぁ、有り体に言えば病気なんだ。それと言っておくが、俺はお前達が戦ってた奴らじゃない。だから安心しろ」

「そんな事は聞いておらん!その手に持っておるのは何で、妾になにをするつもりなのかと聞いておるのじゃ!」

「なにって……見れば分かるだろう?ワクチンと注射器だ。治療の最中に噛み付かれては困るからな」


それを聞いた瞬間、春麗が驚愕の表情を浮かべた。


「ま……まさかソレを……わ、妾に射すのか?」

「あたりまえだろう。その為の注射器だ」

「い……いや……や、止め……」

「なにを怖がる。たかが注射だろう」

「わ、妾は注射は嫌いじゃ。そ、そんな細くて長いの刺したら、痛いじゃすまんだろうが!」

「安心しろ。痛いで済むし、一瞬だ」

「いやじゃあぁぁぁあああーーーーーーっ!!」

「こ、こら、暴れるな!」

「いやじゃと言ったら、いやじゃあぁあああーーーーーーっ!」

「ええい、大人しくしろ!おい、腕をほどこうとするな。射てんだろう!」

「やめ、やめ……お願いじゃ!後生じゃ!死にたくないのじゃぁあああーーーーーーっ!!」


最初は背中に拘束した腕に注射の針を射そうとしたシャングだったのだが、シャングの下から必死に這い出そうと暴れるする春麗に、ついに腕に射すのを諦める。そして、


「ええい、じゃあこっちだっ!!」


比較的、的の大きなおしりに向かって手に持った注射器を勢いよく降り下ろした。


ブスッ!

「ぎゃぁああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーー………………(ガクリ)」


大袈裟に悲鳴を上げた挙げ句、気を失ってしまった春麗を見下ろしてシャングが怪訝な表情を浮かべた。


「これ……麻酔の効果でもあるのか?」







「……気づいたか?」

「…………」


木陰に腰を下ろし、南の空を警戒していたシャングがゆっくりと視線を横に向けた。そこには脇腹の手当てを終えた春麗が地面に寝かされており、目を覚ましたらばかりの瞳でじっとシャングを見上げていた。


「どうやらワクチンが効いたようだな」

「……不思議じゃ」

「不思議? なにが?」

「……貴様の顔を見ても、不思議と殺意が湧いてこない。だから不思議じゃ」

「だから言ったろ?感染症に掛かってるって」

「さっきもそんな事を言っていたが……妾達は病気だと言うのか?」

「ああ」

「信じられん」


春麗が即座に否定した。


「だが真実だ。それに掛かると同族意識が極端に強くなるらしいぞ?それで他の種族を見ると殺人衝動が湧くそうだ」

「……確かに敵を見ると……無性に殺したくなるが……」

「今はそれが無いだろ?」

「……うむ。だがそれでも信じられん。ただ単に、鎮静剤の類いを射たれただけかもしれんからな」


そう言って頑なに信じようとしない春麗に、シャングはそっと手鏡を差し出した。


「…………?」

「実は俺も最近知った事なんだが、感染症に掛かったワービーストと掛かってないワービーストは、一目で見分ける事が出来るんだ」

「見分ける?」

「その鏡を見れば分かる。さっきより美人になってるぞ」


シャングは春麗の顔を見つめながらふっと笑った。

その笑顔にドキリとしながら春麗が手渡された鏡を覗き込む。

そこには……嫌いだった、あの赤く血走った目ではなく……どこまでも澄んだ瞳の自分の顔が映っていた。

(おまけあとがき)

「いいか、お前ら。相手はシャングの第二中隊だ。負けたらスペシャルランチを奢る羽目になる。全員気合い入れてけ!」


「「了解!」」


『アイリッシュ』左舷のASデッキ。

第一中隊の面々を見渡しながらシンが一同に活を入れると、全員が大声でそれに答えた。

「もう、なにシャング隊長と賭け事してんのよ……」

と待機中のアムは呆れるが、賭け事云々はともかく、全員気合いは入っているようだった。

そこに艦内放送が掛かる。

『これより模擬戦を開始する。左舷デッキ、ハッチ開放。リニアカタパルト射出準備。第一中隊各機は順次発進位置へ』

「行くぞ!」

艦内放送に従ってシンがカタパルトの一つに跨がると、アムがにっこり笑って手を振った。

「シン、みんなも、がんばって!」

それに笑って無言で頷く。

『時折、左舷より風速5メートル程の突風あり、注意』

「了解。シングレアだ。月白発進するぞ!」

『進路クリアー、月白発進よし』

直後、シンの月白がASデッキから押し出され、大空に向かって飛び立って行った。

『AS第一中隊各機は続けて発進」

管制官の指示に従い、シンの隣のカタパルトに跨がっていたアレンが、腰を落として発進体勢を整える。


「アルレントだ。紅蓮、発進するぞ!」


『は?グレン?なんだって?』

「俺の愛機の名前だ。今後、俺の機体は紅蓮と呼んで貰おうか」

『……お前もか』

管制官が呆れたように呟いた。アレンがカレンの双子の兄妹だと知っているのだ。

面倒臭いと思いつつも、アレンを説教しようと試みた管制官がその手をインカムに伸ばした時、カレンがアレンの横に立つのがモニター越しに見えた。


「……兄様」

「なんだ、妹よ?」

「第四世代に固有名は無い。これ、常識。恥ずかしい事を言ってないで、第四世代らしく早く機体番号を申告して発進するべき」

「貴様が言うか、妹よ!俺と同じ第四世代に、しかも白い機体のF型にシュバルツ・ローゼと命名しているだろうが!」

恥ずかしい事と言われて照れているのか、右手の人差し指を突きつけて激しく非難するアレン。だがカレンは涼しい顔で両手を広げると、やれやれと言った感じで左右に首を振った。

「兄様、第四世代のASに愛称を付けるのは勝手だが、それを公の場所で口にするべきではないと言っている。ここは軍。規律と規則は守られるべき場所」

「おのれ……自分の事を棚に上げおって……」

「兄様が何を言っているのか分からない。私のシュバルツ・ローゼは惑う事なき第三世代……」

そう言った瞬間、カレンの身体が光の粒子に包まれた。


「バカな!そ、その機体は!?」


直後に現れた黒いASを見てアレンが驚愕の表情を浮かべた。

カレンが皆に口止めしていたこともあり、アレンはシュバルツ・ローゼの一件を知らなかったのだ。

その兄の表情を見てカレンがドヤ顔を浮かべる。

「だから言った。私の機体は第三世代。固有名はシュバルツ・ローゼ。兄様の紅蓮は自称。本当は名もない第四世代……」

「貴様ぁ……いつの間に第三世代を手に入れた!?」

「私とシュバルツ・ローゼは運命に導かれて出会った。ただそれだけの事。さぁ、納得いったら早く発進を。後が支えている」

「くっ……ぬけぬけと……急に手のひら返しおって」

右手の拳を握って歯軋りして悔しがるアレン。


『アレン!なにやってる!とっとと発進しろ!!』


怒り心頭のシンの怒声がインカム越しに響き渡ったのは、直後の事だった。



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