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見知らぬ空へ  作者: たじま
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6、ローエンドルフ攻防戦


石造りの搭の上に立ち夜空を見上げる壮年の男。

服の上からでも分かる分厚い胸板に輝くような金色の髪と口に蓄えた髭。

その金色の髪と髭を時折吹く夜風が靡かせるが、本人は微動だにせずじっと天を見詰め続けている。

シン達が身を寄せている街の族長、スフィンクスだ。


空には月が燦然と輝き、時折その月を隠すようにして、風に流された小さな雲が足早に通り過ぎて行く。

だがスフィンクスは月に興味を示している訳ではない。

まるで遠くの何かを感じ取っているかのように、無言で両目を閉じている。

その両目がスッと開かれた。


「……シンか?」

「そうやって、大気に満ちる敵の気を感じ取られたのですか?」

「ふっ……感じる、と言う程のはっきりしたものではないのだがの」

「ワービーストの鋭敏な感覚と言うヤツですね」

「そんな大層なものじゃない。……ただ不思議なものでな、なんとなく分かるのだよ。相手の心がな」

「俺も早くそうなりたいものです」

「こんなもの……戦争が無くなれば、ただの無用の長物じゃよ。それよりどうじゃ?」

「族長の言われた通りでした。観測気球を飛ばして赤外線で探りを入れましたが、やはり敵に動きがあるようです。夜襲か朝駆けかまでは分かりませんが……」

「朝駆けじゃの」

「そんな事まで分かるのですか?」

「ふふ、勘じゃよ」

「勘……ですか?」

「うむ……勘じゃ」


さんざん偉そうな事を言っておいて、実はただの勘だと言うのが恥ずかしかったのか、スフィンクスは照れ臭そうに答えた。ひどく惹かれる笑顔だった。


「ですが族長が言うと、妙に信憑性がありますね」

「ふふっ、そうかね?」


そう言って二人は、おかしそうにくくっと笑った。


「ところでシン……敵の獣化は何人いると見る?」

「三千人の戦闘部隊です。更に今日、新たに増援も合流したようです。四十は下らないでしょうね。もしかしたら六十を越えるかも……」


「ふむ……それが一度に来られると、さすがにちと厄介だのう」

「獣化とは言え、侵入出来る場所は限られます。東と北の城壁は高く、ワービーストと言えど、いくらなんでも無理でしょう。正面と西から来ると分かっていれば、充分撃退できます」

「ふむ、そうだな」

「現在、城の西側には虎鉄殿が主力を率いて待機してます。従う獣化はラルゴ殿含め十五人。正面は俺が五人を指揮します。万一を考えて、ASも俺の他に十機配置しました。更に背後と東には族長直属の五人が当たる。良いバランスだと思いますが?」

「自分で采配しておいてなんだが、直前になるとつい、これで本当に大丈夫なのかと考えてしまっての」

「良いと思ったから、誰もなにも言わなかったのです。そんな顔をされず、もっと自信を持って下さい。族長」

「皆の前ではこんな顔はせんよ。大将は然り気無く緊張し、決して顔には出さないもんじゃ。これはシンの前だからかの」

「それは……光栄な半面、他の方々が羨ましいですね」

「なぜじゃ?」

「族長のそんな一面を知らなければ、なにもかも族長に任せて置けば大丈夫だと思っていられるからですよ」

「そこは我慢せい。お主はワシの息子のようなもんじゃろうが。親の苦悩を分かち合うのは息子の勤めじゃ」

「お言葉は嬉しいですが、族長……レオがいるじゃありませんか?上に立つ者の苦労と心掛けを見せるのも良い経験かと思いますが?」

「ふん。アイツにこんな顔を見せてみい、不安になるだけじゃ」


そう言ってスフィンクスはふいっと顔を逸らした。それを見たシンが苦笑いを浮かべる。


「……どうも族長と言い、虎鉄殿と言い、実の息子を過小評価し過ぎているようですね」

「いや、別にそう言う訳ではないぞ?レオのヤツは毎日毎日、軍学に武術にと精を出し、一日でも早くワシの支えになろうと必死になっておる。ワシはそんなレオを誇りに思うし、過ぎた息子じゃとも思うておるぞ」

「その言葉、レオに聞かせてやれば励みになると思いますが?」

「そんな事、ワシの口から言える訳がなかろうが。端から見たらただの親バカじゃ」

「では俺の口から」

「こ、これシン。余計な事はせんでいい。それではワシの威厳というものが……」


そう言って本気で慌てるスフィンクスがおかしくて、シンはここが戦場だと言うのも忘れてつい心の中で笑ってしまった。


「では止めておきましょう。ですが族長の父親としての一面を見れて、俺は嬉しく思いますよ」

「シン……目が笑っておるぞ。まったく、どうも年を重ねるといかんの。つい余計な事をポロリと言ってしまうわい」


シンのニヤケ顔に釣られて苦笑いを浮かべながらスフィンクスが言い訳じみた事を言った。

その顔は族長の顔ではなく、ただの一人の父親の顔だった。

だがそこで、スフィンクスはふと気付いた。

シンとの他愛のない会話のお陰で、さっきまでの緊張がどこかに飛んでしまっていた事に。


〈ふむ……これを狙って態々レオの話をしたのだとしたら、大したもんじゃの。シン……〉


そう思ってチラリとシンを伺うと、まだニヤニヤと笑っていた。

どうやら向こうは向こうで楽しんでいるらしい。


「……これ、いつまで笑っておるか。もう良い……行けシン。正面は任せたぞ」

「ふふ、任されました。では俺はこれで……」

「うむ。虎鉄殿にも伝えておいてくれ。西は任せたと」

「了解しました。族長も少しお休み下さい。指令室に籠ったら休む暇はおろか、食事も出来なくなります故……」


そう言って一礼し、静かに去っていくシンを見送ると、スフィンクスは笑いを納めてもう一度夜空を見上げた。


「さて、正念場だの……」





『インジェラ』の襲撃と猿族の追撃をかわし、住民総出で今の街、リンデンパークに移住してから八ヶ月が経っていた。


その後、シンの警告が効いた訳では無いだろうが、旧人類は一切現れていない。

おそらく戦略を南に向けたか……或いは何かを企んでいるかのどちらかだろう。


だが猿族側は違った。

彼等の目的は領土ではなく、自分達以外の全ての部族の殲滅だ。

だから一冬の間に何度か小競り合いを行い、こちらの位置に当たりを付けると、春を待って大部隊を差し向けて来た。


対するスフィンクス率いるキングバルト軍も、これ以上退くつもりはない。

自分達の生存権を賭け徹底抗戦の構えだ。

その準備として、引っ越し前の早い時期からリンデンパークの南にあった古城、ローエンドルフ城を改修して要塞化し、尾根で繋がった山の上には砦を築き上げ、この日の為に備えていた。

そして間もなく……両者の決戦の火蓋が切って落とされる。







外の喧騒に気づいて目を覚ましたのは夜更けだった。

与えられたテントのテーブルに突っ伏していた少女が、ゆっくりと顔を起こして辺りを見回す。

どうやら仮眠を取るつもりで、思わず熟睡してしまったらしい。

だが熟睡したお陰でスッキリと目が覚めた。


少女は椅子から立ち上がると、両手を上に大きく伸びをした。

そのまま部屋の隅にある鏡の前に行き、寝癖が付いていないか確認する。

その鏡の中の自分をまじまじと見つめる少女。

均整の取れた美しい顔立ちに、燃えるような紅い髪。

それ自体は良い。少女は、このように美しい顔立ちに生んでくれた両親に深く感謝していた。

だが、その美しい顔立ちの中にある瞳だけは、どうしても好きになれなかった。

いつも赤く、濁ったように充血しているのだ。


「……汚い目じゃの」


ポツリと溢す少女。

別に抉り出したい程憎んでいる訳ではない。

猿族の人間は決まって赤く充血した目をしている。

だからそう言うものなのだろうと思うのだが、嫌いなものはしょうがなかった。


「そう言えば……孔蓮と恫鼓、燕迅は綺麗な目をしていたの……」


今日、この陣地に到着した時、兄の夏袁に紹介された部下の三人の綺麗な瞳を思い出た。

他の部下の名前は覚えていないが、綺麗な瞳が印象に残り、この三人の名前だけは自然と覚えてしまったのだ。

そんな事を考えていると、テントの外に人の近づく気配がした。


「春麗様、夏袁様がお呼びです。すぐに本陣にお越しください」

「わかった。すぐに行くと伝えてくれ」


春麗と呼ばれた少女はテントの外にそう返事を返すと、テーブルに立て掛けてあった2メートル程の棍を手に取りテントの垂れ幕をくぐり抜けた。





「兄上、お呼びで?」


本陣のテントに入ると、開口一番春麗はそう言った。

するとテントの中央に設置されたテーブルを囲んで協議をしていた将兵達が一斉に振り向き、そして頭を垂れた。

春麗はそれに軽く頷くと夏袁の正面に向かって歩を進める。

それを見た将兵が春麗の場所を空ける為、慌てて左右に分かれた。

実は春麗は夏袁と同じく、猿族を治める一族の出だった。

他に兄は二人おり、長兄の冬袁と次兄の焔秋はそれぞれ南の戦線で旧人類と対陣していた。

父の命令で五百人の増援を率いた春麗は、今日の夕方、兄の夏袁の部隊と合流したところだったのだ。


これから戦が始まる。久しぶりの戦が。


戦いの火蓋が切られたら、真っ先に敵陣に駆け込んでやる。

そう決意していた春麗に、


「お前は後詰めだ」

と、夏袁が無情にも告げた。


「は……?なにを言われる兄上。妾は戦見学に来たのではありません」

「そう言うな、春麗。もともとお前の増援を考慮に入れずに立てた作戦だ。今更、配置替えをするのも面倒だし、なによりお前は敵さんの城も見てねぇだろ?」

「城なぞ見ずとも妾は戦えます」

「そりゃあ、お前は戦えるだろうさ。だが部下はどうする?お前に付いては来れねぇぞ?その場に置いてきぼりか?」

「いや……それは、その……」


部隊を指揮する立場だったのをすっかり失念していた春麗がしどろもどろになって答えた。

それを見て思わず苦笑する夏袁。

慌てふためく妹を可愛く思いながらも、夏袁は話を続けた。


「それにな……どうも引っ掛かる」

「引っ掛かる?なにがです?」

「あの城がさ」

「城が?」

「パッと見は崩れ掛けの城を大急ぎで改修して、慌てて籠ったようにしか見えねぇ。だが、それにしては妙に落ち着いてやがる。恐らくなんかあんだろ」

「数年前のような遠距離砲では?」

「どうだろうな。ここ数年何度か大きな戦をしてるが、奴等はあれっきり一度も使ってこねぇ。これだけ山が近いと撃ちたくても撃てねぇだけかも知れんが……」

「なら……」

「それでも引っ掛かる」

「…………」

「だから今回は様子見だ。夜明けと共に正面と西側から、獣化隊十五人づつを侵入させる。そのまま敵の大将の首を取れれば、この戦はおしまいだ。まぁ、そこまでは無理だろうが、獣化が侵入すれば敵は浮き足立つだろう。その敵の混乱に乗じて、一般兵が正面と西側から攻撃する。主力は西側だ。力押し出来ればそのまま押し切る。ダメだと思ったら後退だ。お前はその様子を観察しとけ。後で役に立つかもしれん。分かったな?」


そこまで決まってしまっていては、最早春麗には頷く事しか出来なかった。

春麗の同意を得た夏袁が、両手を腰に充てながらニヤリと獰猛に笑った。


「さぁ、暴れるか。奴等に目にもの見せてやれ!」

「「はっ!」」







迷路の様に幾つもの城壁に区切られた城内。

その最奥に立つ一際高い棟の最上階にキングバルト軍の指令室があった。

スフィンクスがその指令室の扉を開けて中に入るとひめ子が会釈で迎えた。

だが直ぐに正面のモニターに視線を戻し、緊張した面持ちでじっと見つめる。

そこには観測気球からの映像と、敵陣近くに侵入した偵察用ドローン及び各種センサーのデータを元に解析した敵味方の配置図が表示されていた。

その敵側の部隊の光点が突然動いた。同時にサナが声を張り上げる。


「敵軍、進撃を開始しました!正面と西側に向かい高速で接近して来ます! それぞれ十五人、獣化と思われます。その後ろから歩兵。正面南側には五百、西側には二千五百が続きます。残りの五百は後方待機の模様!」

「敵、後続部隊より砲撃を開始。城壁に着弾しますです!」


直後、指令室にくぐもった音と振動が伝わって来た。ざわめく一同を落ち着かせるようにスフィンクスが静かに告げる。


「放っておけ。特殊カーボンと衝撃吸収ジェルで固めてある。簡単には崩れん。それより虎鉄殿とシンに通達、それぞれ獣化は十五人。砲撃が収まると登って来るぞ。一般兵は獣化の排除が済むまで隠れさせておけ」

「了解です」

「敵獣化隊、銃弾を避けながら正面城壁に到達、取り付かれました! ワイヤーを射出してクライミングを開始!」


サナの報告を聞いたひめ子は静かに頷くと、じっとタイミングを図った。そして、


「クレイモア、起爆!」

「起爆!!」


チカが復唱した直後、城壁の上に設置さていたクレイモアが一斉に爆発。クライミング中の獣化隊に向けて大量のベアリングを叩き付けた。だが、


「獣化三人、排除に成功! 残りは避けられました!」

「……三人」


遮蔽物の無い城壁をクライミングしていた敵に対し、真上からのクレイモアの爆発。

正直、半分以上は排除出来るものと踏んでいたひめ子が唇を噛み締めた。

恐ろしい事に、殆どの敵は爆発の瞬間に壁を蹴り、一時的に城壁から離れる事でクレイモアを避けたのだった。

獣化したワービーストはそれだけの身体性能を有していた。


「気にするな。後はシンに任せろ。それより西側の敵に集中だ」

「はい。チカちゃん、西側城壁のクレイモアは一斉に爆発させず、2秒の時間差で爆発するよう設定を変更して」

「了解です。偶数番のクレイモアを設定変更しますです」


〈ほう、すぐさま敵に対処したか。さすがじゃの〉


確かにこの時間差なら、例え一回目の爆発を避けたとしても、二回目の爆発は避けられない。

半分づつになった分密度は減るが、排除は出来ずとも手傷は負わせられる。

そして手傷を負えば、数で劣る当方でも互角以上に戦えるだろう。

それを瞬時に判断して躊躇なく変更したひめ子を、スフィンクスは心の中で称賛した。




「……来るぞ」


シンが呟いた瞬間、城壁の上部に十数本の鉤爪が一斉に掛かった。一瞬の間を置いて城壁に仕掛けられたクレイモアが爆発する。

その爆発を合図に、シンの月白が飛び出した。

直後にワイヤーを手繰りながら凄まじいスピードで城壁を駆け上がったワービースト十二人が飛び上がるように現れた。

シンはそのワービーストの一人にショルダーアタックをかまして吹き飛ばすと、空中で態勢を変えられない相手に向かって、左手に呼び出した手榴弾をポイっと放った。

そのまま爆発を確認する事なく、駆け出した他のワービーストの頭を目掛けて右手のアームからハーケンを射出した。

しかし、こちらが見えているかのように首を捻って避けられる。

だがシンは、ハーケンの先端が相手の目の前を通過した瞬間に腕を返した。

避けたと思ったハーケンが軌道を変えて再び顔面を襲う。

獣化したワービーストは即座に反応してこれも避けたが、さすがに足が止まってしまった。

そこに左手に短刀を握ったシンが襲い掛かる。

仕方なく迎え撃つ事にした相手が背中の刀を抜き、その場で斬り合いが始まった。

その時には、その回りでも既に乱戦が始まっていた。


この場を守るのはシンを筆頭に大牙、アクミ、獣兵衛、パンチ、レオの六人。

それに対して、侵入者の残りは十一人。

パンチはその内の四人がこちらに目もくれず、防衛線を突破して城壁の上から中庭に飛び降りるのを視界の端に捉えた。


〈おいおい……まさかあの赤髪……〉


パンチは相手の顔面目掛けて、右から左にトンファーを振り抜いた。

そして相手が上体を反らせたところで、その腹に蹴りを入れて吹き飛ばす。

もちろん、そんな事で相手の意識を奪う事は出来ないが、距離を取るのが目的だった。

その隙にすぐさまシンに向かって怒鳴った。


「シンの兄貴! 抜けられた! しかもあの赤髪、敵の大将だぜ!!」


ちょうど二人目のワービーストを倒し終わったシンが振り向き、即座に城壁の端に移動した。

確かに四人のワービーストが中庭を駆けて行くのが見える。


「俺が行く。お前達は残りの奴等を排除しろ。すぐに総攻撃が来るぞ」


シンはそう言い残すと、そのまま城壁から飛び降りて侵入者を追跡して行った。

それを見た大牙が、自身の敵を無視してアクミの敵に横槍を入れる。


「大牙くん!?」

「いくらなんでも先生一人じゃ手に余る。ここは任せて、お前も行け!」

「了解、頼みましたよ!」

「おう!」


敵の一人が駆け出したアクミを追おうとしたが、大牙が槍を大きく旋回させるとピタリと動きを止めた。


「聞こえなかったのか?お前等の相手は俺だ」




中庭の林の中を遮二無二突き進む赤い髪の男。

それはパンチの見た通り、猿族の大将夏袁だった。

それに従う部下は三人。

シンはその最後尾の一人に肉薄した。

だが斬り掛かかった瞬間、相手は両足を踏み締めてバク転し、シンの背後を取った。

慌てて振り向くシン。

そのシンの首を目掛け、地面を踏み締めて飛び掛かったワービーストの手刀が迫る。


「どぉおおおーーーーーーんっ!!」


だが飛び掛かろうと地を蹴った瞬間、アクミのドロップキックが炸裂した。

気づくのが遅れ、受け身も取れずに壁際まで吹き飛ばされるワービースト。

それと入れ替わるようにアクミが華麗に着地した。


「アクミ!?」

「さぁ……こいつは私に任せて、先生は先へ行って下さい!」

「すまん。頼んだぞ!」

「頼まれましょう!」


蹴り飛ばした相手から目を逸らさずにアクミが意気揚々と応えた。

そのアクミを睨み付けながらゆっくりと起き上がったワービーストの男が、背中から取り出した鎖鎌を構えて忌々しそうな顔を向ける。


「またお前か……」

「おや……? どっかで見た顔だと思ったら、いつぞやのユーモアセンスの欠片もないヤツでしたか」


その一言に鎖鎌の男がスッと目を細めた。


「……今日こそ殺す」

「殺す殺すって、もっと他に気の利いた台詞は言えないんですか、お猿さん?そんナンだから猿はボキャブラリーが貧困だって言われんですよ」

「……くっ!」

「まぁもっとも『エテ公、ツキ劣る!』と言って、人生低空飛行のあんた達が、身の程もわきまえずにコジャレた事を言おうとしても、どうせ恥掻くだけでしょうけどね?あっはっはっはっ……!!」

「…………」

「どうしました?グゥの音も出ませんか?」


ふんっと鼻息一つ。

ナニも言い返さない相手を見下すように、両手を腰に充てたアクミがニヤリと笑った。その時、


「……月を……取るだ(小声)」

「は……?」


鎖鎌の男の一言に、思わず首を傾げるアクミ。


「一応、言っておくが……『猿猴、月を、取る』……だぞ?」

「え……?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


誤りを指摘され、リアクションも取れずに固まるアクミの頬を冷や汗が伝う。

まさか本気で間違えてたとは思ってなかった鎖鎌の男の頬にも冷や汗が伝っていく。

互いに無言で見つめ合う二人のワービースト。

時間だけが、やけにゆっくりと感じられた。やがて、


「……ど」

「……ど?」

「……どうやら、あんたとは……戦う運命にあったようですね?」

「……そうだな」


こうして二人の死闘の幕が切って落とされるのだった。





城内に侵入した時と同じく、ワイヤー付きの鉤爪を壁の上に打ち上げ、鉤爪が掛かると同時にモーターで巻き上げて垂直の壁を駆け上がる三人のワービースト。

シンはその無防備になった一瞬を逃さず空中に浮き上がると、両手の短刀を小銃に持ち替えて即座に発砲した。

銃弾を背中に喰らった二人のワービーストが堪らず落下する。

更に赤い髪のワービースト、夏袁に銃口を向けたが、その時には既に城壁の上に到達したところだった。

再び短刀を両手に握ったシンは、スラスターを全開にして夏袁の背中に斬りかかる。


「しつけぇ!!」

「ーーーッ!?」


だが夏袁はシンが接近した瞬間、背中に負った鋼鉄製の棒を右手で掴み、振り向き様に抜き打った。

そのあまりの馬鹿力に、受けた短刀ごと吹き飛ばされるシン。

本当は一気に指令棟を目指すつもりでいたのだが、こうなっては仕方ない。

面倒臭そうに振り向くと、ふんっと鼻息一つ。肩に棒を担いでシンを睨み付けた。


「お前が噂の成り損ないか?どういうつもりでこいつ等の仲間になってんのかは知らねぇが、掛かって来んなら容赦しねぇ。来い!」


その言葉を合図に、両手に短刀を握ったシンが仕掛けた。

左右から攻めるシンの鋭い斬撃を、棒の中程を両手で握り、左右に振って器用に打ち交わす夏袁。

それどころか、シンの隙を付いて棒を打ち込んできた。

シンはスラスターを使って一瞬で後退してそれを避けると、直後には右手を振りかぶり、今度は前進しながら横凪ぎに斬り込む。

だが、その斬り込むタイミングに合わせて踏み込んだ夏袁が、右手の短刀の軌道に被せるようにして力任せに棒を打ち下ろした。

あまりの衝撃にシンの右手からポロリと短刀がこぼれ落ちる。

夏袁はそのまま棒を跳ね上げると、今度はシンの顔面を狙って突いてきた。

それを右足を引き、首を捻って避けながら、夏袁の伸びきった腕を目掛けて下から左手の短刀を突き上げる。

夏袁の死角からの鋭い刺突。

見えない筈のそれを、夏袁は瞬時に腕を引いてかわすとニヤリと笑った。


「そら、左足ががら空きだぞ!」


すぐさまシンの膝を狙って棒が突き出される。

だがそれも予想していたのか、シンは左足のスラスターを使ってその場でクルンとターンすると、振り向き様に右手に呼び出したスタングレネードを下から放った。

一瞬の攻防だが、獣化した夏袁には目の前に放られたシンのスタングレネードがひどくゆっくりと見て取れた。

そしてピンを抜いてないのを即座に確認する。


「ピン抜き忘れてんぞ、間抜け!」


だから無視してシンの頭を目掛け、棒を打ち下ろそうと振りかぶった……その時、シンが片目を瞑っている事に気付いた。

ひどくゆっくりと流れる時間の中……シンの短刀がスタングレネードに向かって突き出される。


〈こいつ、自分で……〉


直後、夏袁の目の前で『バンッ!』という轟音と共に閃光が迸り、スタングレネードが破裂した。

ワービーストの命とも言える視覚と聴覚が使い物にならなくなる。

不利を悟った夏袁は、距離を取ろうと大きく後ろに跳びながら右手の棒を一閃させた。

たが、その下を掻い潜って近づいたシンの拳が夏袁の鳩尾に突き刺さる。

更に前屈みになった顎に頭突きを入れてかちあげ、右手で棒を掴んで引き寄せながら右脇腹に蹴りを入れた。

シンの目眩ましからの一連のコンボに成す術もなく蹴り飛ばされる夏袁。

シンは夏袁の手から奪い取った棒を遠くに放り捨てると、追い打ちを掛けるべくスラスターを使って一気に近付いた。


「てんめぇ!調子こいてんじゃねぇぞこらぁ!!」

「ーーーッ!?」


だが、何事も無かったかのように起き上がった夏袁が、シンを迎え撃つべく地を蹴って飛び掛かって来た。

反応が遅れたシンの頬を、きつく固めた夏袁の右拳が掠める。

喰らってはいない。

だが少し掠めた。

ただそれだけでシンの視界がグラリと揺れる。


「死ねやぁあああーーーーーーッ!!」


そこに、体重を乗せた夏袁の左拳が襲い掛かった。

慌てて短刀を捨て、両腕を交差させて防御を取ったが、その防御ごと吹き飛ばされ城壁の壁に背中から激突するシン。

そのシンの目に、走りながら空中に飛び上がった夏袁の姿が映った。

痛みを感じる間も無く背中のスラスターを全開にして空中に浮き上がった瞬間、夏袁の飛び蹴りが殺到した。

直後、まるでそこで小規模の爆発でもあったかのように、ドゴンッ!と地面が盛大に爆ぜた。

見ればあまりの威力に、蹴り込んだ夏袁の右足が脛まで地面にめり込んでいる。

動きの止まった夏袁。

その頭目掛け、スラスターで強引に身体を捻りながらシンの回し蹴りが迫る。


しかし決まらない。


夏袁はシンの蹴り足を右手で無造作に受け止めると、そのまま筋力に物を言わせて、ブンッ!と後ろに放り投げた。

ワービーストの桁違いの力業にあい、身体ごと放られ、切りもみしながら受け身も取れずに地面に激突すると思われた瞬間……シンの右手が伸びて、トンッ!と地面を突いた。

それを切っ掛けに姿勢を安定させたシンが、ホバリングで距離を取りながら両手に呼び出した散弾銃を即座に発砲する。

夏袁が追い討ちを掛けていたのだ。

その銃撃に阻まれて夏袁の追撃が途切れた。


そのまま距離を取り、落ち着き払った顔で新たに短刀を呼び出すシン。

再び油断なく構えたシンを夏袁は忌々しそうに睨み付けた。

見れば両腕と額から血が流れ出している。先程の散弾を少し喰らっていたのだ。


「ちっ!今日のところはこれで引いてやる。てめぇの顔……二度と忘れねぇ……」


夏袁はそう言い残すと、愛用の棒をチラリと見てから城壁に鉤爪を引っ掛け、そのまま下に飛び降りて逃亡してしまった。

暫くすると、遠くで指笛が聞こえてきた。



 

遠くで指笛が聞こえたと思った瞬間、鎖鎌を構えた男が大きく後ろに跳んでアクミと距離を取った。

そしてそのままアクミに背中を見せて駆け出すと、城壁に鉤爪を引っ掛け、その向こうにひらりと消えてしまった。


「ちょっとあんた!?逃げんですか!?」


慌てたアクミが城壁に駆け寄ると、一目散に逃げて行く男の後ろ姿が見えた。

まずい。早く追い掛けて(余計な事をバラされる前に)息の根止めなくては……そう思ったアクミが城壁に手を掛けた時、


「アクミ!追わなくていい!」


とシンの声がした。

振り向くと、いつの間にかシンが後ろに立っていた。


「聞こえるだろう?敵の総攻撃が始まってる。俺達も急いで持ち場に戻るぞ」


シンはそう言ってアクミに近づくと、両手でひょいっと抱き上げた。俗に言うお姫様だっこだ。

思わぬサプライズに、アクミが「えへへ……」と笑顔になる。


「あれ……先生、頬の所に血が滲んでますよ?」

「ん……?あぁ、さっき一発喰らったからな……」

「にゃんと!それはいけません。すぐ消毒せねば……」


アクミはそう言うと、抱き抱えられたままシンの頬をチロリと舐めた。


「おまッ!?な、なにやって……」

「ナニって……知らないんですか先生?ワービーストの唾液には消毒と治癒の成分が含まれているんですよ?(うそ)」

「なに!?……そうなのか?」

「そうナンです(うそ)。今は時間もないんで、これで我慢してくださいね、先生」


そう言って再びチロリと舐めてからアクミはにっこり微笑んだ。

腕の中のアクミに見つめられ、シンが照れくさそうに顔を背ける。


「……その……すまんな」

「いえいえ」

「じゃ、じゃあ……城壁の上まで一気に飛ぶぞ。ちゃんと掴まってろよ?」

「はいです!」


アクミは嬉しそうに返事をすると、密着するようにシンの首に両手を回してその胸にしっかりと抱き付いた。

そんな幸せそうなアクミを抱き抱えたまま、シンのASがゆっくりと宙に浮かび上がった。







西側本隊の指揮を夏袁に任された猿族の孔蓮は、まだ三十前の男だった。

だが戦場暮らしは長い。

何せ夏袁が五才の頃には既に戦場で戦っていたのだから。

猿族の北部侵攻(旧人類から見れば西部)当初からこちらに配属され、夏袁が北淋を任されると同時に夏袁付きになった孔蓮は、今では夏袁の深い信頼を得て度々部隊の指揮を任されるようになっていた。

正直、前線に出て暴れるのが好きな夏袁に、部隊の指揮を丸投げされてる感は否めないが……。


その孔蓮が西側の城壁を望む高台に本陣を構えた。

正面に高く聳える西側の城壁。

だがその一部が大きく崩れており、それを補う為に敵は土塁を築き上げていた。

孔蓮は北に見える砦の抑えに五百人を差し向け、土塁の攻撃に九百人を向かわせた。更に土塁攻撃隊の援護と後詰めの為に、左右の崩れていない城壁に対して五百人づつ当たらせ、残りの百人は本陣回りの警護に残した。


部隊の展開が終わったとの報告が入ると、孔蓮は土塁に向けて一斉に携帯用ミサイルを撃ち込んだ。

何発かは撃ち落とされたようだが、数十発は土塁に着弾し、爆発と共に大量の土砂を巻き上げる。


「どうやら、地雷の設置はしてないようですね。時間的な問題なのか、単に物資が無かったのかは分かりませんが」


孔蓮が部隊の指揮をする時、決まって副官に任命する徐真が舞い上がる土砂を眺めながら呟いた。


「罠かもしれんがな。とは言え、躊躇してても始まらん。行くか」

「はい。中央の部隊は三百づつ、三段に分けて待機させてあります」

「よし、一段目から一斉射撃。そのまま堀に向かって駆けさせろ。二段目は一段目が堀に飛び込むまで援護射撃だ。一段目が堀に飛び込んだのを確認するのと同時に駆けさせろ。三段目も同じだ」

「了解しました。左右の部隊にも通達、援護させます」

「獣化隊は三人づつ組んで、一般兵に紛れて左右の部隊に待機、各自の判断で城壁をクライミングさせろ。但し、無理はしなくて良い」

「はっ、併せて通達します!」




実は城の西側には一部城壁がない。

元はあったのだが、門を中心に広範囲に渡って崩れていた。

その代わりに、崩れた瓦礫の上に高さ15メートル程の土を盛り上げて土累を築き、その上には気休め程度の塀と柵が設置されている。

それだけでは心もとないのか、一応、土累の前面に堀を穿って防御としてある。

急拵えの為に、城壁の修復が間に合わなかったのだ。

それはそのまま、この城の弱点となっている。

当然、ここから城内に雪崩込もうと、猿族側の主力はここに殺到していた。

だがそれこそが、スフィンクスの立てた最大の罠だった。

力押しで行けると思い、飛び交う銃弾を掻い潜って堀に飛び込んだ兵士達はそこで初めて気づく。

堀の深さが思いの外深く、幅が広い事に……。

そして堀の底から天に向かって聳え立つ、絶望的なまでの高さの土累の壁に……。

実はこの土累、始めは角度が急過ぎ、土塁の上から見ると堀の底に死角が出来ると言う理由で、わざわざ傾斜をゆるく造り直した程のものだった。

それらは外から見ただけでは決して分からないよう工夫されていた。

別に登れない訳ではない。

だが踏み固められていない土肌は崩れやすく、踏ん張りが効かない。

武器を捨てて両手を使えば早く登れるだろうが、ここは戦場だ。

武器を捨てた兵士を待つのは死あるのみである。

結局、堀に飛び込んだが最後、一歩一歩踏み締めるようにして土累を登るしかないのだ。

それを知らぬ後続が次々と堀に飛び込んで来る。

今さら引き返す事はできない。

後は敵に撃たれる前に登りきるしかない。

覚悟を決めた兵士達が土累に取り付き、盾に身を隠しながら登坂を始めた。


だがそれを許す程、キングバルト側も甘くはない。


「「撃てぇ!!」」


猿族の兵士達が土累の中腹まで登ったところで、土累の上と左右の城壁の上から同時に銃声が木霊した。




城壁南側の防御を受け持ったシンが銃の一斉射撃の音を聞いたのは、ちょうど敵を追い落として一息付いた時だった。

敵は族長の読み通り、西側の城壁に主力を向けている。

そのお陰でこちらに差し向けられる敵の人数は少なく、一度押し返してしまえば態勢を立て直すまで若干の猶予があると思われた。


「狙撃兵! 敵のランチャーとバズーカを持ったヤツの位置情報は司令室で把握してる。連絡が入り次第狙撃しろ。ただし頭は出すなよ。逆に狙い撃ちされるぞ」

「「了解!」」

「アレン、ちょっとここの指揮を頼む。俺は西側で確認しておきたい事がある。ASは切り札だ。まだ見せるなよ」

「了解しました、隊長」

「大牙とレオはアレンのサポートを頼む。獣化の介入を警戒しろ」

「了解」

「了解です」

「アクミ、獣兵衛、パンチ。お前達は俺と来てくれ」


シンは三人に声を掛けると、西側に続く城壁の上を先に立って駆け出した。

そのシンに続いて慌てて駆けて行く三人の後ろ姿を見送った大牙が、横に立つアレンを振り返る。


「そう言やアレン。お前、先生のこと隊長って呼ぶようになったのな?」

「俺は副隊長だからな。当然だろう?」

「それに随分と従順だし」

「軍には規律と秩序が大事だ。当然の事だろう?」

「ふぅん。俺達にそんなの必要か?」

「なにをバカな事を。秩序なくして軍の統制はあり得ん。俺は兵士達の連帯感と意思統一、そして秩序の為に、せめてランドシップに乗り込む兵士だけでも良いから、ヴィンランド軍のような軍服を採用してくれと提案した程だ」

「またつまらん事を」

「なにがつまらん事だ。重要な事だぞ。特にブリッジの三人娘」

「三人娘って、ひめとサナとチカか?」

「あぁ、これから暑くなる。そうなると、奴等がどういう行動に出るか想像してみろ?」

「どうって……別に暑くなったからって、なんも変わんねぇだろ?」

「ふん、想像力の無いヤツめ。俺の計算では気温30度の時、88パーセントの確率で水着になる。更に気温が2度上昇した際の水着になる確率は96パーセント。一気に跳ね上がった上、その時足元に水の張った盥を置いて涼み、アイスをくわえる確率は98パーセントだ」

「あぁ……確かに、あいつらならやりそうだな……」


アレンの言に、思わずその情景を思い浮かべた大牙が頬を掻く。


「艦の中枢たるブリッジがそんな有り様で、部下達に示しがつくと思うか?俺は断固、軍服の着用を認可させてみせる。これは軍の規律の為にも必要なのだ。それにだな……」

「おいアレン。熱くなるのは良いが、随分と下が騒がしくなってきたぞ。大丈夫なのか?」

「……ふん、問題ない。俺の頭の中には千二百五パターンもの対処方法がある。心配は無用だ」

「なら良いけどよ。あの鉤爪って、獣化じゃねぇのか?」


「バカな!?このタイミングで獣化の介入だと!?」


「バカはあんたですよ!行きますよ、大牙さん!」

「おう!!」


驚愕の表情を浮かべるアレンを余所に、レオと大牙の二人が獣化の敵に向かって駆け出した。





城壁伝いに西側の戦場にやって来たシンが外に展開する敵集団を指差した。


「あの堀の外で浮き足立ってる集団に斬り込みを掛けたい。大雑把でいい、どいつが獣化出来そうか分かるか?」

「え……? 獣化出来そうなヤツですか?……うーん、さすがに見た目じゃ分かりませんからねぇ……」


と言いつつも、目を細めて敵兵を吟味しだすアクミ。

するとその横でパンチがスッと腕を上げた。


「あの、右の集団の分隊長らしい男の脇にいる小太り。アイツは知ってる。獣化するヤツだ。それとその向こうの怒鳴ってるヤツもそうだな」

「あっ!あの真ん中の集団で城壁を見上げてたヤツ。今、銃撃をひょいって避けましたよ」

「手前の集団の、腕組みしたヤツもおそらくそうだな」

「各集団に二、三人づつってところか。よし、そいつらを覚えておけ。斬り込んだら真っ先に始末するぞ」


その時、眼下の味方内から大きな歓声があがった。それを聞いてシンがニヤリと笑う。


「ふっ……はりきってるな虎鉄殿」





シンが守る正面の城壁には、ぶ厚い鋼鉄製の城門があった。

当然、城の防壁の役目もする為その造りは頑丈で、ワービーストが保有する携帯型のミサイル位ではビクともしない。

本来なら夜明けと同時に城内に侵入した獣化隊の撹乱に乗じて一般兵が一斉に城壁をよじ登る計画だったのだが、それは失敗に終わった。

城壁に到達した時には、既に全員が追い落とされてしまった後だったのだ。

そうなると自力で攻略するしかない。

幸い城壁の高さが仇になり、城壁の下に取り付きさえすれば上から銃撃を受ける心配はほとんどない。

だが城壁までの約200メートルに渡って木々が伐採され、身を隠す遮蔽物が一切なかった。

一度、盾で身を守りながら接近を試みたが、大型の狙撃銃に盾ごと砕かれて失敗した。

南側の城壁の上から狙撃を加えて来る人数は少ない。せいぜい10人位か?

だがそれが厄介だった。

しかし西に回った攻撃隊の陽動もあり、このまま手をこまねいている訳にはいかない。

先程も獣化隊が二度目の突入を試みたのだが、城壁の上に獣化できる敵が陣取っているようで、壁を登った途端に撃退されてしまった。

やはり最初のように、多人数で一気に侵入しなくては各個撃破されるだけのようだ。

だがこちらの獣化の人数も限られている。

ならば仕方ない。

後は人界戦術で行くしかない。

そう覚悟を決めた兵士達が後方からの援護の元、次々と城壁に向かって駆け出した。

それに対して城壁の上から、或いは壁に設けられた銃眼から一斉に銃撃が起こる。

その弾幕を掻い潜り、なんとか城壁の下に取り付いた兵士達が十数本のワイヤーを射出する事に成功した。

そして見上げるとそこには城兵達が顔を覗かせていた。

その敵の顔を間近に見た瞬間……兵士達はどうしようもない殺人衝動に駆られた。

今すぐ行って奴等を絞め殺したい。或いはその胸にナイフを突き刺したい。

そんな誘惑に抗えず、我先にとワイヤーに手を掛けて登り始めた。

更に銃撃を掻い潜った兵士達が次々と城壁の下に取り付く。

その結果、ワイヤーの下にはあっという間に順番待ちの集団が出来上がった。

そこに上から手榴弾を放り込まれるが、そんなのお構い無しに血の高ぶった兵士達は損害を省みず、ただただ目を血走らせてワイヤーを登り始めた。


そんな狂った集団の真っ只中に、ASを纏ったシンが城壁の上からただ一人飛び降りた。


まさかワイヤーも使わずに人が飛び降りて来るとは思いもしなかった猿族側の兵士達。

あまりに突然の事であった為、全員が全員、一瞬だが呆気に取られてしまった。

その一瞬の隙に、シンは両手に持った小銃を狙いも定めず発砲した。

感染者特有の血走った目でシンを睨み付け、無謀にも飛び掛かろうとする敵と、間近に聞いた発砲音に慌てて逃げ惑う敵とが入り乱れ、回りでは蜂の巣をつついたような騒ぎが起きた。

そんな足並みの揃わないどころか、満足に反撃もできない敵にフルオートでワンマガジン撃ち切ったシンはそのまま小銃をポイッと放り捨て、新たに小銃を呼び出して再び乱射を繰り返す。

そしてそれも撃ち切ると、今度は腰の短刀を引き抜き、正面の集団に向かって斬り込んで行った。


シンの撹乱のお陰で、城門前にはぽっかりと空白地帯が出来上がっていた。

その隙を付き、城門が外に向かって素早く開いて行く。

そして中程まで開いたところで、


「撃てぇ!!」


城中からアレンの号令一下、銃の一斉射撃が起こった。

それを喰らった城門前の敵兵達がバタバタと倒れていく。


「斬り込めぇ!!」

「「おぉおおおーーーーーーッ!!」」


更に大牙の号令の元、獣化したアクミ、獣兵衛、パンチ、レオを先頭に、城兵達が一斉に斬り込んだ。

その先頭に立って斬り込んで来る獣化の個体を見た瞬間、猿族側の兵士達は完全に恐慌状態に陥った。

それはそうだ。獣化に勝てる訳が無いのだから。

最早、指揮官の声は届かぬ程に完全にパニックになった寄せ手の部隊。

それを横目にすぐさま大牙達と合流したシンは逃げ惑う敵兵には一切目もくれず、そのままの勢いで敵集団を真っ二つに割って突き抜け、西側に展開する部隊の後方から横槍を入れた。




西側城壁攻撃隊の右翼を率いる煉鳴は土塁攻撃隊の援護の為に部隊を前進させ、城壁の敵に対して猛攻撃を加えていた。

そんな矢先に突然、後方から敵の奇襲を受けた。

だが煉鳴も部隊を任される程の男だ。

敵を目の当たりにして血がたぎるのを唇を噛みながら必死で堪え、理性でもって強引に捩じ伏せた。

しかし、周りの未熟な兵士達はそうはいかない。

完全に浮き足立ち、中には敵に向かって独断で遮二無二駆け出す者達までいた。

煉鳴はそんな兵士の襟足を掴むと、有無を言わさずぶんっ!と放り投げた。

手足を回転させながら一直線に飛んでいく兵士。

その兵士の先には敵に向かって駆け出そうとしていた集団があった。

当然、その兵士達を巻き込み、全員縺れるようにして吹き飛ばされる。

一方、吹き飛ばされるのを免れた周りの兵士達は訳が分からなかった。

とにかく、突然後ろから何かが飛んできた。

だが飛んできたのが味方の身体だと分かった途端にぎょっとした。

そして恐る恐ると後ろを振り返る。

そこには獣化した煉鳴がこちらをじっと睨みつけていた。

その目は言っている。


「勝手な行動をするな」

……と。


兵士達は敵の攻撃を受けている最中である事も忘れ、恐怖でしんっと静まり返った。

その場の全員が大人しくなったのを確認すると、煉鳴は部隊を小さく纏めるよう指示を出した。

盾を外側に向けて壁を作り、敵の攻撃を跳ね返そうとしたのだ。


そんな煉鳴の顔に……突然、兵士達の陰から短刀が突き出された。

先程の銃弾を避けた長身の男、煉鳴を見つけたアクミが、腰を低くしながら敵兵士の中を縫うようにして接近していたのだ。しかし、


「……あら?」


直前に気づいた煉鳴は、首を捻ってそれを避けてしまった。そして、


「ちょっ……ノォオオオーーーーーーッ!」


今度は周りの敵兵士が邪魔になり身動き出来ないアクミ。

そのアクミの細首に向かって怒り心頭の煉鳴が腕を伸ばす。


「アクミ!目と耳を塞げ!!」

「にゃ!?」


慌てて両手で耳を押さえてしゃがみこむ。

直後、飛来した二発のスタングレネードがアクミの頭上で爆発した。


「くっ!?」


咄嗟に腕を上げて煉鳴が顔を庇う。

その煉鳴の腕に、兵士達の頭上を越えて接近したシンの短刀が突き刺さった。

同時にアクミの蹴りが鳩尾に炸裂する。

二人の息の合った流れるようなコンボ。

それを喰らった煉鳴は、後ろの兵士達を巻き込みながら吹き飛んでしまった。


良く状況が飲み込めず唖然とする兵士達。

いつまで経ってもピクリとも動かない煉鳴。

次の瞬間、兵士達は恐慌状態に陥り、蜘蛛の子を散らすようにシンとアクミの前から逃げ出すのだった。


「いぇい!」

「バカ、油断し過ぎだ」

「テヘ」


軽く嗜めた筈なのだが、なぜだかにっこり笑うアクミ。

その頭を軽く小突きながらシンはインカムに手を添えた。


「アレン、獣化はあらかた仕留めた。もういい。反撃される前に部隊を後退させろ」

『了解』


指示を出し終えたシンがふと横を見れば、大して痛くもない筈の頭をスリスリしながらアクミが口を尖らせていた。

シンは思わずふっと笑うと、今度はその頭を優しくポンと叩く。


「さぁ、アクミ。俺達はもう一暴れだ。行くぞ!」

「へへ、了解です!」


シンに構ってもらってご満悦のアクミが、シンと共に敵に向かって駆け出した。







シンに受けた傷の手当てを済ませた夏袁が孔蓮の居る本陣にのそりと現れた。

それを出迎えた本陣警護の兵士達は、夏袁の顔を見るなり恐怖に震えてしまった。

不機嫌そのものだったのだ。

それはそうだろう。

既に開戦から三時間余り経過するというのに戦況は一向に進展していないのだ。

城壁を越えて全軍一斉に城内に進撃するという当初の計画は頓挫したどころか、城壁にすら取り付けない有り様だった。

そこに南側城壁を攻撃中の部隊が敵に潰走させられたという報告が入り、続けざまに西側城壁攻撃隊の煉鳴が負傷したとの報告が舞い込んだ。

その時、本陣の兵士達は生きた心地がしなかった。

間違いなく夏袁はキレている。

こうなった夏袁はもう誰にも止められない。

それこそ「一人一殺、玉砕覚悟で全軍今すぐ突撃しろ!」と無謀な命令を下すのではないかと恐怖した。

だが……夏袁の口から発せられたのは、兵士達の予想だにしなかった一言だった。


「孔蓮、これは無理だ。一度部隊を引かせろ」


これには孔蓮も驚いた。日頃の夏袁からはおよそ考えられないような命令だったのだ。


「よろしいのですか、夏袁様?そろそろ向こうにも疲れが見え始める頃です。こちらは部隊を入れ換えながら間断なく攻撃をさせれば、いずれ綻びが出ると思われますが……」

「ダメだな。あの城は無策で力押ししても落ちねぇ。何か別の策を考える。とりあえず後退だ」

「はっ!直ちに部隊を後退させます」


後退の為の具体的な指示を副官に出し始めた孔蓮。

それを横目に見ながら夏袁は本陣を出ると、正面に聳える城壁をきっと睨みつけた。


「……癪だが良い城だ」


その時、なぜだか城壁がシンの姿と重なった。

あの落ち着き払った顔で夏袁を真っ直ぐ見つめてくる瞳。

その目を思い出した夏袁は闘志を露に思わず呟いた。


「絶対に落としてやる。見てろよ、成り損い……」







翌朝。

夜明けと同時に目を覚ました大牙は、大きな欠伸を一つするとすぐさまベッドから飛び起きた。

そのまま枕元に立て掛けてあった槍を掴み部屋の外に出る。

城内に宛がわれた一室から通路に出た大牙は外に向かってゆっくりと歩き出した。城内はまだしんと静まり返ったままだ。


一応臨戦態勢下ではあるのだが、見張りは交代制で、他の者達は極力休憩するよう指示が出ていた。

もちろん、観測気球で敵方に探りを入れた結果の休息の指示だったのだが、大牙は夜襲の心配は無さそうだと分かっていてもいつでも持ち場に駆け付けられるよう、服も靴も履いたまま仮眠していたのだった。

もっとも、その必要は無かったようだが……。



結局、昨日の早朝から始まった戦闘は、途中何度かの後退を挟んで合計五回行われた。

戦術も南門の集中攻撃に、矛先を変えての砦の攻略、銃撃戦に終始する等、その都度変えて来たが、こちらの備えも磐石でその悉くを跳ね返した。

それらの中で、最後の土塁攻撃は衝撃的だった。


猿族は陽が沈むと、夜陰に紛れて再度の西側土塁の一点突破を謀ってきたのだ。

この時、敵兵一人一人が一枚の板切れを持っていた。

それを土塁に打ち込んで足場を作りながら、盾に隠れて一歩一歩踏み締めるようにして迫って来たのだ。

その敵の人海戦術に対し、こちらも始めは激しく抵抗して見せたのだが、徐々にその攻撃の手を緩め始めた。次々に迫り来る敵に怯える体を装って。

当然、敵の勢いが増して行く。

そしてついに、嵩に掛かった敵が一気に柵の際まで押し寄せた。

まるで塞き止められていた水が一斉に流れ出したかのように。

そして相手の目鼻立ちがはっきり分かる程に接近し、柵際での攻防戦が始まったところで、突然左右の城壁から風船や壺に詰めた油が登坂中の敵に向かって一斉に投げ込まれた。

そして柵際で戦う味方の後方からは、ポンプで汲み上げた大量の油が放出される。

それを浴びた敵の兵士達は始め、それが何か分からずキョトンとするが、直後に驚愕の表情に変わった。

だが気付いた時にはもう遅い。

右も左も……後ろはおろか前さえも、味方だらけで身動き出来ない状態だったのだ。

そこに夜空を埋め尽くさんばかりの大量の火矢が流星のように降り注いだ。


そこからの戦いは一方的なものだった。

自分の身体はもちろん、弾避けの盾ごと燃やされて暴れまわる兵士達に銃撃が加えられる。弓矢が降り注ぐ。

後続を絶たれた柵際の兵士達は悉く討ち取られ、土塁はもちろん、堀の中にも投げ込まれた油が一面を火の海に変えていた。

その中を敵の兵士達が踊るように逃げ惑う。

それは正に阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

大牙はその時、西側の後詰めとしてシンやアクミ達と共に中庭に面した城壁の上に待機していた。

シンの横には戦況を見守る族長の姿も見える。

その族長がポツリと呟いた。


「……シン……これは些か、やり過ぎたの」

「はい。これでは只の虐殺です」


それを聞いた大牙は途端に我が身を恥じた。

火の海で焼かれる敵を見て気持ちが昂っていたのだ。

沈痛な面持ちで頷き合う族長とシン。

そしてシンが西門指揮の虎鉄に連絡を取ろうとインカムに手を伸ばした時、味方の銃声がピタリと止んだ。やがて、


「みなの者、聞けい!!」


と、大音声が戦場一帯に響き渡った。

大牙の父、虎鉄のものだ。


「我等はこれ以上の殺戮を好まん!今日の所はそちらも鉾を納め、このまま後退されよ!こちらも追撃はせんと約束する!それと、亡くなった者達も連れて帰るが良い。弔いが必要であろう。一時間の猶予を与える。以上だ!!」


その時、大牙は信じられない光景を目にした。

なんと猿族の兵士達が虎鉄の言を信じ、負傷者や戦死者を担いで素直に後退し出したのだ。

あの、他種族を見ると狂ったように暴れまわる感染者達が、敵である虎鉄の提案に安堵の表情まで浮かべている。

その時の光景を大牙は二度と忘れないだろう。

それは死の恐怖が……生き残れると言う希望が……病である殺人衝動に打ち勝った瞬間だった。

やはり感染しているとはいえ、相手も同じ人間なのだ。

そして同じ人間なら何とか和解が出来るかも知れない。

改めてそんな事を思わせる出来事だった。




昨日の結果からも分かるように、結論を言えばこの城は落ちない。

いや、ワービーストが保有する通常兵器では、この城は簡単には落城させられないと言うべきか?

何故なら旧人類の進んだ知識と技術に、戦場暮らしの長い族長達の経験が城の随所に生かされているからだ。

それは正に鉄壁の防御と言えた。

これを破るには、それこそ旧人類の使うような攻城兵器やランドシップを使って、力業で強引に押し切るしかないだろう。


そんな事を考えながら外に出た大牙は、まず昨日の戦いで暗く沈んだ気分をリフレッシュさせる為に朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。

少しひんやりとしていて心地よい。


さて、南門の城壁でも見て来るか。


そう思い、そちらに向かって歩き出したところで、


「おはよう、大牙くん。見回り?」


と声を掛けられた。

振り返って見れば、ひめ子が微笑みながら近づいて来るところだった。


「よっ!おはようさん」

と大牙も片手を上げて挨拶を返す。


「どう?少しは寝れた?」

「あぁ、三時間くらいは横になったよ。ひめこそ休んだのか?」

「えぇ。自分でもびっくりするくらい、ぐっすりと寝ちゃったわ。私って意外と図太かったのね」

「なにを今更……」

「あら酷い。そこは優しく、そんな事無いよ。よっぽど疲れてたんだろ?って労るところじゃないの?」


そんな他愛のない話をしながら二人並んで歩き出す。

中庭を通り抜け、見廻りの兵士達と挨拶を交わしながら城壁の上へと続く階段を登る。

やがて城壁の上に出た二人は、どちらともなく東の空に昇ったばかりの太陽を眺めた。

高いだけあって、ここから眺める景色は良い。

更に太陽を左手に南側……遥か盆地の向こう側を望めば、山の麓に猿族側の陣地が見える。

向こうも食事の用意をしているのだろう。

その陣地からいく筋もの細長い白煙が上がっているのが見えた。

あれだけ完膚なきまでに叩いたのだ。さすがに今日は一息入れるつもりなのだろう。


大牙はそこで、ふとひめ子が静かになっていたのに気付きそっと横を伺った。

するとひめ子は大牙の横に立ったまま、城壁の上の一点をじっと見つめていた。

更に真面目な顔で歩き出したかと思うと城壁の下を覗き込み、顎に手を充てながら何やら思案に耽る。

その仕草に思わずドキリとする大牙。

そんな大牙の事などお構い無しに、ひめ子は城壁の上を西に向かってゆっくりと歩き出した。かと思うと突然立ち止まり、小さな手帳を取り出して何やら熱心に書き込み始める。

大牙はあまりに真剣な表情でペンを走らせ続けるひめ子をそっと見守り続けた。


〈昨日は何度か獣化の侵入を許したからな。こいつの事だ、なんか対抗策でも練ってんだろうな……〉


そんな事を考えてると、突然ひめ子がぷっと吹き出した。


〈…………?〉


次いで大牙の方をチラリと見ると、なぜかにっこり微笑む。

その笑顔を見た瞬間、大牙は思った。

違う。

あの顔は、なんか妄想してる時の顔だ……と。


「お前……また何か良からぬ事を考えてんだろ?」

「あら、そんな事ないわよ?ちょっと全裸の大牙くんが、満面の笑顔で歯をキラキラさせながらレモンと雑誌を握ってるところを想像しただけよ?」


「そのチョイスが既におかしいんだよ!なんでそんなシーンを想像してんだ!」

ソッコーでツッコむ大牙。


「ちょっと色々あってね、最近みんなで小説を書き始めたのよ。こう、想いの丈をぶつけてみようって事になって。それでついね」

「小説だと?ちょっとその手帳よこせ!」

「あっ!?」


大牙がひめ子の持っていた手帳をひょいと取り上げた。

ひめ子は取り返そうと大牙の腕に飛び付くが、身長差もあって両手を上に伸ばした大牙には届かない。

大牙はそんなひめ子を腕にぶら下げたまま器用に手帳を開くと、「なになに……」と言って中身に目を通し始めた。

それを見たひめ子が諦めて手を放す。


『大牙くんとアレンくん、城壁の上でなにやら話しが盛り上がる。アレンくんに口で罵られ、紅く染まった頬を掻きながら視線を逸らす大牙くん。照れてる。そして別れ……敵に向かって走り去る大牙くんを心配そうな瞳で見送るアレンくん……』


「なんだ?ひょっとしてネタ帳か。これってまさか、昨日の朝の防衛戦の時のか?ったく、なに覗き見してんだ。しかも実際と微妙にニュアンスが違うし……。それと実名を書き込むんじゃねぇ」

「私達が書いてるのって、大牙くんが主人公の半ドキュメンタリーなのよ」

「なんだその半ドキュメンタリーってのは! それはフィクションだろ!」


そうツッコミながらも目線は次の行に移る。


『アレンくんの元に帰ってきた大牙くん。微笑みながら見つめ合う二人……。交錯する想い……。アレンくんが頬を赤く染めて俯く。それを見た瞬間、気持ちの高ぶった大牙くんが突然……服とズボンを脱ぎだした』


「おかしいだろ!」

「大牙くんだものね」

「どう言う意味だ!」


腑に落ちないが先が気になるのも事実。とりあえず読み進める。


『……一糸纏わぬ姿で城壁の上で抱き合う大牙くんとアレンくん。見つめあう瞳。他の兵士達の見守る中、やがて二人の距離は縮まり……』


「こいつら、頭おかしいだろ!」

「大牙くん達だものね」

「だからどう言う意味だ!だいたい、なんで俺とアレンが裸で抱き合ってんだよ。そんなシーンなかっただろうが!これじゃ完全なフィクションじゃねぇか。そもそも、なんだってお前等は俺をBLにしたがるんだ」

「あら、BLじゃないわよ?ここから話が進むと、まるで高原を吹き抜ける風のような、爽やかサクセスストーリーが展開されるのよ」

「いや……こっからどう持って行っても、爽やかにはならねえと思うぞ?」

「アレンくんを皮切りに、大牙くんが毎回AS隊員の悩み事を身体を張って解決させ、相手の心を次々に開いていくのよ」

「あ、なんか爽やかっぽい?」

「そして、身体も開ていくのよ」

「違った。やっぱり腐ってやがる」

「最後は大牙くんがAS隊のみんなを落とすハーレムエンド」

「真面目な隊員達を巻き込むんじゃねえよ」

「うふふ……」


そう言って微笑むひめ子は、はっきり言って可愛いと思う。中身は腐ってるが。

そんなひめ子に手帳を返しながら、大牙がツッコんだ。


「しかも、結局はBLじゃねえか」

「違うわ。もっとこう……ライク的なやつなのよ。裸の大牙くんと他の男の子がパラダイスでキャッキャ、ウフフしてる感じかしら?そこにはエッチな要素は一切ないのよ?」

「怖いわ。男が裸でキャッキャ、ウフフするパラダイスは怖すぎだわ」

「そう?でも明るい感じがしていいと思うわよ?」

「明るいって……ちょっと逝っちゃった男達が、太陽の陽射しを身体一杯に浴びて一心不乱に裸で戯れ会いながら笑顔で花畑を走り回ってるイメージがするんだが……」

「うふふ……それは楽しそうね」

「楽しくねぇよ!」

「でも、そう言う明るいイメージが大牙くんにはあるのよ。だから女子にモテるんじゃないかしら?」

「俺が……? 女子にモテる?」

「えぇ、モテモテね。この前も大牙くんについてどう思う?ってところから会話がすごく弾んだのよ?」

「へ、へぇ……因みにどんな?」

「サングラスが似合いそうよね。とか……」

「あぁ、ファッション的な話しか」

「ASスーツよりも、いつもの、ちょっとだらしない位のラフな格好の方が似合うわよね。とか……」

「だらしないは余計なお世話だ」

「やっぱり年下のカワイイ系より、同年代のイケメンよね。とか……」

「は……?」

「それと、敵に囲まれたアレンくんを、大牙くんが命懸けで助けるってのは外せないイベントよね。とか……」

「ちょっと待て。なんの話しだ?」

「で、最後は誰もいなくなったASデッキで、いきなりアレンくんの唇を奪っちゃうのよ」

「ちゃうのよじゃねえ。なでオレがアレンの唇奪ってんだ!」


「えッ!?」


「え?じゃねえ。なんで驚く!?」

「でも……大牙くんはどっちかと言うと……攻め?」

「なんで俺がBL前提なんだよ!」

「だって、いっつもアレンくんと仲いいから……」

「少なくとも恋愛対象じゃねえ。まったく、お前ら女子はなんの話しで盛り上がってんだよ」

「だから、大牙くんの話し……」

「なんで『当たり前の事聞いてるの?』みたいな顔してんだ!とにかく、俺をお前らのBLワールドに誘うな。妄想も禁止だ!」

「もう……まだ、そんな事言ってるの?そんなんじゃ、いつまで経っても私の中の大牙くんポイントが貯まらないわよ?」

「何だ、そのポイントは?」

「私の中の、大牙くんに対する好感度よ。因みにポイントが貯まると、私の大事なモノをプレゼントしちゃうわよ?」


そう言ってひめ子が微笑みながら大牙を見つめてきた。

思わずゴクリと唾を飲み込んで、


「……だ、大事なモノ?」


と真顔で聞き返す。

するとひめ子は急に頬を真っ赤に染めると、言い出しずらそうに俯いてモジモジしだした。

時折、大牙をチラリと上目使いで見つめるが、大牙と目が合った瞬間、恥ずかしそうに顔を背ける。

そしてそっぽを向いたまま、蚊の泣くような小声で囁いた。


「……その……ね?……わ、私の大事な……その……は……は…………」


そこから先は言えないのか、耳朶まで真っ赤にして口ごもるひめ子。

それを見て再びゴクン!と唾を飲み込む大牙。

「は」で始まり、ひめ子をここまで羞恥させるほどの単語……。

その時、大牙の頭の中で一つの解答が閃いた。

つまり……私の大事な……『は、じ、め、て、……』と。

更にその先、禁断の領域を思わず大牙が想像しかけた時、両手を頬に充てたひめ子が恥ずかしそうに呟いた。


「は、裸の男の子がいっぱいの……ちょっとエッチな写真集(照)」

「いらねえよっ!」


一気に現実に引き戻された大牙がソッコーでツッコむ。


「お前、それ単に邪魔なだけだろ!そんなのが俺の部屋に転がっててみろ。誰かに見られた日には、俺が社会的に抹殺されるわ!」


なんとも恐ろしい。

大牙は生まれて初めて、女子から貰うプレゼントが恐ろしいと思うのだった。


「だいたい、なんだってそんなの持ってんだよ?」


と急速にクールダウンするのを感じながら大牙が訊ねると、


「思わずみんなと一緒に勢いで買っちゃったんだけど、冷静になると困っちゃって……」


と頬を掻いていた。


「好きで買ったはずなんだけど、実物見ると、どうもその……照れちゃってね。ほほほ……」


ひめ子は左右の耳に掛かる髪を両手で後ろにパッと払うと、そのままパタパタと掌で火照った頬を煽りだした。どうやら黒歴史だったらしい。


「お前でダメな写真集なら、俺はもっとダメだな。BL含めて……」


そんなひめ子の仕草を見ながら苦笑いを浮かべる大牙。するとどういう訳か、


「なにを言ってるの大牙くん。裸の写真集はともかく、BLは慣れよ。こういうのは一度慣れて耐性さえ付いちゃえば恥ずかしいと思わなくなるわよ」


とか言い出した。


「お前が言っても、説得力ねぇんだよ。そもそも、どうやって耐性付けんだよ」

「それなら良いのがあるわ。これを見ればバッチリよ」


そう言って胸の谷間から取り出したのは一枚のディスクだった。

タイトルには「よく分かるBL・初級編~初めての夜に~」とある。


「……良いの?」


いったいどこから出してんだよ?

と思いつつも、つい好奇心から手に取る大牙。やっぱり人肌だった。


「初心者の大牙くん『だけ』の為に造ったのよ。凄く親近感が湧いて、まるで我が事のように真剣にBLに取り組めるわ」


そう言って正面に立って顔を覗き込むひめ子。


「……真剣にねぇ」


あまり興味も湧かない大牙が聞き流してると、ひめ子が得意満面に微笑んだ。


「因みに、主演は大牙くんとアレンくんよ」

「ぶっ!!」


突然の暴露に思わず吹き出す大牙。

当然、目の前のひめ子の顔には唾が飛び散る。


「……あの……大牙くん?」

「ゲホッゲホッ!あ……す、すまん。じゃねえよ!なんて事言いやがる。我が事のようって、思いっきり我が事じゃねえか!ゲホッ!」

「もう、そんなに嬉しそうに噎せちゃって……」

「別に嬉しい訳じゃねぇ。まったく……お前の為に弄り回されるこっちの身にもなってみろ」

「ふふ……でも、私とお喋りしてると退屈しなくていいでしょ?」

「出来ればBL以外の話題にして欲しいがな」


そう言ってディスクでひめ子の頭を叩いた瞬間……大牙のインカムに通信が入った。何事かと思ってインカムに手を伸ばす。


『ちょっと大牙くん!あんた、どこほっつき歩いてんですか! 敵の獣化隊についての報告と、今後の対応についてのブリーフィングが始まりますよ!伝言聞いてないんですか?とにかく、とっとと来なさい。良いですね?』


アクミは一方的に捲し立てると、大牙の返事を待たずに通信を切ってしまった。

どうやら未だにブリーフィングルームにやって来ない大牙を怒っているようだったが、大牙にはブリーフィング自体に心当たりが無かった。


「アクミのヤツ、なに怒ってんだ?ブリーフィングがあるなんて聞いてねぇっての」

「あら、ごめんなさい。私がその使者よ?」

「遅ぇんだよ!なに悠長に延々と世間話してんだ!」


大牙はそう言い残すと、ひめ子をその場に残して即座に駆け出し、中庭へと続く階段を猛スピードで降りて行った。

それを「ふふっ」っと笑って楽しそうに眺めるひめ子。

そのまま大牙の背中が中庭の木々の向こうに消えるまで見送る。

さて、私も司令室に行かなくちゃ。

そう思って一歩目を踏み出したその時、


「敵だッ!?」

「え……?」


慌ててひめ子が振り向くと、今叫んだ見張りの兵士が当て身を喰らい昏倒したところだった。

相手はたった一人。

しかも女のワービースト。

ひめ子は知る由もないが、それは夏袁の妹、春麗だった。

その春麗が血走った目でひたとひめ子を見据える。

たったそれだけでひめ子は身動きどころか、声すら出せなくなってしまった。

春麗はそんなひめ子にゆっくりと近づきながら、まるで知人に朝の挨拶をするかのような気軽さで気さくに話し掛けた。


「良い城じゃの。だがどうも警備は雑なようじゃ。センサーやカメラを使った警戒網を敷いておるようじゃが、大勢の部隊を動かさず、たった一人で侵入する分には対処し切れんようじゃな?」


そう言いながらひめ子の前に立った春麗は、未だに身動きできないでいるひめ子の顎をクイッと掴んで、まるで品定めでもするかのようにマジマジと眺めた。


「ふむ……妾の気に充てられても気絶せんどころか、気丈に睨みつけてくるとはの……」 

「…………」

「そちを捕虜にして連れ帰ろうかとも思ったが……どうも、その顔を見ていたら無性にくびり殺したくなってきたわ」


そう言ってニヤリと獰猛に笑う春麗。

ひめ子の頬を冷や汗が伝う。


「……つまらんな、結局はそれか。猿共の発想は単純だな」

「ーーーッ!?」


直後、春麗の頭があった場所を一発の銃弾が通過した。もし避けるのが遅れていたら、容赦なく頭を撃ち抜いていただろう。

更にそのまま、ひめ子から遠ざけるようにして、二発、三発とバックステップする春麗を銃弾が追う。


「アレンくん!?」

「下がっていろ、ひめ子」


春麗の呪縛から解かれたひめ子をその背に庇うようにしてアレンが立ちはだかる。

そんなアレンをバカにするように春麗が嘲笑を浮かべた。


「ふん……遅蒔きながら、やっと妾の侵入に気付いたらようじゃの?」


そんな春麗を小馬鹿にするように、アレンも嘲笑を浮かべた。


「バカか貴様。我々が本当に気づかないとでも思ったのか?おめでたいヤツだ。因みに貴様の行動は3キロも手前から把握していた。ただ、一人でこそこそしながら近づいて来る面白いヤツがいるから、黙って様子を見ていただけだ」


それを聞いた春麗の目がスッと細められた。

どうやらアレンの罵倒にカチンときたようだった。


「……ふん、随分な物言いじゃの貴様。見れば獣化も出来んようだが、そんなに死にたいのか?」

「死にたい? ふん……まぁ、良い。そう思うんなら勝手に思っていろ」

「…………」

「どうした、掛かって来んのか?お前を生け捕りにするのに要請した増援がまだ来ない。少しくらいなら遊んでやれるぞ?」

「その前に……捻り潰してやるわ!」


叫びながら獣化した春麗が、一足跳びに近づいて背中の棍を振り下ろした。だが、


「……なっ!?」


そこであり得ない事が起こった。

何と棍を降り下ろす瞬間、軽く一歩踏み込んだアレンの左手が、春麗の棍を無造作に掴んだのだ。

本来なら只のワービーストが獣化したワービーストの動きを見切り、その攻撃を止めるなど不可能な事だ。


「貴様、その手甲……」


いつの間にか、棍を掴んだアレンの左手には赤いASのアームが装着されていた。


〈これが恫鼓が言っていた手甲か?じゃがまて……あくまでこれは装備品。これ一つで獣化した妾の一撃を受け止められる程、筋力が上がるとは思えん。現に恫鼓の報告では、その時のワービーストは獣化していた筈じゃ〉


目の前で睨み付ける春麗を余所に、アレンが余裕の表情で中庭の方を顎でしゃくった。


「そら、増援が来たぞ。どうする、女?」


春麗がチラリと見れば、確かに数人の獣化したワービーストが駆けて来るのが見えた。

最早、一刻の猶予もない。

腕に覚えのある春麗とは言え、さすがに複数の獣化を相手に戦い、無事でいられるとは思っていない。

しかも今、相手をしているワービーストの男は獣化すらしていないのだ。


「……ちっ」


春麗は下唇を噛み、沸き上がってくる殺人衝動を必死で抑え込むと、ニヤニヤと笑うアレンの前から身を翻して距離を取った。


「……次は殺す」

「なんだ、また来る気なのか?それなら今度は紅茶の差し入れでも頼もうか。さすがに嗜好品を持ち込む余裕がなくてな」

「……妾は紅茶は好かぬ。烏龍茶で良ければ、最高級の物を用意しよう。首を洗って待っておれ」


春麗はそう言ってアレンを睨み付けると、そのまま城壁に鉤爪を引っ掻けて飛び降りてしまった。



春麗の気配が完全に消えたのを確認したところでアレンが後ろを振り向いた。

気丈に振る舞ってはいたものの、ひめ子の顔は血の気が引いて真っ青だった。


「安心しろ。どうやら行ったようだ」


そう言われて、始めてひめ子がホッと安堵の表情を浮かべた。


「……アレンくん、その……ありがとう」

「ふん、礼には及ばん。それより怪我はなかったのか?」

「ええ、おかげさまで」

「そうか」


そこにシンやアクミを始め、南門担当のみんなが駆けつけた。その中には先程別れたばかりの大牙の姿もある。

特に大牙は血相を変えていた。

それはそうだろう。自分が居なくなった直後に敵が侵入し、危うくひめ子に危害が及ぶところだったのだから。


「ひめ!怪我は!?」

「大丈夫。アレンくんが助けてくれたわ。先生、アクちゃん、みんなも、……心配かけてごめんね」

「お前が謝る事じゃねえよ。しかし、助かったぜアレン」

「なに、当然の事をしたまでだ。それより隊長……実は獣化の攻撃を受け止める為に、ASのアームを部分展開させました。申し訳ありません」

「構わん。別にASの数が知られた訳じゃない。それより良くひめ子を守ってくれたな。礼を言う」

「いえ、もう少し早く気づいていれば良かったのですが……」

「侵入したのは一人か?」

「はい。まさかたった一人で侵入して来るとは思いませんでした」

「昨日の戦闘で、森に設置しておいたセンサーはほぼ破壊されたからな。観測気球で個人を警戒するのはさすがに無理か。完全に油断したな」

「はい」

「ひめ子、それを踏まえて警戒網を検討してくれるか」

「わかりました。破壊されたセンサーの替わりに偵察ドローンを警戒に当たらせます」

「頼む。……もっとも、向こうもそれどころじゃ無いかも知れんがな」


そう言ってシンは、遥か向こうに見える猿族の陣地をじっと眺めるのだった。







春麗が自分に宛がわれたテントに帰ると、昨日から春麗付きになった従者の少女、李媛が入口で右往左往しているのが見えた。

どうやら春麗を呼びに来たものの肝心の春麗が居らず、途方に暮れているようだった。

ちょっと悪い事をしたかな?

そう思った春麗が「なんじゃ、なにか急な用か?」と声を掛けてやると、安堵の表情を浮かべた李媛が春麗に向かって駆けて来た。


「春麗様!」

「うるさい。朝から大声を出すな。それより、ほれ……土産じゃ」


春麗はそう言うと、右手にぶら下げていたものをポイっと放った。

それを両手でキャッチした李媛が怪訝な表情を浮かべる。


「あの……これは?」

「なんじゃ、知らんのか?それは野うさぎと言うものじゃ」

「それは知っています。なぜ野うさぎが?と聞いているのです」

「なに、朝の散歩のついでに捕まえたのじゃ。賄い方に渡しておけ。因みに妾の好みは燻製じゃ」

「分かりました。早速……って、それどころじゃありません!春麗様、夏袁様がお呼びです。至急本陣にお出で下さい」

「兄上が? それは今すぐなのか?妾はこれから朝のシャワーでも浴びてリフレッシュしたい気分なのじゃが……」

「今すぐです。と言うか、もう呼んで来るよう申し使ってから二十分以上経ってます。お願いですから今すぐ向かって下さい、春麗様。でないと私が叱られます」


必至に懇願する李媛にチクリと罪悪感を覚えた春麗が仕方ないと言った顔で首を振る。


「忙しないのう。じゃあ、このまま向かうとしようか。それより薫製の件、頼んだぞ?」


春麗は李媛にそう言い残すと、そのまま踵を返して本陣のテントに向かって歩いて行った。急ぐつもりはまったく無いらしい。




「申し訳ありません、兄上。遅くなりました」

「遅いぞ春麗!いったい、どこをほっつき歩いてた?」


口では申し訳ないと言いながらもシレっとした顔で本陣のテントに入って来た春麗を、不機嫌そうな夏袁の声が出迎えた。

だが春麗は特に悪びれる様子もなく、平然とした態度で事実を答えた。


「ちょっと敵の城の様子を見に行っておりました。実はそれについて、兄上にご報告したい事が……」

「それは後だ。それより早急に決めなきゃいけねぇ事が出来た」

「早急に?」


その時始めて、春麗は夏袁のイライラの原因が自分の遅刻では無いと覚った。

そして周りの士官達の顔を見回す。

全員が全員、緊迫した面持ちでこちらを見ていた。


「兄上、何か懸案事項でも出来たのですか?」

「あぁ、実はさっき北淋から連絡があってな……成り損ないの襲撃を受けたそうだ」

「北淋が!? それで被害は?」

「人的被害は大してない。だが食料貯蔵庫を焼かれた。それと、こちらに向かっていた輜重隊も襲撃を受けちまった。ここに残された食料は約一週間分。食い積めて十日ってところか?」

「それでは……」

「そうだ。ここで乾坤一擲の一発勝負に出て一気に城を落とすか……悔しいが、潔く撤退するかだ。俺としては城を落として後顧の憂いを絶ちたいとこなんだが……」


その時、夏袁の言葉を遮って孔蓮が一歩前に進み出た。


「ですが夏袁様、勝負に出るにしても戦力が足りません。昨日一日の戦闘でこちらは死者二百人、手負いが七百人出ました。しかも獣化に至っては満足に戦える者は夏袁様を入れても二十四人です。これでは一気に城を落とすのは不可能かと……」

「ワービーストの戦闘は獣化の数で決まる。まだこっちの方が多い筈だろうが?」

「ですが……」

「兄上!」

「なんだ、春麗?」

「実は……」


春麗はここで今朝方、単独で城に忍び込んだ事。そして獣化もしてないワービーストと戦った事を素直に報告した。

それを聞いた夏袁が……いや、その場の全員が色を失った。

それはそうだろう。

夏袁の言を取れば、ワービーストの戦闘は獣化の数で決まる。それはある意味正しい。

だがここに、獣化のワービーストと互角に戦う只のワービーストがいたらどうなるか?

しかも、その戦闘力と数は未知数。

これでは乾坤一擲の勝負に出るには不安材料が多過ぎた。

夏袁はその言動から勇猛で猪突猛進のイメージが強いが、それは感染症の影響で血が高ぶっているからであって、平素は敵味方の戦況を正確に把握し、不利な事は不利と冷静に判断出来る頭脳も兼ね備えている。

この時も夏袁は即座に自説を引っ込め撤退を決めた。だが問題があった。


「……殿がいるな」


こちらは昨日の戦闘で満足に戦えるのは二千六百人に減った。それはいい。それだけいれば、まだ充分戦える。

だが撤退するとなると怪我人の七百人が厄介だった。

その七百人を搬送するのに、場合によっては倍の千四百人の人手が掛かる事になる。

そうなると満足に戦闘に参加出来るのは五百人だ。

その五百人で、退却中の後ろからの追撃と、北淋の街を襲った成り損ない共の奇襲を警戒しなければならないのだ。

それも長く延びた隊列全体を。

はっきり言って不可能だった。

そうなると、せめて本隊が無事に逃げられるまでここに踏み留まり、城側の追撃を一手に支える人間が必要になる。

そうすれば警戒は前方だけで済むのだ。

だがそれを誰にするかが問題だった。

何故なら、ここに踏み留まる人間が生きて帰れる可能性は無きに等しいのだから。

そんな夏袁の心情を察して、孔蓮が名乗りを挙げた。


「自分が残りましょう」と。


これには夏袁が慌てた。

何故なら孔蓮は夏袁の、文字通り右腕なのだから。

だが孔蓮は夏袁の顔をじっと見つめると、


「夏袁様の他に、これを成せるのは私しかおりますまい」

と言って笑った。


「それに私が残らないと、ここに残された兵士達は必ず夏袁様に見捨てられたと感じます。彼等は今後も夏袁様の為に戦う大事な兵士達です。その彼等にそんな感情を与えてはいけません。ここは私にご命じ下さい」

「だが……」

「それに私も、むざむざと死ぬつもりはありません。一応、策もあります」

「策……?」

「はい。もっとも、相手任せの策ですが……」

「どんな策だ?」

「まず夏袁様は、無事な兵士と軽傷の兵士全員を連れて即座に撤退をして下さい。それなら四日と掛からず北淋の街に帰り着けるでしょう。途中、成り損ない共の奇襲を受けたとしても、怪我人が居なければ問題なく対処できましょう。私は直属の部下百人、及び動けない怪我人およそ四百人でここに残ります。もちろん、ありったけの食料は頂きますが」

「待て。それじゃ、みすみす奴等に殺されるだけだ。動けない怪我人を全員残すなら、せめて千人は護衛に……」

「夏袁様。お気持ちはうれしいですが、そんなに兵士が残っても食料が足りません」

「だが、敵に攻撃を受けたらどうする?」

「これは私の考えですが……こちらが怪我人だけだと知ったら、おそらく敵は我らを見逃してくれると思います。そう言う連中なんです。奴等は」

「なんでそんな事が分かる?」

「なんとなくです。さぁ夏袁様、時間がありません。北淋の街も成り損ない共に再び攻撃を受けているかも知れません。一刻も早く、無事な兵士を連れてお戻り下さい。でないと、怪我を治した我々の帰るべき街がなくなります」


そう言って孔蓮は強引に話を打ち切ると、話の行方を見守っていた周りの士官達に頷いて見せた。


「すまんが、夏袁様と春麗様を頼むぞ」







シン達が籠るローエンドルフ城から南南西に300キロ余り。

ちょうど猿族の総攻撃を受けていた同日の朝。

ランドシップ『アイリッシュ』のブリーフィングルームでは猿族の拠点である北淋の街への奇襲作戦が検討されているところだった。

出席するのはシャングを筆頭にバッカスとアムの各中隊長と副隊長。

それと今はこの『アイリッシュ』を預かっているラッセン艦長に猫々の八人。

その八人が見つめる先には大きなモニターがあり、『アイリッシュ』と北淋の街を中心とした地形図が写し出されていた。


「カレンの予想通り、敵の補給路は北淋の街を東に出た後、この川沿いの道を一旦北上してから山を越え、そこで進路を南東に取ってから、再び北上するルートを通っているようだ。観測気球を飛ばして探りを入れた結果、現在このルートを進行中の輜重隊を二つ捕捉した」


シャングが言うのに合わせて北淋の街から出た白い点線が、此方の防衛拠点であるローエンドルフ城の方角に向かって伸びて行く。

更にその道中、北淋から出て程なくの地点に、赤い光点が二つほど点灯した。


「凄いじゃないカレン。ドンピシャね」

「あの街から北に伸びる街道で、大型車両が通れると言う条件を考えると他の道はあり得ない」

「そうなんだ?」

「うむ。それとシャング隊長、輜重隊を攻撃するなら急いだ方が良い。この川沿いの道は左手が深さ20メートル程の崖になっている。ASで谷添いに飛行すれば、今なら奴等に気付かれる事なく近付ける筈」

「へぇ、そんな事まで良く知ってるわね。カレンはあの辺の地理に詳しいの?」

「北淋の街は、元々私と兄様が生まれ育った街……」

「え!?」

「猿達に街を追われる前は、良く父様と母様に連れられてキャンプに行った川。今でも目を閉じれば、その時の情景が思い浮かぶ」


カレンはそう言うと、まるで昔を思い出すかのようにそっと瞼を閉じた。


「あの……カレン?なんかごめんね?」

「別にアムが謝る事はない。悪いのは猿達」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

「それよりシャング隊長、どうする?」

「ふむ……するとカレンは、この辺の地理に詳しいんだな?」

「私の庭のようなもの」

「よし。ランダースの第三中隊はカレンの案内で谷添いを進み、前方を移動中の輜重隊に奇襲を掛けろ。第一目標は輸送車だが、最悪でも電源車を壊せ。ただし無理はするなよ。目的を達成したら、残った敵はそのままで直ぐに後続の部隊に攻撃だ。敵に対処する時間を与えるな。それが済んだら北淋の街に来い」

「了解。敵輜重隊を奇襲、後、本隊に合流します」


立ち上がって敬礼しながら、アムがシャングの命令を復唱した。


「バッカスは俺の隊と一緒に北淋の街を直接攻撃だ。こちらも無理はせず、まず敵の食料貯蔵庫を探す。見つけ次第『アイリッシュ』で砲撃だ」

「了解」

「艦長、こちらで位置情報を送ったら直ぐに砲撃支援をお願いします」

「承知しました、シャング殿」

「猫々……徹夜明けで申し訳ないが、照り柿で『アイリッシュ』の弾道補正の指示を頼む」

「了解ですぅ」


全員に指示を出し終わったところで、シャングは一度、ゆっくりと一同を見渡した。全員が立ち上がり小さく頷く。


「族長達の恩に報いる時が来た。……行くぞっ!」

「「はっ!」」





『これより本艦は作戦を開始する。第一デッキ、ハッチ開放。リニアカタパルト射出準備。第三中隊各機は発進位置へ移動せよ』


艦内放送に従い、カレンが二列並んだカタパルトの一つに跨がる。

続けて隣のカタパルトに跨がったアムの腰には、車両破壊用のバズーカが横向きに括り付けられていた。


「カレン、道案内頼んだわよ」

「了解した」

「みんな、発進後は一列縦隊でカレンのシュヴァルツ・ローゼに続いて」

「「了解」」


アムがカレンに向かって静かに頷いた。

それを見たカレンは腰を落とし、カタパルトのハンドルを右手で掴んで発進の姿勢を取る。


「カーテレーゼだ。シュヴァルツ・ローゼ発進する」

『進路クリアー、シュヴァルツ・ローゼ、発進よし』

「発っ進!!(ニヤリ)」


直後、カレンを載せたカタパルトが飛び出し、シュヴァルツ・ローゼを大空に向かって押し出した。


『第三中隊各機は続けて発進』

「チャームライト、碧瑠璃、行くわよ!」

『碧瑠璃、発進よし』


続くアムが大空に向かって飛び出して行った。



『アイリッシュ』を発進後、高度を落とし、地面スレスレを飛行しながら目の前に広がる森に躊躇する事なく突入するカレン。

それを追って第三中隊の各機も次々と森に飛び込んで行った。

先頭のカレンは森の中に入っても速度を落とさず、一直線に木々の間を抜けて突き進む。

普通、森の中では方向を見失いそうなものだが、カレンに迷いは一切見られない。

やがて森を抜けたところで、前方に幅30メートル程の川が見えて来た。

カレンはその川にぶつかると、今度は水面ギリギリの高さを維持したまま上流に向かって進路を変えた。

そのまま暫く川に沿って進むと、川は山の斜面をなぞるように右に左にと蛇行し出した。

川幅も15メートル程と狭くなり、左右の岸も無くなって、代わりに山の斜面がそのまま川に落ち込む切り立った崖のようになっていた。

どれくらい進んだろうか?

先頭を進むカレンが後ろを振り向き、人指し指を立ててから前方を指差した。もうすぐ到着の合図だ。

それを見たアムは小さく頷いてからインカムに手を添える。


「全員、初撃は速度を落とさず、攻撃しながら一気に通り抜けて。立ち止まると獣化に取り付かれるわよ。撃ち漏らしは私とカレンで仕留める。他の者は通過後、散開しながら援護射撃」

「「了解!」」


「行くわよ……アタック!!」




輜重隊を先導する車両の助手席では、窓から入る風に頬をなぶらせながら一人の兵士が気持ち良さそうにしていた。

その兵士が突然、何かを察知したのか窓から顔を出した。

それを見て、隣で車両を運転していた同僚がいぶかしんで尋ねる。


「どうした?」

「いや、なんか変な音がしないか?」

「変な音?どうせ鳥の鳴き声か風の音だろ?」

「いや、なんかもっと甲高いって言うか……」


気になった兵士が窓から身を乗り出した時……突然、目の前の崖からカレンのシュヴァルツ・ローゼが飛び出した。


「て、……敵襲!?」


その兵士の叫び声を打ち消すように、カレンが先頭車両に向かって両手に持った小銃を発砲した。

慌てて頭を抱え、身を隠す兵士達。

カレンはそのまま崖に沿って進みながら、後続車両に向かって次々と銃弾を撃ち込んで行く。

敵を威嚇して動きを止めるのがカレンに与えられた役目だった。輸送車の破壊は後続のASが担う。

それぞれ肩に担いだバズーカを車両に撃ち込みながら、立ち止まる事なく次々と通り抜けて行った。

だがそこで、思わぬハプニングが発生した。

爆発した際の炎が荷台の火薬類に引火したものか、突然車両の一台が爆発炎上し、AS隊の進路を遮ったのだ。

その炎に遮られ、立ち往生した隊員に向かって、獣化したワービーストの一人が飛び掛かった。


「うわっ!?」


だが飛び付かれる寸での所で、殿に付いていたアムが割って入る。


「隊長!?」

「みんなと合流して援護射撃、行って!!」


アムはそれだけ言い残すと、ワービーストと縺れるようにして着地し、その場で乱闘を始めてしまった。



「副隊長、あれを!?」


輜重隊の最後尾を抜けた所で射撃を行っていたカレンに、隊員の一人が叫んだ。

見れば、アムが獣化のワービーストを相手に無手での格闘を強いられ苦戦している。


「私が行く。全員、この場で援護射撃」

「「了解!」」




〈コイツ……強い〉


さっきはあまりに突然の事であった為、アムは短刀を呼び出す暇もなく割り込み、そのまま相手と素手での格闘戦に突入してしまった。

大牙やアクミと散々組み手をしていたお陰で、獣化したワービースト相手でも決して遅れを取る事はないが、素手では相手に致命傷を与えられない。

それに比べて敵は殴るだけでなく、その鋭い爪を使って斬り、時に突いてくる。

このままではじり貧だ。アムもなんとかその手に武器を呼び出したいのだが、如何せん間合いが近すぎる。

いや、そもそも左右の手で敵の攻撃を捌くのに忙しく、その手に武器を呼び出す隙もない。


「アム!スイッチ!!」


そんな最中に、後ろからカレンの叫び声が聞こえた。

すぐさま反応したアムがスラスターを吹かせながら右足を蹴り上げる。

だが顎を引いて避けられた。


「シュヴァルツ・ランツェエエエーーーーーーッ!」


直後、そのアムと入れ替わるように、腰を落として突進して来たカレンの槍が繰り出された。だが、


「みゃ!?」


なんと、敵は突きだした両手でもってカレンの槍を掴み、強引に止めてしまったではないか。

慌てるカレン。

だが着地と同時、即座にスラスターを使ってカレンの死角から回り込むように飛び出したアムが、左手に呼び出した小銃を発砲した。

防ぐ事も避ける事も出来ず、その身に銃弾を浴びたワービーストがゆっくりと膝を付き、そのまま地面に崩れ落ちる。

それを見た瞬間、それまで防戦一方とは言え、なんとか戦線を維持していた猿族の兵士達が我先にと森の中に向かって逃げ散って行った。

おそらく唯一獣化出来る個体を倒されて勝ち目が無いと思ったのだろう。

後には破壊され、炎上を続ける車両だけがポツンと残されていた。


「ふぅ……助かったわカレン。ありがとね」


アムが礼を言うと、カレンはニヤリと笑ってサムズアップしてきた。

その頃には、散開していた味方の隊員達もアムとカレンの回りにおそるおそると言った感じで集まって来た。

全員、緊張した面持ちでアムを見つめ、次の指示を待っている。

実はカレンを含めて全員が全員、初の実戦だったのだ。


〈……私も、最初はこんな顔してたんだろうな〉


アムは心でくすりと笑うと一同を見回した。誰も怪我していない。


〈よかった……〉


安心したアムがにっこり微笑んだ。


「バッチリよ、みんな!さぁ、この調子で次も行くわよ!」

「「了解!」」

「カレン。また先導、よろしくね」

「了解した」


アムの笑顔に釣られて全員が元気に答えた。





北淋の街から5キロ程離れた上空高く。

色鮮やかなオレンジ色に輝くAS、照り柿を纏った猫々がぽつんと浮かんでいた。

その猫々が空に燦然と輝く太陽をチラリと見つめながら、ふっと笑う。


「……あははぁ……噂には聞いてましたけどぉ……徹夜明けの太陽ってぇ、本当に黄色いんですねぇ……」


実は猫々、猿族のテリトリーに入ってからというもの、毎日毎日『アイリッシュ』の周辺を夜を徹して警戒に当たっていたのだった。

従うのは照り柿に統制された50機のドローン達。

本来なら徹夜明けの猫々は今頃ベッドの中でお休みしている時間なのだが、今日はランドシップの砲撃支援の為にこうして駆り出されていたのだった。


「あふぅ……」


寝不足からか、とろ~んとした目で大きな欠伸をする猫々。

その時、突然目の前の空中に地図が表示され赤い光点がいくつも点灯した。

北淋の街を攻撃中のバッカスから、食料貯蔵庫と思われる場所の位置データが送られて来たのだ。


「さぁて、お仕事お仕事~……あふぅ」


猫々は右手で涙を拭うと、目の前の光のキーボードに向かってタイピングを始めた。

北淋の街周辺に配置した偵察用ドローンから『アイリッシュ』と攻撃目標の高低差や風速等のデータを収集しているのだ。

それに併せて目の前に小さなウィンドウが次々に開いていく。

そこに『アイリッシュ』のラッセン艦長から通信が入った。


『猫々殿、そちらにも連絡は行きましたかな?』

「はぁい、来ました~。今そちらにぃ、気象情報を加味した補整情報を送りますのでぇ、とりあえずぶっぱなしちゃって下さい~」

『了解しました。ではデータ受信後、直ちに砲撃しましょう』

「はぁい、お願いしまぁす」


返事と同時に、猫々がキーボードの一つをタンッと叩いた。計算の終わったデータを送信したのだ。

暫くすると、遥か後方から三つの砲弾が凄まじいスピードで飛来して来るのが見えた。

それはそのまま猫々の1キロ程先の上空を放物線を描きながら北淋の街に向かって行く。

直後、街中に砲弾が着弾し、三つの爆煙が高々と上がった。遅れて辺りに轟音が響き渡る。


「むむぅ?」


ASで強化された視力でもって着弾を確認した猫々が、不満気な顔で再計算を行う。


『猫々殿、どうですかな?』

「う~ん、当たってはいるんですけどぉ、ちょこっと外れてますぅ。山から吹き上げる風にぃ、流されちゃたんですかねぇ?今、補整データ送りますね~」

『了解です』


データ送信の終わった猫々が再び後ろを振り向くと、同じように飛来した砲弾が再び北淋の街を襲った。

その着弾を確認した猫々が、今度は満足気な顔で「うん」と頷き笑顔になる。

そこに三度、ラッセン艦長から通信が入る。


『これでどうですかな?』

「バッチリですぅ。この調子でぇ、じゃんじゃん撃っちゃって下さい~」

『了解しました。それではこれで……』

「はぁい」


通信を終えた猫々は、大きく腕を上げて身体を伸ばすと、今度はその場で腰を回したり、前屈をしたりとストレッチを始めた。

そんな緊張感の欠片もない猫々の先を砲弾が次々と通過して行った。







切り立った崖の上に建てられた堅固な造りの砦。

その砦の城壁の上に、毛布にくるまった次狼が座り込んでいた。傍らにはAS用の狙撃銃が立て掛けられている。


次狼が籠るこの砦は、ローエンドルフ城の北側から延びる尾根で繋がっており、本城の支援と言う役目はもちろん、敵が北の山に陣地を築くのを阻止する役目も担っていた。

規模はそう大きくなく、籠る人数は約二百人。

全員が次狼と同じ狼族のワービーストだった。

それを率いるのは、元々この一族を治めていた族長、勘十狼だ。

警戒の為に寝ずの番をしていた次狼がゆっくりと立ち上がる。

その時、山の稜線から朝日が顔を出した。

太陽が除々に登るにつれ、見る見る山間の闇が払われていき、木々の形がはっきりと見え始めた。

まだ気温は低いが、陽のあたった顔が妙に温かい。

城壁の端に立った次狼が山々を見下ろせば、太陽に暖められた大地や木々から湯気が立ち登り、朝霧が立ち込め始めていた。

ここから南東の方角約1キロに、シン達の籠るローエンドルフ城が見える。

更にその向こう、朝霧の彼方に目をやれば、猿族達の陣地が微かに見えた。

こうして見た感じでは、特に戦の準備をしているようには見えない。

念の為、今もこうして寝ずの番を置き、一日中警戒を怠ってはいないが、猿族が一部の負傷兵を残して撤退してから既に三日が経っていた。

今日も何事も起こらなそうだな。

次狼が寝不足気味の頭でぼんやり考えていると、「次狼よ」と声を掛けられた。

振り向けば勘十狼が近づいて来るところだった。獣化できる部下を二人連れている。


「……じい様?」

「先程、スフィンクス殿から連絡があっての。儂はちと、本城の方に顔を出してくる。敵に動きはないが気は抜くなよ」

「分かった」







「おや?」


朝食を食べようと食堂にやって来たアクミ達がトレーを持って席を物色していると、窓際の席で黙々と食事をしている大牙の姿が目に入った。

隣のひめ子も気づいたようで、アクミと二人顔を見合わせてから、どちらともなく大牙の座る席に向かって歩き出す。


「よぉ、アクミ。ひめにチカにサナも。おはようさん」

「大牙くん、一人なんですか?」

「あぁ、パンチと獣兵衛は南門の警護に行った。レオは親父さんの所じゃねぇかな?アレンのヤツはさっきまで居たんだが、ASの整備があるって言って行っちまったよ」

「ふぅん……先生は族長達と朝から会議ですもんね。それじゃあ仕方ないですね。かわいそうだから私達が一緒にご飯を食べてあげましょう」

「あん?別に飯なんて一人でも構わねぇよ」

「ナニ言ってんです。ご飯って言うのはね、一人より二人、二人より三人、四人と、多ければ多いほど美味しく食べられるんですよ」

「そうか?」

「そう……です。ほらほら、もっとそっちに詰めて下さい大牙くん。座れないでしょうが」


そう言って大牙の隣に強引に腰を下ろしたアクミが腰で突っつきながら大牙を奥へと追いやった。

ひめ子とチカとサナの三人も、当たり前のように大牙の向かい側の席に並んで座る。


「ほほぅ……朝からパン食とはずいぶん少食ですね、大牙くん」

「お前は朝っぱらから、まぁ……ずいぶんと食うな?」

「ナニ言ってんです。こんなの普通ですよ、普通。ちゃんと食べないと元気が出ませんよ?元気が出ないと身体を動かすのが面倒になって、結局カロリーを消費しなくて肥るんですよ。そうならない為にも、朝と昼はしっかり食べて身体を動かし夜は控え目に。今からしっかり管理しとかないと、大牙くんも二十代でお腹がぽっこり出て来ますよ?」

「へぇ、お前もそう言うの気にしてるんだな?」

「当たり前でしょうが。近い将来、先生と結婚して、真っ白なビキニのウェディングドレスを着るその日まで、この奇跡のプロポーションを維持しときませんとね」


そう言ってアクミは両手を合わせて頂きますすると、箸でご飯を摘まんでそっと口に運んだ。


「真っ白なビキニのウェディングドレスねぇ。……って、どんなだよ!」

「どんなもナニも……そのまんまですよ。私はそのウェディングドレスと身体を使って、先生はもちろん、来場者全員を悩殺してやるんです」

「来場者悩殺してどうすんだ!?」

「だって、みんなが私の魅力の虜になれば、先生の事を羨ましがるでしょう?そしたら先生も鼻高々じゃないですか?旦那さんの幸せポイントを上げてあげるのも、妻たる者の努めですよ」


遅れてツッコんだ大牙に律儀に答えてやりながら食事を続けるアクミ。

一方、前に座ったひめ子達は、こちらの事は完全にスルーして食事を始めていた。


「……妻の努めねぇ」


大牙は静かに一つ溜め息をつくと、自分のトレーに向かって食事を再開するのだった。



 

「……早く終わんないもんですかね。この戦争」


食事後。

ひめ子が淹れたお茶をみんなで啜っていると、窓の外を眺めていたアクミが、妙にしんみりした声で呟いた。


「早くって……まだ始まって五日しか経ってねぇじゃねぇか。だいたい、戦闘なんて初日の一日だけだろうが」

「……あんなの、一日やれば充分ですよ……」

「……まぁ……それもそうだな」


アクミの一言で全員が初日の戦闘の情景を思い出したのだろう。

大牙もアクミから顔を逸らすと、頬杖を付いてアクミと同じく窓の外を眺めて黙ってしまった。

そのまま暫く無言の時が流れる。

それを絶ち切ったのは、


「そう言えば、もうすぐ大牙くんの誕生日なんじゃなかったかしら?」


と言うひめ子の一言だった。

おそらく、しんみりした空気を気遣ったのだろう。


「ずいぶんとまた、いきなりだな?」

「そうナンですか?大牙くん」

「まぁな。と言っても、まだ一ヶ月も先だが……」


だが戦争で暗く沈みかけていたところに、戦争とは全く関係のない話題を放り込まれて、一同からは自然と沈鬱な表情が消えていた。

アクミもいつもの明るいアクミに戻っている。


「へぇ……しかし、大牙くんの誕生日ナンて良く知ってましたね、ひめちゃん。そんな豆知識……じゃなかった無駄知識、円周率の小数点三位以下を覚えるのと同じくらい、役に立たない事ですよ?」

「本人を前に失礼なヤツだな」

「たまたま何かで知ったのよ。何だったかしらね?」

「でもまぁ、来月大牙さんの誕生日って言うのは本当なんですね?じゃあ、なにかプレゼントしなきゃです」

「いや……俺は別に構わねぇよ」


チカが大牙を真っ直ぐ見つめて言うと、照れ臭くなった大牙はそっぽを向いてぶっきらぼうに答えた。


「そう言う事なら……」


すると突然なにを思ったのか、サナが自分の手提げ袋を漁り出した。

そして一冊の本を大事そうに取り出すと、両手で持ってスッと大牙の前に差し出した。


「私はこの……お気に入りのBLマンガを贈りましょう……」

「いらねぇよ!」


ソッコーで大牙がツッコんだ。


「おっと、勘違いしないでくさい。これは大牙くんの為のプレゼントじゃありません」

「俺の誕生日なのに俺宛のプレゼントじゃねぇとは、ずいぶんと斬新なプレゼントだな。で?俺のじゃなかったら、誰の為のプレゼントなんだよ?」


大牙が呆れながら聞くと、サナはにっこりと満面の笑顔を浮かべた。そして、


「これは将来生まれてくる、大牙くんの赤ちゃんの為に送ります。どうぞ絵本代わりに読み聞かせてあげて下さい」


「ますます、いらねぇよ!」


再びツッコむ大牙。

そんな二人を尻目にチカがアクミに尋ねた。


「アクちゃんはなにを送るんです?」

「いや、ナニと言われましても……さすがに今知ったばっかですからね。私はまだ、まったく決めてません。と言うか……このまま来月まで決めかねて、そのまま素知らぬ顔してバックレる可能性が大ですかね?」

「……お前」

「ひめちゃんはどうナンです?誕生日を知ってたって事は、ナニをプレゼントするかもう決まってるんですか?」

「もちろんよ」

「へぇ……ナニをあげるんです?」

「トラブルの種よ」

「そんなもん寄越すな!?」


にっこり笑って即答するひめ子に身の危険を感じた大牙が思わず立ち上がる。


「お、お、おま……なに満面の笑顔で恐ろしい事さらっと言ってくれちゃってんだ!冗談に聞こえねぇんだよ!」

「あら、冗談なんかじゃ無いわよ?」

「ほほう、それはおもしろそうですね。いったいナニを送るんです?」

「ふふ、私の大事な写真集よ?」

「だから、それはお断りだ!」


「ひめちゃん! そ、それはもしや……下着を入れてる引き出しの奥底にある、青いビニール紐で厳重に拘束した上に、黄色い花柄の包装紙で綺麗にラッピングしてカモフラージュし、更にランジェリーショップのビニール袋に入れて人知れずそっと封印されている、ピンポイントがシェードでシャイニングでちょっとデンジャラスな、グッダーな男の子達の写真集の事ですか?」


「うん、なんでアクちゃんがそこまで知ってるのかしら?」


まさか、その存在を知られているとは思ってもいなかったひめ子の頬を冷や汗が伝う。


「あぁ、アレですか?それなら私もついでに……」

「大牙さんがそれで喜ぶなら、私のも喜んで差し上げますです」

「だから要らねぇって言ってんだよ!」

「ちっちっちっ……まったく、女の子からの心の籠ったプレゼントにケチを付けるナンて、大牙くんも焼きが回りましたね」

「なんだと!」

「男なら「ありがとよ!一生大事に使わせてもらうぜ!(ニヤリ)」ってくらいの甲斐性を見せなさいってんですよ」

「おい、こいつついでにとか言ってたぞ。だいたい大事に使うって、お前は俺に、裸の男の写真集を使ってなにをさせようとしてんだ。俺、完全に誤解されんだろ。それと一番大事な事だが、どう見てもこれに籠ってるのは悪意だからな」

「ふぅ……相変わらず、ナニと器の小さい男ですね(小声)」

「聞こえてんだよ!」


相変わらず仲が良いんだか悪いんだか、漫才を始めた二人を眺めながらひめ子が溜め息混じりに呟いた。


「でも、あのプレゼントがダメだとなると……もう八方塞がりね」

「八方塞がり早過ぎだろ!どんだけ視野狭いんだよ。ちょっと視点を変えりゃあ、いくらでもプレゼントなんて浮かぶだろ。BL以外の普通のプレゼントが」

「そう言われても……然り気無くBLまで封じられちゃうと、大牙くんへのプレゼントのほぼ全てを封じられた事に……」

「なんでだよ!もっとこう、俺の身になって、俺が欲しがりそうなもんとかいろいろあんだろ」

「大牙くんが欲しがりそうな物ねぇ……」


そう言って顎に人差し指を当てて首を傾げるひめ子。


「あっ!?」

「そうだよ。ちょっと考えれば、いくらでも……」

「アムちゃんのパンツ?」

「なんでだよ!」


ツッコむ大牙の顔がちょっと赤い。思わず想像してしまったようだった。その横でアクミが冷静にツッコむ。


「それは……間違いなくトラブルの種になりますね」

「そもそも、俺が女のパンツなんて貰ったって使い道ねぇだろか!」

「じゃあ、アレンくんのパンツ?」

「男なら良いって訳じゃねぇ!いやそれ以前に、なんで人様のパンツを勝手にプレゼントにピックアップしてんだ!」

「……それはトラブルと言うより、ある意味大牙くんとアレンくんの関係を決定付けるプレゼントですね」

「じゃあ、みんな大喜びね」

「お前らなに笑顔で同意してんだ。俺の誕生日でお前らが喜んでどうすんだ……っておい!どこに連絡しようとしてんだ!変な噂を広めるな!」


怒鳴りながらひめ子からインカムを取り上げる大牙。


「もう、せっかく盛り上がってきたのに……」

「盛り上がってんのはお前等だけだ。とにかくパンツは禁止だ!」 


そう言って不満そうなひめ子にインカムを返してやると、ひめ子は再び顎に人指し指を充てて思案に耽る。


「そうなると、後はそうねぇ……先生が敵の大将から取り上げた、例の鋼鉄製の棒なんてどうかしら?ペンキを使ってカラフルに彩った上に、『此れ粗忽者の忘れ物也!』って幟を付けて戦場に立ったら大注目必至よ?」

「いや、それホントに大きなトラブルに発展しそうだから止めてくれ」

「新たな火種の予感がしますね」

「ふふっ……確かに視点を変えて考えてみるのも良いわね。色々と浮かんでくるわ。大牙くん、素敵なプレゼントを贈るから楽しみにしててね?」 

「……今の一連のプレゼントのどこに、楽しみに待つ要素があったって言うんだよ」


ご機嫌なひめ子を余所にツッコみに疲れた大牙がげんなりしていると、食事のトレーを持ったシンが並んでいるのが見えた。


「先生、こっちですこっち!」


アクミが声をかけると、それに気づいたシンがゆっくりと歩いてきた。そのままアクミの横に腰掛ける。


「先生、会議はどうなりました?」

「大っぴらに停戦はしないが、取りあえずは様子見だな。このまま引き上げてくれるならこちらは追撃しない」


アクミの質問に答えながらシンが味噌汁を啜る。


「様子見って……向こうは怪我人ばっかとは言え、ここは戦場なんだ。こっちから仕掛けて、とっとと追い返せば良いじゃ?」


大牙の言い分ももっともだった。何せこちらは戦争を仕掛けられた側なのだ。

いくら相手が怪我人だからと言って手加減してやる義理はない。


「別に無理矢理あっちの遺恨を買う必要もないだろう。それにもう一つ理由がある。分かるか?」


シンが目玉焼きに箸を入れながら質問すると、「力のバランスが大事って事ですね?先生」

と、アクミが即座に答えた。


「良い解答だ」

「えへへ……」


頭を垂れて、ご褒美の良い子良い子をおねだりしてくるアクミ。

仕方なく左手の茶碗を置いてシンが頭を撫でてやる。


「バランスって、どういう事です、先生」

「考えても見ろ。奴等には、今後もヴィンランド相手に防波堤の役目をしてもらわなきゃならないだろ?」

「あぁ……なるほど」

「そう考えると、猿族の力を削ぎ過ぎるのも考えものなんだ。仮に俺達が猿族に大打撃を与え、ヴィンランドが猿族の排除に成功してみろ。次は俺達が矢面に立たなきゃならなくなる。そうなったら泥沼の戦いが延々と続くぞ。それだけは絶対に避けなきゃならない」

「それで手出しせずに様子見って事か。でもこれ、いつまで続くんです?俺達、ずっとここで暮らすんですか?」

「敵が引き上げるまではそうなるな。と言っても、後1~2週間ってところか?このまま敵が後退すれば、ここには虎鉄殿が三百人率いて暫く常駐する事になった」

「私達はどうなるんです?先生」

「東のツインズマールに移動だ。そこがこの城の補給を担う。俺達はそこで暫く虎鉄殿の後詰めだな。ランドシップもあそこまでなら入って来れる」

「じゃあ、もうすぐ戦争は終わりナンですね?」

「まぁ、そうなるだろうな」


それを聞いたアクミとひめ子は、顔を見合わせると嬉しそうに微笑むのだった。







シン達の戦場から遠く1000キロ以上も離れた場所にある人類(旧人類)だけの街、『ニュー・ヴィンランド』。

かつてのユーラシア大陸東岸に建てられたこの街は周囲40キロにわたって高い城壁を巡らした城塞都市で、これによりワービーストで溢れる現在の地球と完全に切り離された世界となっている。

その街のほぼ中央に聳える一際高いビルには政治を司る最高意志決定機関、評議会と、人類をあらゆる外敵から守る為の軍部。そして評議会と軍の幹部からなる統合作戦本部が置かれている。


今、そのビルの一室では軍の幹部達と作戦司令、各艦に搭乗している艦長、及びAS連隊長が勢揃いして今後の作戦行動の指針が協議されているところだった。

因みにその末席には艦を失ったパンナボールとブルックハルトの両名も所狭しと参考人として参加していた。

しかし両名は何の発言も許されないまま協議は終了。

今後は南部戦線に重点を置く事が決定した。


一同が解散する中、パンナボールが議長役の老人に近づいて行く。

それに気付いた老人が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「将軍、私の新しい艦の件はどうなりましたでしょうか?今回の会議で議題に挙がるものとばかり思っておりましたが」

「それは会議に挙げるまでもなく棄却された。今の我々には新たに『ファラフェル級』を建造する余裕はないのだ。いや、造りたくとも造れないと言った方が正しいかな。とにかく資源が無い。その為の南部進攻だ」

「ですが西部にも進攻した猿共をこのままにしておけば、いずれ我々人類の驚異となります。その牽制の為にも、ぜひ私に……」

「聞いていただろう?それはバカラ司令の仕事だ。君が気にする事はない」

「別に『ファラフェル級』でなくとも構いません。護衛艦を数隻与えて下されば……」

「パンナボール中佐(艦を失って降格)。現在、猿共は南部戦線にその主力を投入して来ている。そして我々が手に入れたい鉱山資源の多くも南部戦線だ。今やこの地域のワービースト共は一掃され、我々と猿共の取り合いとなった。そんな最中に別動隊の為に削く護衛艦などないのだよ」

「しかし……」

「君は暫く内勤だ。『ニュー・ヴィンランド』の防衛にでも専念したまえ。あぁ、それとブルックハルト大尉、君はバカラ司令の『パッタイ』に乗り込んで『インジェラ』を捜索し、修理が可能かどうか調査したまえ。以上だ」

「将軍!」


もう話は終わりと踵を返す老人に尚も諦めきれないパンナボールがすがろうとするが、老人はそれを無視して立ち去ってしまった。

ガックリと肩を落として落ち込むパンナボール。

その背中に嘲笑を含んだ声が掛けられた。


「おやおや……誰かと思ったら、我等が英雄パンナボール様じゃねぇか」

「……バカラ」


振り向くと、先程の話にあったバカラが、うちひしがれたパンナボールをニヤニヤしながら眺めていた。

その後ろには『パッタイ』のベンソン艦長とカルデンバラック連隊長も控えている。


「おっとっと……そんなに睨み付けてどうしようってんだ、英雄殿?いくら凄んだってランドシップはやれねぇぞ?ははは……」

「……貴様」

「ほらほら、どいたどいた。こっちは誰かさんの尻拭いで、一人で西なんかに飛ばされて忙しい身の上なんだよ。邪魔しないでくれるかな?ん?」

「…………」


悔しいがなにも言い返せず、無言で道を空けるパンナボール。

そのパンナボールの前でわざわざ立ち止まったバカラは、その肩にそっと手を置いてこう囁いた。


「そう落ち込むなって、パンナボール。ひょっとしたら『インジェラ』が見つかるかも知れねぇだろ?そしたらまた、司令官様に返り咲きだぜ?」

「……バカラ」

「もっとも、猿共の遊び場になってて、奴等の糞としょんべんで臭ぇかも知れねぇけどな。あっはっはっはっ……」

「……くっ」

「おい、そこの!……あぁ、何つったか……お前だよお前」

「ブルックハルトであります。バカラ司令」

「おぉ、そうだそうだ。ブルックハルトだ。おい、ブルックハルト。命令だからうちの艦に乗せてやるが、てめぇはひら隊員だからな。こちとら、ただでさえ変な連中押し付けられて迷惑してんだ。これ以上うちの連隊長に苦労掛けんじゃねぇぞ。分かったな?」

「……は」

「ああん……? 聞こえねぇんだよ。てめぇも軍人なら、もっと腹から声出せ、腹から。んで?分・か・り・ま・し・た・か?」

「承知しました、バカラ司令。以後、カルデンバラック連隊長の指示に従います」

「よぉし!分かりゃ良いんだ分かりゃ。んじゃ行くぞ、お前ら」


そう言ってブルックハルトも従えたバカラは、無言で睨みつけるパンナボールを無視して会議室を後にするのだった。


 


暫く通路を進み、パンナボールの姿が見えなくなったところでベンソン艦長が苦笑いを浮かべた。


「随分と絡みましたね、司令」

「……ふん、どうも気に入らねぇ」


それに対し、バカラは不機嫌顔丸出しで答えた。


「皺寄せで西に行かされるからですか?」

「違うな」

「じゃあ、なんでです?」

「あの野郎……絶対なんか隠してやがる。ちょうどいい、おいブルックハルト。奴さんの言ってる事……どこまで本当なんだ?」

「どこまで……と申されますと?」

「本当に猿共にやられたのかって聞いてんだよ」


突然話を振られたブルックハルトが困惑の表情を浮かべる。

するとバカラは立ち止まり、ブルックハルトの正面に立ってじっと睨み付けてきた。

嘘は許さない。そんな顔だった。

心の内を見透かすような、強い眼差しだった。


「……そのように、聞いております」

「…………」

「…………」

「…………」

「……私はその時、不覚にもワービーストに襲われて気絶しておりました」


そう言って、ブルックハルトはバカラの視線から逃れるように俯いた。


「あぁ、そういやそうだったな。金玉蹴られて失神してたんだっけ」

「……はい」


今度はアクミの顔を思い出したのだろう。苦々しい顔で呟いた。


「ところでブルックハルト。兵隊達の間で、真しやかに噂が流れてんのを知ってるか?」

「噂……ですか?」

「そうだ。『インジェラ』は猿共にやられたんじゃない。俺達と同じ人間に……それも裏切者にやられたって噂だ」


ブルックハルトは心臓が飛び上がる程驚いた。そんな噂が流れているなんて知らなかったのだ。

だがここで本当の事を言う訳にはいかない。

状況から見るに、ランダースは感染していないワービーストと行動を共にしている。また、それを手引きしたと思われる人間も目撃されている。

それだけではない。ひょっとしたらランドシップも所有している可能性もあった。

本来なら軍へ報告し、速やかに手を打たねばならない事案だ。

だがそれが問題だった。

もし事実を公表したら、それ等にコンタクトを取ろうとする者が現れるかもしれない。

こちらの秘密を知っているランダース達にだ。

結果的にワービーストを大量に殺したとしても、感染症の事実を隠していた事実には変わりない。

また、軍の物資を勝手に使って交易し、殺したワービーストの財産を着服した。

おまけに自分達が生き残る為に……いや、その蓄財を持ち帰る為に、AS隊の半分と艦の乗員を置き去りにしてきたのだ。それも口封じと言う意味で。

そんな事がランダース達の口から露見すれば失脚では済まない。

少なくとも軍法裁判が開かれ、間違いなく有罪。下手をすれば死罪だろう。

だからブルックハルトはバカラの視線を真っ直ぐ見つめ返しながら、絞り出すような声で答えた。


「……バカラ司令はパンナボール司令の報告より、謂れのない兵達の噂を信じられるのですか?」

「…………」

「…………」

「……お前がその気ならもう聞かねぇ」


バカラはそう言って踵を反すと、ブルックハルトの前から無言で立ち去るのだった。

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