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見知らぬ空へ  作者: たじま
1/35

序章1、出会い

この世界には二種類の人間が生息している。


昔……と言っても、ほんの八十年前の話だが、地球の衛星軌道上に一つの巨大なステーションが存在した。

エデン(楽園)。

国家と言う権力に選ばれた、一部の人間だけを乗せたステーション。

そこでは技術者等の一部の人間を残し、数万の人間を五百年間冷凍睡眠させ、遥か未来に送り届けるのを目的とした、まさに現代のノアの方舟だった。


地球温暖化、海面上昇と砂漠化による生活圏の減少。そして、気候変動による世界的な食糧不足。

理由は様々だったが、直接の切っ掛けは核を保有した国の暴走だった。それに追随するように核を使用したテロが横行し、世界規模の抗争へと突入する。

核に対する核による報復。弾道ミサイルが飛び交い、核廃棄物を乗せた衛星が人口密集地へと降り注いだ。

海と大地は放射能に汚染され、生活圏は更に減少し、マスク無しに生活も出来ない程の大気になって初めて人類は気づいた。このままでは人類は死滅すると。

そう、人類は一度地球を棄てたのだ。選ばれなかった人々を大地に残して。

だが地上に残された人々は死滅しなかった。


人類は過酷な環境でも戦争が出来るよう、遺伝子操作である戦闘員を創り出した。

マスク無しに呼吸ができ、気候変動による極端な寒暖の差にも耐えられる強靭な身体に強い筋力。夜目が利き、嗅覚の発達した生物。

それらは獣人兵ワービーストと呼ばれた。

そのワービーストとの交配により、地上に残された人々は生き残っていたのだ。

ここに人類は二つの種族に枝分かれした。

旧来の人間……旧人類と、新人類……ワービーストとに。


そして再び、旧人類が地上に降り立ったのが八十年前。

旧人類は僅か数年で新たな街を築き上げた。

そして会敵する。

だがワービーストとの身体性能の差は歴然だった。

最新鋭の武器で武装した部隊がまるで成す術なく、しかも、素手のワービーストに全滅させられたのだ。

人類は愕然とした。だが諦める訳にもいかない。既に帰るべき場所を失った人類は、ここに留まるしかないのだから。


先進的な科学力により、ワービーストとの身体性能の差を埋めるべく開発された、人体の各種機能を強化する為のASアシストスーツ。そしてそれを運用する為の巨大な地上艦、ランドシップ。

一方、ワービーストは優れた身体性能と圧倒的な数でもって対向する。

更にごく一部だが、ワービーストの中には獣化と言って、ASすら凌駕する個体も複数存在した。


これらが互いに決定打を欠いたまま、地上での生存権を掛けて、泥沼の争いを続けているのが、現在の地球の現状であった。





嘗てユーラシアと呼ばれた大陸の東端にある旧人類の街、ニュー・ヴィンランド。

そこから遥か西に1000キロ以上も離れた内陸部の山間にそれはあった。

濃い青色でカラーリングされた全長200メートルにも達する程の巨大な船体。

第三次西部遠征隊旗艦『アイリッシュ』だ。

その『アイリッシュ』のブリッジは今、目も当てられないほどの恐慌状態にあった。



「第八中隊、獣化三人と交戦中、残存5!」

「いったいどうなってるんだ!!司令、なんで奴等に待ち伏せされて……」

「分からん。とにかく艦長、一度『アイリッシュ』を後退させろ。奴等と距離を取らん事には防衛線も築けん」

「はっ!艦を後退させる。護衛艦と各中隊に通達」

「AS隊は戦線を維持しつつ、艦に合わせて徐々に後退させろ。砲撃支援用意!正面の森にぶち込んで奴等をビビらせてやれ!」


「主砲一番、二番装填よし!」

「撃てぇ!」


艦長が号令した直後、艦の左右に設置された主砲から轟音が響き渡り、森の木々を根元から吹き飛ばした。

辺り一面を大量の土砂と木々が舞い上がり、粉塵が辺り一帯を覆う。


「よし、このまま5キロ後退する。見晴らしが良くなれば奴等もおいそれと攻撃は仕掛けられまい」

「だ、第三、第六中隊、通信途絶!」

「なに!?」

「Cアーク、既に獣化と白兵戦を展開中! サザンクリークとも連絡が取れません!」

「司令!防衛線を維持出来ません、突破されます!」

「まずい!艦長!!」

「各銃座、各個に迎撃!近づけさせるな!最大船速!!」

「ダメです!奴等、弾幕を避けて……あっ!? か、艦内に侵入されました!!」

「いかん、戦闘用ドローンを全て迎撃に回せ!白兵戦用意!!」

「おい、ASに支援要請だ!急げ!」

「む、無理です司令、全AS隊戦闘中で……」

「いいからとっとと呼び出せ!最優先だ!!」

「は、はい」

「おい、誰か手を貸せ!扉の外で食い止めるぞ!」


身の危険を感じた火器管制官の男が叫んだ。

それを聞いて、レーダー解析官の男も慌てて銃を持って立ち上がった。


「他に手の空いてる者は全員……あっ!?」


だが男達が銃を持って駆け出したところで、プシュと言うエアの抜ける音と共にブリッジ後方の扉が開いた。

ブリッジの全員が一斉に扉を見る。

そこには……壮年の男が一人、ニヤリと笑って立っていた。







鬱蒼とした森の中にただ一人、シングレア・ロンドは立っていた。

通称シン。

仲間達からそう呼ばれている、まだどこか幼さの残る黒髪の少年。

いや、実際に見た目通りで年齢は16になったばかりだった。

今は戦時下でワービーストに比べて人口の少ない旧人類では、ASの腕さえ確かならこうして少年兵が前線に送られる事は決して珍しい事ではない。


その身には対ワービースト用装備の白いASを纏っている。

昔の西洋風の鎧を現代風にアレンジしたようなデザインで、背中や足にはスラスターが装着されている。

冑はなく、また上腕と腹部、それに腿には装甲がなく、グレーのインナーが露出している。

一見無防備なようだが、ASには特殊なエネルギーシールドがあり弾丸程度なら弾く為、機動性と視界の確保を優先させた結果だった。

もっともシールドの下に装甲があっても無くても、獣化したワービーストの攻撃は防げない。なら動き易い方が良いと開き直った結果とも取れるが。


その少年兵が忌々しそうに辺りを見回した。


「くそ……迷った……」


時折、遠くの方で銃の乱射音が聞こえるが、木々に反射して聞こえる為その方角を特定する事が出来ない。


「505より本部、マップデータが消えてるぞ。位置が分からん。505より本部、聞こえてるのか?本部!」


耳に掛かったインカムで連絡を取ろうと試みるが、待てど暮らせど返事は返ってこなかった。

本来、戦場に出たASが自分の位置を見失う事はない。観測気球でマッピングを済ませたランドシップのバックアップにより、位置情報を常に把握出来るからだ。

今回もそうだった。スクランブルだったとは言え出撃時は確かにマップデータはあったのだ。しかし今はそれがない。


「後退の命令が出てたが……まさか置いてきぼりって事はないだろうな……」


位置が分からないならASを使って上空高くに上がれば良さそうなものだが、ここは戦場だ。敵に補足されるのは避けたかった。

それに近くに獣化した敵が居る可能性もある。

そんなのに見つかった日には命がいくつあっても足りない。

何せ地上から弾丸並のスピードで槍が飛んで来るのだ。

そんなのを喰らってはASのシールドなんて何の役にも立たなかった。


「右も左も分からない状況でほっつき歩くのは気が引けるが、仕方ないか……」


緊張した面持ちで銃を握り締めたシンがランドシップと合流する為に一歩目を踏み出した。

その時、


「いやぁ!!」


突然、女の悲鳴が響き渡った。

咄嗟に腰を落として銃を構える。


〈子供のようだったが……〉


声がしたのは少し先の斜面を下った方からだった。

周りに誰も居ないのを確認し、そっと近づく。

向こうに気付かれないよう、茂みを銃の先で掻き分けてそっと覗き込むと、そこには大人の男三人に囲まれて二人の少女が抱き合っていた。近くには力なく横たわる大人の女性の姿もある。


〈ワービーストの子供か……〉


恐らく母親を殺されたのだろう。

泣き崩れる黒髪リボンの少女を守るように、獣耳を生やした青味掛かった銀髪の少女が気丈にも男達を睨み付けていた。

その睨み付ける男達。

ぱっと見はただの人間だが、服の上からでも分かる超人的な肉体と真っ赤に充血した目。

そして牙を覗かせた口元からは絶えず涎が垂れていた。

間違いない、猿のワービーストだ。それも獣化した個体の。


ワービーストにも色々いる。

遥か昔から人間と交配し、その血が薄まったのでその殆どはASさえあれば問題なく対処できる。

だが稀にワービーストの血が色濃く出る個体がいた。

そしてその個体は例外なく自らの肉体を変貌させる能力を持っている。それが獣化だ。

獣化した個体は信じられないような身体性能を誇る。

それこそASを纏った人間が束になって掛かっても叶わない程に。

それが三人、二人の少女を取り囲んでいた。


シンは相手に気付かれないよう手に持った銃をそっと構えた。


〈待て!俺はなにしてんだ!あれはワービーストだぞ!〉


引き金に指を掛けたところで、はっと我に返った。

見た目に騙されたが、助けようとしたのは人間じゃない。

人間を捨てた人間、ワービーストだ。


〈そうだ……俺はなにも見なかった。このまま奴等に気付かれる前にとっとと逃げ出せ!〉


心の中の自分が叫ぶ。

だがなぜか、シンはその場を去る事が出来なかった。じっと少女達を見つめる。


〈あれがワービースト?……母親の死を嘆く少女……その少女を庇うように強く抱き締める少女……俺達と全然変わらないじゃないか……〉


そうこうしてる間に睨みつける少女が気に入らないのだろう。棍を持った男がふざけ半分に銀髪の少女の顔を軽く払った。

堪らず倒れ込む少女。


〈あいつ!〉


男の行為を見て憤りを感じた。

不思議と己の中に少女達を助けたいと思う自分がいる。敵であるワービーストの少女達を……。

だが相手は獣化。

三対一なら常に二人が後ろを取れ。

二対一なら迷わず別々の方向に逃げろ。

そして一人なら無惨に殺される前に自決しろ。

そう教えられた獣化だ。

そんなのが三人。勝てる訳がなかった。


〈そうだ。俺は関係ない……。だから、このまま逃げても誰も俺を責めない……〉


ゆっくりと立ち上がり後ず去る。まさに後ろ髪を引かれる思いで……。


「やぁ!!」


視線の先では棍を持った男が倒れた少女の腹を小突き出していた。痛がる少女をいたぶるように何度も何度も……。


「おい、遊ぶな。そろそろ行くぞ」


リーダー格の男に咎められた男が「仕方ねぇな」と言ってニヤリと笑う。

そして倒れた少女の胸を左足でもってガッと踏みつけた。


「かはっ!」


肺の息を全て吐き出させられ、口を開けて喘ぐ少女。

その少女に向かって男が楽しそうに告げた。


「じゃあ串刺しの刑だ」


〈止めろ!見るな!耳を塞げ!!〉


「そら、口を開けろ。一発で脳まで突き刺してやるからよ。ひひ……」


「ひ……ひやっ!」


「おい、その手をどけろ!口を閉じんな!踏潰すぞ、こら!」


少女は咄嗟に両手でもって口を隠したが、それに激怒した男は踏みつける足に力を入れた。

そして少女が喘いだ隙に棍の先を強引に捩じ込む。


「ひゃ……ひゃめへ……」


これで準備は整った。

後は両手で握った棍を地面に向かって思いきり突き刺せばいい。

それで少女はおしまいだった。


「あぁあああーーーーーーッ!!」


理不尽に殺されようとする銀髪の少女が必死に棍を掴みながら悲鳴を上げる。

黒髪の少女はガタガタと歯の根も合わずに震えている。


〈よせ!立ち止まるな!なにも考えるな!早く逃げろ!!〉


「さぁ、脳ミソぶちまけろ!」

男が愉快そうに笑った。


「そんなの……出来るかぁあああーーーーーーッ!!!」


叫ぶと同時に叢から飛び出し、棍を持った男の背中に小銃を撃ち込む。

驚いた男は棍をその場に残し、慌てて飛び退いた。

その隙にホバリングで一気に近付き、その背に少女達を庇うようにして男達の前に立ち塞がる。


「……あ……あ?」


だが命の助かった少女にとっては新たな敵の出現だった。

少女の常識では旧人類も見つかったら最後、殺すか殺されるかの敵でしかなかったのだ。

その旧人類の動甲冑を前にして固まる銀髪の少女に、振り向いたシンがゆっくりと左手を上げた。

思わずびくんっ!と身構える。


「もう大丈夫だ」


怯える少女の頭を優しく撫でながらシンが微笑んだ。

旧人類の人間がワービーストの少女の頭を撫でる。

端から見れば信じられない光景に映った事だろう。

だが敵である筈のシンに優しく頭を撫でられながら、銀髪の少女は気持ち良さそうに両目を綴じた。

なぜだか分からないが妙に安心できたのだ。


「なにが大丈夫だ。気取りやがって」


少女をいたぶっていた男が叫んだ。

数発喰らったようだが戦闘力が低下したようには見えない。

だがシンは怯む事なく、逆に男を睨みつけた。


「お前等、それでも人間か!」


しかし男達はニヤニヤ笑うだけだった。

小僧がなにほざいてやがる……その程度にしか思っていない。

要は同等の相手と思っていないのだ。ひょっとしたら遊び相手が増えてラッキーと思ってるのかもしれない。実際それほど戦力差があった。


〈さて、どうしたもんか……〉


冷静になって考えると、……いや冷静になって考えるまでもなく手詰まりだった。

だが負けられない。後ろの少女達をチラリと見る。


「俺に殺らせろ」


先程の男が一歩前に出た。

先手必勝。

シンは少女達が巻き込まれないようホバリングで自ら飛び出す。

そして直後には横に軌道を変え、円を画くように一定の距離を保ったまま右手に持った小銃を発砲した。

だが相手は難なく避けるどころか、銃弾を避けながら距離を詰めてきた。


〈ーーーッ!?〉


咄嗟に左手を空中に翳す。

するとその手に光の粒子が集まり、新たな小銃が出現した。

それを握り締め、二挺に増えた両手の銃を乱射する。

男の方は一瞬距離を詰めようか躊躇したようだったが、素直にバックステップで距離を取った。

弾幕を避けながら。一発も食らうことなく。


〈銃はダメだ。奴等には分かるんだ。俺の視線と銃口の向きで……。なら……対処出来ない程の接近戦だ〉


両手に持っていた銃が光の粒子となって消える。

その空いた手で腰の長剣を引き抜いた。


「……ほう、思いきりがいいな」

リーダー格の男がシンの行動を見て感心したように呟いた。


〈……だがそれだけだ〉


男が再び距離を詰める。

その頭に向かって真っ向から剣を降り下ろすが、右半身を引く事で難なく避けられてしまった。

そして剣を降り下ろして硬直したシンの顔面目掛け、男が右手の爪を一閃させた。

それを首を捻って避けると、追い討ちがくる前に即座に下がる。

男の方も闘いが直ぐに終わると面白くないからか、特に追撃はしてこなかった。


〈ダメだ。長剣じゃ隙が大き過ぎる。銃を見切るんだ、もっと早く、小回りの利く武器で死角から攻撃しないと……〉


「どうした?今更後悔しても遅いぞ?腸引き摺り出してやるから覚悟しとけよ。ひひ……」

「おいおい、ガキ相手に凄むなよ。ビビって可哀想じゃねぇか」


剣を構えたまま動かないシンを男達が笑いながらからかった。それを聞き流しながら必死に考える。


〈小回りならナイフだが……それじゃ奴等の間合いだ。それにあの目をなんとかしないと……〉


不意に右目の瞼の上辺りがズキンと痛んだ。

恐らくさっきの手刀を避けきれなかったのだろう。血が滴り出してきた。

ASは特殊なエネルギーシールドに覆われていて小銃の弾丸程度なら弾き反す。

そのエネルギーシールドを突き破って攻撃が届くのは驚異的だった。

獣化したワービーストの攻撃はそれだけ速く、鋭く、重い。

だが傷に構ってる暇はない。

目を逸らした瞬間に奴等は間合いに入ってくる。

睨みつけたまま両手に持った長剣を下段に構えた。


「来ないならこっちから行くぞ、おら!!」


再び男が距離を詰める。

それに合わせて思いきり剣を斬り上げるが、男は胸を反らし、剣の軌道をなぞるように右手で長剣の峰を掬い上げた。

シンの手から剣が離れ宙を舞う。


「へっ、これで……」


だが長剣は囮だった。

男が手から離れる長剣をチラリと見た瞬間、シンは左手を前に突き出して男の視界を塞いだ。

そしてなにも持たない右手を隠すように後ろに引く……。

直後、その手に刃渡り70センチ程の短刀が現れた。

それを男の胸目掛けて突き出すとまるで手応えもなく突き刺さった。


「……あ?」


ありえないと言った顔で男が自分の胸から生えた剣を見る。

その顔が引き吊り、ゆっくりと崩れ落ちた。


〈……やった……のか?〉


辺りがしんっと静まり返った。

倒れた男から血が溢れ出し地面を赤く染め上げる。


〈……やった……獣化も人間、剣が刺さればちゃんと死ぬんだ……〉


その当たり前の事実に思わず安堵の息が漏れる。


「貴様ッ!!」


茫然と立ち尽くすシンに別の男が槍を突き出した。


「お兄さんッ!!」

「ーーーッ!?」


少女の悲鳴で我に返ったシンが寸でのところで気付きなんとか回避に成功する。だが、


「後ろッ!!」

「くっ!?」


気付けば回避した先にもう一人の男が回り込んでいた。

振り向き様に右手の短刀を振るうが、男はその右手首を無造作に掴んだ。そして、


ボキンッ

「がぁああああああーーーーーーーーーっ!!」


あまりの痛みに右手からポロリと短刀が抜け落ちる。

更に痛がるシンの背中の装甲に手を掛けた男が、力任せに後ろに放った。

たったそれだけでシンの身体は弾丸のように宙を舞い、10メートルも離れた木の幹に背中から叩き付けられてしまった。

そこにもう一人の男が迫る。

それに気付いたシンが左手に武器を呼び出そうとするが、それよりも速く迫った男が槍の穂先をシンの左腕にスガッ!と突き刺した。


「ぐっ…………」


震える右手で突き刺さった槍を掴もうとするが、男が槍を握る腕に力を込めて穂先をこじる。


「あがぁああああああーーーーーーーーーっ!?」


途端に身体中を激痛が走り抜けた。

堪らず悲鳴を上げたシンがその場に崩れ落ちる。


「弟の仇め、苦しみ抜いて死ね!!」


息も絶え絶えに苦しむシンを見下ろしながら男が憎々しげに呟いた。


「……そ……かよ…………く………る………」


その時、シンがなにか小声で囁いた。


「なんだ?なんと言った?」


男はそれが聞き取れず、シンの胸ぐらを掴んで引き起こし、顔を近付けた。

するとシンが嘲笑するように呟いた。


「……そうかよ……くそ猿って……言ったんだ……」

「貴様ッ!!」


怒りを露にした男が大きく牙をむき出した。


「ぐあっ!!」


ぞぶりと肩口にめり込む牙。

ミチミチと皮膚を、肉を突き破り、大量の血液が瞬く間に溢れ出す。

シンはそのまま意識が遠のきそうになるのを唇を噛んで必死に耐えた。

なぜなら、こうなるように態々相手を挑発したのだから。


〈……今なら〉


震える両手を相手の後ろに回す。

死角になったその背中でシンの左手が光った。


「いかん、離れろ!!」


それに気付いた別の男が叫ぶ。

だがその時には手に現れた手榴弾のピンを抜き終えたシンが、噛み付く男の襟口から手榴弾を放り込んだところだった。

そこで男も始めて気付く。

だがもう手遅れだった。


「……あ?……う、うぉおおおおおおーーーーーーーーーっ!!!」


慌てて背中に手を回し、必死に取り出そうと試みながら踊るように跳ね回る。

そしてもう一人の男に助けを求めるように駆け出したところで、


ボムッ!!


くぐもった音と共に白い煙が辺りに漂った。

男は仰け反ったままピクリとも動かない。

全員が見守る中、一拍の間を置いて男がゆっくりと横倒しに倒れた。


「こぉのぉおおおおおおーーーーーーーーーっ!!」


仲間を次々と殺され逆上した男が、剣を刺突に構え一直線に向かって来た。

恐ろしい形相で迫り来るワービースト。

だがシンの心は至って冷静だった。


〈右手は……動かん。なら右だな……〉


シンが自嘲気味に笑った。

最早、迎え撃つのはおろか、避ける力もない程に満身創痍のシンが、迫り来る刃に向かって一歩踏み出した。

自ら刃を受ける事で相手の狙いを逸らし、致命傷を……、いや即死を避ける為に。

やがて突き出された刃はASのシールドごとシンの右肩を深々と貫いた。

歯を食いしばり、意識が途切れそうになるのを必死に堪えるシン。

そのシンの口元が不意に綻んだ。


「貴様……!?」


男が驚愕の表情を浮かべる。

いつの間に呼び出したのか、抱き付くようにもたれ掛かったシンが自分の背中に小銃を押し付けていたのだ。


「悪いな……」


小声で囁いた瞬間、バララララッ!!と辺りに銃声が響き渡った。


「…………かはっ!?」


一瞬の間を置いて男の口から血が溢れ出す。

やがて立っていられなくなった男が、血を吐きながらシンに倒れ掛かってきた。

だがシンの方も男を支える程の力は残っていない。

縺れるようにして、その場に倒れ込んでしまった。

それと同時にシンの纏っていたASが光の粒子となって消える。

再び訪れた静寂の中、ピクリとも動かなくなったシンに二人の少女が慌てて駆け寄った。

身体中、血で真っ赤になったシンの傷口を必死に抑える銀髪の少女。

その少女に向かってシンが力なく笑った。


「……はは……にゃんこの……ワービースト、だったのか……」


血だらけの左手で、銀髪の少女の頭を撫でる。


「……どうして?」


今にも溢れそうなほど涙を溜めながらその手を両手で掴み銀髪の少女が尋ねた。


「どうして……私達を助けたんです?」

「どうしてって……人が……人を助けるのに……理由なんかいらないだろ?」

「人が……人を?」

「……少なくとも……今の俺は……そう思う……」


シンが力なく笑った。


「それより……早く逃げろ……」

「お兄さんは……?」

「俺は……ちょっと寝る。……さすがに、疲れ……た」


そこで意識が途切れシンは気を失ってしまった。


「お兄さん!!」

「お兄ちゃん!!」

少女達の悲鳴が森の中に響き渡った。







森を見渡せる高台に一人の男が立っていた。

金色に輝く頭髪と口の回りに蓄えた立派な髭。

そして全身を筋肉の鎧で覆ったような男で、腕の太さは女性の太股程もあった。


その男が眼下に見下ろす森は静かなものだった。いや、静か過ぎると言った方がいいのか?

何故ならそこには鳥の囀りすら聞こえないのだ。

それは戦闘が終わったのではなく、今尚、戦闘が続いている事を意味した。

獣化したワービースト同士による、血で血を洗う肉弾戦が。


その男の後ろにいつの間にか現れた若い男が恭しく片膝を着いた。


「……ラルゴか」

「スフィンクス様、住人の避難誘導、ほぼ完了しました。現在、手の空いた獣化隊が新たに戦闘に加わり反撃を開始。程なく猿族を追い落とせるでしょう」

「ふむ。突然、旧人類が現れた時は肝を冷やしたが、上手く事が運べたの」

「はい。どうやら我々が戦闘中だったとは気付いていなかったようです。突然、猿族の攻撃を受けて大騒ぎになってましたので……」

「おかげで我々は大助かりじゃの。猿族の矛先が逸れた隙に大勢の住民を助けられた」

「ですね」


ラルゴと呼ばれた男がふっと笑う。

その時、一陣の風が吹き抜けた。

スフィンクスと呼ばれた男はその風に血の匂いを嗅ぎとった。

後ろを振り向くとラルゴも静かに頷く。


「行くぞ、ラルゴ」

「はっ!」


二人の男は崖と言っても差し支えのない斜面を躊躇なく飛び降り、何事もなかったように森の中へと消えていった。




血の匂いを辿って森の中を進むと、倒れた少年と、その傷口を必死に押さえる少女達の姿があった。

それを見てスフィンクスがスッと目を細める。

どうやらあの服……事もあろうに旧人類の少年のようだった。


スフィンクスとラルゴの二人がゆっくり近付くと、それに気付いた少女達が警戒するように睨み、次いで傷付いた少年を庇うように前に出た。


「スフィンクス様、あの死体……」

ラルゴが小声で囁く。


「ほう、猿族の獣化を三人ものう……」

スフィンクスが驚いたように呟いた。

旧人類の動甲冑ごときで獣化を三人も倒したのなら大金星だ。そう言いたげだった。


辺りを見回せば、猿族の他に黒髪の女性の死体も横たわっている。二人はそれを見ただけでだいたいの事情を察した。


スフィンクスは少女達を安心させる為、視線の高さを合わせるようにしゃがみ込むと優しく微笑んだ。


「もう大丈夫じゃ。娘達よ、儂等と一緒に逃げようかの」


そこで始めて警戒を解いた少女達が顔を見合わせる。


「ラルゴ、あそこの女性をこちらに。弔いが必要じゃろう」


スフィンクスがそう言うと黒髪の少女の肩がピクン!と震えた。

ラルゴが少女の母親を抱えてくる。それを見て銀髪の少女が尋ねた。


「おじさん、お兄さんは?」

「うん?」

「お兄さんも一緒ですか?」


スフィンクスが冷めた視線で少年を見下ろす。


「どうやら君等を助けてくれたようだが、彼は旧人類じゃ。儂等とは違う……」


「違いませんっ!!」


銀髪の少女が即座に否定した。

そしてスフィンクスを真っ直ぐ見詰める。

その意思のこもった瞳にスフィンクスの方が一瞬だが気圧された。


「お兄さん言ってました。私達とおんなじ人間だって。人が人を助けるのに理由なんかいらないって。だから助けて下さい!」

「ほう、……その少年がか?」


興味が湧いたのか、スフィンクスがまじまじと少年の顔を見た。しかし、


「だが連れていけるのはどちらか一人だ。少女よ、お主の母親じゃろう?お主が決めよ」


黒髪の少女が驚いたように顔を上げた。

まさかそんな選択を迫られると思っていなかったのだ。

少女が泣きそうな顔でスフィンクスと呼ばれた男を見上げる。

だがスフィンクスはなにも言わず、ただ少女の瞳をじっと見詰め返した。


自分で決めなければならない。


そう悟った少女はスフィンクスから視線を外すと、ラルゴに抱えられた母親と地面に横たわる少年を交互に見た。

死んでしまった母親と血だらけの少年を。

そしてそのまま泣きそうな顔で俯く。

スフィンクスも、ラルゴも、銀髪の少女も、なにも言わず、ただ少女の決断をじっと待った。

やがて静かに顔を上げた少女が抱き抱えられた母親の元へと歩き出す。

それはそうだろう。

見知らぬ人間より、例え死んでいようとも自分の母親を選ぶのは当たり前の事だ。

だがそれは違った。

冷たくなった母親の手を取った少女がポロポロと涙を流しながら、


「……お母さん……ごめんなさい……」


と言ったのだ。


これにはスフィンクスもラルゴも言葉なく、ただ沈黙するしかなかった。


「……ふむ」


やがてスフィンクスは小さく溜め息をついた。


「……なら助けぬ訳にいかんの」

そう言ってしゃがみ込むと、血だらけの少年をそっと抱き上げる。


「スフィンクス様……」

「一緒に連れて帰る。ラルゴ、子供達を」

「はい……」


ラルゴは少女の母親をそっと地面に降ろした。

そして俯いて泣いている黒髪の少女と、少年のことをじっと見つめ続ける銀髪の少女をそれぞれその両手に抱き抱えた。

正直、敵である少年を連れ帰るのには反対だったが、少女の決断を無下には出来なかった。


〈おもしろい。敵である筈のワービーストの子供が、何故にこの少年を助けたがるのか。ぜひ、この少年と話がしたくなったわい〉


抱えた少年の顔を見る。

最早、血の気が無くなり精気の感じられなくなった顔を。


〈……だがこの分では、生きられるかどうかは五分五分じゃの〉


ならば急がねばなるまい。

スフィンクスはそう判断すると後ろを振り返った。


「少し急ぐぞ、ラルゴ」

そう言ってスフィンクスは返事を待たずに駆け出すのだった。


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