乗り物と自由な男の話
私の好きなものの話をしよう。
私は乗り物に乗るのが好きだ。その範囲は割合広く、最寄り駅と家の間を走るバスも、リムジンバスも、特急列車も鈍行列車も、タクシーも、他の誰かの車も、好きだ。好きになるのに乗り物の速さは関係ないらしく、どうやら、慣れない座席とか景色とか、そういうものに非日常やどこに向かっているか不確定な高揚を感じとって惹かれているらしい。
ところで、私の好きな男性のタイプを言語化するのは非常に難儀なのだが、最近ある程度「自由な人」に集約されることに気づき、さらに「乗り物が好きなこと」と「自由な男の人が好きなこと」の理由が根底では同じではないかという仮説に、ビリリと閃いたのである。
「自由な男」とはワガママなことではなく、私が見ているより遥かに広い世界をのびのびと生きているという意味だ。違う論理を生きているために、話が通じないことはしょっちゅう起こる。それでも自由な男は魅力的で、その生きざまを近くで見ていると、自分まで何か大きくなったような、遠くまで見渡せているような気持ちになる。
と、いうわけだ。乗り物も、自由な男も、私を遠くまで運んでくれて、一人では見えない景色を見せてくれる。から、惹かれてしかたがない、のかもしれない。