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立花朱美シリーズ

おばあちゃんとの約束

作者: senkou

 あの日以来久々に私は浅草に来ていた。

 

 基本は地元でしか行動をしないのだけど、とある約束のために足を運んだ。 


 どぜうを食べるためだった。


 浅草には結構な数の老舗どぜう鍋屋がある。


 創業100年超えなんてあたりまえの世界だ。


 私はとある一店に入っていった。

 

 注文を取るとしばらくして、どぜう鍋が出てきた。


 どぜうの上にたっぷりのネギとごぼうが乗っている。


 昔見たまんままったく変わっていない。


 グロテスクなどぜうはその当時は本当にいやいや食べていたのを思い出した。


 最後はまぁまぁ満足していたのは、いい思い出だった。


 器に乗せて、一口食べる。


 そして私は泣いた。


 ぽろぽろ、涙をこぼして。


 しまいには、号泣してしまい、お店の方に迷惑をかけてしまった。


 そして、私は・・・・・・



 わたしの名前は立花朱美たちばなあけみ


 私はおばあちゃんに育てられた。


 私の幼少時代は大分おかしかったらしい。


 自分では気が付かなかったが、後々親友ができた時に教えてもらった。


 私は両親の愛を知らない。


 だから、愛って何かいまだにわかっていない。


 しっかりと、人を好きになったこともないのである。


 さぁ、そんな私の話をしていこう。


 今の時代そう珍しいことじゃないけど、私の母はうつ病だった。


 父は母が大好きで母は父を大好きだった。


 今思うと、二人だけの愛だったのだが、私にはそれが素敵に思えた。


 母は料理をあまり作らない人だった。


 作れないわけじゃなくて、作らない人。


 母の母、私のおばあちゃんは厳しい人だったらしく、しっかりと仕込まれていた。


 ただ、私が母の料理で覚えているのは、出汁茶漬けとパイナップルとハムのステーキだけだった。


 弟いわく、母のすき焼きはおいしかったと言っていたが、あまりにも甘すぎて私はその当時まったく食べなかった。


 今思えば、食べておいたほうが良かったと後悔している。


 私は本当は死んでいるはずの人間らしい。


 父が言っていた。


 母が私の首を絞め、ベランダから突き落とそうとしているのを止めたことがあると。

 

 愛情なんて受けた覚えがない。


 ぎゅーっと抱きしめてもらった記憶もないし、手をつないでもらった記憶すらない。


 覚えているのは母のたばこのにおいと酒癖の悪さだった。


 母は昼間寝て夜飲み歩くような人だった。


 私は毎日毎日外食だった。


 焼肉、居酒屋などお酒を出すようなお店に私たちも毎日のように行っていた。


 最後のほうは本当にひどかった。


 病院に入院することも多々あった。


 どんどんおかしくなっていく母、そして家、そして私。


 小学校では奇行をしていたこともある。


 衝動的に弟を殴りしかりつけたこともある。


 私はどんどん壊れていったのだった。


 最後は唐突だった。


 中学の修学旅行から戻ってきた次の日。

 

 母は自殺したのだった。


 何度も何度も未遂に終わっていたが、その時は違った。


 結果はわかりきっていたので、あぁ、私を待っていてくれたんだなぁぐらいの感想しかなかった。


 それから1週間のことはふわふわとした感覚の中で過ぎ去っていった。


 そして私はこのころから口癖で大丈夫と使うようになった。


 今でも、仕事先の上司に怒られるが、この時のトラウマでるのならば、仕方のないことだろう。


 私は大丈夫!


 母がいなくても大丈夫!


 一人で生きていっても大丈夫!!!


 この言葉にすがるしかなかったのだった。


 葬式の時にみんな泣いているのを私は一人泣いていなかった。


 母に言ってやったのだ私は大丈夫だと。


 数年後本当に落ち着いた後、お酒をいっぱい飲んだ席で私はやらかしてしまったらしい。


 号泣して、私頑張ったんだから!


 お母さんがいなくても大丈夫だったんだから!


 私がしっかりしないといけなかったんだから!!!!


 と泣きじゃくったらしい。


 高校に上がると私は別人のように友達を作ったり、部活をしたりといろいろ精力的にやり始めた。


 しっかりしなきゃ、頑張らないと、大丈夫私は生きていける。


 そして、その後父は私たちの育児放棄をした。


 私たちはおばちゃんに育てられることになった。


 私はおばちゃんが大好きだった。


 何をするにも私を優先してくれるおばあちゃん。


 遊びにもよく連れて行ってくれたし、よく食べ物も食べに行った。


 花札遊びなどもおばあちゃんから教えてもらった。


 おかげで私花札すごい強いのだった。


 両親がくれなかった愛情をすこしでも埋め合わせるかのようにおばあちゃんは私に甘くしてくれたのだ。


 ずっと一緒にいたおばあちゃんも年齢には勝てなかった。


 だんだん弱くなっていく、体と心。


 おじいちゃんが亡くなってから、だんだんとおばあちゃんは弱くなっていった。


 おじいちゃんは認知症だった、ほとんど何もできなくなってもおばあちゃんはなんかしようとしていた。


 本当に愛していたのだろう。


 そういえば、母の葬儀におじいちゃんも車いすで来たのだが、もうこの時点で私たちのことすら誰もわからなくなっていた頃だった。

 

 おばあちゃんたっての希望で参列していたのだけど、出棺の時おじいちゃんが号泣し始めたのだ。


 何も覚えていないはずのおじいちゃんが泣いていた。


 自分の娘が死んだことが魂でわかっていたのかもしれない。


 もしかすると、奇跡だったのかもしれない。


 でも、素敵な奇跡だったと私は思う。


 そんなおじいちゃんも亡くなった。


 そして、おばあちゃんも壊れていったのだった。


 おばあちゃんはよく入院するようになった。


 最初は数か月に一回。


 次はもう少し短く、どんどん短く。


 そして、最後のほうには自分で食べ物を食べることすらしなくなった。


 でも私はおばあちゃんに食べてほしかった。


 食べれば元気になると思ってた。


 だから私はおばあちゃんと約束した。


 今度退院したら、おばあちゃんの大好きなどぜう鍋浅草まで食べに行こうよ、と


 おばあちゃんはうれしそうに笑って、たのしみね、と約束をしたのだった


 でも、その約束は守れなかった。


 それからしばらく、いろいろなことがあった。


 本当にいろいろあった。


 そして、おばあちゃんの命日に約束を果たすためにここまで来たのだった。


 きっかけは母の料理で唯一作り方を覚えていた、出汁茶漬けを作ったときだった。


 おばあちゃんの顔が思い浮かんで、いろいろな楽しいことうれしいこと、悲しかったことを思い出した。


 そして病院での約束を思い出したのだった。




 ・・・・泣いてすっきりした私はどぜう鍋をぽろぽろ食べる。


 泣きすぎて視界がぼやけていた。


 気が付くとおばあちゃんが目の前の席に座っていた。


 なぜか母も一緒だった。


 おばあちゃんと母はおいしそうに仲良くどぜう鍋を食べていたのだった。




 気が付いた時には二人ともいなくなっていた。


 私は軽くなった心で店を後にしたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お母さんのこと、おばあちゃんことより、「私」のこころの在り様にどんどん惹きつけられていきました。力ありますね。感動。
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