東日本大震災と「小説家になろう」
今朝、普段ならまだ寝ている時間に目が覚めた。昨日に虫歯の治療をしたはずの歯が痛みだしたのだ。とりあえず痛み止めを飲み、効くまでの暇つぶしにと「小説家になろう」へアクセスした。
東日本大震災、というキーワードがいくつも並んでいた。そうだ、今日は3月11日だ。Twitterの検索を押すと「#東日本大震災」が一万八千件、三位にあった。さらに上位にあった「#検索は応援になる」も東日本大震災の寄付につながるものだ。経験を語る人、思いを吐露する人、クリックだけでいける寄付を紹介する人、詩を書く人など様々だ。
私も大震災時の小説と、震災と直接に関係はないが津波の避難所について過去に書いた小説があったので「小説家になろう」に予約投稿した。いずれも実体験に基づいた話だ。
こういった震災などを「小説のネタ」にすることに対し、非難する人もいる。創作のネタとは不謹慎だ、という切り口だ。あまり直近に行うことははばかられるし、茶化すようなものはきちんと自分の考えや覚悟を据える必要はあるとは思う。
だが、基本的には創作は歓迎し、増えていくべきだと思う。実体験やドキュメンタリーは非常に重く、ジャンルとして最初から避ける層は多い。実際、ドキュメンタリー系が書店やDVD販売でどれほどの棚を占領しているだろうか。良し悪しではなく、それが現実だ。
そして体験を語ることは最大でも七十年が限界だと思う。それはこの太平洋戦争を見れば明らかだ。努力や真面目さでは超えられない、人間には寿命というものがある。
小説など、あえて言えば娯楽作品は幅広く読まれやすく、作者次第で様々な切り口も生まれやすい。現実の中の最も象徴的な事柄を抽出してわかりやすくすることが可能だ。政治や社会問題について、現実と最も向き合っているはずの私小説が、SFやファンタジーよりもはるかに無力だと思っている。実際、ジョージ・オーウェルの「1984」にしろヘンリック・イプセンの「人形の家」にしろ創作だし、実存主義において現実と向き合うことを強調したサルトルの著作も実話に取材してはいるが、結局は創作の小説だ。
今日の「小説家になろう」において、東日本大震災、地震、災害、津波といったものを主題や題材とする作品はどれほど増えるのだろうか。それは一つの、忘れないという活動だと思える。
もちろん、違う態度もある。電撃文庫から出版されている「働く魔王さま!」は現実のリアル感が他の作品と一線を画した人気シリーズだが、作者は震災後に出版された巻の後書きの中で、東日本大震災が起きていない日本、というかたちで書いていくと宣言した。逃げたのでもご都合主義でもないことはその後書きで説明されており、これも一つの勇気ある大切なメッセージだと感じた。
ところで、私は奥尻町も訪れたことがあり個人的に防災技術の関係にも興味があるため、そういった関係の書籍を読むこともある。
昨年に国土交通省東北地方整備局がAmazonなどで公開した「東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得」は、国土交通省の公務員が使用するマニュアル本なのだが、電子書籍版は無料で公開されており、当時の国交省の現地出先機関で働いていた人たちの実体験が詳細に書かれている。一般向けもある程度意識された本らしく、多少難解な箇所はあるものの、国交省はもちろん土木、建設業界に関係のない人でも読める内容になっている。
また、小説や一般向けドキュメンタリーに多い情緒的なものではなく、冷静な現実を技術側、行政側から書かれたものなので、役所はこうやって動くのか、ということがわかる珍しい書籍だと思う。これを無料で公開していることは非常に価値のある行動だと思う。
福島第一原発を巡り、東北の震災記録については太宰府天満宮で有名な菅原道真公が、朝廷の公記録に詳細に残していたという報道があった。それが直接に生かされたかどうかはわからないが、そうやって忘れないようにしておく努力の重要さを伝えてくれたことは、さすがは道真公だと思う。
私たち一般人は、まず情緒を忘れないこと。客観的な知識を深めること。この一人一人の努力こそが全体への防災力を高め、またそれも一つの祈りのかたちであると私は思いたい。
最初、イプセンをゴッデンと誤って記載しました。謹んで訂正します。