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『 下の階に降りますか?  はい  いいえ 』

「はぁ……遅くなってしまった」

 思わず独り言が漏れてしまう。

 もともと人の少ない営業部のオフィスはがらんとしていた。今日もあたし一人が居残りだ。

 西岡部長が出張中で楽できると思ってたら、逆にあの人がしていた雑務が山ほど、新入社員のあたしのところに回ってきたのだ。

 あの人はこれだけの仕事を毎日こなしていたのかと感心する……はずもなく、仕事を残して出張に逃げやがったなこん畜生っ、と呪いながら、何とか仕事をこなして、ようやく終わらせることができた。

 お土産の異世界饅頭を食べ、足柄さん秘蔵の茶葉で紅茶を飲んで、一服する。まぁこんなことしているから、仕事も帰りも遅くなるんだけどね。

 細かいことは脇に置いて、あたしは誰もいないオフィスを後にした。

 この間教わった施錠の仕方が早速役に立ちそうだ。……あまりうれしくないけど。

「さてと、カードキーを……って、あれ?」

 植木鉢をどかす前に、ちらりとボードに目をやったら、普段はオールグリーンなはずのランプが一カ所だけ、赤く光っていた。

 赤く光るランプの横に「商品開発部」と記されている。つまり、この異常は商品開発部があるフロアで起こっているということだろう。

「よし。帰ろう!」

 あたしはくるりと回れ右をして、施錠せずに扉を後にした。

 商品開発部は、あたしを何度も強制出張送りにさせた、因縁の部署である。できることなら関わりたくない。

 ランプが光っているっていうことは、きっとまだ開発の人が残っているんだよね。だったら施錠しなくても大丈夫。うん。今、あたしがそう決めたっ。

 というわけですたすたと歩いて、エレベーター前にたどり着く。そしてエレベーターを呼ぼうとボタンに手を伸ばして、止まってしまった。


 「↑」「↓」ボタンのところに張り紙が張ってあった。


『 下の階に降りますか?  はい  いいえ 』

 

 あたしは迷わず、はい、と記された「↓」ボタンを押した。

 しばらくして、エレベーターの扉が開く。中には一人の女性が乗っていた。

「おお。大変です。オフィスの一部に異常が見られます。見てきてもらえませんでしょうか」

「って、何やってるんですかっ」

 フォーマルなスーツを着ているけど、その人はいつもの(といってしまう自分が悲しい)白い空間に現れる女神さまだった。

「おお。それは残念です」

 いつものようにあたしのツッコミは無視されて、エレベーターの扉が閉められた。


『 下の階に降りますか?  はい  いいえ 』


 あたしは再び、はい、と記された「↓」ボタンを押した。

 エレベーターの扉が開く。中には一人の女性が乗っていた。

「おお。大変です。オフィスの一部に異常が見られます。見てきてもらえませんでしょうか」

「いいえ」

 エレベーターの扉が閉まる。


 って、まさかこれの繰り返し?

 しかも、開いた途端に身体を刷り込ませようとしたのに、絶妙にガードしやがった。

 ちっ。さすがに社長(?)を強引に押しのけるわけにはいかないし。

 下に降りるにはこのエレベーターしかないし……

 あぁぁ、もぉ。見てくればいいんでしょ。

 あたしは開き直って、オフィスの入り口に戻った。

 相変わらず、商品開発部の場所だけが赤く光っている。

 あたしは廊下の電気を付け直して、商品開発部の前までたどり着いた。

「……失礼しまーす」

 おそるおそる扉を開ける。

 普通に机が並んでいるのは、うち(営業部)と同じだ。消灯していて真っ暗で人の気配はない。

 けれどその奥に明かりの漏れた扉があり、「使用中」の札が掛かっていた。

「くはははぁぁ。ついに出来たぁっ。これで、世界はわたしの元に――っっ」

 扉の向こう側から、そんな声が聞こえてくる。

 うう。逃げたい。でもエレベーターには、絶対女神さまが待っているだろうし。 

 あたしは軽く深呼吸して、恐る恐る扉を開けた。

「あの……失礼します」

「ん?」

 小さな部屋の中には、背の小さな女性が一人いるだけだった。

 身長155センチのあたしより小っちゃいから、下手したら150センチいっていないかも。子供っぽいストレートなおかっぱ頭が、また似合っている。

 きょとんとした様子で、その女性が振り返る。

「もしかして、営業部に入ったっていう、新入社員の立花ゆかりさん?」

 あたしが何かを言う前に先に言われてしまった。声も可愛らしくてそれでいて男に媚びた感じもない自然な感じで、印象は悪くなかった。

「はい」

 あたしがうなずくと、彼女は感激した様子で手にしていた試験管を放り投げ、駆け寄ってきてあたしの手を取った。 

「わぁぁ。噂は聞いてますよ。ずっと会いたかったんです! あ、はじめまして。わたしは、桃山ユキ。ドジっ子ですっ!」

「自分で言ってるしっ」

 ていうか、床に放り投げられて割れた試験管から変な液体が漏れて表記できないような色の煙が沸いているんですけど? 自己申告通り、本当にドジっ子だよ!

「は、はじめまして。その、噂って……?」

 煙の方はなるべく見ないようにして、尋ねる。

 営業部に可愛い女の子が入社した、なんて話なら嬉しいけど……

「ウチの部長さんから聞いてますよ。入社してまだ一ヶ月も経っていないのに、何度も出張を経験している、エキスパートさんだって」

「まったく嬉しくねぇっ」

「わたし、異世界にずっと憧れていたんです。それで異世界に行き来できるような商品を開発しようと、こうやって頑張っていたんです」

「憧れ……って」

「はい! あの青いぷにぷにな生物と戯れるのが夢なんです!」

「いやいやいや。あれはシャレにならないからっ」

 飲み込まれたトラウマが、今よみがえる。

 ――ぐにゃむぴゃぁにゃじゃでじゅるみゅむぅゅは、いやぁぁぁぁ。

「そしてついに異世界への扉を開く薬を開発したのです! ……って、あれ? 薬は……」

 ユキさんがきょとんと声を上げる。

 あたしはトラウマを何とか脇に投げ捨て、真実を告げた。

「さっき、あっちに投げ捨ててましたよ」

「ああぁぁ。やぁぁ。やっと完成したのにぃぃ」

 さすがドジっ子。

 何て思いながら、試験管の破片の方に目をやる。

 あれ。なんか煙が出過ぎてない?

 ていうか、あっという間に部屋いっぱいに充満しているし。

「どうしましょうっ。これ、猛毒なんですぅぅ」

「そんな危ないもん、作るなぁぁっ」

 とツッコミを入れるため大きく息を吸い込んで、ついでにその煙も吸い込んでしまって、あっという間に意識が途絶えた。


 ………………

 …………

 ……


 そしてあたしは、女神さま行程をすっとばして、岩がごろごろと転がった荒野に来ていた。

 あの白い世界に行かなかったのは、女神さまはまだエレベーター内で待機しているからだろう。

 代わりに、商品開発部のユキさんが一緒にいた。彼女は戸惑った様子できょろきょろと辺りを見回している。

「こ、ここは……」

「異世界ですよ。たぶん」

「え、本当に?」

「……えぇ。慣れてますので」

 言っていて、ちょっと悲しくなる。

 雰囲気は、富士山の頂上みたいな感じの岩場がひたすら続いているような感じ。

 どうでもいいけど。あたし営業なんですが、こんなところで誰になにを営業すればいいんですかね? まぁ、今は勤務時間外ですけど……

 ……え。ってことは、今回は出張手当なしっ?

 がびーんとしているあたしとは対照的に、ユキさんは大喜びだ。

「わあぁ。出張初体験ですっ」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、そこら中に転がっている岩を興味深げに見ている。あたしからすれば、なんの変哲もない石っころだけど、技術系の人から見ると、物珍しいものなのかな。

 なんてこと思いながら、ユキさんの様子を見ていると、その彼女の先の岩陰から、青色でぷにぷにした生物が現れた。

「ぎゃぁぁぁ」「きゃぁぁぁ」

 甲高い歓声を上げたのがユキさんで、濁音付きがあたしの方。

 ぬるぬるはやだ……べとべともやだ……にゅるにゅるキライ――

「わぁぁ。ぬるぬるべとべとにゅるにゅるですぅー」

 ユキさん、さっそく補食されてるしっ!

 ど、どうしよう。攻撃力が「+9」まで強化したバインダーは会社に置きっぱなしだし。

 このままだとユキさんだけが逝ってしまって、異世界にあたし一人になってしまう。しかも時間外手当もなし(ここ重要!)

 そのときだった。

 突然白い鎧に身を包んだ騎士が現れて、青いぷにぷにな生物を一刀両断した。

「って、西岡さんっ。何やってるんですか」

「ん、立花くんか。何と言われても、見ての通り出張だが」

「その鎧や剣はなんですか」

「奇妙なことをいう。営業に出るのに、君は手ぶらで行くのか? 営業では必須だろう」

「そーですか」

 できれば今度はあたしも着たいですねぇ。ぷにな生物を跳ね返せて、ファンタジーっぽいきれいで可愛らしい服。あ、でも露出の多い衣装はNGよ。

「で、こんなところで何を営業しているんですか?」

「取引先から、青ぷにの体液を集めて納品するように言われたのだが、問屋を通して仕入れると、どうもコストがかかるのでな。そこで直接仕入れることにしたのだ」

「直接仕入れって、なんかそれっぽい言葉を言っていますが、それは『営業』じゃなくて、『狩り』ですからっ!」

 違和感なく、どこぞのゲームみたいなことを平然としてしまう西岡さんはある意味、さすがだよ。

「しかし、レアな青いぷに中々出会えなくて苦戦していたのだ」

「え、レアモンなんですか?」

 どーみても、一番最初に出会うただの雑魚だと思ってたのに。

「立花くんが上手く囮になってくれたようだな。偶然の産物とは言え、あと珍しいな」

 おお。誉められた。――って、魔物に好かれても嬉しくないけど。

「もしかするとあたしじゃなくって、ユキさんに惹かれたのかも……って、あれ? ユキさんは?」

 西岡さんが剣を振るった場所には、青ぷにの体液が散らばっているけれど、ユキさんの姿はない。

 もともとユキさんの身体を丸ごと飲み込んでいた青ぷにを一刀両断したということは……え、もしかして……?

「うむ。私は常々桃太郎という話で包丁で切るところに疑問を抱いていたが、やはりフィクションだと判明したか」

「もともとフィクションですからっ!」

 マジで切ったんかいっ!

「血痕や肉片が残ってないから、無事元の世界に戻れたのだろう」

「……まぁたぶんそうだと思いますけど」

 生々しいって。

 それにしても、あこがれの異世界に来て一分足らずで元の世界に強制送還って。もはやドジっ子というより、不幸っ子?

「さて、無事商材を用意できたことだし、戻るとするか」

「あ、あの。あたしは……」

「ん、立花君は勤務時間外にたまたま遊びに来ていただけだろう。好きにすれば良い」

「そ、そんなぁぁ……。あたしだって来たくて来た訳じゃないですし、どうやって帰るのかも分からないんですよっ」

 逃がすものかと、西岡さんに詰め寄る。

 あたしの様子に、西岡さんはため息をついて言った。

「仕方あるまい。満足に行き来できない君に、ピッタリの物を渡そう」

 そう言って鞄の中を漁る。

「え、何かあるんですか?」

「うむ。ところで立花君は、エ○パー魔美という漫画を知っているかな」

「ええ……まぁ、古い漫画ですけど、大体は」

「彼女がテレポーテーションするとき、中にビーズの入ったブローチを使うだろう。あれは飛び出るビーズを反射的に避ける力を用いて瞬間移動しているらしい」

「へぇー。そうなんですか」

 あくまで作品を知っている、というだけで、ちゃんと見たことはないので、西岡さんの話は初耳だった。

「そして、その原理を利用して商品開発部が作成した商品が、これだ」

 と西岡さんが取り出したのは、可愛らしいブローチ……ではなく、

「って、これって拳銃じゃないですかっ!」

「見た目の問題だ。機能に問題はない」

「いやいや。そもそもあたし、超能力使えないですし」

「うむ。だがこれを使えばほぼ確実に異世界を行き来できるようだ。不思議なことに」

「これって絶対、別の意味で行き来しているんでしょ!」

 華麗なテレポーテーションじゃなくて、頭がつぶれたトマト状態になったら、エスパー少女もびっくりだよ!

「……そうか。なら仕方あるまい。商品開発部の彼女と同じように、我が剣をもってして、君を送り返すとするか」

「何か格好良いこと言ってますけど、要は、あたしを切り捨てるだけじゃないですか?」

「ほう。君にしては珍しく鋭いな。合法的に人を斬れる機会などなかなかないからな」

「そこは嘘でも言いから否定してくださいってっ!」

「心配はいらない。戻るか戻らないかくらいのぎりぎりを狙う」

「戻すのが目的じゃなかったんですかっ」

 駄目だ。

 何だかんだで西岡さんの言葉責めだと思いたいけれど、この人なら、実際にやりかねない。

「分かりました。やればいいんでしょ」

 あたしはヤケクソ気味に拳銃をこめかみに押し当てて、引き金を引いた。

 

  ☆ ☆ ☆


「……こうして、立花ゆかりの死と引き替えに、姫は無事助け出されたのだった。人々は勇者、立花ゆかりの死を悼んだ。そして奇跡が起こるのであった――」

「だぁぁぁっ!」

 白い空間であたしは叫んだ。

 どうやら無事(?)、異世界から脱出できたようだけど、勇者って何だ。姫って、なんだよっ。

「まぁまぁ、お約束ですし」

 女神さまが笑う。

 ううっ。今度こそ絶対にやめてやるっ。

「さて、これから運命――と書いてさだめと読む――によって、立花ゆかりさんは現世に蘇るのですが、特別な処置によりご自宅で復活させてさしあげましょう」

「……それで?」

 冷たい視線で女神さまを見る。

「気づきませんか? ゆかりさんがあのまま会社を出て、駅まで歩いて、駅で電車を待って、満員電車に揺られ、最寄り駅で降りてから、またご自宅まで歩く工程を考えてみてください。おそらくまだ家に着いていないのではないでしょうか」

「まぁ……そうかもしれませんが」

「ところが今、私がゆかりさんを蘇らせることによって、一瞬家に帰れるのです。これぞ、名付けて、『デスルーラ』です!」

「おおっ。スゴいけど名前は不吉な感じっ!」

「しかも、本家では所持金が半分になりますが、こちらは交通機関を使わなくていいので、逆に金銭的にも優しいのです!」

「おおっ。スゴい、けど定期券があるからあんまり嬉しくない感じっ!」

「さらに、今だけ特別。異世界で集めた青いぷにな液体をプレゼント。軽く塗るだけで、お肌がぴちぴちに!」

「おおっ。不気味だけど、そろそろお肌の曲がり角だから嬉しい感じっ!」

「というわけで、転生しますねー」

「はいっ。ばっちこい、です!」


 ………………

 …………

 ……


 騙された――


 と気づいたのは、謎のテンションに巻き込まれて、辞表を提出するまもなく、自室へと強制送還されてしまってからだった。


 なお、時計を見るとやっぱり帰宅時間が早かったのと、恐る恐る使ってみた特別特典でもらった青ぷにぷにの液体が、女神さまの言ったとおり、肌に合ってぴちぴちになったので、もう少しだけがんばってみようかと思いました。


最近は忙しさと花粉のせいで、執筆速度が上がりませんが、のんびり更新していきたいと思います。

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