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残業ロマンス……欠片も無し

「それじゃ、お疲れさまでーす」

「……お疲れさまです」

「お先に失礼しますー」

「……お疲れです」

 机に座って返事するあたしの口調に、だんだん刺が含まれてくる。

 もうとっくに終業時間は過ぎている。

 なのでみんな帰るのはかまわないけど、お願いだからもう何もいわないで欲しい。お疲れさまです、と挨拶するだけで、まだ仕事が終わりそうにない自分に恨みが膨らんでいくよ。

 というわけで、あたし、立花ゆかりは残業をしていた。

 これもそれも、西岡さんに、出張報告書を提出するまで帰さないと言われたからだ。

 いっこうに進まない報告書を前に、気づいたら、会社に残っているのは、あたしと、西岡部長の二人きりになっていた。

 ――って、西岡さんと二人きり?

 その事実に気づいて、あたしはちょっと意識してしまった。

 性格には難があるけれど、何だかんだで、西岡さんはイケメンだ。詳しいことは分からないけど、まだ独身で彼女っぽい人がいるという噂も聞いてない。

 一方そしてあたしは、自分で言うのも何だけど、それなりに容姿の整ったうら若き乙女。……まぁ、子供っぽいって言われたらそれまでだけど。


『ゆかりくん。疲れているようだな。一服でもするか?』

 普段厳しい西岡さんがなぜか急に優しくなって、お茶を出してくれる。

『……うむ。ずいぶん、肩が凝っているようだな』

 そう言いながら、西岡さんがあたしの肩に手を回してくる。

 その大きな手が段々と前に下がってきて……

『あ、あの……手、当たってますけど……』

『……どこに?』

『その、胸に……』

『何か、問題でも?』

 そして、そして――――


 がたんっ!

 机を本でたたく音がオフィスに響いた。

「手が止まっているようだが? 君は、ただ机に座っているだけで、残業代を受給しようとしているのかな? 無知な君は知らないだろうが、誰かさんのせいで帰れなくても、管理職に残業代は支給されないのだよ。それがどういう意味か分からないほど、君の頭はスポンジではあるまい」

 ――優しくお茶を出してくれる気、ゼロだしっ!

「え、そ、その……。あたしに構わず帰ってくれても……」

「帰るのは一向に構わんが、立花君は会社の施錠方法を知っているかね?」

「い、いえ……」

「あいにく他の人間は帰ってしまった。君が施錠できない以上、それをするのは残っている私しかいない。よって、立花君が仕事を終わらせて帰らない限り、私も帰れない、っていうことだ」

 ひ、ひぇぇぇ。

「あ……あの。あたしに施錠方法を教えてくだされば、自分でやりますので……」

「ほほぉ。ただ鍵をかければいいというわけではないぞ。OA機器、空調の確認、セキュリティーシステムの解除の手順……それらすべてを、出張報告書すら満足に書ききれない程度の君に、この私が、わざわざ教えろ、と?」

 うううっ。

 仕方ない。と、とにかく、形だけでも仕上げないと!

 貞操どころか、命の危機を感じたあたしは、適当に文字を打ち込んでいった。



 4月某日。

 バインダーを持ってオフィスを歩いていたら、急に廊下に穴が開いて気づいたら女神さまのところにきていました。

 いつもの調子でそこから異世界っぽいところに飛ばされ、樹海みたいな場所で、ゲームで見慣れた青色でぷにぷにな生物が現れました。

 とりあえず持っていたバインダーで叩いてみたら、奴らはいきなり分裂して、あたしは飲み込まれてしまいました。

 幸い、なぜか服だけ溶かされて……というえっちぃ展開は免れて、そのまま女神さまのところに直行だったですけど、あいつらが視界いっぱいに広がっていく光景は、トラウマ物でした。



 という殴り書き文書をプリントアウトして、部長である西岡さんに提出してやった。

「うむ。これで良い」

「こんなんでいいんかいっ?」

「それ以上に書きようがないだろう」

「まぁ、そりゃそーですけど」

 あたしの今までの努力はいったい……

「この報告書を元に、バインダーの攻撃力を上げるよう、事務用品の仕入れる庶務課に進言しておこう」

「改善点、違うしっ!」

 そもそも問題は、急に穴が開く会社なんだよ!

 もちろん、あたしのツッコミは無視されるけど。

「さてこれでようやく帰れそうだが……よい機会だ。立花君にもセキュリティの解除施錠の仕方を教えておこうか」

「はい。分かりました」

 ――いや。そんなのいいから。早く帰してください。

 という言葉が口から出掛かったけど、機嫌を損ねるのは怖いし、とりあえず覚えておいて損はないかと思い、あたしは西岡さんに同行することとなった。



 白露商事のオフィスは、このビルの4階全体に渡っている。

 エレベーター前に、唯一の入り口があって、そこから各部署に行けるようになっている。

 その扉の横にいろいろなボタンがあるボードが張り付いている。そこにカードキーを差し込むような場所があり、これが鍵だという。

「ここに暗証番号を入力して、カードキーを通せば、施錠される」

「暗証番号は?」

「0000だ」

「わーい。お馬鹿なあたしでも簡単に覚えられる優しい番号」

 っていいのか、この会社?

「では、立花君には鍵をとってきてもらおう」

「はい」

「では、まずは総務部のフロアまで行ってもらう。その入り口から、北へ2歩。東へ5歩進んだところで、右を向くと、小さな戸棚がある。その上から2段目の引き出しを開ける。二重底の仕組みになっている部分を開けると、星形の紋章が入っている。その紋章を持って……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。もう一度……」

「立花君、君は人の話を聞くときはメモを取ると、学校で教わらなかったのかね」

「すいません。今度はちゃんと書きますから」

 ハンドバックからペンと手帳を取り出してスタンバる。

「よし。それではもう一度言うぞ。まずは総務部のフロアまで行ってもらう。その入り口から、北へ2歩。東へ5歩進んだところで、右を向くと、小さな戸棚がある。その上から2段目の引き出しを開ける。二重底の仕組みになっている部分を開けると、星形の紋章が入っている。その紋章を持って給湯室に向かう。コーヒーの粉がストックされている奥に星形の穴が開いているはずだ。そこに紋章を差し込むと、人事部の奥の隠された扉が姿を見せる。だがその扉を開けるためには秘密の暗証が必要になる。その言葉は『いにたのけ しうすいよ あたにおわ』……」

「って、そんなんめんどくさいことやってられるかっ!」

 このお使いの繰り返し設定は――ぜったいあの人の趣味だ。

 思わず怒鳴ってしまったあたしだったけど、意外なことに西岡さんも同意してくれた。

「うむ。そこでセキュリティー室の宝箱にしまわれているカードキーをコピー品とすり替えて、本物はここに隠してある」

 西岡さんはそう言うと、白露商事入り口の横に置かれている鉢植えを手に取り、持ち上げた。その下から、神々しいカードキーが姿を見せる。

 おおっ。さすが西岡さん。デキル男は違うっ!

 …………

 ……

 っか、これ、セキュリティー性、欠片もなくね?

 と気づいたのは、エレベーターで1階まで降りたときだったけど、面倒くさいので黙っておいた。



 オフィスビルを出て、西岡さんと並んで暗くなったオフィス街を歩くことしばし。遅くはなったけれど、終電にはまだまだ十分間に合う時間までに駅に着くことが出来た。

「それでは。また明日」

「はい。お疲れさまです。って、あれ? 西岡さんは電車に乗らないんですか?」

 改札を通ったあたしは、改札を通らず来た道を戻ろうとする西岡さんに声をかけた。

「うむ。今日は車で来ていたことを思い出してな。そちらで帰ることにする」

 そう言い残して、西岡さんは駅を出て行った。

 そういえば西岡さんって、いつも車で来て、地下の駐車場に停めているんだっけ。それなのに、車で来たことを忘れるってあるのかな。

 もしかして、駅まであたしを送ってくれた、とか?

 ……まさか、ね。

 西岡さんでもたまには忘れることもあるだろう。

「うーん」

 駅のホームで電車を待ちながら大きく伸びをする。

 帰るのが遅くなってしまったけど、おかげで施錠の方法を覚えられた。これからはあたし一人でも施錠できるから、人の目を気にせず、自由に会社に残れることができるから、気が楽かも。

 と、そこまで思ったところで、あたしは気づくのであった。




 ナチュラルに社畜思想をしてしまっていたということに――


ゆかりさんじゃありませんが、最近残業時間が多すぎて、休みの日もその反動でぼーっとしているだけで、なかなか執筆ペースがあがりません。ネタはいくらでも頭の中に浮かぶんですけどねぇ。

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