最強のバーゲンセールだよ
荒野の一角に、切り立った山があって、そこに二階建ての家がすっぽり収まりそうなほどの大きな穴が開いている。
ここがドラゴンの住処みたいだけど。
警戒していると、また場違いな電子音が響いた。
「あら、電話ですね」
足利さんがごく当たり前のように電話に出る。あたしの携帯は圏外のまんまですけどね。
「……はい。分かりました」
「どうしたんですか?」
「残念ですが、定時会議のお茶くみに戻らなくてはなりません」
「なんでやねんっ」
思わず関西弁になる。
ていうか、その会議って、西岡さんが呼ばれたやつ? だとしたら何でお茶くみ役の足利さんを呼んだのよっ。嫌がらせか?
「仕方ありません。最近はどこも人手不足なのです。まったく、ブラック企業でもないのに、どうして人が増えないのでしょう」
「いやいや。あたし入社二日目にして、すでに三回死んでいるんですけどっ!」
ブラックどころか、ダークだよ。暗黒物質だよっ!
「……分かりました。貴重な新入社員を置いて戻るのも気が引けますので、彼女にお願いしますか。すでに退社した身ですが、主婦は暇だと愚痴っていたので、まぁ良いでしょう」
「主婦?」
格好いい営業部長から、OLに主婦って、どんどんランクが下がっているような気がするんですけど。
足利さんがニヤリと笑った。
「心配いりません。彼女の名は、青柳緑子。人呼んで『最強の主婦』です」
「また出たよ! 最強っ。もう最強のバーゲンセールだよ!」
「それでは。私は失礼します」
足利さんはそう言うと、馬車に乗って荒野を去っていった。
こうして残されたのは、足利さんの例のお茶が入っている水筒を持ったあたし一人だけ。
えーと。マジでどうすればいいんだろう。
呆然と立ち尽くしていると、ちりりんという場違いな音が聞こえていた。
「あらあら。ここはどこかしら」
同じく場違いな声とともに、ママチャリに乗った女性が姿を見せた。
「……もしかして、青柳さんですか?」
「あら。じゃあ貴女が、足利ちゃんが言っていた、新人の子?」
ということは、この人が最強の主婦? おっとりしていて、とてもそうは見えないけど。
「まだ若いのに働いているなんて、大変でしょう~」
「ええ。大変を通り越して、三回ほど死んじゃってますけど」
「それは大変ねぇ。ところで、ご用事はなぁに?」
あっさりスルーされた。ま、いいけど。
「実は西岡さ……西岡部長がドラゴン退治の仕事を引き受けちゃいまして……」
「どらごん? なにそれ、美味しいの?」
青柳さんがこくりと首を傾げた。
「……美味しいかどうかは分かりませんが、まぁ平たく言うと、大きなワニと蛇がくっついたような生き物です」
「まぁ。蛇とワニなら食べられるわね~」
「って、マジで食うんですかっ!」
「えぇ。だって、主婦として、食費は抑えないとねぇ」
青柳さんがおっとりと言ったとき、その声を遮るように大きな音が響きわたった。
「うぁわぁっ、で、出た……っ!」
目の前の洞穴から、巨大な生物が姿を現した。適当にゲームやファンタジーの世界でのドラゴンを想像していたけれど、姿を見せたドラゴンは、そんなあたしの想像と、さほど変わらなかった。
思わず腰が抜けそうになるあたし。
一方で青柳さんは――
「あらあら~、たーぷりお肉が貰えそうねぇ」
彼女の手には、いつの間にか一本の出刃包丁が握られていた。
「あれれ~、意外と鱗って柔らかいのねぇ。これなら食べられるかしら~」
「ほらほらほら~。もーっと炎を吐いてくれないと、あなたのお肉が焼けないじゃない~」
「もぉ~、早く血抜きしないと、お肉が臭くなっちゃうのにぃ。あと10か所くらい切り刻まないと駄目ねぇ~」
「…………」
足利さんが言っていた「最強」の理由が分かった。
主婦つえー。ほんと、いやマジで。
まさかあの巨大なドラゴンが、小さな包丁一本で三枚に下ろされるとは思ってなかったよ。
てか、普通こういうスキルって、主婦じゃなくて料理人に付くもんじゃないの?
「あら、大変」
あたしがすっかり解体されて「食材」になったドラゴンをぼーっと見ていると、青柳さんが腕時計に目をやって驚いた声を出した。
「どうしたんですか?」
「タイムセールの時間だわ。卵が1パック、100円なのよ!」
青柳さんの口調から、ゆるゆる感が消えて、その瞳はまさに戦う主婦のものだった。ドラゴンを前にしてもこんな目をしなかったのに――タイムセール、恐るべしっ!
って、ドラゴンより凶暴なタイムセールって、どんだけだよっ?
「それじゃ、私はこれで失礼するわ。お仕事、頑張ってね~」
そう言い残して、青柳さんはママチャリに乗って、荒野の向こうへと消えてしまった。今頃はあっちの世界の新たな戦場で戦っているのだろう。
「はぁ……ドラゴン倒せたけど。何か無駄に疲れた……」
身体の奥からため息を吐き出しながら、気分転換にと、あたしは手に持っている水筒のお茶を飲む。
「うーん。いい香り」
そして不意に思い出す。
あ、忘れてた。これって足利さんの……
☆ ☆ ☆
「おお。立花ゆかりよ。死んでしまうとは情けない」
「マジで殺人茶だよっ! おい」
これなら冗談抜きで、本当にドラゴンを殺せたんじゃないか。
お茶くみつえー。マジ、こえぇぇよ!
「しかし貴女はまだ死ぬときではありません」
「はいはい。転生してくれるんでしょ。異世界で死んだから、今度は元の世界に戻れるのかな」
適当に口にして、ふと気づく。
「――って、今戻ったら、せっかくドラゴン退治したのに、報酬貰い損ないじゃない!」
「ふふ。すっかり出張にも慣れてきましたね」
思わず叫んでしまったら、女神さまにくすくすと笑われてしまった。って慣れてきているって、マジでっ?
やばい。こんな生活が普通になってしまったら、命がいくつあっても足りないって。すでに命を四つも使っているのに。
そう言えば、前に女神さまに飛ばされたとき意味深な言葉を言っていたような……
「あの、これからもこういうことがあるんですか?」
「ええ。そういう会社ですから」
どういう会社だよっ!
「それじゃ、転生しますねー」
………………
…………
……
「……ただいまです」
「おお。帰ったか」
気が付くと白露商事の前に立っていたので、一筆をしたためた後、そのままオフィスに戻る。
西岡さんのディスクの上に、銀皿の上にハムが並んでいた。
「青柳くんが送ってくれた。ドラゴンの肉のお裾分けのようだ」
早いって。
「某アマゾンで売り出してみたら、なかなか好調でな。まるで本物のドラゴンの肉を食べているみたい、と最高評価だ」
まるで、っていうか、本当にドラゴンの肉だよ!
それはさておき。
あたしは黙って、西岡さんの机に一枚の紙を置いた。辞表だ。
「これは?」
「短い間でしたが、辞めさせていただきます」
きっぱりと口にする。たとえ引き止められても、あたしの意思は固いんだから。すぐに会社を辞める今どきの若者扱いされるかもしれないけど、実際にあたしはまだうら若き18歳の身。チャンスはいくらでもあるのよ。
「……そうか。事情は人それぞれだからな。君がそう決めたのなら仕方ない」
あれ? 意外にあっさりしているなぁ。
辞められることに慣れているのかな? はっ、それとも引いて攻める戦略? 簡単に引っかかったりはしないんだから。
警戒するあたし西岡さんは、内線電話を取った。どうやら事務の方に電話しているみたい。
「立花さん。無事帰ってこられたようですね」
しばらくして、異世界で出会った足利さんが、何事もなかったかのようにやってきた。
「……この節はどうも。足利さんのお茶のおかげで『無事』戻ってこれました」
「そう。それは良かったわ」
皮肉をあっさりとかわされてしまった。さすが最強の名は伊達ではない。
「部長。立花さんの給料を計算してきました。こちらが明細になります」
「うむ。ご苦労」
「え、給料もらえるんですかっ?」
「当然だ。二日間でも働いているのだ。給料を支払わなくては労基暑に指摘される」
正社員万歳っ。
ま、どうせ大した金額じゃないだろうけど、せっかくだし、ぱーっと使って……
あたしはその場で封筒を開けて、中身を見る。
「あの……」
「何だ?」
「この明細の数字、ゼロが一つ多くありませんかね……?」
「ん? 普通だが」
「そうですね。異世界出張手当が含まれておりますので、計算するとこのようになります」
手当……
あたしはすたすたと西岡部長の席に近寄り、自分で置いた辞表を手に取って、びりっと破いて捨てた。
「それでは。次の営業先に行ってきます!」
西岡さんがにやりと笑った。
「うむ。そうでなくては、営業は務まらん」
☆ ☆ ☆
「おお。立花ゆかりよ。死んでしまうとは情けない」
「うっしゃーっ。出張手当、来たーっ!」
思わずガッツポーズを見せるあたしに、女神さまがきょとんと首を傾げた。
「あら、いつもと反応が違いますね」
「まぁまぁ、気になさらないで。ほら、早く異世界へGO!」
「あ、なるほど。異世界出張手当の話を聞いたのですね」
あたしの様子を見て、女神さまも察してくれたみたい。
おお。さすが女神さま、何でも知っているんだ。
「向こうではいろいろ危険だろうと作った制度でしたが、それを目当てにされると本末転倒ですね。うーん。手当を見直すよう、足利さんには言っておきましょう」
「え?」
作った制度って……それに、なんで最強のOLの名前を……?
という疑問が頭に思い浮かんだ途端、意識がホワイトアウトしていった。
………………
…………
……
「……おや? 立花くん。開発部の試作品実験に巻き込まれ、四散したはずだったが、ずいぶん早くに戻ってきたようだな」
「ううっ……経緯をいちいち言わなくてもいいですから……って、あれ?」
気づいたら、会社のオフィスにいた。営業部の隅っこで、『何か』を片づけた跡があるけれど、怖いので見なかったことにする。
「失礼します。西岡部長……。あら、立花さんも。ちょうどいいところに」
他の営業の人が外に出ていてがらんとした営業部のオフィスであたしと西岡さんで話していたら、事務の足利さんがやってきた。
「ん、どうかしたのか」
「はい。たった今ですが、社長から給与体系の見直しについてお話がありまして、そのご報告です」
へぇ。給料の見直しかぁ。
「具体的には、異世界出張手当の見直しです」
「ごほっっ」
思わずせき込んでしまった。なんかタイムリーな。
「……世の中不景気だからな。ん、立花くん。どうかしたのかな?」
「い、いや……その。あっちの世界でそんな話をしたなぁ、って」
あたしが軽く説明すると、西岡さんはうなずいて言った。
「そうか。社長に会ったのか」
「……へ? しゃちょう?」
あたしは首をかしげる。
「君が今さっき話していただろう」
えーと。今さっき、って女神さまのことを……って、えぇっ?
「しゃ、社長っ? もしかして、あの人、ウチの会社の社長さんだったんですかっ?」
思わず大きな声を上げてしまうあたしを、西岡さんと足利さんが冷ややかな目で見つめている。
嘘は言っていない様子だ。
「……なるほど。つまり、立花くんが問題を起こしたため、出張手当の削減が言い渡された、というわけか」
ひぇぇぇ。西岡さんの目が、怖いって!
「あの……あたし、やっぱり辞め――」
言いかけたけど、西岡さんの眼光に射竦められてしまって、口が動かない。
「ふふふ。楽に辞められると思わないことだ。君には、しっかりと『出張』で成果を上げて、手当を復旧してもらわなくてはならないからな」
うげぇ。
「まぁ、手当の支給が減額されても、他社よりは給与水準は高めですから、安易な転職はされない方がお勧めです。それと、退職・転職の際の書類の作成も、私がするということをお忘れなく」
「あはは……」
前門の西岡さん。後門の足利さん。
二人に囲まれて、あたしは力なく笑うことしかできなかった。
立花ゆかり、入社二日目。社畜経験値があがった! 社畜レベルが2になった!
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ストックはここまでですので、あとはリアルタイムで更新することになるのですが、今後異世界中心になるのか、まったく自分でも分かりませんw
いずれにしろ、肩の力を抜いた感じにはなると思います。
お手すきな時間にちらりと目を通してくださったら幸いです。