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後編の後編:あなたは運命の存在を信じますか?


「はぁ〜はぁ〜はぁ〜」

 息も絶え絶えとはこういう事を言うのだろう。冴子は大きく肩で息をしながら、やっとと言った感じで玄関の扉を開けた。ちなみに説明しておくが、決して冴子の体力が人より劣っていると言う訳ではない。霊感少女の御影石斎みかげいしいつきを巻くために、10分以上も全力で走り続けていたのだ、息が切れて当然である。


「た、たらいま〜」と、気の抜けた声からして疲れていた。

 全く、どうして最近の私はこんなトラブルばっかりなのかしら!!間抜けな死神には107才のお婆さんと間違われるわ、スーツ姿の神様に変な注文をされるわ、霊感少女にお祓いされそうになるわ、今までの安穏とした生活が懐かしいわ……

 冴子はキッチンでコップ一杯の水を一気に飲み干すと、重い足を引きずりながら自分の部屋へと戻っていった。

 絶対に―――今週の運勢は大凶に違いない。それに大殺界に仏滅が重なって、きっと学校は鬼門の方角を向いてて、さらに星の巡りも最悪の軌道に入ってるんだわ……それ以外にこの不幸の連続は説明出来ないもの。

 こういう時はどうすればいいのかしら?やっぱり神社に行って悪運を祓ってもらうのが良いのかしら?

 普段、占いやおまじないと言った事を信じない方だったが、これだけ不幸が身に降り掛かってくると少しだけ信じたくなってくる。

 だけど、頼む相手ってあの神様の事よね―――冴子はスーツ姿の神の事を思い出すと、何とも言えないやるせない気持ちになった。

「頼む先がアレじゃね……あ、そう言えば」

 捕まらずに逃げ切ったかしら?あいつ。一応あれだけ投げ飛ばしたなら大丈夫だとは思うけど……ドジの上にトロそうだから、今頃どうしている事やら ―――冴子はビルの屋上へ投げ飛ばした竹田の事を思い出して少し心配になった。

 するとちょうど、ドアをノックする音が聞こえてきた。


コンコン―――


「冴子さん〜」

「ほっ、どうやら逃げ切った様ね。これで少しだけ安心できるわ」

 冴子は、竹田の情けない声を聞いてひとまずほっとした。そして、部屋のドアを開けたのだが……


ギョ―――


 ドアを開けた冴子は、一瞬の後に固まった。

「やあ、お邪魔させてもらっているよ」

 なんとそこには、首根っこを捕まれた竹田と斎綾乃が立っていたのである。

「捕まっちゃいました……えへへ」

 竹田が、恥ずかしそうに笑っていた。


「っっって!どうして綾乃さんがいるのよ!」

 竹田はビルの屋上を目掛けて投げ飛ばしたし、自分は自分で綾乃を巻いてきたハズだ。一体どうやって竹田を捕まえたと言うのだろうか。

「簡単な事だよ。君の走っていった方向にこの死神氏が逃げていくのが見えてね、その後を追いかけて玄関先で捕まえたのさ」

 クール、クールよ斎さん。

 バカ死神!―――それを聞くと、思わず竹田の事を睨まずにはおけない。

「ひっ!さささ、冴子さん許してください〜」

「って許せる訳無いでしょう!!107才のお婆さんと間違うわ、あんたに話しかけたおかげでクラスメートには変な目で見られるわ、私の着替えものぞくし、あまつさえ、斎さんを私の家に案内して捕まるなんて」


―――


「はぁ〜もう、どうにでもしてよ……」

 冴子は珍しく弱音を吐いた。

 そして「もう良いわ!お祓いするならさっさと済ませてよ」と言うと、ベッドに倒れ込み、煮るなり焼くなりどうにでもして!と言うと、大の字に手足を伸ばした。

「あの、冴子さん〜?」

「あんたは黙ってなさいよこの間抜け死神!さあ、私はもう逃げも隠れもしないわよ」

 さあ!さあ!―――冴子は目をつぶりながら、首を左右に振った。

「葛木君は、噂どおり面白い人なんだね」

「ええ、そうなんです〜」

「って、あんたが言うな!」

「ひぃ!」

 冴子のすさまじい表情に、思わず竹田は首をすぼめた。

「葛木君」

「な、何よ斎さん、このバカ死神をお祓いするならすればいいじゃない。私はもう覚悟は出来てるわよ!」

 冴子はまたもやベッドの上で大の字になった。

「そうかい?お祓いするのは止めようと思ったんだが……葛木君がそう言うならボクは遠慮しないけど」

「って!ちょっと待って。ちょっと待ってよ……今、止めたって言った?」

「そうだよ。ボクはお祓いを止めようと思った、って言ったんだ」

「そ、それって、どう言うこと?」

 斎の思いがけない言葉に、冴子はベッドから飛び起きた。

「あのですね冴子さん〜、私がこの方に捕まった時にですね。今までの事とか、神様から貰った契約書を見せて説明させてもらったんです〜。その結果ですね、御影石さんも納得していただいた様で、お祓いは思いとどまってくれたと言う訳なんです〜」

 未だに首根っこを掴まれたまま、斎に印籠の様に突き出された格好で説明した。

「じゃ、じゃあ斎さんは私の立場とかを分かってくれたって事?」

「そうだよ。ボクだって理由さえ分かればお祓いなんて事はしないさ」


 って、その割にはさっき、理由とか聞いてくれなかったけど……


「何か言ったかい?」

「え?いや、はははは、何でも無いのよ。ははは」

 愛想笑いが虚しかった。


「で、でも、それならどうしてこのバカ死神を捕まえて家に来たの?」

「ああ、ごめんよ死神君……」

 斎は今気が付いたと言った風に、竹田の首から手を離した。

「彼がボクから逃げ出そうとしたんでね、思わず捕まえていたんだよ」

「そ、そう……それで、どうして私の所へ?もう理由が分かったのなら、あの、そっとしておいて欲しいんだけど」

 何せここ最近、自分に近づいてくる人間(じゃ無い者もいるが)は、ことごとくトラブルを持ち込んでくる、出来るならこれ以上のトラブルは遠慮したい ―――冴子は心の底からそう思っていた。


「ふむ、ボクも、もう君たちをお祓いする気はないんだが、実に珍しい被検…… イヤ、珍しいケースだからね、もう少し詳しい話を聞いてみたいのさ」

 被検?被検体って、クールな顔をして斎さん……でも、話だけで帰ってくれるならさっさと済ませて帰ってもらおう。妙に居座られてトラブルを巻き起こされるよりは絶対に良い。

 冴子は事の起こりから、今までの事を説明する事にした。

「で、このお馬鹿死神のせいで、私は後6日って言うか、今日を抜かせば後5日の間にキスをしなくてはならなくなったのよ」

 どう考えたって私には悪い部分なんて無いじゃない。そりゃ、この死神をタコ殴りにしてしまったのは悪いかも知れないけど、それだって私を107才のお婆さんと間違ったりしなければ問題は無かったのだ。やっぱり、トラブルの原因はこのへっぽこ死神にある!―――冴子は事のあらましを改めて斎に説明していく内に、やっぱり悪いのはこのへっぽこ死神じゃない!と、最後には竹田の事をジロリと睨んでいた。


「ふむ、悪いのはこの死神君なんだね」

 冴子のキツイ視線に続き、斎のクールな視線も重なって竹田は身を縮めるしか無かった。

「うう、済みません」

「そうよ斎さん、分かってくれる?この死神が諸悪の根元だって」

 冴子は、こんな突拍子も無い話を信じてくれる人が周りにいなかったので、理解してくれるだけで嬉しかった。

「分かるよ、葛木君の話が嘘じゃ無いって事」

 霊感の強い斎だから信じてくれたのだろう。一時はどうなるものかと思ったが、今では斎の特異体質に感謝しても良いと思った。


 しかし―――


「それじゃやっぱり悪の根元である死神君をお祓いした方が」

「って、そうしたら私まで成仏しちゃうじゃないの!!」

「そうか、そうだったね」

 分かってて言ってるんじゃないでしょうね―――冴子は、やっぱり先程の考えは間違いだったと思い直す事にした。

「と、とにかくそんな訳で、当分の間はそっとしておいて欲しいのよ」

 冴子は、早くこの悪夢の様な状況から解放して欲しいと、切実に思った。

「分かったよ……それじゃ今度からは、ボクも死神君を見つけてもなにもしない事にするよ」

 斎は、それじゃと言って立ち上がった―――どうやらおとなしく家に帰ってくれるらしい。

「お邪魔したね」

「それじゃ、また学校で」

 ほっ、これで一つ、トラブルが無くなるわ―――冴子は玄関まで案内すると、斎が帰るのを見送ろうとした。

「葛木君」

「な、なに?」

「お祓いが必要になったらいつでも力になるからね」

「だからそれじゃ私が成仏しちゃうんだってば!!」

 斎はクールな表情でそれだけ言うと、「それではごきげんよう」と言って玄関を開けた。

「はぁ〜もお!どうして私の周りには変な人間が集まるのかしら」

「類は友を呼ぶ、ってやつですね〜」

「って、あんたが言うな!!!」

 冴子は思いっきり、竹田の脛を蹴っ飛ばしてやった。



―――残り5日・日曜日―――


 時計の針が10時を回り、平日ならば2限目の授業が終わる頃、冴子は未だ布団の中で春眠をむさぼっていた。何せここ二日、色々な事が多すぎて疲れていたのである。

 特に昨日などは、普段なら絶対にしないマラソンをさせられると言う散々な目に遭い、それから、智美からもらった『いい男のデータ』を見ていたので眠りについたのも遅かったのである。

 行動を開始するのは明日からとしても、色々と検討して作戦を立ておきたかったのだ。

「だけど……」

 冴子は智美からもらったデータを眺めながら、その細かさに驚いた。


 まず名前や生年月日などの基本的な事から始まって、血液型や星座、今は何組に居るのか、そして部活は何をやっているのか。身長と推定体重もあったし、学力の推移や周囲の評価など、まさに至れり尽くせりだった。

 それに何時撮ったのか、顔が写っている写真も添付されていて、智美がクオリティーの高さを誇るのも素直にうなずけた。

 もちろん、冴子が一番知りたかった、相手の女性に対する好みの傾向なども細かく書かれていた。短期決戦を強いられている冴子にしてみれば、これほど頼りになる資料は無い。

 とは言え……冴子の中では、どこかやるせない思いが強かった。

 何故ならば、冴子はどちらかと言うと、運命的な出逢いから始まる燃え上がる恋愛という物にあこがれていたのだ。意外とロマンチストなのである。

 だからこの様な、計画的で、少し打算的な恋愛などは余りしたくなかったのだが……しかしそれ以上に、成仏したいとも思っていなかった。今は贅沢を言っている場合ではない。


「さてと、どうしますかね……」

 冴子は5枚の写真を前にして悩んでいた。

 3人くらいと頼んだのだが、どういう訳か、智美がくれたレポートには5人分情報が載っていた。

「ルックス的には全員私の好みなのよね……」

 智美が選んでくれたのだが、どうして、5人ともレベルが高い。その中でも3人程自分の好みに合った男がいた。

 一人は現在三年生の先輩で、バレーボール部の山本健介やまもとけんすけだった。バレーをやっているだけあって長身で、学力も普通程度にはあるらしい。

 その次は、秋山隼人あきやまはやとと言う、こちらも三年生の先輩だった。特に部活はやっていないが短距離が早く、勉強は中の上。妹思いのお兄さんタイプと書いてある。

 最後は、内藤昌夫ないとうまさお。同じ二年生だが、クラスが遠いので見たことがない。サッカー部でレギュラーを取っている俊足だが、学力はそこそこ。少し自信家であるが、財閥系の御曹司でお金持ちと書いてある。

 後の二人も、優しそうな顔付きで好感が持てた。


 一人は冴子も知っている同学年の甘利虎弥太あまりこやただった。彼は甘いマスクで母性本能をくすぐるタイプで、年上からモテルタイプと書かれている通り、実際年上の女子からもてはやされているのは知っていた。

 が、冴子はどうもこういう軟弱なだけの男は好きになれなかった。

 別にケンカが強いとか言う基準ではない。冴子はケンカというモノが嫌いで、自らの力をひけらかす男など論外だと思っている。

 だからこの場合の軟弱というのは、精神的な強さの事を言っているのだが、他人に流されたりせずに自らの決めた事を貫き通す様な、内に秘めた強さを持っている人が好みなのである。冴子の基準から言うと、甘利虎弥太にはどうしてもそれを見つける事が出来なかったので、対象からは外すことにした。


 そして最後は、安田優樹という一年生だった。スポーツこそ出来ないらしいが、パソコンが得意らしく勉強も結構出来るらしい。智美の調査では、優しい性格で周囲から好かれるタイプと書かれていたが……冴子はどうも年下と言うのが引っかかり、こちらも選考から一時外す事にした。


 と言う訳で、結局狙う相手は前述の山本、秋山、内藤の三人にしようと思ったのだが……冴子は少々疑問に思えた。どう見ても、同学年ばかりか下級生などにも広くモテそうな三人なのだ。現在彼女がいないと言うのが不思議に思えてしまう。

「ま、たまたまって事かしらね……」

 少々引っかかるが、しかし、相手に彼女がいない方がこちらとしては好都合なので、それ以上深く詮索するのは止めた。


「さてと……どうしようかしら」

 冴子はもう一度三人の候補を見て検討していた。

 好みとしては三人ともに申し分無い。現在付き合っている女性がいないのが不思議なくらいの容姿なのだから、その点では申し分ない。

 だとすると……残るは性格よね。やっぱりこれから自分の彼氏になってもらう人を選ぶんだから、性格の良さが重要になってくるわ。

 冴子は三人の性格に関する部分を比較する事にした―――のだが、しばらくすると「よし!決めた」と、サッパリした性格の通り思い切り良く決めていた。

 勉強が出来るお兄さんタイプの秋山さんを最初に、次にはスポーツマンの山本さん、そして最後に、まあ最初の一人で大丈夫だとは思うけど……三番目は内藤さんにしよう!

 一人だけでも十分なんだけどね―――と、冴子は強気に思う反面、やはり保険は必要だと思って三人の順序を決める。

 そして、決めたと同時に、相手の好みを研究し始めた。

 妹思いの秋山さんは……資料を見ると柑橘系の匂いが好きなのね。それじゃコロンを柑橘系にして、妹思いの性格だから少々甘え気味に迫った方が良いかしら?

 それからスポーツマンの秋山さんは、どれどれ、ストイックな性格で女性を紳士に扱うタイプ……か、それなら少々強引に色仕掛け―――は無理としても、ドンドンと迫っていった方が良いのかも。

 最後の内藤くんはサッカー部なのよね。お金持ちだからプレゼントとかはあんまり喜んでもらえそうにないタイプね。さりげなくスポーツドリンクとかを渡す清純派の方が良いかしら……


 う〜ん―――冴子は色々と考えていたのだが、少し、虚しさを感じる。

「いいえ!これは生き返る為に必要なのよ!それにカッコイイ彼氏を作って、アイツを見返してやるんだから……」

 冴子は虚しさを追い払うかのように言って自分を励ました。

「明日は買い物に行こう。コロンとか必要になるだろうし、街にいる可愛い女の子を見て研究しなくては」

 時計を見ると、夜の1時を過ぎようとしていた―――



―――残り4日・月曜日―――


 その日の朝も、目覚まし時計をチョップで黙らせる事から一日が始まった。親友でもある昌代などは、低血圧気味で朝が苦手だと言っていたが冴子にその心配は無い。

 目覚ましと共にスッキリと起きられるタイプだった。

「よし!昨日考えた作戦を実行するわよ!!」

 と、朝から気合いが十分に入っていたのは言うまでもない。

 昨日の日曜日、冴子が目覚めたのは昼の十二時だった。それから食事を取り、買い物をするために街へ出た。そして買い物を終えると、甘味処に立ち寄ってお汁粉を食べながら今日の計画を立てた。


 第一の目標である秋山隼人には、「妹思いの良いお兄さんで柑橘系が好き」と言う智美の情報を元に、いつものフローラルな香りから柑橘系のコロンに変える事にした。そして相手との接触には直接会うのを避け、手紙と言う小道具を使う。

 文面を少々可愛らしくして、お兄さん心をくすぐろうと考えたのである。

 そして呼び出すのは放課後の屋上。清純派の後輩から手紙をもらい、屋上で告白されると言うシチュエーションに、お兄さん魂が萌えないはずはない!――― 冴子は自分の作戦に自信を持っていた。


「とにかく生き返る為よ!!」

 冴子は鼻息も荒く、握り拳を作るのだった。


「あの……私二年の葛木冴子って言います。先輩、この手紙読んでください」

 冴子は両手で手紙を差し出すと、恥ずかしそうな表情を作ってその場から駆けだした。

 もちろん「清純派の後輩」を演出したことは言うまでもない。

 二限の後の休み時間、冴子は昌代に協力してもらい、秋山を呼び出してから手紙を渡したのである。

「もう、こっちの方が恥ずかしかったんだからね」

 最初昌代は嫌がっていたのだが、そこを何とかお汁粉2杯で買収すると、嫌々ながらも手伝ってくれたのだ。

「ごめん、恩に着るからさ。それに後は自分でやるから」

 冴子はそう言って手を合わせる。


 後は放課後に、最後の仕上げをするだけね―――冴子はそれを思うと、少しだけ自分でも緊張するのが分かった。



―――放課後―――


「で、昌代……どうして付いてくるわけ?」

「え?だって、ねえ、ほら、あの……」

「つまりは見物したいわけね」

「別にそう言う訳じゃないんだけどね」

 昌代がそう言って「えへへ」と笑った。


 あーもう!昌代ってば憎めいないんだから!―――そんな昌代を見ると、冴子は声に出して笑うしかない。

 昌代は元々おっとりした優しい性格の持ち主なのだが、小柄で、可愛らしい洋服が似合う女の子であった。身長が低いせいもあるのか、少し見上げるような瞳が妙にいじらしく写って「守ってあげたい」と言うイメージを受ける。

 冴子がたまに、昌代の事を妹の様に思えるのはその為であった。

 とは言え、昌代も女の子である。色恋沙汰、しかも友達の冴子の事となれば、興味が湧かないはずがない。途中までで良いから―――と、無理矢理ついてきたのだ。

 最初冴子はそれを拒否していたのだが……昌代の見上げるような瞳に見つめられると、結局、しぶしぶながらも許可するしかなかった。

「だけど、屋上までは付いてこないわよね」

 しかし、だからと言って、自分が告白する所まで付いてこられてはたまらない。冴子は一応、釘を差しておく事にした。

「うん、近くでまってるからさ、結果を聞かせてよ」

 それでも近くまでは来るらしい。冴子は、昌代が普通の高校生並みに好奇心を持ち合わせている事に苦笑するしかない。

「う〜ん、ま、良いけどね……」

 手伝ってもらった手前、無碍に断る訳にもいかない。それに、どうせ後でばれる事だから別に断る理由も無い。

 そんなやりとりがあったが、冴子と昌代は校舎の5階からさらに上に登って、屋上へ出る扉の前まで来ていた。


「じゃ、行って来る」

「冴子、頑張ってね」

 手をひらひらと振る昌代はここで待つことなり、冴子はいざ!秋山の待つ屋上へ向かうことになった。


 2分後


 ガチャ―――


 屋上へと続くドアが、不意に開いた。

「昌代……」

「ど、どうしたの冴子、あの……早いじゃない。秋山さんいなかったの?」

 昌代が驚くのも無理はない、先程冴子が屋上へと向かってから2分程度しか立っていないのだから。しかも、冴子が複雑な表情をしていれば、悪い想像が浮かぶと言うモノ。

 しかし、それにしては表情がおかしい。振られたり秋山が屋上へ来ていなかったりしたら、もう少し悲しそうな表情をしそうなのに、冴子の表情はなにやら、やってられないわよ―――と言った、脱力した感じだったのである。


「いたわよ……しかも、スッゴク乗り気で」

「え?え?どういう事?」

 秋山が屋上に来ていて、しかも凄く乗り気と言うことは……冴子に取っては喜ばしい事ではないのだろうか?昌代はまたしても訳が分からなかった。


「とにかく、とにかくちょっと来てくれない?」

 昌代は全く訳が分からないまま、冴子に連れられて秋山の前に引き出される事になった……すると

「やあ来てくれたんだね昌代ちゃん!ボクの名前は知ってるよね、秋山隼人って言うんだ」

 昌代が目の前に現れるや否や、秋山は昌代の両手をガッチリと握り、イキナリ迫ってきたのである。

「ボクは一目見た時から君のことが忘れられなかったんだよ。どうだい、ボクと付き合ってくれないかな。お兄ちゃんが何でも欲しい物買ってあげるよ。洋服が良いかな、昌代ちゃんならフリフリの付いたロングのワンピースとかきっと似合うはずだよ……」

 秋山の猛烈な勢いに圧倒された昌代は、一体自分に何が起きたのか分からなかった。

「じゃ昌代……後はよろしく」

 冴子はそんな様子を見ると、校舎の方へと踵を返す。

 昌代は訳が分からなかったが、秋山にガッチリと手を握られていて逃げ出すことも出来ない。

「ちょ、冴子?どういう事!冴子ー!!」

 そう、秋山は「妹思いの『良い』お兄さんタイプ」では無く、「妹フェチの『危ない』お兄さん」だったのである。

 後に聞いた話では、実の妹からも敬遠されるほど「良いお兄さん」らしく、その実の妹から相手にされなくなると、学校の妹っぽい娘に矛先が向けられているのだそうだ。

 小柄で可愛らしい「妹タイプ」の昌代が、秋山の属性にフィットしないはずがない。秋山は昌代に会った瞬間、一目惚れしてしまったのだった。



―――残り3日・火曜日―――


 その日の朝も、目覚ましにチョップを加える所から一日が始まった。

 しかし、チョップを加える手にいつもより力が入っていたのは、昨日の出来事のせいだろう。

 智美の奴、絶対知ってたに違いないんだわ!―――文句の一つでも言ってやらなくちゃ収まらない、と、冴子は朝からカッカしていたのである。


ダン―――


「ちょっと智美!あれはどういう事よ。あんた知ってて騙したでしょう!」

「わっ、びっくりしたな」

 教室に智美の姿を見つけると、冴子は両手で机を叩きながら迫っていた。

 しかし智美の方はと言えば、冴子だと分かると昨日の出来事を既に知っているのか、顔を見るなり笑い出していた。

「あははははっ、昌代から聞いたよ。秋山さんにアタックしたんだって?」

 智美は満面の笑みを浮かべながら、してやったりと言う顔だった。

「って、何が妹思いの良いお兄さんなのよ。アレじゃ単なる妹フェチの危ないお兄さんじゃない!」

 冴子は今思いだしても腹が立った。

「それは主観の問題だぞ冴子。私の調査報告書は真実一路、嘘は書かれてないはずだからな」

「うっ、た、確かに嘘じゃ無いけど……だけどアレは非道いわよ!」

「そうよ……非道すぎるわよ」

「そうでしょ、そう思うでしょ昌代も……昌代!!」

 しまった!昌代のことを忘れてた!!―――冴子が振り返ると、そこには置き去りにしてきた昌代が不動明王もかくやと言う憤怒の表情で立っていた……のだが、どこか可愛らしく見えるのはご愛敬。


「さ〜え〜こ〜」


 ひぃ!―――冴子は少し、竹田の気持ちが分かった気がした。


「責任取りなさいよね!冴子」

「ま、昌代……元気だった?」

「何が元気だった?よ。あの後大変だったんだから!」

 おとなしい昌代にしては珍しい程の迫力に、冴子は思わず逃げ出したくなった。

 何でも、あの後何とか秋山を振りきって逃れる事が出来たらしいのだが、どこでどう調べたのか、家に花束を持ってこられたり電話を掛けられたりと大変だったらしい。温厚な昌代が嫌がっているのだ。それは相当なモノに違いなかった。

 今朝も校門の所で待ち伏せされて、迷惑したとか……

 結局冴子は、昌代の怒りをなだめる為にお汁粉2杯にジャンボパフェとトリプルのアイスクリームをおごる羽目になってしまった。

「ったく、智美に騙されたわ!」

 確かに調書には書いてないが、アレは少し非道すぎる……しかし、怒っていられるのも生きている内だけだ。冴子は頭を切り換えて次の目標に切り替える事にした。


 冴子が次に選んだのは、スポーツマンで長身の山本健介だった。

 今度は大丈夫よね―――冴子は智美の資料を眺めながらそう思った。

 山本はバレー部のレギュラーとして活躍しているが、女性にちやほやされても図に乗らず、紳士的に接するタイプと書いてある。よもや、妹フェチ見たいな危ない性格の持ち主では無いだろう……いや、そうあってもらいたい。

 冴子はこの山本にアタックする方法として、やはり手紙を使う事にした。呼び出すのはクラブの時間には無理があるだろうから、二限目の15分の休み時間にする事にして、場所はスポーツ系ラブロマンスの王道とも言うべき体育館裏だった。

 相手は女性に紳士的に接するタイプという事だから、少し強引に迫っていくのも良いかも知れない―――冴子は早速山本に手紙を渡し、一限の休み時間には体育館裏の下見までして、計画の成功へ向けて気合いを入れていた。


「うっし!やるしかない」

 そして、二限の授業が終わりを告げたのである。



―――キーンコーンカーンコーン


「ひえー急がなきゃ」

 冴子は一段抜かしで階段を駆け下りていた。

 いつもは正確に、チャイムと共に終わる数学の授業が、今日に限って時間をオーバーしてしまったのである。

 あ、でも、待ち合わせの場所に遅れまいとして一生懸命走っている姿って言うのも、それはそれで好感を持たれるのかも―――冴子は転んでもタダでは起きないタイプだった。

 しかし、遅れるにしても限度がある。冴子はくだらない想像は止めて、本当に急ぐことにした。

 体育館ならば、校舎の一階と二階から繋がっている渡り廊下を歩けば直ぐの距離なのだが、体育館の裏に行くには靴を履き替えなくてはならない。ここでも時間が掛かった。

 冴子は素早く靴に履き替えると、体育館の裏に行くには昇降口をでてから校舎の裏側を通った方が早いので、そちらを小走りに急ぐ。

「来てくれるかしら……」

 手紙を渡した時、冴子には相手が決して嫌がっている様には見えなかったので多分来てくれると思ったのだが、その時、少し変な視線を感じていた。

 多分、山本と同じクラスなのだろうが、ちょっと線の細い美少年っぽい男が、手紙を渡している時にこちらを睨んでいる様に思えたのだ。

 その時は別に気に止めなかったのだが……今思うとその視線は妙に絡みついて気持ちが悪いと言うよりも怖いくらいだった。

「ま、いいか」

 しかし冴子は、またしても深く考えるのを止めて、目の前の計画を成功させるべく体育館の裏手に急いだ。

 そして後少し―――という所で、普段は人気のない体育館の裏から、男同士で何かを言い争っているのが聞こえてきた。


 どうしたのかしら?―――冴子が気になって、声のする方をそっとのぞいてみると……なんとそこには、呼び出した山本と、あの怖い視線を向けてきた美少年がいたのである。


「非道いじゃないか!あんな女の呼び出しに応じるなんて!!」

 線の細い男が山本に向かって、何やら怒りをぶつけている。山本の方はと言えば、それを苦しそうな表情で聞き、必死に何かに耐えている感じだった。

俊文としふみ俺だって苦しいよ。でも俺たちこのままじゃ……」

「イイじゃないか、言いたい奴には言わせておけば良いんだよ」

 どうやら線の細い美少年は俊文と言う名前らしい。山本と美少年は真剣な眼差しでお互いを見つめていた。


 ちょっと……ちょっと何だか怪しい雰囲気なんだけど……これって、あの、噂に聞く……アレって事!?


 冴子は二人の間に流れる怪しい雰囲気に、直感的にある想像が頭の中をよぎった。

 すると、次の瞬間、冴子の想像が正しい事を、何とも衝撃的な映像と共に知る事になる。


「俊文!俺が悪かったよ」

「分かってくれるかい健介。もうボクを離さないでくれ」

 なんと、二人の男がきつく抱き合いながら、相手の唇を奪い合うような強烈なキスシーンを演じたのである。

 話しには聞いていたモノの、この様な衝撃的なシーンに直面したのは初めてで、一瞬、めまいが起きて気が遠くなった。


 な、なんて事!!―――冴子は同性愛を否定するつもりは無かったが、まさか、自分が告白をしようとしていた相手が、線の細い美少年とキスをしているシーンを目撃するとは思っても見なかった。既に、何も考える力は残っていない。

 冴子はノロノロと、足取りも重くその場を離れるしかなかった……



―――残り2日、水曜日―――


 その日の朝も、目覚まし時計にチョップをするところから始まった……が、しかし、昨日よりも、チョップをする手に力が入らなかった。

 冴子は昨日の衝撃的な出来事が未だ後を引いているのである。

「さ、冴子さん〜、何だかやつれてませんか?」

 と、竹田が心配した程、寝不足の顔そしていた。

「ちょっとね……衝撃的な場面を……目撃してね……」

 案外私もデリケートなのね―――冴子は夢にまで見て、昨夜はよく眠れなかった。

「おはよ〜」

 冴子は教室にはいると、挨拶も早々に、早くも腕を枕にして眠りたい衝動に駆られていた―――いや、実際に一限の授業は夢の中だった。


「あはははははっ! だっけど、よくよく冴子も人を見る目が無いよなぁ〜」

 屋上でいつものメンバーが一緒に昼食を食べている時、冴子が昨日の出来事を話すと、智美はケラケラと無遠慮に笑い転げた。

「良くそんなに無遠慮に笑えるわね。元はと言えばあんたがくれた資料を見たんじゃない。いわば諸悪の根元は智美、あんたよ、あんた」

「分かった分かった。笑ったのは悪かったよ」

 と言いつつも、こみ上げてくる笑いを抑えるのに必死な様子。

「だけど、今回の事に関しては全く知らなかったんだぜ。本当に」

 智美はそう言ったが、冴子としては秋山のこともあるので全てを信じる事は出来ない。

「イヤ、本当だって。周囲でもそれらしい噂も無かったしさ、よっぽど上手く隠れて付き合ってたんじゃないのか?」

「でも、凄いシーンを目撃したよね」

 昌代は秋山の一件で冴子に非道い目に遭わされたのだが、おおむね同情的だった。

「まあね、あれ以上衝撃的な出来事って、そうざらにはお目にかかれないと思うわ」

 確かに最近、死神にあったり神様に会ったりと衝撃的な出来事が多かったけどね……だけれども、それとは別の次元でショッキングな出来事だったわ―――冴子は心の中でため息を付いた。


「で、結局山本さんには会わなかったの?」

「あったり前じゃない、あんな衝撃的なシーンを目撃しちゃったのよ、会って話しなんてとんでもないわよ。まあ、ある意味告白する前だったから良かったモノの、ちょっとね……」

「ふ〜ん、冴子でも疲れるって事あるんだな」

「智美、それどう言う意味よ」

「いやいや、別に意味は無いんだけどな。でも、これで当分彼氏作りは止めるんだろ?」

 智美は当然、冴子がこの一件で当分の間は彼氏作りを中止するのだろうと思っていたのである。元々こんな事をしているのも、意中の人がいて、その人をゲットする為と言う訳ではない。ただ単に彼氏が欲しいと言うだけの事だ。

 今度の事で懲りているだろうから、少し時間を掛けるなり一時中断するのが当然と思った。

 しかし、冴子がこんな事で諦めるはずはなかった。精神的にも肉体的にも疲れてはいたが、自分が生き返れるかどうかの瀬戸際なのだ。次のターゲットへアタックするべく、既に気持ちを切り替えていた。


「私は諦めないわよ。今度はサッカー部の内藤君にアタックするつもり……」

「って、おいおい、なんでそんなに彼氏作りに拘るんだよ。少し時間を掛けた方が良いんじゃないのか?」

「うん、私もそう思うな。冴子らしくないよ……何だか凄く焦ってるみたい」

 そうよ、私は焦ってる。明日までにキスが出来ないと、私……私はこの世界から消えてしまうのよ!!―――冴子は大きな声で叫びだしたい衝動に駆られ、のど元まで言葉がでかかった。

 私だって本当ならこんな事したくない!だけど、私には時間が無いのよ!!裕太だって……裕太だって信じてくれなかったから―――


「おい、冴子?」

「どうしたの……なんだか変だよ冴子」

 思い詰めた表情で黙り込んでしまった冴子を、昌代と智美の二人は心配そうな顔でのぞき込んだ。


……


「あははっ、ビックリした?心配しちゃった?」

 冴子は、そんな二人にわざとおどけた態度で笑顔を作って見せた。

「冴子?」

「やーねー昌代、なに心配してんのよ。大丈夫、そりゃ連敗続きでちょっと疲れてるけど、タダそれだけだから」

 努めて明るく振る舞う姿に、智美と昌代は納得のいかないモノを感じていたが、冴子の性格を知っているせいか、それ以上聞くのを止めた。冴子は意地っ張りで見栄っ張りで、余り他人に弱みを見せたがらないのだ。その点頑固なので、聞いても無駄なことだと分かっていた。


 だけど、本当に困った時は相談してよね。友達でしょ―――と、二人は無言のまま心の中で冴子に声を掛けるしかなかった。


「さてと、落ち込んでばかりもいられないわね」

 残り日数も今日と明日の二日しかない、落ち込んでいる暇は私にはないのだ ―――と、冴子は最後まで生き返る為に頑張ろうと、いつもの様に気合いを入れた。

 しかしそれは、精神的に参っている事の裏返しでもある。

 冴子は元々明るく元気で行動的で、自分のやるべき事は例えどんな結果になろうともやっておくべきだと考える前向きな性格の持ち主だった。彼氏作りの為に智美から情報を集めたり昌代に手伝ってもらったりと、今までの行動がそれを証明している。

 しかし、今回に限って言えば、冴子は消化不良にも似たどこか納得のいかないわだかまりの様な感覚も捨てきれずにいた。

 それもそうだろ、そもそもが人違いから巻き込まれた事であり、全くと言っていい程自分に非がないのだ。それに、いくら生き返る為だとは言え、キスをする為に彼氏を作ると言う理由は、冴子に取って納得の出来る事では無かった。

 ともすれば、彼氏作りへの気力が手の中からこぼれ落ちる水の様に、消えて無くなりそうだった。

 しかし冴子は、それ以上に受け入れがたい事があった。


 もし自分がこの世から消えて無くなってしまったら―――


 その思いがとてつもなく大きかったのである。

 冴子はなんと言っても、他の17才の女の子と同じごく普通の女子高生なのである。そんな冴子に、自分の存在が消滅してしまうかも知れないと言う恐怖は、大きすぎた。

 今現在の冴子を支えているモノはと言えば、持ち前の負けん気と意地だけだったろう……しかしそれは、いつ崩れてもおかしくない、危ういモノでもあった。


「取り敢えず今日は内藤君に当たってみよう。昨日のショックから段取りを取る余裕が無かったけど、こうなったら当たって砕けろってね、やるだけやるしかないじゃない」

 何かに向かって走り続けなくては、とても恐怖心と戦えない―――冴子を突き動かす物の一つは、その恐怖心だった。

 内藤君ってサッカー部だから、グランドに行けば会えるかしら?

 冴子はすぐさまグランドへ向かう事にした……しかし

「え?今日は練習が無い!」

 グランドを見渡したが、サッカー部の姿は一人も見えなかった。それもそのはず、その場にいた陸上部の人間に聞いたところ、どうやら今日は練習が無い日だったらしく、サッカー部員は全員帰宅してしまったと言うのだ。

「ど、どうしよう……」

 まさか今日に限ってサッカー部が休みだなんて―――冴子は運動系のクラブでは無いので知るよしもない。

 どうにかしなくちゃ……これでは丸々一日を無駄にしてしまう事になる。

 冴子は智美からもらった資料をもう一度見返した。

 内藤を抜かすと、後は甘利虎弥太と安田優樹の二人だけである。しかし、冴子は軟弱な男が嫌いだったのでどうしても甘利は選びたくなかった。安田優樹にしても後輩という事で今回は遠慮しようと思っていたのだが……冴子は安田優樹のメモに目を通した。


 新入生だから中学校時代の友人から調査したのだろうが、優しい性格で周囲からの評判も良好と書かれている。

 両親が仕事で海外へ長期出張に出ている為に妹と二人で暮らしていたらしいが、その妹も、全寮制の中学へ編入して今はいないらしい。現在は一人暮らしをしていて、以外としっかりした一面を持つと書かれていた。

 とにかくあって話しだけでもしてみよう―――冴子は貴重な一日を棒に振るよりは何かしていた方が良いと言う思いから、後輩ではあったが、安田優樹に会ってみようと考えた。


 会うのなら、急がなくちゃ。


 放課後になってから結構な時間が経っている。もしかしたら家に帰ってしまっているかも知れない微妙なタイミングだったので、冴子は紙に書いてあるクラスへと急いで向かう事にした。



「あの、安田君よね」

「はい?」

 どうやら絶妙のタイミングだったらしい。友達と話でもしていたのか、冴子はちょうど教室から出てくる安田優樹を捕まえる事に成功した。


「あの、何か用ですか?」

 突然見知らぬ女性から声を掛けられて驚いたのか、少し戸惑いながら、しかし丁寧な言葉遣いで返事をしてきた。

「あ、ごめんなさい、私二年の葛木冴子って言うの。安田君、少し時間をもらえるかしら?」

 安田は冴子の申し出に少し考える様子を見せたが、返事はOKだった。

「じゃ、ちょっと屋上に良いかしら?」

「ええ、良いですよ」

 安田の返事は爽やかさがあって、冴子は少し、年下を見直しても良いかとさえ思った。

 一年生の教室は四階にあり、屋上へは五階へ昇ってから、さらに屋上へと上がる階段を登らなければならない。冴子は先に立って安田を屋上へと案内した。


「あの、ちょっと色々と話がしてみたくって……」

「え?あの俺とですか?」

「迷惑だったかな」

「いえ、そんな事は無いです」

 安田は手でいえいえとやると、少し恥ずかしそうにしていた。

 写真よりも良い笑顔じゃない―――冴子はそんな安田の表情に、どこかホッとするモノを感じる事が出来た。


「そう言えば安田君、今は一人暮らしなんですってね」

 冴子はまず、当たり障りの無い話題から話をする事にした。

「ええ、良く知ってますね。親しい人しか知らないハズなんですけど……」

「ああ、いえね、私の知り合いであなたの事を知っている人がいるのよ。それより、一人暮らしって大変じゃない?特に男の子だから食事とか洗濯とか」

 冴子は曖昧に答えたが、これ以上深く追求される前に、こちらからドンドンと話し掛ける事にした。

「いえ、昔から妹と二人って事が多かったから、それ程大変じゃないです。あ、でも食事は大変になりました。食事は妹の担当だったんですけど、今年全寮制の中学校へ編入してしまったんで、今度は自分で作らなくちゃいけないんですよ ……それで、もっぱらレトルトのお世話になってます」

 安田は最初の緊張した表情がとれたが、あくまでも初対面の人への礼儀をわきまえた丁寧な言葉だった。冴子が先輩だという事もあるのだろうが、それよりも安田が元々持っている礼儀正しさからだと思われる。


「妹さんは可愛いでしょう」

 冴子はきっと、この安田が妹の事を大事にしているのでは無いかと思った。どうして?と聞かれれば説明に困るが、何となく人の良さそうな、優しさが感じられる表情からそう思った。

「あやめって言うんですけど、もう生意気でしょうがないですよ」

 安田は困ったような表情をしていたが、その中にも家族への愛情が窺えた。

 さて、そろそろ……少しうち解けてきた所で肝心の話をしなくては―――冴子は今回の目的の事を思い出して質問を切り出した。

「ところで、妙な質問するけど、安田君は今、付き合ってる娘とかいるの?」

「ええ!?いや、あの、いませんよ付き合ってる人なんか。女の子にモテた事ないんです」

 安田は恥ずかしそうに質問に答えたが、冴子にはそうは思えなかった。

 少し話をしただけだが、安田という後輩からは清潔感や内に持つ優しさという物が感じられ、女の子にはモテそうな雰囲気を持っている。

 今回だって智美のリストに挙がったくらいだから、潜在的に人気は高い方だろう。外見だって普通だし、何より―――性格が良い。

 冴子自身、短い間だったがこの安田と話をしていて好感が持てた。


 そう、誰かとよく似ている―――冴子は漠然としたイメージが浮かんでいた。

「誰だろう……良く知っている人の様な気がする」

 冴子はその人物を思索した。そして該当する人物が浮かび上がった時、不思議と懐かしい思いにかられた。

 そうか、裕太とそっくりなんだ―――頭の中に浮かんだのは幼馴染みの顔だった。

 いつも自分の隣にいてくれて、何かをすれば「仕方がないな」……と笑ってくれていた。そんな優しい笹倉裕太の顔だった。


「先輩?」

 少しの間、冴子が何かを思いだしているかのように動きを止めていたので、安田が心配そうに顔をのぞき込んでいた。

「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと、思い出したことがあったから……」

 そんな安田の優しさが嬉しかったが、冴子の頭の中には裕太の影が消えて無くなることはなかった。それよりもむしろ、安田の優しそうな顔を見ると、裕太の影が次第に大きさを増す。

 でも……でもどうしようも無いじゃない!!―――冴子はそんな思考を振り払うかのように頭を振った。

「ごめんなさい話の途中で……そう、優樹君はモテそうな感じだけど」

「え?からかうのは止めてくださいよ。ボクなんていつも女子からかわれてばかりなんですから」

「ふふ……そう言う事にしておきましょう」

「本当ですよ」

「でも、好きな人はいるみたいね」

「え?……はい」

 安田は否定しなかった。案外こういう時にその人の思いの強さが出るものだ。

 話の流れや、恥ずかしいと言う理由から、好きな人はいない―――と、嘘を付いてしまう人もいるが、どうやら安田の気持ちは本物のようだ。


「その娘って―――」

 どんな娘なの?と聞こうとしたが、冴子はそれを止めた。安田の事だ、きっと相手も良い娘に違いない。この短い話の中でも、安田の事が手に取る程伝わってくる。

 とても誠実で、人の心の痛みを感じられる男の子に違いない、と。

 そしてそんな安田が選んだのだ、話を聞くまでもなく、相手の女の子も素敵な娘なのだろう。


「ごめんなさい。随分時間を取ってしまったわね」

「あの、話しって」

「ううん、もう良いの……ごめんなさい。ありがとう」

 冴子はそれだけ言うと、先に安田に帰ってもらった。


 私は一体、何をやっているのだろうか―――屋上に張り巡らされているフェンスに寄りかかる冴子の瞳には、少しだけ、光る何かがこぼれ落ちていた。





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