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「ふう……」

玄関を上がって、思わずため息。

「……」

そして、自然と笑みがこぼれる。

家には、玄関からトイレまで可愛い物ばかりだった。

それらを眺めていると、心が和んでいく。

……やっぱり、可愛い物はいいなあ。

「……よし」

ひとしきり癒されたところで、立ち上がって料理に取り掛かる。

今日のメニューは目玉焼きとサラダ。……といっても卵を焼いて野菜を切るだけだ。

思考はフェミニンだが、技術の方はからっきしだった。

いつもは大抵中食なのだが、いかんせん月末なのでカツカツだ。

「……」

卵を焼きながら、手早く野菜を切っていく。

静かで狭い台所にただ料理をする音が響くのは、何だか寂しい。

「ふう……」

慣れてる、と思ってたんだけどなあ。

同じ趣味の人に出会ったから、かもしれない。

「……」

案外人に飢えていたのかな、と、意外な自分に気づいた気がした。


「いただきます。……ん、美味しい」

サラダを口に運び、独りごちる。

その言葉が虚しく消えていくように思えるのも、同じ趣味の人に出会ったからなのか。

「うーん……」

それは何だか、違う気がする。

取り留めなく、ふわふわと、彼の顔が頭を回っていて。

ふとした時、その輪郭が確かになって、一瞬経ってはっと我に返るこの感じ。

この感じは、まさか。

「……いやいや、ないない」

それはさすがに、ありえない。

胸の中で浮かべた仮説を、そっと奥の方へ沈めた。


***


翌日。

駅のホームを吹き抜けていく少し冷たい風に肩をすくめながら、電車を待っていると。

向かいのホームに、あの子……道坂くんを見つけた。

僕と同じように肩をすくめて俯き、どこか気だるそうに携帯を操作している。

もちろん、向かいのホームに声をかけるなんて出来るはずもなく。

……ちょっとだけ、ごめんね。

だから、電車が来るまでのほんの1分間、道坂くんを見つめることにした。

沈んでいた心が、少しだけ浮かびだす。

他人の顔をじっと見て気分を良くする、なんて、何だか危ない香りがするが、本当に少しだけだ。

そう、本当に、少しだけ。

でも。

「……」

……話したい、のかな?

ふと浮かんだ自分の感情に、当惑する。


今まで、他人と積極的に話そうと思ったことなんてなかった。何かの拍子に、自分の趣味がバレたら困るから。

この趣味を世間一般の人に受け入れてもらえるなんて当然思えなかったし、避けられてしまうかもしれない覚悟をしてまで受け入れてもらおうとも思わなかった。

それなりに世間話をして、それなりに飲みに行って、それなりに付き合っていければいい。


はず、だったのに。


『二番線に、電車がまいります……』

……話したい。

自分は今、はっきりと、彼と話したいと……近づきたいと、思った。

まくるちゃんを見に行ったチーム〇八の会場のトイレで不良に絡まれていたところをたまたま助けて、営業で回っていた家の玄関でたまたまもう一度会った。

それだけで、まだまともな世間話すらしていないのに。

同じ趣味だからか。それとも、顔が可愛いから?

そもそも、こんないい年したおじさんが、あんな若い子と仲良くしていいものなんだろうか?

「……うーん……」

どうしたら、いいんだろうか?

満員電車の圧迫感どころか電車に乗り込んだことすらすっかり忘れ、感じたことのない自分の感情を持て余した。


***


「おはよー」

「うん、おはよ」

クラスの何人かと挨拶を交わし、席に着く。

アイドル仲間はみんな別のクラスにいるので、自分のクラスでは少し浮き気味だ。

だからといって別に不満を感じたことはないし、これといって寂しくもなかった。


……でも、今日は。

周りから聞こえる会話が、その輪に自分が入っていないことが。


少しだけ、寂しい気がする。


あの人に……佐原さんに、出会ったからだろうか。

ネットじゃない、現実で出会った、初めてのまくるちゃん推し。

とても優しそうな人。

……俺を、助けてくれた人。

『うーっし、ホームルーム始めんぞー、席につけー』

教室の喧騒が、少しづつ耳から遠ざかっていく。

代わりに、いつもより熱い心音が小さく、でも確かに、胸から聞こえてくる。

……あの人のことを、考えたから?

「……」

この気持ちは、何だろう。

熱くて、浮き立つような。でも、少し苦しい。

まくるちゃんのことを考えた時とも違う、この胸が高鳴る感覚は。

……いや。

まくるちゃんのことを考えるよりも、楽しくて、切ない?

「……いやいや」

……俺が、まくるちゃんのこと以外で胸が躍るなんてこと。

ましてや、佐原さんで、なんて。

そんなこと。

「ないない」

あるはずがない。

きっと、寝不足なんだ。

「……寝よ」

そう、寝不足。寝不足だから、妙な考えが浮かぶんだ。

だからきっと、寝て起きれば、また元通りだ。

そう、きっと。

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