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それから一週間が経った。

カツアゲされた恐怖からはすっかり脱して、いつも通りの生活を送っていた。

早く立ち直れたのは、あのおじさんのおかげだ。

「……」

今日は日曜日。

両親も出かけているので、リビングで優雅にテレビを鑑賞していた。

……つまるところ、特にすることがないので暇つぶしをしていた。

「ん?」

そんな時、インターホンが来客を知らせる。

特に見たい内容でもなかったので、テレビを消して立ち上がる。

急な届け物かもしれないし、面倒だが居留守をするのはためらわれた。

少しだけ伸びをしてから、玄関へ向かう。

「はーい」

そうしてドアを開ける、と。

「あ、すみません……って……あ」

「……え」

そこにいたのは、

「あれ、あの時の……?」

俺を助けてくれた、あのおじさんだった。

「は、はい。……そ、その節は、お世話になりました」

頭の中から、少しでも丁寧な感謝の言葉を引っ張りだす。

しかし、言い慣れていないせいか、その言葉は自分でも辿々しかった。

「いやいや、そんな大したことじゃないよ」

対しておじさんは、慣れた様子でそう照れ笑いを浮かべた。

「えっと……ご両親はいらっしゃるかな?」

ひとしきり笑うと、おじさんはふいに大人の顔になってそう訊ねる。

「あ、今出かけてて」

「ああ、そう。なら、この名刺とパンフレットを渡しておいてくれるかな?」

戸惑いつつ答えると、おじさんは徐ろにカバンから取り出した名刺とパンフレットを俺に手渡した。

無意識に名刺に視線を走らせる。

書かれているのはよくコマーシャルでも目にする有名な電力会社の名前。

そして……佐原、信。

読み仮名によると、さはら、しん。

それが、おじさんの名前らしい。

「……それじゃ、営業モードはここまでにして。……えっと、失礼だけど、名前とか聞いておいていい?」

と、おじさん……佐原さんは、突然温和な表情を浮かべてそんなことを訊いた。

「え?」

名前なんて、聞いてどうするんだろう。

「……道坂、玄、です」

一瞬過ぎった疑問を頭の隅に追いやって、素直に名乗った。

みちさか、げん。それが俺の名前だった。

名前を言うのに詰まったのは、あまりこの名前が好きではないからだ。

というのも、玄、なんて厳めしい名前の割に、俺はいわゆる「童顔」の部類の顔をしているのだ。

そのギャップを、高校二年生になった今でも受け入れられずにいた。

いや、客観的に見ると、高校生だから余計なのかもしれない。

「玄くんか。……かっこいい名前だね」

「ど、どうも」

若干の複雑な思いを抱えながら、佐原さんの言葉に会釈で返す。

「……」

「……」

どことなく、ぎこちない雰囲気が流れ始めた。

「……その……」

流れを変えるべく、俺はそっと口を開く。

「ん?」

「佐原さんは……まくるちゃん、お好きなんですか」

「……え?」

しかし、あまりに唐突すぎたのか、佐原さんは目を瞬いて固まってしまった。

「あ、あの、実は、俺、先週のコンサートの会場で、隣にいたんです。佐原さんの隣に」

「そ……そうだったの?」

慌てて付け加えると、佐原さんは今度は目を丸くしてそう訊ねてくる。

「はい。その時にまくるちゃんの名前呼んでたから、好きなのかなって……すみません、突然」

「ううん、いいよ、謝らなくても。……そうか……隣にいたんだね……あはは、恥ずかしいなあ」

早口でまくし立てると、佐原さんは気にした様子もなくのんびりと笑った。

「うん、まくるちゃんのファンなんだ」

それから、照れたような笑みを浮かべてそう言った。

「……俺もです」

やっぱり、そうだったんだ。

同志がいたことに嬉しくなって、遠慮なく微笑んで返す。

「へっ?」

「えっ?」

すると、佐原さんがまた目を丸くした。

思わず俺も素っ頓狂な声を上げてしまう。

「そうなの?」

「は、はい」

佐原さんの問いに、証明するように二回頷く。

「ほんとに?嬉しいな、会社にはそもそもアイドルが好きな人っていなくて……」

すると、佐原さんはまた照れたように笑みを浮かべた。

「ああ……確かに、真面目な会社、みたいですもんね」

「まあね。みんな仕事仕事で……あ、もちろん僕もちゃんとやってるけどね」

俺の言葉に、佐原さんはどこか疲れたように笑う。

チーム〇八のファンは、主に高校生が中心だと聞く。

佐原さんが知らないだけで佐原さんの会社にも隠れファンがいる、という可能性も考えられるが。

それに、ネットの方ではまくるちゃん推しは少数派であると言われていた。

実際に、クラスの中でもチーム〇八が好きな友達がいるが、みんな清楚な黒髪美人なリーダーのぷるんか金髪でハーフのさーらを推していて、まくるちゃん推しは俺だけだった。

「あっ、そろそろ行かなきゃ……。ごめん、また寄らせてもらうね。ご両親によろしく」

と、佐原さんは不意に時計を見て、慌てたように早口でまくし立てる。

「あ、はい。また」

「うん。今度はゆっくりアイドル談義でも。あはは」

「はい」

最後に朗らかな笑みを残し、佐原さんは行ってしまった。


「……」

名刺を見ながら、一人立ち尽くす。

言い知れぬ寂しさが、胸にぽつんと居残っていた。


―――助けてもらったからだ。

そして、佐原さんがまくるちゃん推しだからだ。

中々いないまくるちゃん推しの人に出会ったからだ。

だから寂しいのだ。

そう、年こそ離れているようだけど、友達になれそうだったから。


「……」

そう理由をつけて、寂しさを片付ける。

秋めいた少し冷たい風が、頬をそっと撫でていった。


***


「明日、もう少し契約取り付けてこい」

「……はい」

上役の厳しい視線が突き刺さる。

……会社では、少し居づらい立場にいた。

ばりばり働ける年齢ではないが、重役につけるような経験はない。

板挟み、というやつだ。


「はあ……」

帰り道でため息をつきながら、家路を急ぐ。

家に帰れば、こんな日常の中での唯一の癒しが待っている。

唯一の癒し。

―――それは、「可愛い物」だった。

小さな子供に人気のキャラクターから、ギャルに流行りのグッズ、大人の女性が持つようなアイテム、アイドル……など、可愛いと感じるものなら何でも。

営業で家々を回る時のバッグにも、こっそりキャラクター物のグッズを着けていたりする。

……そして、その癒しに、また一つ新たなものが加わろうと、してしまっていた。

そう、してしまっていた。

「……うーん」

……道坂玄くん。偶然トイレで居合わせた不良を倒し、偶然助けた「男の子」、だ。

その偶然出会った男の子が、つい昨日に偶然自分が担当することになった営業のエリアにいた。

そんな偶然は、もはや運命といってもいいのではないだろうか。

……しかし。

相手は30も年下の男の子、なのだ。

いくら自覚しているとはいえ、そんなフェミニン思考をそんな男の子に当てはめてしまって良いものかどうか。

可愛い物は好きだが、あくまで性的な対象は女性だ。

「……」

それに。

癒しに加えようと思ってしまうほど可愛いと感じた理由は……顔だ。

助けた時もついまじまじと見つめてしまったほど、その童顔気味な顔が、可愛かった。

もし、億が一、いや兆が一、道坂くんが僕の趣味を受け止めてくれたとしても、仲良くしたくなったきっかけがそんな面喰いという意外他にない理由で納得してもらえるだろうか。

いや、してもらえないに決まっている。

「……」

アイドルがきっかけとなって意気投合したように感じたし、仲良くはしていきたいけれど……。

唯一楽しいと思える家路も、今日は何だかモヤモヤしていた。

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