私が幼稚園小学校で「暴力って良くないな」と分からされた話
私、生まれながらに血の気がとても多い方でして、幼稚園の頃、自分の事を本気で「最強」だと思ってたわけなんですね。
なので、「年少さん」の時から「なんで年長さんって俺よりでかいだけなのに強いとされてるの?」「俺が最強だって教えてやる」みたいにいきがって、喧嘩を売ってたわけなんです。
もちろん、幼稚園児の喧嘩なんてたかがしれたもので、パンチやキックでポコポコポコポコやってました。
当時の私は「一人で年長さん三人に勝った(勝ったわけではない)俺カッケー! やっぱ最強だわ!」みたいな状態で、「喧嘩しようぜ」が常套句のいつの時代のヤンキーだよみたいな奴でした。
別に家庭環境が悪かったわけでもなく、今の今まで健全に育てて頂いているので、おそらくただただ「俺最強」を証明したかっただけなんだと思います。
ただ、別に私は運動神経があるわけでも、なにか武道をやってたわけでもないので、負けるときは負けてました。
それでも、「おもしれぇ」「やるじゃん」「次は負けねーから」みたいに何度も何度も喧嘩してました。
まぁ、どんだけ言っても幼稚園児なので、怪我はさせてなかったですし、させられてもいません。喧嘩という名の、ただのじゃれ合いです。
まぁ、そんな厨二病の果てみたいな精神性で過ごした幼稚園でしたが、ここで転機が訪れます。
年上のご近所さんが俺をからかう。
当時は衝撃的でした、最強のはずの俺が、こんなふざけた年上というだけの奴に勝てないなんて、ありえない。
それも、徹底的に煽られて、黙らされる。
この辺りで、少しずつ察してきました。
俺、最強じゃなくね?
小学校に上がってからも、喧嘩しようぜのメンタルはありましたが、以前のような「最強の証明」みたいな感じではなく、遊びの延長線上、いわゆる「戦いごっこ」に変化してきた気がします。
そっちの方が楽しいですし、何より、痛くない。
幼稚園児の喧嘩とはいえ、当時からすれば立派な「暴力」です。痛いものは痛かった。
その痛みを楽しんでいた節もありましたが、まぁ、そんなのしない方がそりゃいいよな。と気づき始めていました。
ただ、それでもご近所さんの煽りは収まらない。
子供の喧嘩、さりとて、その時の感情は本物。
怒ってました。嫌でした。
そして、これまでの経験で、自分は「最強」だなんて程遠い、むしろ、「弱い」。そう理解してきました。
そこで、当時の私は、一つの結論に辿り着きます。
暴力を振るうほうが弱いんじゃね……?
これは、あくまで子供時代の私が感じた極論です。
ただ、「最強」だ何だと強さを求めてきた私にとって、この発想は脳天を貫きました。
喧嘩で強いほうが強い。その価値観を根底から覆す、発想の転換。
それでも、暴力を振るわないなら、ご近所さんとの現状を打破できない。
ただ、暴力は、弱者のすることだ。
その矛盾を抱えたまま、当時の私はなお考えました。
強くなりたいと。
そこで、私は武道を習い始めました。
ただ、ここで自慢できるほどの経験ではなく、齧った程度もいかないので、割愛します。
しかし、これにより得た教訓はとても多くのものがありました。
前から習っていた子や、師範は確かに強いんです。
でも、かといって好き好んで喧嘩なんてしない。むしろ、戦わない、争わない道を選ぶ。
それを選べるだけの力がある。
「強い」って、こういうことなんじゃないか。
そんな事を、感じるようになっていました。
ですが、今でこそこんな高尚な体験談のように語れますが、当時はまだ子供。その意味や、本質が理解できるほど、賢くない。
そこでもう一つ、私の価値観を大きく変えてくれた恩師の話をしたいと思います。
彼は、小学校5.6年生の時の担任で、「大人」とは何なのかというのを、体現しているような人でした。
「子供」を、「子供扱い」しないんです。
一人の人間として、話を聞き、語り合ってくれる。
子供から見ればずる賢い事も、「あえて」やってくる。
授業で質問に答えた時の口癖は、「なんで? どうして?」
しっかりと理由付けし、思考を巡らせ、説得しないといけない。そんな授業が、とても面白かったです。
この年になった今でも、当時同じクラスの親友達と話すと、必ず「最高の先生だった」と口を揃えます。
そんな彼が、私に与えてくれた、最も大きな経験の話です。
当時、クラスにはいじめられていた子がいました。
無視したり、からかったり。
もはやクラスの同調というか、それが「普通」になってしまっていました。
当時の私も、率先していじめるわけではなかったですが、特に何も思っていませんでした。
いや、もしかすると心の何処かで、「弱い」その子を、小馬鹿にしていたのかもしれません。
そこに、先生が喝を入れました。
内容を細かく覚えているわけではありません。
それでも、当時の自分にものすごく深く刺さりました。
確かに、おかしい。
そんなの、人に対する態度じゃない。
そもそも、なんでこんなに邪険にしているのかと言われたら、とてもしょうもない事だ。
そこで、自分で自分に思いました。
「だっせぇな」と。
それからは、自分からその子に関わるようになり、からかったりされないように一緒にいることが増えました。
強いとか、弱いとか、そういうんじゃないんです。
「対等」でした。
そんなこんなでタラタラ語ってきましたが、私もまだ子供です。
ただ、自分が最強ではないと理解した日から、これまでずっと心情にしていることがあります。
それは、
「暴力は逃げ」と「なんだかんだみんな対等」です。
理解し合えない人間は意外と居ないし、話してみてダメなら、直そうだなんて傲慢な考え方をする必要はない。
むしろ、他の人からすれば、私が苦手なところは、良いところかもしれない。
いや、悟ってるような口ぶりですが、別に全然腹立つ事もありますし、かなり自堕落です。
でも、これまでの人生で感じたことがあったので、記してみる事にしました。




