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私が幼稚園小学校で「暴力って良くないな」と分からされた話

作者: タイラ
掲載日:2026/10/30


 私、生まれながらに血の気がとても多い方でして、幼稚園の頃、自分の事を本気で「最強」だと思ってたわけなんですね。

 なので、「年少さん」の時から「なんで年長さんって俺よりでかいだけなのに強いとされてるの?」「俺が最強だって教えてやる」みたいにいきがって、喧嘩を売ってたわけなんです。

 もちろん、幼稚園児の喧嘩なんてたかがしれたもので、パンチやキックでポコポコポコポコやってました。


 当時の私は「一人で年長さん三人に勝った(勝ったわけではない)俺カッケー! やっぱ最強だわ!」みたいな状態で、「喧嘩しようぜ」が常套句のいつの時代のヤンキーだよみたいな奴でした。

 別に家庭環境が悪かったわけでもなく、今の今まで健全に育てて頂いているので、おそらくただただ「俺最強」を証明したかっただけなんだと思います。


 ただ、別に私は運動神経があるわけでも、なにか武道をやってたわけでもないので、負けるときは負けてました。

 それでも、「おもしれぇ」「やるじゃん」「次は負けねーから」みたいに何度も何度も喧嘩してました。

 まぁ、どんだけ言っても幼稚園児なので、怪我はさせてなかったですし、させられてもいません。喧嘩という名の、ただのじゃれ合いです。


 まぁ、そんな厨二病の果てみたいな精神性で過ごした幼稚園でしたが、ここで転機が訪れます。


 年上のご近所さんが俺をからかう。


 当時は衝撃的でした、最強のはずの俺が、こんなふざけた年上というだけの奴に勝てないなんて、ありえない。

 それも、徹底的に煽られて、黙らされる。


 この辺りで、少しずつ察してきました。


 俺、最強じゃなくね?



 小学校に上がってからも、喧嘩しようぜのメンタルはありましたが、以前のような「最強の証明」みたいな感じではなく、遊びの延長線上、いわゆる「戦いごっこ」に変化してきた気がします。

 そっちの方が楽しいですし、何より、痛くない。

 幼稚園児の喧嘩とはいえ、当時からすれば立派な「暴力」です。痛いものは痛かった。

 その痛みを楽しんでいた節もありましたが、まぁ、そんなのしない方がそりゃいいよな。と気づき始めていました。


 ただ、それでもご近所さんの煽りは収まらない。

 子供の喧嘩、さりとて、その時の感情は本物。

 怒ってました。嫌でした。

 そして、これまでの経験で、自分は「最強」だなんて程遠い、むしろ、「弱い」。そう理解してきました。


 そこで、当時の私は、一つの結論に辿り着きます。



 暴力を振るうほうが弱いんじゃね……?



 これは、あくまで子供時代の私が感じた極論です。

 ただ、「最強」だ何だと強さを求めてきた私にとって、この発想は脳天を貫きました。

 喧嘩で強いほうが強い。その価値観を根底から覆す、発想の転換。


 それでも、暴力を振るわないなら、ご近所さんとの現状を打破できない。

 ただ、暴力は、弱者のすることだ。

 その矛盾を抱えたまま、当時の私はなお考えました。


 強くなりたいと。



 そこで、私は武道を習い始めました。

 ただ、ここで自慢できるほどの経験ではなく、齧った程度もいかないので、割愛します。

 しかし、これにより得た教訓はとても多くのものがありました。


 前から習っていた子や、師範は確かに強いんです。

 でも、かといって好き好んで喧嘩なんてしない。むしろ、戦わない、争わない道を選ぶ。

 それを選べるだけの力がある。


 「強い」って、こういうことなんじゃないか。

 そんな事を、感じるようになっていました。



 ですが、今でこそこんな高尚な体験談のように語れますが、当時はまだ子供。その意味や、本質が理解できるほど、賢くない。


 そこでもう一つ、私の価値観を大きく変えてくれた恩師の話をしたいと思います。


 彼は、小学校5.6年生の時の担任で、「大人」とは何なのかというのを、体現しているような人でした。

 「子供」を、「子供扱い」しないんです。

 一人の人間として、話を聞き、語り合ってくれる。

 子供から見ればずる賢い事も、「あえて」やってくる。


 授業で質問に答えた時の口癖は、「なんで? どうして?」

 しっかりと理由付けし、思考を巡らせ、説得しないといけない。そんな授業が、とても面白かったです。

 この年になった今でも、当時同じクラスの親友達と話すと、必ず「最高の先生だった」と口を揃えます。



 そんな彼が、私に与えてくれた、最も大きな経験の話です。


 当時、クラスにはいじめられていた子がいました。

 無視したり、からかったり。

 もはやクラスの同調というか、それが「普通」になってしまっていました。

 当時の私も、率先していじめるわけではなかったですが、特に何も思っていませんでした。

 いや、もしかすると心の何処かで、「弱い」その子を、小馬鹿にしていたのかもしれません。


 そこに、先生が喝を入れました。


 内容を細かく覚えているわけではありません。

 それでも、当時の自分にものすごく深く刺さりました。


 確かに、おかしい。

 そんなの、人に対する態度じゃない。

 そもそも、なんでこんなに邪険にしているのかと言われたら、とてもしょうもない事だ。


 そこで、自分で自分に思いました。

 「だっせぇな」と。


 それからは、自分からその子に関わるようになり、からかったりされないように一緒にいることが増えました。

 強いとか、弱いとか、そういうんじゃないんです。


 「対等」でした。



 そんなこんなでタラタラ語ってきましたが、私もまだ子供です。

 ただ、自分が最強ではないと理解した日から、これまでずっと心情にしていることがあります。

 それは、


 「暴力は逃げ」と「なんだかんだみんな対等」です。


 理解し合えない人間は意外と居ないし、話してみてダメなら、直そうだなんて傲慢な考え方をする必要はない。

 むしろ、他の人からすれば、私が苦手なところは、良いところかもしれない。


 いや、悟ってるような口ぶりですが、別に全然腹立つ事もありますし、かなり自堕落です。


 でも、これまでの人生で感じたことがあったので、記してみる事にしました。

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