#10(最終話)
少しずつ俺の順番が近づいてくると同時に手が震え始めていた。
お嬢様が作ったチョコレートを受け取るなと言われているかのように――
彼女がバレンタインの贈り物を準備した理由。
それはよく「感謝チョコ」と言われる感謝の気持ちを伝えるものだった。
容器にはやはり百円ショップで購入してきたクマのシールがついていてとても可愛い。
震える手で蓋を開ける。
中身のチョコレートはよい香りでブラックチョコレートとホワイトチョコレートのマーブル模様。
その場で食べて感想を言ってあげたいけれど、あのお嬢様だから何か訳の分からんものや毒が入っていそうで……
彼女の努力を踏みにじることにはなってしまうが、口に運べず、いくつかゴミ箱に捨てた。
お嬢様からするとショックを受けるだろうな思う。
もし、俺が女性だった場合も同じことが言えるかもしれないと――
彼女の右手は……俺の頬を強く叩かれていた。
お嬢様は「……もう……知らない!」と泣きながら何処かへ行った。
彼女の行き先は俺には分からない。
◇◆◇
「あっ! お嬢様!」
メイドが近づいてくるけれど、今は合わせる顔がないわ。
「どうでしたか? 来栖さんは喜んでくれました? って……お嬢様!?」
わたくしは彼女に今に至るまでの経緯をすべて話した。
◆◇◆
この屋敷の執事として雇われてから数年くらい経過しているが、はじめてお嬢様を怒らせてしまったかもしれない。
メイドが怒りを露にして近づいてきた。
「来栖さん……わたしたちが作ったチョコをいくつか捨てたんですって!?」
な、何故、そのことを知っている!?
お嬢様、彼女にあれこれ話したな!?
「ええ。危険なにおいを感じましたので……」
「はぁ!? あのチョコには毒なんて全く仕込んでいません!」
メイドは必死になっている。
彼女が必死になればなるほど、嘘っぽく感じてしまうのは何故だろうか?
今は執務中ということもあり、冷静にあしらうことにした。
「それは本当ですか?」
「ええ。わたしだってお嬢様と同じ気持ちです! 貴方のほっぺでも何処でもひっぱたきますよ!」
「……私は何も事情は存じ上げませんでしたので……大変申し訳ございません」
二人が作ったチョコレートを捨てたことは謝罪する。
昨日の料理長からの報告を受けたのだが、彼女らに説教しづらくなってしまったな。
表面上では知らん振りしてはいるものの事情は察していた。
「来栖さん、旦那様と奥様からお話があるそうですよ。玄関ホールにきてほしいと仰ってました」
「はい、承知いたしました」
先ほどまで怒りに満ちていたメイドは落ち着いたのか旦那様と奥様からの伝言とはどのような用件だろうか?
俺は彼らがいる玄関ホールへ向かった。
◆◇◆
「旦那様、奥様。遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いや、いいのだよ。家内から話があるそうだ」
「ええ。有紗のことですが……」
やはり、お嬢様のことか……
彼女の専属執事は速やかに席を外す。
旦那様は「じゃあ、ゆっくり話し合ってくれ」といい、専属執事と席を外した。
「直くん。突然で申し訳ないけれど、しばらくの間、私の専属と交換していただけないかしら?」
「私が奥様の執事になると捉えてよろしいでしょうか?」
「その通りよ。彼から了解を得ているわ。あとは直くんがよければ」
「実は……私も今はお嬢様と距離を置くべきだと思っております」
「ならば、決まりね」
「奥様。しばらくの間は有紗お嬢様のところでよろしいでしょうか?」
「ええ」
「お嬢様のことをよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、奥様のことをよろしくお願いいたします」
「直くん、行きましょう?」
「はい」
例の一件が原因でしばらくの間は奥様とお嬢様の専属執事は入れ替えとなった。
◇◆◇
二月十五日――
バレンタインデー翌日。
「有紗お嬢様、朝ですよ!」
「……ふぁーい……」
わたくしを起こしにきたのは来栖ではない。
お母様の専属執事が昨日の晩餐からわたくしに支えている。
ならば、彼は一体……?
◆◇◆
俺は奥様の部屋の前にいる。
扉を叩くと「入っていいわよ」と反応があった。
「失礼いたします。奥様、おはようございます」
「おはようございます。直くん」
「お支度はお済みでしょうか?」
「ええ」
「では、居間へ参りましょう」
奥様を居間へ誘導する。
お嬢様の姿はまだ見かけない。
「お父様、お母様……おはようございます……」
彼女は相変わらず寝坊してきて、眠そうな顔と声をしていた。
俺から視線を合わせようとするも、すぐに反らされる。
奥様とお嬢様が同じタイミングで朝食を終え、席を外そうと立ち上がった。
◇◆◇
わたくしは専属執事と一緒に外出に行こうと支度を終え、車を待っていた時、来栖とお母様が会話しながら歩いているところにすれ違った。
会話の内容は聞き取れなかったけれど、彼が楽しそうにしているところは今まで見たことがない。
来栖って……わたくしに見えないところではあんな風に楽しそうに笑うんだ……
そう思ったら、寂しくなってきた。
わたくしにもほんの一回だけでもその顔を見せてほしかった。
ただそれだけ――
◆◇◆
あれから二週間が経過した。
俺はお嬢様の部屋にご用があったので、部屋の扉を叩いたが、不在なのか反応が全くなかった。
反対側から彼女が一人で歩いてくる。
すれ違いがてらに少し会話ができればと思っていたが……
俺が後ろを振り向いたら互いに何も言わずにすれ違っていた。
お嬢様の部屋の扉がパタンと閉まる。
扉の向こうには彼女がいるはずなのに、隔たれた自分は何もできなかった。
~ Fin ~
この度は『すれ違いの原因は彼女から受け取った感謝チョコ。』(旧タイトル『すれ違いの原因はわたくしが作った感謝チョコ。』)を最後までご覧いただきありがとうございました。
拙作は『悪食令嬢と暗殺執事(https://ncode.syosetu.com/s4927j/)』シリーズの6作品目、本当は短編で投稿しようと思っていたのですが、文字数が嵩んでしまい、バレンタインの短期連載枠となってしまいました。
本シリーズの中でも残酷描写はないため、シリアス系が苦手な方でもご覧いただけるかと思います。
最後になりますが、約2週間と短い期間でしたが、ここまでご覧いただきありがとうございました。
2026年2月14日 楠木 翡翠
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2026/02/14 本投稿




