公爵邸の、小さなお茶会
領邸の中に入った途端、アディは泣き始めました。そうですわよね、ずっと母と慕っていた方との別離なのですもの。たくさん泣くべきですわ。
抱きしめると、安心したように声を上げて泣くアディに、わたくしも泣きそうになりました。涙なんて、もう何年も流していないのに、おかしなものですわね。
「アディ、よくがんばりましたわ。エルマはアディの笑顔を覚えて帰れたのですから、これはアディのお手柄ですわ。泣き顔ではなく、笑顔で見送ることができるなんて、アディは親孝行な娘ですわ。わたくしにはできませんでしたもの」
号泣するアディの頭を撫でるわたくしの後ろでギデオン様がおろおろしておりますが、知りませんわ。今までアディの〝親〟だったのは、ギデオン様ではありませんもの。
「エルマには今までのご褒美をたくさん渡しましたから、アディにもご褒美をあげなくてはね。なにがいいかしら。でも、まずは泣ききってしまいましょうね。ああ、目をこすってはいけませんわ。冷たくした布を持ってきてもらいますから、それで冷やしましょう」
そう言っている間に、アディ付きの侍女であるハンナから冷たい水で濡らしたハンカチが差し出されました。領邸のメイドが準備してくれたみたいね。状況を見てすぐ動ける子たちがいるなら、ここでの生活も安心できそうですわ。
「ま、まま、ままぁ……」
「こんなにアディに愛されて、エルマは幸せね」
「うぇええええ」
結局、そのまま泣き疲れて眠るまで、アディは泣き続けました。
寝入ってしまったアディは領邸の使用人たちに任せて、わたくしもまた着替えに参りますわ。胸元の装飾がアディを傷つけてしまわないように間にハンカチを挟みましたけれど、それでも濡れてしまいましたものね。
「……すまない」
「謝ってばかりですわね、ギデオン様。もう過ぎてしまったことは仕方ありませんの。ギデオン様とシャーロット様の代わりをエルマが今まで務めてくださったのです。感謝の方が相応しいと思いますわ」
親の愛情というものがどういうものかはわかりませんが、でもエルマとアディの間にあったものが歪んでいてもなお素敵なものだったことは、わたくしにもわかります。
「これからわたくしたちがアディに示せるものは、わたくしたちの中にあるものだけです。アディが幸せに過ごせるよう、わたくしも努めますから、ギデオン様もギデオン様なりにアディを大切にすればよろしいのよ。ああ、ご自身を労わることも忘れてはなりませんわよ?」
王宮など放っておけばいいのですわ。あちらは搾取はすれど、わたくしたちになにももたらしてはくれないのですから。
◇
旅の疲れもあったのか、アディはそのまま翌朝まで眠っていました。夜わたくしが隣に横たわっても起きなかったのですわよ? 疲れ切っていたのでしょうね。
「……リディ、おぁよ……」
「おはようございます、アディ。よかった、あまり目は腫れておりませんわね」
アディのぱっちりとした双眸は、今日も可愛いですわ。
目を覚ましてわたくしが隣にいたのが嬉しかったのか、アディはにこっと笑うとぐりぐりと頭をわたくしの胸元にこすりつけてきました。可愛すぎはしませんこと? 貴族の子女は親と共に寝ませんけれど、幼いわたくしはお別れの後ひとりぼっちでいたことがとてもつらかったので、アディがさみしくないようにとこの部屋で就寝することにした昨日のわたくし、大成功ですわ!
「ぁたし、がんばったの……」
「そうですわね、わたくし、見ておりましたわ。とても素敵でした」
「わたし、わたし……ちゃんとできてた?」
「できておりましたよ。大丈夫ですわ。わたくしから見ても立派でした」
銀糸の刺繍が見事だったあのリボン。きっとエルマは手放すことなく思い出の品として、絵と共に手元に残すでしょう。そう思うと幸せな気持ちになって、わたくしは自然と笑みを浮かべておりました。
「朝食が終わりましたら、領邸を探検いたしましょう? 今日もお天気がよろしいですから、お庭でお茶会するのもよろしいですわね」
「おちゃかい……する」
「せっかくですし、アディのお友達たちもお茶会にお呼びしましょう。お道具も持ってきましたものね」
アディとの仲を深めるために、わたくしは王都邸で何度かお茶会をいたしましたが、その時にお茶会の練習のためにお人形たちを使ったまねごとをいたしましたの。エルマが作った、マギーという名の一体のお人形がアディ。そこに新しく購入したお人形たちを呼んで小さな陶器の茶器でおもてなしをする小さなお茶会は、アディのお気に入りの遊びでした。
「リディのうさちゃんも来る?」
「ええ、あの子もぜひに呼んでくださいまし。あの子はわたくしですから、アディに呼んでもらえなかったら泣いてしまうかも」
もう、綿が偏ってへたってしまったわたくしの大事なぬいぐるみ。アークベリーの王都邸の寝室に置いてあったために長年会えていなかったけれど、輿入れの時に持ってこれてよかったわ。捨てられていたらどうしようと思っていたけれど、きちんと残しておいてもらえた大事な子。
「うさちゃん、マギーとなかよしだから、おちゃかいにはぜったいいるの」
「ありがとう存じますわ」
「うさちゃん、どこ?」
「あの子はわたくしの寝室に置くようお願いしてあります。アディのところにマギーさんがいるように、わたくしのところにあの子はおりますのよ」
生家からアークベリー家に移る際、実母が持たせてくれたといううさぎのぬいぐるみ。わたくしの生家のつながりはもうあの子しかおりませんけれど、でもずっと側にいてくれた唯一の子ですから、もうぬいぐるみを愛でる年ではございませんけれど、こっそり持っているのですわ。
まさか、アディとのおままごとにお邪魔できるとは思ってはいませんでしたけれど、きっとあの子もさみしくなくなって喜んでいると思います。
「うさちゃん、マギーのいちばんのおともだちなの」
「あの子もひとりぼっちでしたから、マギーさんという素敵なお友達ができて喜んでおります。わたくしがアディに出会えて嬉しいように」
「おそろいね」
わたくしたちがおしゃべりする声が聞こえたのでしょうか。朝の支度をする侍女たちが部屋にやってきました。そろそろ起きなくてはね。
「奥様、お嬢様、おはようございます」
「エミリー、おはよう。ハンナ、アディをよろしくね」
わたくしの側付きのエミリーが寝台の天蓋をあけてくれたので、わたくしはアディの侍女のハンナに寝間着姿のアディを預けて、いったん自室として案内された部屋に戻りました。
王都邸ではギデオン様のお部屋とわたくしのお部屋は棟すら別でしたけれど、こちらでは当主の部屋と続いている女主人の部屋が与えられております。本来子ども部屋は夫婦の部屋とは離してあるのですが、ギデオン様のたっての希望でアディのお部屋もわたくしたちの部屋の側にありますの。
「レイラ、今日の予定を聞かせていただける?」
自分の寝台ではなく、はしたなくも子ども部屋の寝台で休んでいたわたくしを責めることなく、エミリーは粛々とわたくしの支度をします。その隣で、わたくしのスケジュールを管理している侍女のレイラに確認を取ります。もちろん覚えてはいるけれど、わたくしが起きるまでに変更があるかもしれませんし。
「本日は基本的に休養日です。ただ、こちらでお過ごしになるために、使用人のお目通りと、部屋の改装指示はしていただくことになります」
「わかったわ。午後にはアディとお茶会をしようと思うのだけれど、準備していただける?」
「いつもの準備でよろしいですか?」
「ええ、今日はアディを甘やかす一日にしたいの。よろしくね」
レイラもエミリーも王都邸からついてきてくれた子ですが、どちらも有能な子です。女主人の侍女はもっと人数がいるそうだけど、まずは慣れることから始めようと、ケリーが選りすぐりの子をつけてくれたのが彼女たちよ。王宮の時についてくれていた人たちとは人数からして違うけれど、でもわたくしに寄り添ってくれる気持ちの暖かさはこの二人の方が強いから、お願いして領地にもついてきてもらったの。
「使用人のお目通りの前に旦那様とお嬢様との朝食になります。その前に、こちらの領邸から奥様付きになった二人を紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
手際よくわたくしの身支度をするエミリーの横で手伝う二人の女性が、レイラの声に合わせて会釈をしました。
「ポーラとミシェルです。まずは四人体制で奥様の補佐をいたします」
「まぁ、よろしくね」
レイラとエミリーは、わたくしより少し上の年頃ですが、ポーラはギデオン様と同じくらいの年の、ミシェルはさらに上の年齢に見えますわ。
「こちらの領邸ではミシェルがリーダーとなって動きます。侍女長とは別で、あくまでも奥様の侍女頭というかたちになります」
「わかったわ。でも、今日のお茶会の準備はエミリーが詳しいの。準備は彼女に倣ってね」
わたくしとアディのお茶会はふつうではありませんから、こちらの人にも慣れていただきたいわ。
◇
「リディ!」
「あら、アディ。お茶会のホストはそのような声掛けはしませんのよ? どうするんだったかしら」
ホストとしてわたくしより先にお茶会の席に案内されていたアディは、わたくしの姿を見つけると、笑顔で走り寄ってきました。ですけれど、これは教育を兼ねるお茶会ですから、それではいけませんわ。
「リディアさま、うさぎさま、今日は、ようこそいらしてくださいました。どうぞ、こちらへ」
きちんとできた?と視線で問いかけるアディに、わたくしは微笑んでみせました。合格ですわ、アディ。
「アデライン様、マギー様。本日はお招きいただき感謝いたします」
淑女の礼をするわたくしの側で、レイラがアディの書いた招待状をアディ付きの侍女であるアリスに見せています。わたくしも確認したけれど、きちんと形式に乗っ取って書くことができていたわ。まだ文字の大きさや形は不安定だけれど、たくさん練習したと聞いた通り、王都邸でのお茶会の頃よりさらに洗練されています。この調子でしたら、そのうち実際のお茶会をすることもできるはずですわ。
「さぁ、こちらへ! リディさまは、わたしのよこで、うさちゃんはマギーのよこね!」
テーブルには、お花やシルバースタンドに並べられたティーフーズの他に、大小のティーカップが準備されています。わたくしたちが席に座ると、待っていたというようにアディはティーポットを手にして、カップに紅茶を注いでいきました。肌の薄い磁器の中に、美しい紅が踊りました。まだ細い腕には重かったでしょうに、こぼさないよう頑張って注ぐアディに、わたくし泣きそうです。
「あたたかいうちに、どうぞ!」
「では、お言葉に甘えましていただきますわね」
王都より日差しが強いため、お茶会の席の上には白いパラソルが差されています。濃い緑と青い空に白いパラソルが映えて、とても美しいですわね。庭の花々もとても素敵です。
「アデライン様、とてもおいしゅうございます。どちらの紅茶ですの?」
「えっと、えーっと……ヒガシューの、ですわ」
「フィーガシュー領の紅茶ですのね。春摘みかしら。水色が美しいけれど、少し濃いめですから……夏摘みかしら」
「そう、ヒーガシューの、なんだっけ……にばんめのやつです」
「夏摘みですのね。最新のお茶を味わえて嬉しゅうございますわ。芳醇な香りが素敵ですわ」
「シークのミルクもあります」
お茶会のやりとりを楽しそうにするアディは、手袋に包まれた小さな手でスタンドの上のクッキーを手にしました。
「わたし、これがすきですの!」
「まぁ、アデライン様はクッキーがお好きですのね」
「そうです。ヒーガシューいりのクッキーです。おいしいのです」
「おいしそうですが、わたくしはこちらの軽食からいただいてもよろしゅうございますか?」
「あっ! そうです、はじめは下からなのです! わたしはおさかなのにします!」
お茶会のマナーを勉強として覚えてもつまらないので、おままごとの一環として始めましたが、アディにそれは合っていたみたい。楽しそうにお茶会をするので、だんだん手はずがよくなってきましたわ。何事も、繰り返しが大事ですから。
「サーモンのサンドウィッチですわね、クリームチーズとよく合っておいしいと思いますわ」
「リディさまは、おやさいのですね。わたし、トマトが苦手です……」
少しずついろんなものを口にし出したアディは、最近好き嫌いがはっきりしてきました。酸味があるものはたいてい好みではなさそう。なのでサーモンのサンドウィッチも、サワークリームではなくクリームチーズと合わせてあるのですわね。昨日の今日できちんとあるじの好みに合わせられる領邸の料理人は優秀ですわ。
「マギーと、うさちゃんにも、おとりします!」
そう言うと、アディは彼女たち専用の茶器の隣に、野菜のサンドウィッチをひとつずつ置いていきました。一口サイズですから、ぬいぐるみ用に作らせたお皿の上にも十分乗るのですわ。
好きなサーモンのサンドはシルバースタンドに残しておくアディがおかしくて、わたくしの唇は思わずほころんでしまったわ。なんて可愛いんでしょう!
リディアのぬいぐるみの名前は誰も知りません。小さなリディアがこっそり付けた名前があるのですが、成長したリディアはそれを誰にも告げられずにいます。
アデラインの人形は、幼い頃にエルマが縫ったものなので、ぼろぼろです。マギーという名はエルマが付けました。彼女は娘を死産しています。




