家族は一日にしてならずなのです
あの後、丸と一日、ギデオン様は死んだように眠られました。途中どうにか起きて水分や食事を摂らせましたが、体力が回復するまで強制的に寝かしつけましたわ。
さすがのギデオン様も、ご自身が疲れ果てていることに気づいたのか、おとなしく寝台に横になっていたのですが、めったに見ないお父様の在宅にそわそわしたアディは、逆にお昼寝しませんでしたの。
「アディ、お父様にお手紙を書きましょう」
眠れないのならば仕方がありません。少しずつ体力がついてきたのか、最近あまりお昼寝も長くありませんでしたしね。七歳という本来の年齢を考えるならば、もうお昼寝の時間は減らしていってもよさそうですわ。
そわそわするアディに、わたくしは紙を渡しました。便箋ではなく、画紙ですわ。絵を描くことが好きなアディは、画紙には慣れています。
「おえかき?」
「ええ、お絵かきもしますが、まずは軽く文字の練習をしましょうね。だって、アディからのお手紙だとわからなかったら、ギデオン様も悲しいじゃありませんか。わたくしが見本を書きますので、アディは真似してみてくださいませね」
自分の名前を書くのだと知ったアディの顔が輝きます。わたくしが執務をしているときに文字を書いているのを見ていたアディは、最近とみに「書くこと」に興味を示していたから、ちょうどよかったですわ。
「あ、でぃ」
「そう、うまいですわ。ああ、ここをもう少し丸く書くと、もっとわかりやすくなります」
「丸に、おしっぽはえてる、ね」
「そうですわね、最後はぴんと跳ねてますから、ちょっとしっぽのようですわね。そうなると、丸は胴体かしら。アディ、素晴らしいわ! 途端にこの文字が可愛く見えてきました」
「うふふふふ」
ペンではなくパステルで書かれた文字は大きくて可愛らしいですわ。ふんわりしていて、まるでアディそのもの。え、わたくしも欲しくなってきました……。
「おとーさまのなまえは?」
「ギデオン、ですわ。でも、お父様って書いてみます? もしかしたら泣いてしまうかも」
「りでぃにも」
「えっ、わたくしにも書いてくださるんですの? いいんですか? くださいますの?」
アディに見やすいよう大きく「ギデオン」「おとうさま」と見本紙に書いていたわたくしは、アディからかけられた申し出にびっくりして思わずインクを跳ねさせてしまいました。ああ、紙に染みができてしまったわ。見本なのに恥ずかしい。
「りでぃ、すき、だから……」
「アディ~!」
耐えられなくなったわたくしは、ペンを置くとぎゅっとアディを抱きしめました。可愛い、なんて可愛いんですの! 天使様っていらっしゃったのですね!
「わたくしも、アディが一等好きですわ。アディからお手紙もらえましたら、額装してお部屋に飾りましてよ!」
「りでぃ、うれしい?」
「ええ、ええ、とってもとっても嬉しいですわ。今までいただいたお手紙のどれよりも嬉しゅうございます!」
ふと、わたくしはアディの書いた文字を見て思いました。今までたくさんお手紙は書きました。そのどれもが、しきたりや貴族の言い回しにあふれていて、わたくしのための私用なものなどございませんでした。だから、もらえるとわかるとそれだけでとても嬉しい。宝物のようなものです。
「アディ。お父様と、わたくしに書くのなら……。ねぇ、一枚、エルマに書いてみますか?」
「えっ」
本当はここで思い出させてはいけないのかもしれません。でも、エルマとアディの七年間を無碍に扱うのも違うような気がしたのです。
「……いいの?」
「だめなはずがありませんわ。アディの成長を見せてあげましょう?」
地階に軟禁され、わたくしたちの移動に伴って領地に戻されるあの方が、どれほど文字が読めるのかは存じません。ですが、アディの描いた絵を添えたなら、きっと慰められるのではないでしょうか。
わたくしは、これ以上命や気持ちを取りこぼしてはいけない。エルマはもう、アディの側にはいられないからこそ、この二人をつないだよすがを彼女に与えたい。傲慢かもしれませんが、わたくしがエルマならば、我が子と思った娘の絵すら手元にないことは、とてもさみしいと思ってしまったのです。
「エルマは、アディを守っていてくださった方ですからね」
きっと、彼女は彼女なりにアディを愛していたと、わたくしは思っております。母の愛がどういうものなのか知らないわたくしでも、地階に閉じ込められたエルマの嘆きを耳にはしておりますから、きっとそういうものなのでしょう。
別離は、変えられません。エルマは領地に戻れば、領主家とは関係ない領民として生きる道しか残されておりませんから、成長したアディの姿を見ることはあっても、もう声を掛けることすら、視線を合わすことすら許されないのです。
だから──だからこそ。
「アディがエルマのことが大好きだったと、わかるように絵を描きましょうね。さあ、これが「エルマ」という字です。何度書き直してもいいわ。領地に戻るのは、お父様が回復なさってからですから、あと数日は猶予がございましてよ」
◇
「すまない……」
ギデオン様は、わたくしと会うたびに謝罪しているような気さえしてきましたわ。十五も年下の妻に素直に頭を下げられるその姿勢は素晴らしいものではありますけれど、わたくし、謝罪がほしいわけではありませんでしてよ。
「私は、今まで……」
アディの描いた絵と、それに添えられた踊るような文字を指でなぞり、ギデオン様はため息をつくように呟きました。本当に、ねぇ、もったいないことをなさっておりましたね?
「アディは文字を書けるようになりましたのよ。もう、自分の名前は完璧ですの」
自分の名前を書くという行為は、アディにとってとても大切なことのようでした。あの後、愛称である〝アディ〟だけではなく、正式名称である〝アデライン・エインズワース〟という名まで書けるようになったアディ、控えめに申しましても天才ではありませんこと?
「ああ、そうだな……」
「あのね、これね、おとーさま。これね、アディ。こっちね、リディ」
丸一日眠った後、ギデオン様は熱を出されました。ようやく身体が休んでいいと思ったのでしょうね。わたくしも公爵邸に戻った時に同じ状態になりましたから、よくわかります。
熱は下がりましたが、まだ寝台から出ることを許されていないギデオン様は、渡されたアディの手紙を寝具の上に広げております。
アディは上体を起こしたギデオン様の隣に潜り込み、のびのびと描かれたその絵の説明をしていますわ。たどたどしい言葉遣いも、まだまだ年齢の通りとまではいきませんが、出会った時より断然に話せるようになっておりますわね。必死になって言葉を尽くしていますわ。ああ可愛い……。
「リディね、うすべにのドレスなの。わたしとおそろいで、リボンいっぱい」
「アデラインは青だな。青が好きなのか?」
「うん、リディの目の色きれいだから」
まあ! 最近アディは自分を描く時青い服を着せると思っていましたが、まさかわたくしの色を選んでくれていたからだなんて!
「リディアは薄紅色が好きなのか?」
「え? あ、ええと……そう、ですわね。多分、そうです」
突然投げかけられた質問が自分宛てだとは思わず、反応が遅れてしまいました。
「多分?」
「その……今まで好みを考えたことがなかったので……」
アディのほっぺたを見て、庭の薄紅の花を見て、好きだなあと思ったのです。そう答えようと思ったのに、なぜだか言葉が続きませんでした。
「では、薄紅のドレスを送ろう。装身具も」
「え、大丈夫ですわ。まだ社交界に出ませんので」
もうそろそろ夏になるので、社交期は終わりかけです。本来なら王宮で令嬢やご夫人たちとやりとりをしている真っただ中ですが、婚約破棄で瑕疵が付いたことをいいことに、現在のわたくしは社交をお休みしたまま、そこから遠ざかろうとしていました。だから今ドレスは必要としておりません。こちらにきてから、コルセットを締めることもないくらい着ていないですわ。
「それに、ドレスはたくさん持っております。この家に来てからも作っていただきましたし」
思考回路が凍ってしまったのかしら。本来なら口にすべきでないことばかりつらつらと出てきてしまう。夫の好意は受けるべきなのに。公爵閣下に恥をかかせる真似など、はしたないわ。
「それに、それに……」
「いや、私が贈りたいのだ。アデラインのこともある。世話になった君に贈りたい」
ギデオン様は寄り添うアディの頭を、そっと撫でました。ああ、ふわっとアディが顔を綻ばせましたわ。まるでお花みたい。
「アデラインと揃いのものを」
ああ、なるほど! 絵の再現でしたのね!
いやだわ、わたくし慣れていなくて取り乱してしまいました。ドレスは必需品として仕立てていましたから、どなたかから贈っていただくことなんてなくて。
「そうですわね、アディにドレスは必要です。たくさん作らなくてはね」
「……まぁ、受け取ってくれるならばそれでいい」
「リディとおそろいのドレス?」
「そうね、この絵のようにおそろいのものを着ましょうね」
ドレスのモチーフや色がその場で重要な方と被りすぎないよう気を遣って暮らしていたわたくしには、おそろいの服なんて思いつきもしませんでした。でも、なんて素敵な提案なのでしょう!
おそろいが好きなアディも、とても嬉しそう。王都で作って、領地に送ってもらおうかしら。でも、リボンがたくさんのドレスなんて着たことがないから、わたくしに似合うかしら……アディならわかるのだけれど。
◇
それから一週間ほど待って、わたくしたちはエインズワース領へと向かいました。ケリーやジョセフといった王都邸の使用人とはしばらくお別れですが、アディに付けた子たちはこのまま連れていくことにしました。アディの環境を大きく変えることは好ましくありませんし。
領主家族と、その侍女や従僕たち。護衛の面々に御者を始めとした下働きの男性に、幾人かの下女。そして──領地に戻す予定のエルマ。領地は王都のまわりの王領のさらに向こうという近さなので、連れていく人数はあまり多くはありません。
「わぁ!」
初めて馬車に乗り、屋敷の外に出たアディが心配でしたが、わたくしの心配など不要だったようです。途中で具合を悪くすることもなく、わたくしの隣に座ったアディは、常に楽しそうに窓から外を眺めております。
「あれはなぁに?」
「あれは馬ですわね。騎馬で移動する方もいるのですよ。今回の旅で言えば、護衛のひとたちなどがそうです」
「わたしもうまにのれる?」
「練習すれば乗れるかもしれませんね。でも、わたくしも乗ったことはないので、練習する場合は一緒にしましょうね」
王都邸の庭はさほど広くはなく、また馬小屋とは離れたところでしたので、外出しないアディは動物を見るのも初めてですのね。
馬を見てはしゃぐアディに、わたくしはたまらず笑みをこぼしました。
「じゃあ、あれは? なにしてるの?」
「あの方たちは休憩をとっております。さきほどわたくしたちも休憩を取りましたわね。無理な行程で旅をしては具合を悪くしたりしますから、適度な休憩が大切なのですって」
「リディも旅したことある?」
今度は定期的に街道横に現れる広場で休憩をしている一行を見つけたアディは、彼らが何をしているのか気になったのでしょう。先程の休憩と同じだと伝えると納得したようでしたが、今度は旅という言葉が気になったようです。興味が広がることはよいことですわね。
アディの質問に答えようとして、わたくしは記憶を辿りました。わたくしが王都を離れるのは必ず公務の時なので、その話をいたしましょうか。
「公務でなら度々」
「こうむ?」
「お仕事ですわ。わたくしも、結婚する前はギデオン様のようにお仕事をしておりましたの」
フィリップ殿下の肩代わりをしていたから、外出することはそこそこ多かったですわね。国外にも参りましたし。
「わたしもおしごとする?」
「そうですね、いつかするでしょう。だからアディ、色々学びましょう。知識はあなたを助けてくれますわ。わたくしも、共に学びますから、ね」
「がくゆう、だね」
「そうですわ。覚えてらしたのね、アディは賢いわ」
褒めるたびに目を細めて笑むアディが可愛くて、わたくしはことあるごとにアディを褒めちぎってしまいます。そんなわたくしたちのやりとりを黙って見ていた対面のギデオン様が、ふと口を開きました。
「リディア、君は人のいいところをよく見ているのだな」
父親の発言が面白かったのでしょうか? その言葉を聞いたアディがいきなり声を上げて笑い出しました。
「どういたしましたの、アディ」
「だって、おとうさま、リディと同じこという」
「同じこと?」
「リディもほめてくれたよ。わたしのこと。おなじように」
目を丸くするわたくしに、アディはお日様みたいな笑顔でこう言いました。
「おそろい、だね」




