報告、連絡、相談は基本ですわ
緊張したのでしょう。その日、アディはいつもより早く寝入ってしまいました。このままアディと寝てしまいたいけれど、まずはギデオン様とお話するのが先ですわね。そのために帰ってきていただいたのですもの。
わたくしは、アディの側をそっと離れると、部屋で控えていたアディの側仕えに代わりを頼みました。仮に目が覚めたとしてもすぐ対応できるよう、今は交代で誰かが必ず側にいるようにしております。
「ギデオン様のところへ参ります。先ぶれをお願い」
屋敷内とはいえ、無遠慮に訪ねることはできません。わたくしはこれから向かうことを告げてもらい、その間に身だしなみを整えます。
本来なら女主人の部屋は、当主の私室の側にございます。ですが、わたくしは仮初の、書類上だけの妻です。右翼棟にあるギデオン様のお部屋からは離れた左翼棟にわたくしの部屋はございますの。
ちなみに、アディが住んでいた部屋はギデオン様と同じ右翼棟ですが、三階ではなく二階にありました。
……わたくし、びっくりしたのですよ? だって、二階は客間ではありませんか。わたくしですら三階なのに、嫡子であるアディが客間! 聞けば、本来地階に住むはずのエルマが共に住むため、家族の私室がある三階は難しかったとのこと。
ですが、エルマから離した今、アディが客間にいる意味はございません。かと言って一人部屋を与えるにはまだ不安定なため、現在はわたくしの部屋にいますのよ。
アディのお部屋は、今アディの好みを聞きながら新しく作っている最中ですの。壁紙の色。家具のしつらえ。決めることはたくさんございますから、勉強を兼ねながら行っております。一緒に奥様のお部屋の改装もいたしましょうと言われ、嬉しいことにわたくしもまた、自分の好みを探りつつ新しいお部屋を決めている最中ですわ。
まぁ、棟が違うとはいえ、それでもここは王都邸。さほど大きいわけではございません。アークベリーの王都邸とあまり変わりませんわね。王宮への近さも鑑みて妥当な大きさと言えましょう。さすが王族の血を引く公爵家といったところですわ。
「ギデオン様、リディアでございます」
訪いの声をかけ、部屋に入る。ギデオン様の私室は初めて入りましたわ。磨き上げられた重厚な家具は高位貴族らしいたたずまいですが……必要最低限のものしかなく、だいぶ殺風景です。奥の執務机に大量の書類が積み上げられていることだけが、現在使用されている部屋という雰囲気を醸し出しておりますわ。
「ああ……すまないな、そちらへかけてくれ」
執務机でお仕事をなされていたギデオン様は、わたくしを見ると部屋の真ん中にある応接セットを示しました。導かれるままわたくしはソファに座り、わたくし付きの侍女が淹れてくれる紅茶を待ちます。
侍女のエミリーが淹れてくれる紅茶は、温度も味もわたくしに合わせてあって、とてもおいしいのです。わたくし、この家に来てはじめてゆっくり紅茶をいただいてからというもの、エミリーの紅茶に夢中なのですわ。
金で装飾された白磁のカップで紅茶を飲みながら、わたくしは奥で書類と格闘するギデオン様に視線をやりました。ジョセフが隣についていないことを思うと、あれはもしかしたら持ち帰った宰相室のお仕事なのかしら。
「ギデオン様。お忙しいのはわかりますが、大事なお話ですのよ? 少し時間をいただけませんこと?」
「ああ、これにサインをしたらそちらへ行く」
わたくしのカップが空になって、エミリーが新しく淹れてくれた紅茶が再度の前に現れても、まだギデオン様は応接セットへいらっしゃいません。そう、こうやってジョセフたちの歎願を無視してこられたのでしょうね。でも、いつまでもそれでは困りますわ。
「ギデオン様、お忙しいならわたくしがそちらへ参りましょうか?」
微笑みながら伝えると、さすがのギデオン様もペンを置いてわたくしの向かいに来てくださいました。
この方の優先順位は、まずは国が一位なのでしょうね。かつてのわたくしもそうでしたから、そのお考えはわかります。ですが、大事にすべきものを見誤っては、遅いのです。
「エインズワース家の報告はどこまで把握されておりますか?」
エミリーがギデオン様の前にカップを置き、ギデオン様がそれを手にしたところで口火を切ります。瞼をやや伏せたまま、ギデオン様は済まなさそうな表情を浮かべました。
「……すまない、ここのところ立て込んでいて読めていない」
「通常業務外だと、メストラーテ王国との輸入のやり取りと、ジョンソン領で発生した疫病がじわじわ広がっている件。そしてトルニテ王国と国教会からの援助依頼にベルンドーク王国の戴冠式への参列の調整、去年から続くホーナー領とスミッソン領の日照りによる不作の件もありましたわね。さらには先日のティカーナ王国の前国王陛下の逝去に関してのやりとりあたりでしょうか」
公爵夫人として、国まわりの情報は仕入れております。社交界には出ていませんが、それくらいの情報を集めるのには人の手で十分です。
「それに加えて新しく王子たちの派閥調整が加わったところだ」
フィリップ殿下の失脚に伴って、第二王子殿下と第三王子殿下の後継者争いが激化したのでしょう。
重く深いため息をつくと、ギデオン様はカップを置いて長い指を膝の上で組みました。真剣な表情でこちらを見る限り、家のことにまったく興味がない……とまでは言えませんね。
「だが、帰宅後ジョセフから色々聞いた。申し訳なかった」
「謝るのはわたくしへではありませんわよ」
「……そうだな。私は、あの子にひどいことをしてしまった。父親失格だ」
父親としての自覚がありましたのね。驚きですわ。
眉間に深い皺を寄せるギデオン様を見ながら、わたくしもまた、手にしていたカップを置きました。
「なぜ放置したのか──とは、今は問い詰めても仕方ありませんので一旦置いておきますわ。ご自身で顧みられてくださいまし。わたくしからは、これからのお話をさせていただきますわね」
今までのギデオン様の不手際は、二か月前にこの家に来たわたくしがあげつらうべきことではないの。わたくしが相談したいことはアディのことで、またこれからのエインズワース家のことですわ。
「まず、アディ──アデライン様は、貴族女性として育てられておりません。ジョセフから報告が上がった通り、乳母が亡くした我が子の代理として囲い込んだせいで、あの子の礼儀作法や所作は下位貴族や裕福な商人にも劣るものです。こちらはわたくしが引き続き受け持ちます。今回わたくしが提示したい案件は」
歪んだエインズワース家。このままでは潰れてしまうわ。アディのためにも、わたくしはあの子のお父様をあの子の側へ戻さなくては。
「ギデオン様、このまま領邸へ参りましょう。ギデオン様と、アデライン様と、わたくしとで」
思いもよらなかったわたくしの提案に、ギデオン様は目を見開いてわたくしを凝視しました。瞬きを忘れたこの様子──お戻りになられた際、アディを見て驚いたときとおんなじ表情ですわね。
「いや、私は仕事が──」
「ギデオン様は七年間お休みを取っておりません。いえ、それより前からですわよね。さすがに領主が領地のことをおざなりにしすぎるのはいただけませんので、家のためという名目で義父から長期休暇の申し入れをさせていただいております」
「いや、休みのことは耳にしたが、私が抜けては──」
「ギデオン様」
慌てた様子で言い募るギデオン様に、わたくしは笑って見せました。
「宰相室には、宰相閣下がお一人、補佐がギデオン様の他に二人おりますわね。その下に事務方が山ほど。宰相補佐は、ギデオン様お一人ではございません。お仕事の担当は替えが効きますわ」
「だが、今抱えている案件が──」
「次に、エインズワース領の領主はギデオン様お一人です。ですが、こちらは代官、家令と、他の担い手もおりますわね。今まで彼らが支えてきてくださったんですもの、正直申しますと、こちらも大丈夫です」
ギデオン様、反論は許しませんわ。
「最後に、アディの、アデライン様のお父様は、ギデオン様お一人です。血のつながった親は、ギデオン様だけなのです。ケリーやジョセフでは、アデライン様の名を盾にされては乳母の犯行すら止められない。アデライン様を守れるのは、ギデオン様お一人だけだったのです」
ケリーたちも強行しようとすればできたでしょうね。ですが、この王都邸で働く者たちは真面目な者が多く、ルールに反して、自分の権限以上に踏み込む者がおりませんでした。彼らは、ルールを順守しながらお嬢様を守れるよう、幾度となく当主にお伺いを立ててきた。
「わたくしは名目上アデライン様の義母となりますが、まだ出会って二ヶ月。今信頼関係を築いている真っただ中ですわ。だから、わたくし一人ではだめですの。お父様がいてくださらなければ」
責める強い言葉は避けて、わたくしはギデオン様に訴えます。
「だからこそ、領地に戻りましょう。王都では、ギデオン様は王宮から離れられません。ですが、離れてしまえば意外とどうにかなるのですわ。第一、ギデオン様、鏡でご自身の様子をご覧になられたことはあって?」
「え?」
「疲れ切ったお顔をしておりますわよ。休息は、ギデオン様にこそ必要です。領主が領地を気にかけてなにが悪いんですの。宰相補佐は他にもおります。領主のお仕事を七年も放置していたんですもの。お休みの名目は立ちます」
わたくしは、王宮を離れてこの屋敷で知った様々な幸せを瞼の裏に思い浮かべました。
一身に抱え込んでいた様々な仕事。わたくしがやらなくてはと思い込んでいた仕事は、わたくしが抜けた今もどうにか回っております。
代わりに得たあたたかな時間。身体を、心を休めてようやく見えてきたもの。
ギデオン様、ご存じでして?
「まず、たくさん寝ましょう。睡眠不足は思考を妨げます。次に栄養を摂ります。ギデオン様、式の時よりお窶れになっておりましてよ。さらにお日様の下、アディとゆっくり過ごすのです。心に余裕ができたら、能率も上がるのです。わたくし、ここにきて実感いたしました」
きらきらした、あたたかい陽の光を浴びて、嬉しそうに笑う可愛い娘。そんな一瞬を見逃し続けるなんて罪なこと、してはいけませんわ。
「わたくしはエインズワース公爵夫人。当主であるあなたを支えるためにおります。あなたが倒れられては、この家は、アディはどうなりますの。まずはゆっくりお休みくださいまし。まわりを見れば、支える手はたくさんありますのよ」
まあ、わたくしも今まで気づきませんでしたけれどもね!
元社畜、現社畜を諭すの巻。
ブラック企業は人手がないことも問題だけれど、今いる使える人でどうにかしようというその体制が問題のひとつかと思います。
抜けた穴がどうしても埋まらないとき、ようやく人手を集めるあの体制……やめていただきたい。もっと早く人手をよこせ。




