わたくし、可愛い娘ができましたの
「はじめまして、アデライン様。わたくし、リディアと申します。この度、エインズワース公爵夫人となりましたのでご挨拶に参りました」
初めてアデライン様に会ったのは、結婚式の三日後でした。
式の翌朝にジョセフとケリーに案内されて屋敷で働く皆との顔合わせを済ませたわたくしは、結婚式では会えなかった義理の娘との面会を希望いたしました。ですが、少し体調を崩されているとのこと。そのため、お会いできたのはアデライン様が復調なされた後になったのですわ。
お会いできるまでにジョセフとケリーに家のことを色々伺った際、アデライン様のこともお聞きしたのですが……彼女のことに関しては、二人ともとても口が重くなります。有能な二人が口ごもる。……なにか、あるのかしら。ケリーがなにかを告げようとしては口をつぐむのを見て、わたくしは首をかしげました。家政のことに関しては打てば響くように教えてくれるのに。
待って待って……三日後の午後になって、ようやく義娘であるアデライン様にお会いできたの。
名目上とはいえ家族の一員となったのだからギデオン様がご紹介してくれるのかと思ったのだけれど、お忙しいギデオン様は、式の翌日には王宮へと戻られたまま帰らなくなってしまわれたので、わたくしに彼女を紹介してくれたのはケリーだったわ。
「はじめまして、リディア様。あたしはエルマ。アデライン様の乳母をしておりますの」
アデライン様のお部屋で彼女の代わりにわたくしに挨拶をしたのは、エルマと名乗るアデライン様の乳母でした。こげ茶色の髪と目をした彼女は、そのふくよかな姿を怒らせて、わたくしを見据えております。
〝奥様〟ではなく、許していない名を呼ばれて戸惑いましたが、まずは確認をしなくてはいけませんわね。
「乳母……あの、アデライン様は七つになられますよね? 教育係の方……ということかしら」
「いえ、あたしはアデライン様の母。アデライン様に関しては絶対あたしを通してください」
母と臆面もなく言い切る女性に、わたくしは不信感を覚えました。
七年前、アデライン様の母君であるシャーロット様は、不幸にも出産と共に亡くなられました。それからアデライン様の父であるギデオン様は再婚なされていなかった。つまり、今まで彼女に〝母〟はいませんでした。そしてギデオン様が再婚なされた今、アデライン様の母はわたくし、リディア・エインズワースです。いくら乳母とはいえ、対外的に母と口に出す権利はございません。
「それは……ギデオン様がお許しに?」
「ええ! ギデオン様がお認めになっておりますわ!」
含みを込めて尋ねると、女性──エルマは自信たっぷりに答えます。ギデオン様のお名前までお呼びするなんて……この乳母は、どういった存在なのかしら。まさか愛人? 愛人ですの?
わたくしはとても驚きました。だってギデオン様からは、嫡子であるアデライン様の母代わりの方がいらっしゃるなんてひとつも聞かされていなかったから。名前で呼ぶほど親しい間柄ならば、なおさら書類上の妻でしかないわたくしには通告しておくはず。
それにしても、乳母と名乗る彼女……あまり貴族女性には思えないわね。着ている物は立派だけれど、髪の毛は結い上げもせずリボンでひとくくりにしていますし、なにより彼女の発音や所作は、上級貴族どころか下級貴族のものですらないもの。年の頃はギデオン様と同じくらい? もっと上? 意外と下かしら? あまり手入れが行き届いていない肌や髪を見ると、ちょっと見た目通りの年齢とは言えないかもしれませんわ。
わたくしはため息をつきたくなってきました。やっぱり、殿方は……こういった素朴な方に安らぎを求めるのかしら。一度しかお見掛けしていないけれど、フィリップ殿下の〝真実の愛の方〟も、こんな感じの下町なまりで、驚くほどとても親し気なご様子を見せていましたわ。
アデライン様は、前へ前へと出るエルマのスカートの後ろに隠れて静かに俯いております。きゅっと結ばれた口元がかわいらしいけれど……ちょっと、年齢からしたら小柄だし、細すぎやしないかしら。ギデオン様に似た色の髪の毛もあまり整えられていないし、え、どういうことなのかしらこれ。
「そう……でも、エルマ。今はこの屋敷の女主人はわたくしですの。アデライン様の教育についてもギデオン様の承諾を得ておりますのよ。とはいえ、アデライン様を今まで養育なさったのはエルマですものね。アデライン様の教育に関してはのちほどご相談させていただいてもよろしいかしら?」
「相談なんて! 今までどおりあたしがしますから、お貴族様が口出ししなくてもいいですよ」
「エルマ! さすがに口が過ぎます! 奥様になんてことを……!」
「ケリー」
口を挟もうとしたケリーを控えさせ、わたくしは改めて目の前のエルマを見ました。わたくしよりだいぶ年上の彼女は、素朴ですがかわいらしいところが──本当に〝真実の愛の方〟を思わせます。その恨みがましい視線に、まるで亡くなった彼女がわたくしを見ているような心地になり、知らず冷や汗が背を伝いました。
わたくしはゆっくりと息を吸いました。こういった時は冷静さが肝要。目の前の方を説得するのはわたくしの仕事ではございません。エルマがギデオン様に泣きつこうとも、あの日ギデオン様と交わした契約の通り、わたくしは動くだけですわ。
それにしても、ケリーが家のことの統括をしていたはずなのに、その中に一切アデライン様のことが含まれていなかったのは、確実に彼女が原因ですわね。まったくもってありえないことですが、この女性が乳母から養育係、そして家庭教師になったと仮定しても、その現況を家政婦長が把握していなかったり、女主人に伝えられないなんて、異常です。
「まぁ──おかしなことをおっしゃること。アデライン様も、あなたがおっしゃるその〝お貴族様〟ですのよ。しかも、アーチデイル王家に連なる公爵家の令嬢です。幼くとも、立派なティレット王国の高位貴族でしてよ。そんなアデライン様にふさわしい教育があなたに行えると?」
わたくしは、ゆっくりと圧をかけながら、エルマに告げました。
エルマの言い分はどうにもわたくしの癇に障るものでした。ギデオン様から許されているといっても、限度がございます。愛人が正妻を差し置いて公爵家の姫を教育するなど、到底許すことはできません。
「子どもなんて元気に育ってたらいいんだよ!」
「健康に育つことは大切ですが、貴族令嬢として育つには、それだけでは到底足りません。礼儀作法や教養、美貌……求められることは多岐に亘りますのよ。見たところ、アデライン様は髪の毛ひとつ結われてはいないご様子。衣服だけ豪奢でも、身体が伴わなければ恥をかくのはアデライン様、ひいてはエインズワース家ですのよ?」
それにどう見ても、目の前の女性が貴族令嬢、しかも高位貴族の令嬢の教育を行えるとは思えませんもの。元より、下位貴族と高位貴族では礼儀作法からして違います。初対面のわたくしの挨拶を無視して隠れる程度の教育しか行えていない女性が、これから先、アデライン様が困らない程度の教育を行えるとは思えません。
でも、なぜアデライン様を隠してしまえたのかしら。ケリーもジョセフも自身の仕事のことでは有能でしたし、気が利く方です。立場的にも目の前の自称乳母より上なはず。その役職を追うことなど容易だったはずなのに。
「うるさいっ! アデラインはあたしにしか懐いていないんだ! 一度アデラインを引き離してどうなったか思い出せよ!」
一瞬にして顔色を変えると、エルマはキンキンと響く声で叫びました。エルマの恫喝が部屋に響くとともに、アデライン様は頭を抱えてぎゅうっと縮こまります。──これは、いけませんわ。
「ケリー。エルマの興奮が落ち着くまで他の部屋へ連れて行ってちょうだい。人手が必要なら誰を使っても構わないわ。とにかく、わたくしはアデライン様とお話がありますの。邪魔をさせないで」
「なっ……! 何様だいあんたは!」
食って掛かるエルマに、わたくしはつと目を眇めました。
この女性がギデオン様の愛人だとしても、今この屋敷にいる人間のすべての統括を任されているのは正妻であるわたくし。わたくしの邪魔をするなら、排除いたしますわ。小娘と侮られてはなりません。わたくし、公爵夫人ですもの。
「初めに申し上げましたわよ。わたくしはリディア・エインズワース。エインズワース公爵夫人であり、アデライン様の義母ですわ」
このような者を放置していたなんて。色々ケリーたちには教えていただかなくては。ね。
◇
「っま、まま……ママぁ」
「アデライン様……」
わめくエルマを下がらせ、改めてアデライン様と面会したわたくしは、礼儀作法を一度忘れ、すべてアデライン様の目線に合わせることにいたしました。
今まで子どもと接することがなかったわたくしが、うまくやれるかはわかりません。どちらかというと、ずっと大人に囲まれて育ってきたので、なにが正解かなんてわからないんです。
でも、小さな頃の自分がして欲しかったこと。求めていたもの。それならば思い描けるわ。まわりの大人にしてほしくて、けれども求められなかったもの。わたくしはそれを思い出しながら、そっと微笑みを浮かべました。
「ま、ママ……」
「エルマは、ちょっとだけお休みです。わたくしはエルマではなく、アデライン様とお話ししたいから、お時間をいただきましたの」
そう、アデライン様はエルマを母と呼んでいたのね。
乳母を慕うのはよくあることかもしれませんが、母と呼ぶまで強固な絆を紡ぐのは珍しいです。本来なら、乳母とは赤子に乳を含ませるだけの存在。だから貴族ではなく母乳が出る健康な女性──平民が選ばれることが多いため、たいていは乳離れと共に屋敷を去るものです。仮に子が家族の一員として慕ったとしても、その職務を超えることはまかりなりません。乳母と養育係では、その出自に大いなる差があるものです。それを同じ人間が行っていたとは、ありえないことですわね。
でも、これからはわたくしが彼女の母親。他の者にその地位を渡すわけにはまいりませんし、公爵夫人として、わたくしはアデライン様をきちんとした淑女に育て上げなければなりません。アデライン様は、このエインズワース公爵家を継ぐ者なのだもの。
「アデライン様。わたくし、リディアと申しますの。この度、縁がありまして、アデライン様の母君に選ばれた者です。お母様と呼ぶのが難しければ、ぜひ〝リディ〟と呼んでいただきたいですわ」
床に膝をつき、俯くアデライン様の目線に合わせたわたくしに、付き添っていたケリーが息を飲むのがわかりました。貴族としても女性としてもありえませんものね。
でも、わたくしはこうして欲しかった。上からではなく、わたくしを見て話して欲しかった。だから、この形を選びます。
「ねぇ、よろしければ〝アディ〟とお呼びしてもよろしいかしら? リディとアディでお揃いですわ。ね、いきなり親子なんて言われても困りますものね。まずはお姉様か、もしくはお友達から始めさせてはいただけませんこと? わたくしたち、十しか離れておりませんの」
俯いていたアデライン様が、ちらりとわたくしを見ました。ああ、目の色はお父様とお揃いなのね。向けられた雪空の瞳は、逸らされることなくわたくしをじっと見つめてきます。
興味を持っていただけたかしら? そっと手を差し伸べると、おずおずと指先に触れる幼い手。可愛いわ。
「……りでぃ」
「ええ、アディ。このリディと仲良くしてくださいませ。わたくし、ちょっと特殊な育ち方をしたもので、親兄弟とは縁遠いのですわ。だからアディが仲良くしていただけると、とても嬉しいのです。わたくし、この屋敷に来たばかりなので」
「りでぃ、ひ、ひと、り?」
「ええ。でももうアディがいますから、ひとりではありませんわ」
「あ、あたしも……ひ、ひとり、ちがぅ」
「嬉しいですわね。ひとりは、さみしいですから」
年齢にしてはたどたどしく、幼すぎる言葉。すんなり出てこないそれを懸命に紡ぐ姿が愛らしいわ。
「りでぃ、わ、わら、わらわ、ない? あた、あたし、うまく……あ、あの」
「わら……? あぁ、ええ、笑いませんわ。わたくしとたくさんおしゃべりしたら、すぐアディの気持ちを伝える言葉を覚えられますから、気にせずともよろしいのですよ。わたくしもね、今お勉強中なのです。何事も慣れるまではうまくいかないものですわよね」
アデライン様──アディは、流暢に喋れないことを誰かに笑われたのでしょうか。幼いからといって、子どもが人の悪意に気付かないわけではありませんわ。慣れた大人と違って、子どもの方が傷がつきやすいもの。
わたくしは、両手でアディの手を包みました。この子の受けた傷も、同じように包めればいいのに。
「ま、ママが、ママがね、あたし、ダメだから、おしゃべり、ダメなの……」
「…………だめなんて、そんなこと、ありませんわ」
「だって、ママ……うるさ、て……。だから、ぱぱ……ぱぱ、こない」
「あら、エルマがなにを言ったのかしら? 嫌ですわ、アディのお父様はね、王様のお手伝いに奔走させられていますのよ。寝る間もないくらいにね。だからお父様に頼まれてわたくしが来ましたの。アディがさみしくないように」
雪空の瞳に、ぷくっと涙が浮かぶのを目にしたわたくしは、浮かべた笑みが歪まないよう気を付けました。大丈夫、感情のコントロールは得意ですわ。
「慣れれば大丈夫ですのよ。みんな、同じようにしておりますわ。わたくしも苦手な言語を習得するのには苦労いたしました」
「りでぃ」
そっとそのまつ毛についた涙をぬぐいます。怖くありませんわよ。大丈夫。そんな気持ちを込めて微笑みます。
「ずっと一緒にいますわ。わたくしが来るのが遅くなってしまい、申し訳ございません。エルマはわたくしの代わりに長くアディの側にいてくださったけれど、彼女の本当のお家に帰らなければいけないんですの」
もう、あの乳母を戻す気はありません。幼子を囲い込むために何を吹き込んだのか。処罰を決めるのはきちんと情報を抜き出した後ですわ。
「わたくし、アディの側にいたくて参りましたの。一緒にいてくださる?」
ようやくアディの緊張がほぐれてきたのか、ほっとしたように笑ってくれました。
「りでぃ、きれぇ」
「まあ! ありがとう存じます。あまり褒められることはありませんでしたから、嬉しい限りですわ。アディはまず初対面の相手のいいところ見つけてくださる方なのですね。それは、とても得難いことですわ」
「えが?」
「えぇと、とても貴重な……あらいやだ、わたくしも言葉が出てきませんわ。お揃いですわね」
「おそろ」
「はい、お揃いですわ」
得難いを簡素な言葉で説明しようとして躓いたわたくしが笑うと、アディもまた笑ってくれました。可愛い……子どもって、こんなに可愛いものでしょうか。それともアディだから? エルマはこの可愛さを独占したかったのかしらね。でも、外への世界を閉じることはアディのためにはなりませんわ。
「なまえ」
「ええ、呼び名もお揃いですわね。嬉しいですわ」
「うれ、し」
ぴょんと跳ねるアディを、そっと抱き寄せてみました。……あたたかい。
そっとアディの頭に手をやると、きちんと手入れされていないのか、銀なのか鋼色なのかわからない、艶のないパサついた髪の毛が指に触れました。細い髪。すこしうねりがあるその髪は、きっと手入れをしたら美しくなるでしょう。
「わたくしに、この家のことを教えてくださいましね、アディ。わたくしも、レディになるための技をお教えしますわ。お互いの先生にもなりましょうね」
「あたし、が? おしえる?」
アディの顔がかすかに翳ります。……もしかして、他の使用人とは交流せず、部屋に篭りきりでしたの?
「ええ、アディのことは、アディが一番知っていますでしょう? 好きな食べ物とか、まずは知りたいですわ」
「たべもの」
「わたくしは……なにかしら、好きな食べ物……」
自分で提案したのに情けなくなりますわ。好きな食べ物、わたくし思い当たりません。
「いやですわ、出てきませんわ、好きな食べ物。アディはありますの?」
「あ、あたし、すき、あまいの。かりかり」
「かりかり」
「あっ、あまくて、ちゃいろ。おちゃ、はいってるよ。ママが、それきらいで、あたし、たべる、の」
甘くて、茶色くて、カリカリしたもの。お菓子でしょうね、多分。
謎解きに首を傾げると、背後でそっとケリーが助けを出してくれました。
「……多分クッキーです。紅茶の」
「ああ……なるほど。アディはクッキーが好きですのね。紅茶以外のクッキーはどうかしら?」
「? いつもおなじ、よ?」
同じ? 同じとは? 公爵家のお菓子が、いつも同じ? そんなことあるかしら。
色々なところにあの乳母のやらかしが潜んでいそうで、わたくしは踏み込みかけたその言葉を飲み込みました。
「アディ、まずはいつもなにをしているか教えてくださる? アディの生活が知りたいわ。わたくし、できればアディの生活に合わせたいの。ちなみにこの三日間わたくしは、午前中はお勉強をしていました」
「お、べんきょ」
「そう。お家のことをここにいるケリーたちに教えていただいてるのよ。わたくし、なにもわからないから」
「あたし、も、あた、あた、あたし、も、べんきょう、する?」
「そうね、一緒に机を並べてしましょうか。あら、じゃあわたくしたち、学友にもなれますのね」
「がくゆう」
「ええと……お勉強仲間、ですわね。お勉強もするお友達ですわ」
わたくしの服をきゅっとつかんだまま、腕の中でアディがくふっと笑い声を立てました。
「あたし、つみき、す。え、かく、よ」
「つみきす? あぁ、積み木ですわね。いいですわね、お家を作って、お人形で遊ぶのも楽しそうですわ。内緒ですけどね、わたくし、とてもとても大切にしているぬいぐるみがございますのよ。アディの積み木のお家に遊びに来させていただいてもよろしくて? 絵はわたくしも好きですわ。一緒に描きましょうね」
この家には問題がたくさんありそうですけれど、まずはわたくしの可愛い娘と仲良くなるのが最優先ですわね。
この家に嫁いできたときには考えもしなかった幸せに、ちょっとだけわくわくしますわ。
◇
ひとしきり遊んだ後、アディは眠くなったようで、わたくしの寝台で今は寝ております。アディを起こさないようそっと侍女を複数残して、わたくしはケリーとジョセフと共に続き間にある執務室へ向かいました。
そうして訊けば、乳母のエルマは、乳児だったアディのために急遽雇われた領地のご婦人。ちょうど同時期に子を産んだエルマは、出産時に亡くなってしまった我が子の代わりに領主の令嬢の乳母となり、そのまま七歳の今になるまで教育にも携わっていたと聞いたとき、わたくしはとてつもなく驚いたのよ。
だって、出自を聞いてみれば、エルマはちょっと裕福な農村の出。貴族令嬢に乳を上げて育てることはぎりぎり許されても、教育に関わることなんて許されるはずもないのに。
「彼女が農婦だとしたら、所作や言葉が貴族のものではないのも当然ね。でも、上級使用人であるケリーたちは下級貴族の出なのに、なぜ彼女に強く出られなかったの?」
ギデオン様の愛人だから?とは、はしたなくてさすがに口にできませんでした。彼女が当主の愛人ならば、愛を頼って強い立場を得ていたとしてもおかしくありませんしね。
「お嬢様が……他の人間を受け付けなくて」
ケリーやジョセフがなぜそれを許していたのか。それを問い質しましたら、思いがけないエインズワース公爵家の問題が飛び出してきたわ。
まず、エルマはギデオン様の愛人ではなさそうなこと。
アディが生まれてこの方、ギデオン様は娘に興味を抱くこともなく、領邸からこちらに連れてきたのはいいものの、その養育、教育に至るまで使用人に丸投げなこと。
母親のように側にいるエルマに懐いたアディが、彼女から離れることを嫌がったこと。
ただでさえ無干渉な父親しかいないアディの御心を考えて、本来なら乳離れと共に職を離れる乳母は、そのまま養育係となり──教育が必要となってくる五歳の頃までには、人見知りしがちなアディを強固に囲い込んだ。
それでもその五歳の時に一度引き離したらしいの。でも、泣いて泣いて食事を受け付けなくなったアデライン様に根負けし、エルマは再び屋敷に戻ったそう。そのせいで、彼女の思い上がりは手が付けられなくなったみたいですわね。
「そう……エルマは亡くした我が子の代わりにアディを手放せず、アディもまた、エルマに依存したのね」
ケリーは強制的に教育係を送りこんだけれど、いつだってアデライン様の名前の下に解雇される。ギデオン様に訴えても対応してくれない。困り果てていたところにわたくしがやってきて、ケリーたちは胸をなでおろしたそうよ。エルマがアディに泣きついても、女主人であるわたくしの権力の方が強い。これでようやくお嬢様をきちんと育てることができる、と。
可哀想な一面もあるけれど、エルマがアディにしたと思わしき仕打ちはとうてい許せることではありませんわ。エインズワース公爵家の嫡子として本来受けるはずだった教育も与えず、かといって大事に育てることもしなかったエルマは、アディの側には戻しません。
そんなエルマでしたけれど、即日解雇にはできませんでした。やはりアディへの影響を考えて、側から離すけれど解雇まで猶予を与えることとしましたの。慣れた相手がいきなりいなくなるのは幼心にはつらいことですもの。
でも、もうエルマの自由にはできないよう、面会時にはわたくしが必ず付き添うことにしました。エルマへは、高位貴族であるわたくしに不敬や危害を加えたら即日解雇の旨を通達してあるわ。
彼女と引き離すためには、まずわたくしとアディが仲良くならなくてはね。
それにしても──すべての元凶はギデオン様ですわね。なんですの、生まれたばかりの我が子を放置って。最愛の、真実の愛の方が産み遺してくださった存在でしょうに、なんでそんなことができるのかしら。ねえ、真実の愛って、その程度ですの?
「ねぇ、ケリー。便箋を用意して頂戴。わたくし、ギデオン様に報告書をお書きするお約束をしておりますのよ」
この国では、貴族の乳母が平民から選ばれることもあります。乳母となれる低位貴族夫人がいたらその女性が優先的に選ばれますが、いなかった場合身元がはっきりしている平民が乳母になります。
「赤子に乳を与えられる者」が優先条件なので、貴族の乳児の乳母が平民ということはよくあるようです。要は下働きの使用人と同じ扱いですね。
こういう人たちは、乳離れと共に職を解かれるのが常ですが、主人不在だったエインズワース家では、公爵令嬢であるアデラインの希望が最優先された結果、おかしなことになっていました。
またアデラインがどもってしまってうまくしゃべれないのは、単にしゃべり慣れていなくて口が回らないのと、反面誰かと話したい気持ちが強く出ているせいです。あまりおしゃべりをして育っていない上にエルマ以外とろくに触れ合っていなかった弊害ですね。
健康的な生活を送っていないので(外に出たり運動したりせず、部屋の中にこもっている)、七歳なのに身長も体重も平均値までいっていません。所作も雑で言葉も拙い。もちろん読み書き等もダメです。貴族の令嬢としては大問題です。
エルマはエルマなりにアデラインをかわいがったものの、幼子につきっきりは精神的に厳しかったのか、やや放置気味だったみたいです。支給される衣服は着せたものの、引き離されることを防ぐために身支度もすべてエルマが行っていたため、肌や髪のケアはおざなりでした。
エルマはアデラインを手放さずにここにいる方法として、ひそかにギデオンの愛人枠を狙っていたようです。が、肝心の当主、帰ってこない(笑)
そんな彼女は既婚者です。忘れてるっぽいけど。




