公爵令嬢もとい、公爵夫人リディアの独白
青く澄んだ蒼穹に、国教会の誇る鐘の音が鳴り響きます。五百年前のリチャード王の結婚式の際に奉納されたという鐘は、高位貴族の結婚式の際には必ず鳴らされる決まりがあるので、この音が王都に鳴り響いた日は慶事があると、王都に住む者は貴族でなくても知っているくらいです。
そんな鐘の音が知らせる通り、本日は結婚式です。誰のって……他でもない、わたくしのです。
今日、わたくしはリディア・アークベリーからリディア・エインズワースとなりますわ。名前が変わるのは二度目ですけれど、さすがに結婚は初めてなので、さすがのわたくしも緊張しております。
なにせ、旦那様となる方とは、本日初めてお会いしますし。
そう、お会いするのは初めてなんですのよ? びっくりでしょう? 王子妃教育や王妃教育で感情を表に出さないよう叩き込まれていなかったら、さすがのわたくしでも声を上げてしまいますわね。初対面で結婚式なんて!
どうしてこのようなおかしな結婚がまかり通ることになったか。また聞いていただけます?
◇
ご存じの通り、わたくしはアークベリー公爵令嬢でした。と言っても、生家はその家門であるハルベリー伯爵家。三歳の時に移籍して公爵令嬢となったので、生家についてはあまりよく知りませんし、お付き合いもないんですけどね。アークベリー家と同じく、ハルベリー家にもお兄様がいるとは聞いておりますが、お会いしたことはございません。
わたくしは同い年である第一王子殿下の婚約者となるためにアークベリー家に引き取られ、そのまま人生の大半を公爵家の王都邸と王宮で過ごしました。
王太子はまだ決定してはいませんけれど、それでもティレット王国第一王子の相手として、将来の王妃候補として厳しく──それは厳しくしつけられましたのは、散々お話を聞いていただきましたわよね。つらい時、あなたがいてくれたから、わたくし耐えられたのですわ。
けれどもそんな風に、寝る間も惜しんで勉強に励んでいたわたくしは……いささか人間味に欠けていたのでしょうね。
──十七歳の秋。結婚式を翌年度に控えたわたくしは、その気性を理由として婚約解消されてしまいましたの。
十四からわたくし、公爵邸には帰れておりませんでしたから、公爵邸にいたあなたにはお会いできていなくて、ここの話はしておりませんでしたよね。
ああ、わたくしを原因としたのは裏向きの話でございましてよ? 表向きは違います。まぁ、どちらの理由を表に出しても王子との婚約解消をしたわたくしには傷がつくのですけれど、まだ表向きにされた「第一王子の病気療養のため」の方がマシなことはたしかですわ。
わたくしは、自分で言うのもおかしなことでございますが、優秀でしたの。あなたが知っているわたくしはいつも泣いていて、幼い子どものようでしたでしょう? でもね、表のわたくしは、〝優秀な公爵令嬢〟として知られていましたのよ? どうかお笑いにならないで。これでも、本当に努力いたしましたの。
わたくし、根本である王子妃教育も、その上に積み上げられた王妃教育も、きちんとこなしました。そう、こなしすぎるほどに。
一方で、第一王子たるフィリップ殿下は、まぁ……有体に言ってしまえば凡庸でしたの。
同母弟のランドルフ殿下や、側室腹のスティーヴン殿下が才能あふれる方であったのがいけなかったのかもしれません。年子の三兄弟だったのがいけなかったのかもしれません。
幼い時には共にこのティレット王国を守ろうと、机を並べて切磋琢磨したフィリップ殿下は……気が付いた頃にはおりませんでした。
努力をやめ、年齢と共に増える公務はわたくしや弟殿下たちに投げ、こっそりと側近の手を借りて城下で遊ぶことを覚えてしまった殿下は、いくら諭しても戻ることはなく──
結果、城下で出会った食堂の娘との繋がりを「真実の愛」と謳い、わたくしを切り捨てました。
びっくりしたのですよ。いえ、身分を隠して城下で遊び始めた時までは把握しておりましたの。でも、その頃にはわたくしの負担は睡眠時間を削ってもなお余りあるほどに重く、殿下の行動を逐次把握するほどには自由が利かなくなっておりましたの。公爵邸に戻ることもできなかったから、あなたに会うこともできませんでしたわ。
ええ、多分自由に動きたい殿下の差配でしたのでしょうね。そして、公務を済ませるための駒が必要だった王家や王宮の方がそれを後押ししてしまった。
なまじ、わたくしが人一倍にこなせるようになってしまったのがいけないとも申せますわね。使えない、動かない駒よりも、使える駒を動かしたほうが手っ取り早いじゃないですか。
ああ、なにを言っても言い訳にしかすぎませんわね。そうね、状況に危機感を覚えながらも、見たくないとわたくしが目をつぶってしまったことが原因です。
苦しい中努力を重ねてきたのに、わたくしにはそれしか道がないのにと、恨みがましく思ったわたくしは、殿下を諫めることも城に留めることもやめてしまった。手綱を離した暴れ馬が、大好きな草原を目の前にしておとなしく厩舎に戻ると思いますか? 戻るわけありませんよね。わかっていたのに、わたくしは手綱を手放したの。……もう、疲れてしまって。
もちろん、両陛下には奏上いたしましたのよ? 殿下の未来の責任はわたくしにはありませんもの。他の者に手綱を渡し直しておとなしくさせるか、それとも見捨てて放逐するかは、わたくしが決められることではありません。
だから、肩代わりしている公務に手いっぱいで、側近と共に遊びまわる殿下をおとめする余裕がない旨を上奏いたしました。陛下方には伝わったのでしょう。一度、殿下は部屋で軟禁されておりましたから。
でもね、恋って怖いものですね。城下の恋人に会いたいがため、殿下は城を抜け出したしたのです。そして、離されないために、なにをしたと思いますか? ──そう、子どもを作ったのですよ。
子ができた。だからベティを正妃として娶る。
そう言われたとき、わたくし笑いそうになったんですの。
王族に嫁ぐ者には純潔が求められます。アーチデイル王家の子を産まなければいけないのですもの。他の男性の子を孕んでない証拠として、純潔であることは必至です。なのですから、婚前交渉などもってのほかなのですよ。
乙女でなくなった恋人の娘には、もはや妃の資格はないというのに──殿下は、それすら知らなかった。
まぁ、どうりでわたくしとも男女の仲になりたがったと思いましたけどね。断るわたくしに怒り散らした後、城下に降りて遊びだしたのですが──まさか、殿下も、お諫めする立場であった傅役の令息たちもわかっていなかったとは思いもしませんでした。
まぁ、できてしまったものは仕方ありませんよね。もう、後戻りはできない。殿下も、両陛下も、側近たちも、もちろんわたくしやアークベリー家も。
子を下ろしてでも予定通りわたくしと結婚させたい王家やアークベリー家。断固拒否な殿下とそれを支持する弟殿下たち。
わたくし? わたくしは──殿下を支持いたしましたわ。
だって、殿下はこうもおっしゃいましたもの。人として冷たすぎるお前といても安らがないが、彼女は違う。なぜなら、真実の愛だから。
真実の愛を押しのけて妃になったとて──幸せになる未来は見えませんわ。今のように、使い尽くされて死ぬだけ。
真実の愛ってなんでしょうね。あなたは知っていて?
わたくし、習っておりません。わたくしの知らない世界にあるものなのでしょうね。そして殿下は、それを得た。わたくしは優秀ともてはやされたけれど、わたくしがいた世界には愛はなかった。
だからわたくし、自由になってみたかったんですの。婚約を解消されたらわたくしは使えない駒になるかもしれない。でも、違う未来を選んでみたかった。そして、できたら愛を知ってみたかった。
結果、わたくしと殿下の婚約は解消されました。
真実の愛を選んだ殿下は、その昔咎人となった王族の方を閉じ込めていた北の離宮へと追われ、側近たちは皆家へと戻されました。主犯格とされた令息はひっそりと毒を賜ったとうかがっております。殿下の子を孕んだ城下の真実の愛の方は──子を産むことなく、儚くなったと聞かされました。
真実の愛。未来につながっていた道を断ち切り、一時の熱を与えるとともに複数の命を散らしてしまった、それ。
呪いのようなその愛を知ることなく、わたくしは冒頭の通り、他の方に嫁すことになったのです。
婚約期間も設けず、面会すら行わず──まるで囲い込むかのように。
実際、囲い込みだったのでしょう。王妃教育まで修めてしまったわたくしは、国外には出せない。弟である殿下たちにはすでに婚約者がいてすげ替えることはできない。
従って、王宮の中枢から外すには難しいわたくしの行先は、王家に連なる者へ嫁すしかなかったのです。
◇
わたくしの相手は、エインズワース公爵。エインズワース家は先の王妹殿下が嫁された家で、当代公爵であるギデオン・エインズワース公は陛下の従弟に当たられます。御年三十二歳のエインズワース公は、陛下の腹心として宰相補佐をされていらっしゃる方です。だから、お会いしたことはございませんが、顔をお見かけしたことならありますから、完全に見知らぬ相手ではないんですのよ。
騎士の持つ剣の切っ先のような鋼色の髪。それより色の淡い、雪空みたいな灰色の瞳。背は高く、顔立ちも整っているかの公爵は、最愛の奥様を亡くされてからずっと独り身を貫いているとうかがっています。
公爵の真実の愛は、七年前、お子様を産む際に儚くなりました。ああ、そういえばわたくし、殿下の名代として葬儀に参列させていただいたことがありましたわね。となると、ますます初対面と言いづらい相手ではありますわ。
真実の愛を選んだ相手から離れて、真実の愛を亡くした方に嫁ぐ。
不思議なめぐりあわせですわね。
真実の愛って一度きりなのかしら。何度もあったら真実とは言わなさそうですし、一度きりなのかもしれませんわね。
そうなると、わたくし、ここでも真実の愛に巡り合うことはできないのでしょうね。仕方のないことですけれど。
ですが、わたくしはリディア・アークベリー。公爵家の者として恥ずかしいことはできません。
真実の愛はわたくしには縁遠いものでしたが、真実の愛が遺した子の母として生きることはできるでしょう。真実の愛が男女間のものだけのものでなければ、エインズワースのご令嬢とは、もしかしたら親子愛が築けるかもしれませんし、できなくても公爵家のために働くことはできるでしょう。
──エインズワース公とは、白い結婚でよろしいんですのよ。求められたら断ることは許されませんが、あちら様から求められなかったら、受け入れます。だってわたくし、子を持つつもりはございませんし。
だって、あの子どもは、生まれることなく母体と共に空へ帰ってしまった。その命を狙う弓手が、引き絞られた弦を放す一端を、わたくしは担った。わたくしと、殿下が、結果三人の命を奪ってしまった。
いえ、関連する者を含めたらもっとあったと思いますわ。王家と公爵家の結びつきをダメにしたのですもの。〝便利に使える駒〟を手放さざるを得なかった王家は、嫡子を閉じ込めざるを得なかった王家は、きっとその矛先を簡単にねじ伏せられる相手に向けたに違いないのです。貴族家の話はわたくしの耳にも届きますが、下町はさすがに無理ですもの。真実の愛の方のまわりがどうなったか。真実の愛の方の行く末を聞いた後では……さすがに、怖くて確かめられなかった。
王宮を退いて公爵家の王都邸で沙汰を待っていたわたくしは、一切の情報を得る努力をしませんでした。あなたともお話しする気力もなく、ただただぼうっとしておりましたわよね。
だから、彼や彼女の訃報を耳にしたのは、結婚式の相手が代わった正式な通達と同時でしたの。花嫁衣装はほぼ出来上がっておりましたから、式の日取りもすぐ組まれましたわ。その日取りの通達と一緒に、わたくし、アッカーソン侯爵家のデイヴィス様の訃報と、真実の愛の方の処罰をうかがったのですわ。
終わった後に知ったから仕方がないとは申せません。だって、わたくしは識っていた。王家の、貴族家の非を隠すためにはどうすればいいのか。名誉を損なわない責任の求め方というものはどういうものなのか。王家の血の重さと、それが引き起こす懸念がどういうものなのか。平民の扱いがどれほど軽いのか。
わたくしは、知っていたのですわ。わかるべきだったのです。そして、手を回すべきであった。
でも、わたくしは手を差し伸べず、命は取りこぼされてしまった。
こういう冷たさが、殿下はお嫌いだったのでしょうね。
──わたくしも、嫌いですわ。命を切り捨ててしまった冷たさが。立ち止まって考えることすらやめてしまった自分の弱さが。
大嫌いですの。
でもね、それでも。それでもどうにか誇ることのできる駒として生きられるならば、わたくしが今まで積み上げてきた努力も報われるのではないか。
今は、そう思うのです。
新連載となります。こちらは現時点でまだ完結できていないので、全何話になるかの見通しはありませんが、よろしければまたお付き合いくださいませ。
なお、第一話はリディアの独白なのでちょっと暗めですが、基本的に一人称のほのぼの路線となる予定です。




