第7話「水底に潜む囁き」
朝日が湖面を照らし始めた頃、三人は簡単な朝食を終え、出発の準備をしていた。
エリナは昨夜から縫い始めたミラ用のマントを仕上げ、少し照れたようにそれを差し出した。
「……ほら、出来たわよ。あんたの服、見てるだけで寒いのよ。ていうか、いろいろ危ないの」
「ありがとう、エリナさん。とても温かいわ。……あなたの縫い目、とても丁寧ね」
「べ、別に褒められて嬉しいとかじゃないし!」
ミラが柔らかく微笑むと、エリナは顔をそむけて荷物を詰め始めた。
リオは微笑ましくそのやりとりを見ながら、地図を開いた。
「さて、これからどこに向かえばいいかな。ミラ、何か気になる場所は?」
「ええ。北の方に小さな村があるの。水からの囁きが届いているわ。……少し、不穏なものが」
「夢に取り憑かれるような被害がまた?」
「今回は、少し違う。水が怯えているの。――水底で、“何かが目覚めた”と」
その言葉に、エリナの表情が引き締まった。
「つまり……魔菌絡みってことね」
リオは頷いた。
「行ってみよう。確かめるしかない」
北の小さな村は、川沿いの斜面に寄り添うように建っていた。
住民たちは川から水を引き、魚を獲り、畑に恵みを与えて生きていた。
しかし――その空気は、どこか淀んでいた。
「……川魚が、全然獲れなくなってな」
話を聞いた漁師の老人が、深いため息をつく。
「水が冷たくなった気がするし、川辺に立つと……誰かに呼ばれるような、変な感覚があるんだ」
「呼ばれる……気味が悪いわね」
エリナが川を見下ろし、眉をひそめる。
ミラは静かに近づき、川辺の石に膝をついた。
指先を水に浸し、その冷たさに目を閉じる。
「……やっぱり。水が怯えてる。深く、黒いものに触れた記憶がある」
「魔菌か?」
「ええ。たぶん、瘴核が沈んでいる。目では見えないけれど、水の記憶が語ってるわ」
「じゃあ、取り出して破壊すれば……!」
「その前に、確かめたい」
ミラはすっと立ち上がり、外套の紐に手をかけた。
「……潜って、直接確認してくる」
「ちょ、ちょっと待って!」
エリナが声を張ったが、ミラは落ち着いた様子で外套を脱ぎ、手に持ったまま振り返った。
「心配しないで。水の中では、わたしが一番強いから」
そして、さらりと身体をひねると、淡い布のワンピースをするりと脱ぎかけた。
滑らかな白い背中があらわになり、朝日を受けてほんのりと紅潮している。
白銀の髪が背中に流れ、風にそよいで揺れた。
ミラの下着は淡い水色の薄布でできており、身体の曲線にぴたりと沿っている。
ふっくらと豊かな胸のラインが自然と浮き立ち、くびれから腰へと流れるラインは、水の精霊そのもののようだった。
「み、ミラ……っ!?」
リオは思わず目を逸らし、顔を真っ赤にする。
「何、赤くなってんのよリオ!? 見てんじゃないわよっ!」
「見てない! いや、ちょっとだけ……いや、違う! その、自然と視界に……!」
ミラはくすっと笑いながら、そっと川に足を踏み入れた。
水がふくらはぎを伝い、太腿を這い、肌に沿って染み込んでいく。
布地が濡れ、身体のラインがさらに際立っていく。
「水は、すべてを知っているの。……きっと、答えてくれる」
そう呟くと、ミラは水面を滑るように潜っていった。
波紋が広がり、川面に光が反射して揺れ続けていた。
ミラが水に消えてから数分。エリナは腕を組みながら、そわそわと川辺を歩き回っていた。
「ったく、あの子……いきなり脱いで飛び込むなんて……もうちょっと人目ってもんを気にしなさいよね……」
「でも、水の中では確かにミラが一番頼りになる。……すごく真剣だった」
「……それは認めるけどさ。でもなんかこう……ムカつくのよ」
リオは微笑んで、空を見上げた。朝の陽光が木々の葉を抜け、柔らかな光となって彼の顔を照らす。
そして――川面が泡立ち、ミラが音もなく浮上した。
「ミラ!」
「無事?」
ミラは水から上がり、濡れた髪を手で払いながら頷いた。
「見えたわ。水底に“瘴核”が沈んでる。魔菌の芽よ。これが川を通じて瘴気を流してる」
「じゃあ、取り出して――!」
「任せて。今、川そのものを封じる」
ミラは濡れたままの身体を包むように両腕を広げ、静かに詠唱を始めた。
「水封結界」
その瞬間、川面が青白く光り始め、水がガラスのように凍りついていく。
透明な水底が露わになり、黒く脈動する瘴核が姿を現した。
「見つけた……!」
「エリナ!」
「おっけー! やってやるわよ!」
エリナは剣を抜き、炎を纏わせる。
「紅炎斬!!」
火の刃が一直線に走り、瘴核を真っ二つに切り裂く。
黒い霧が吹き出し、周囲に瘴気が拡がろうとした瞬間――
「《癒光!」
リオの放った癒しの光がそれを包み込み、闇を払った。
数秒後、すべてが静まり返った。
水面が元に戻り、瘴気は完全に消え去っていた。
「……これで、終わりだね」
ミラは頷き、そっと地面に座り込んだ。
「川も、村も、これで安心ね」
村の人々は感謝を込めて、ささやかな祝宴を開いた。
パンと焼き魚、果実酒と温かいスープ。
旅で疲れた身体に、その優しさが染み渡る。
「本当に、ありがとうございました」
老爺がリオの手を取って深々と頭を下げる。
「俺たちだけじゃ、どうにもならなかった……お前さんたちが来てくれて、救われたよ」
「いいえ。僕たちは、まだ始まったばかりです。もっと多くの人を……世界を、守るために」
その言葉に、村人たちは口々に感謝を重ねた。
そして、宴の隅では――また、あの二人が言い合いを始めていた。
「ちょっと! あんた、またその格好に戻ってるじゃない!」
「少し暑かったから……濡れて乾いてを繰り返すと、服が張り付いて不快なの」
「不快とかそういう問題じゃないのよ! 見せてんの!? わざと見せてんの!? リオの視線がさっきから――!」
「ふふ……そんなに気にしてるのね。もしかして、妬いてる?」
「だ、誰が! あたしがあんたなんかに妬くわけ――っ」
「ふふふ……でも、あなたの作ってくれたマント、とっても気に入ってるわよ」
「……っ、そ、そう。ならいいけど!」
二人のやりとりに、リオは心の底から安堵していた。
旅は始まったばかり。
けれど、共に進む仲間がいる。そう思えることが、何よりの力だった。