第5話「湖畔に揺れる炎と水」
旅立って三日目の夕暮れ。
リオとエリナは、静かな湖の畔に腰を下ろしていた。
湖面は鏡のように空を映し、橙に染まった雲がゆったりと流れている。
風は涼しく、焚き火の炎が心地よくはぜる音だけが響いていた。
「……ここ、いい場所ね」
エリナが腰を下ろし、片膝を立てながら火を見つめた。
「うん。静かで、安全そうで……湖の水も澄んでるし」
「……入ってきたら?」
「え?」
「汗、かいてるでしょ。ここまで歩いたし、あんた意外と汗っかきよね?」
そう言って、エリナはくすっと笑うと自分の外套を脱ぎ、脇の小岩に丁寧に畳んで置いた。
「ちょ、ちょっと、まさか――」
「なによ。温泉よりずっとマシじゃない。水も冷たすぎないし」
言うが早いか、彼女はシャツをぱっと脱ぎ、下に着ていたスポーツブラのような肌着姿になった。
「あ、あの……!?」
「何、見るなって言いたいの? なら先に見なきゃいいのよ」
「いや、見る気は……その……!」
リオは慌てて顔を背けた。耳まで真っ赤になりながら。
エリナはため息をつきながら、ズボンまで脱ぎ、手早く湖の中へと足を踏み入れた。
「ん……思ったより冷たいわね。でも気持ちいい……!」
水面にばしゃっと音が立ち、エリナが頭まで潜ると、光が水の中で揺らめいた。
「……はぁ……やっぱり旅って疲れるわね……でも、こうして水に入ると、不思議と全部洗い流される気がする」
リオは火のそばで座ったまま、背中を向けていた。
(落ち着け、落ち着け俺……今は旅の途中、冷静に、冷静に……)
そんな彼の内心など露知らず、エリナは水面から顔を出し、濡れた髪をかき上げた。
「そういえば、あんたさ……前の村で、子供と話してる時の顔。結構、優しかったよね」
「……そうかな?」
「そうよ。あれは、ちょっと見直した」
エリナはそう言うと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「もしかして……子ども好き?」
「まあ、嫌いじゃないけど……なんでそんな笑い方するのさ」
「いやぁ、“癒しの賢者の末裔”、将来は立派なパパになりそうだなーって」
「からかってるだろ、それ……」
「ふふっ、まあね」
エリナは水面をゆっくり泳ぎながら、ふと真面目な顔になる。
「でも……ほんとに、大変な旅になるのね。あの村のこと、忘れられない」
リオはうなずいた。
「夢に取り憑かれて、壊れていく……。魔菌の力は、思っていたよりも厄介だ」
「でも、それでも――あんたは諦めないんでしょ?」
「うん。癒しの力は、きっと届く。たとえ呑まれても、僕の光は、届くって信じてる」
その言葉に、エリナは少しだけ目を細めた。
「……へぇ、熱いじゃん。意外と」
「え?」
「そういうところ、嫌いじゃないわよ」
リオが振り返ると、エリナはすでに岸へと上がり、身体をタオルで拭いていた。
水に濡れた下着姿のまま、何気ない顔で火のそばに腰を下ろす。
「……そんな格好で、普通に座らないでくれるかな」
「なによ、何を意識してんの。見たくせに」
「見てない!」
「ふーん、なら別にいいわ」
エリナはケラケラと笑いながら、髪を拭き始めた。
その笑顔があまりに自然で、楽しげで、リオはふと安心した。
この旅の始まりに、彼女がいてよかったと――そんな風に思えた。
夜も更け、湖面には星が滲んでいた。
リオは一人、焚き火の番をしながら、ふと空を見上げた。
(癒しの力で、どこまで戦えるんだろう)
守ることはできても、斬ることはできない。
治すことはできても、壊すことはできない。
――そんな力で、本当に魔菌に立ち向かえるのか?
「……賢者の末裔」
ふいに後ろから声がした。
「エリナ?」
「違うよ」
声は女のものだった。どこか透き通るような、響きのある声。
振り返ると、そこにいたのは――湖の水面から現れたような、白銀の髪の少女だった。
その姿は幻想的で、息を呑むほど美しかった。
白銀の長髪は月光を帯びるように輝き、背中まで流れている。
水滴が髪先を濡らし、夜風にゆらゆらと揺れていた。
瞳は深い蒼。湖の底に秘められた静謐な力を感じさせる色で、まっすぐリオを見つめていた。
身にまとっているのは薄手の魔術衣装――
水を纏うような淡い青の布が滑らかな肌を包み、透けそうなほど軽やかだ。
露出は控えめでありながら、身体の曲線を隠しきれず、
特に胸元はふっくらとした豊かな膨らみを自然に際立たせていた。
――静かに、しかし確かに目を引く容姿。
全体としては上品で儚く、それでいて母性的な柔らかさを感じさせる佇まい。
星明かりに照らされたその姿は、まるで湖に宿る水の精霊のようだった。
「君は……」
「水に呼ばれて、来たの」
少女は淡い声でそう答え、裸足のまま砂地に立った。
濡れた足元に、ひとしずく水音が響いた。
「賢者の末裔、癒しのリオ。私はあなたを待っていた」
そう告げた少女の目は、すべてを見透かすような、静かで澄んだ光を湛えていた。