第30話「空白の伝承と名なき継承者」
六つ目の印章を受け取り、闇の継承地を後にした僕たちは、再び旅路を歩んでいた。
しかし、目的地はまだ定まっていない。
残された継承者の一人、《空白》にまつわる手がかりが――何一つとして残されていなかったからだ。
「何か、導きになるものがあればいいんだけどな」
ミラが呟くように言い、手に持った地図を見つめる。
印章を持つ賢者の末裔は、これで六人目。
火、水、地、風、光、そして闇。
しかし、“空白”と呼ばれる継承者の記録は、どの文献にも見当たらなかった。名前も、出身地も、存在そのものすら曖昧なまま。
「これだけの継承の力が揃っても……未だに“裂け目”が消えないなんて」
エリナが苛立ちを隠さず言う。
たしかに、僕たちが継承の力を重ねるたび、“裂け目”の脈動は弱まってきた。けれど、消滅するには至っていない。
それが意味することは明らかだ――全ての継承の力が揃っていないということ。
「……ひとつ、気になることがある」
バルドが不意に口を開いた。
「地の民の間にはな……“始まりの継承者”という伝承がある」
「始まりの……?」
「ああ。最初に“継承の力”を持った者。けれど、その者の存在は後に“禁忌”とされ、歴史の中から消されたと聞く」
それは、まさに《空白》のことではないのか。
「“空白”という言葉の意味は、名前を失った存在……記録から消された継承者を指すのかもしれない」
僕は口にしながら、心の奥にわずかな震えを感じていた。
なぜ、その存在は“空白”として扱われたのか。
なぜ、歴史から抹消されたのか。
そしてなぜ、今もなお“裂け目”と共に脈動を続けているのか。
───
その夜、僕たちは森の中の小さな廃墟で野営していた。
焚き火の前で、ミラが静かに呟いた。
「リオ、私……ちょっと気になる夢を見たの」
「夢?」
「うん。光も音もない空間で、誰かが言ってた。“ここに来るな”って。それから……“私は継承の外にいる”って」
ミラのその言葉に、僕はハッと息を呑んだ。
「継承の……外?」
「その声、女の人だった?」
エリナが敏感に反応する。
「ううん。はっきりとはわからなかった。けど、悲しそうだった……とても」
バルドは腕を組み、焚き火の火を見つめながら呟く。
「……もしその夢が導きだとしたら、“空白”はこの世界の理から外された存在かもしれないな」
闇の継承者・ユーヴェルが語っていた言葉が蘇る。
「闇は、拒絶される存在ではない。理解され、受け入れられるべきものだ」
それと同じように、“空白”もまた、拒絶された存在――けれど、本当は必要な存在なのかもしれない。
───
翌朝。僕たちは、南西の山岳地帯へと進路を取った。
かつて“裂け目”が最も活性化した場所があるという、神殿跡地が目的地だった。
古代王国時代、そこは“封賢の座”と呼ばれ、七人の賢者が集ったとされる地。
そして、空白の存在が“消された”とされる伝説も、そこに刻まれているという。
途中、幾つかの石碑を通過するたびに、異様な現象が起きた。
風が止まり、空気が凍りつくような錯覚。
光が届かず、影がざわめくような音。
そして――誰かが、こちらを見ているような気配。
「……あの時の、幻視に似てる」
エリナが言った。
「裂け目が近いのかもしれない」
バルドが険しい表情で前方を睨む。
そして、そのときだった。
目の前の空間が歪み、淡い光と闇の粒子が渦を巻きながら現れた。
「これ……転移の……?」
異様な気配の中心に、黒衣の人物が姿を現す。
フードを深くかぶり、その姿はどこか懐かしくもあり、けれど明確に違和感を放っていた。
「ようやく来たか、継承の子らよ」
その声は――男か女かも判別できない、響きのない、けれど確かに届く声だった。
「君は……“空白”の継承者なのか?」
僕の問いに、黒衣の人物は笑う。
「私は名を捨てられし者。“存在してはならぬ者”だ」
「存在しては……ならない?」
「七人目の継承は、世界の理にすら否定された。“過ぎた力”は、やがて世界を壊すと恐れられた」
そのとき、地面が揺れ、空が裂けるような音が走った。
遠くで――“裂け目”が脈動していた。
黒衣の人物は、空を見上げて言った。
「お前たちが“選ぶ”ときは近い。力を集めるだけでは終わらぬ。“何を残すか”が問われることになる」
そう言い残し、彼は粒子となってその場から姿を消した。
ただ残されたのは、彼が座していた石の台座に刻まれた一文だけだった。
《真の継承は、空白の中に宿る》
───
「リオ……どうするの?」
ミラの問いに、僕はゆっくりと息を吐いた。
「……向き合うしかない。“存在してはならなかった力”と」
七つ目の継承。
それは、力ではなく“問い”だった。
僕たちはその意味を探るため、最後の地――“封賢の座”へと歩き出した。




