第29話「闇と対話する者」
光の継承地を後にした僕たちは、次なる目的地へと進んでいた。
――闇の継承者の地。
その場所は明確には記録に残されておらず、ただ「夜が続く谷」と呼ばれる一帯に眠るとされている。唯一の手がかりは、ルミナが去り際に遺した言葉だった。
「光が強くなれば、影もまた深くなる。裂け目は今、世界の理の裏で脈動している」
その言葉の真意を胸に、僕たちは西から南へと進路を変えた。
「リオ、この先にあるのが“月影の谷”だよね?」
ミラが地図を確認しながら言う。
「うん……記録が正しければ、そこが“夜が続く谷”のことだと思う」
「でも、本当に継承者がいるのかしら。こんな情報も曖昧で」
エリナは眉をひそめ、周囲を警戒するように目を光らせる。
険しい山道を越え、森を抜けた先に広がっていたのは、太陽が届かぬ不思議な空間だった。谷全体が薄暗く、空には常に厚い雲が覆っている。夜ではないはずなのに、陽の光がまるで遮られているかのようだった。
「光の継承者の地とは、まるで真逆……」
バルドが重々しく呟く。彼の言葉に、誰も反論できなかった。
───
谷の中心部には、黒曜石でできた祠が静かに佇んでいた。その入口には、古代語でこう刻まれていた。
《恐れず、影と向き合え》
「……試練だね、きっと」
僕は無意識に《セレスティア・ブレス》のペンダントに手を添える。
その瞬間、祠の奥から低く重たい気配が溢れ出し、僕たちは闇に呑まれた。
───
目を開けたとき、僕は漆黒の空間に立っていた。重力すら歪んでいるかのような圧力が全身を覆う。
そして――
「久しいな、リオ=ヴァルエル」
目の前に現れたのは、もう一人の僕。だがその姿は禍々しく、目は赤く輝き、手には黒い炎を宿していた。
「僕の中に……こんなものが……?」
「そうさ。お前が目を背けてきた“怒り”、そして“絶望”だ」
黒い僕は嘲るように笑う。
「ミラを救うことができなかったとき、心の奥底で思っただろう。“こんな世界、壊れてしまえばいい”って」
その言葉は図星だった。あの瞬間、たしかにそんな感情がよぎった。
「でも、それを否定したくて、僕は――」
「否定しても無駄だ。お前は確かに、そう思った。それが“影”だ」
闇の僕は手を伸ばす。その手が僕に触れた瞬間、全身に黒い感情が流れ込むような錯覚がした。
憎しみ、嫉妬、後悔、怒り、恐怖。
けれどそのとき、ミラやエリナ、バルドの顔が脳裏に浮かんだ。
支えてくれた声、励ましてくれた手、共に戦ってくれた背中。
――僕は、ひとりじゃない。
「……たしかに、僕の中には影がある。でもそれを認めた上で、僕は“光”を選ぶ」
その言葉と共に、胸の奥でセレスティア・ブレスが再び輝いた。
その光は黒い僕を包み込み、やがて彼は僕の中へと静かに溶けていった。
───
気がつけば、僕は再び祠の前に立っていた。ミラも、エリナも、バルドも同じように試練を受け、それぞれが強くなった顔をしていた。
そして、祠の奥から一人の男が姿を現す。
長く黒い外套に身を包み、目は夜のように深く、澄んでいた。
「お前たち、よく影を超えた」
「あなたが……闇の継承者?」
僕の問いに、男は頷いた。
「名をユーヴェルという。闇の継承者として、ずっとここで待っていた。影と対話し、超える者が現れるのを」
「あなたも試練を受けたのですか?」
ミラの問いに、ユーヴェルは微笑んだ。
「闇は、拒絶される存在ではない。理解され、受け入れられるべきものだ。それを知る者こそ、世界を守る資格がある」
彼はそう言って、黒銀の印章を取り出した。
「この“闇の印章”を、君たちに託そう」
印章を受け取った瞬間、世界が静かに変わったような感覚が僕を包んだ。裂け目の脈動が、わずかに弱まったようにも感じた。
───
こうして僕たちは、六つ目の継承の力を手に入れた。
残るは――《空白》の継承者。
だがその手がかりは、まだどこにもない。
深く濃い影を背に、僕たちは次なる地へと歩を進める。
希望と恐れ、その両方を胸に抱きながら。




