第27話「西方の石碑と囁く影」
陽光の峡谷——。その名の通り、光が溢れる聖地のような場所と聞いていたが、僕たちが踏み入れたのは、まるでその真逆のようだった。
峡谷へと続く山道は、午前の陽光をもってしても薄暗く、風が吹き抜けるたびに木々が不気味に軋む。セフィアの導きによってこの道を選んだはずなのに、なぜか足取りは重く、視界も靄がかかったように曇る。
「リオ、大丈夫……?」
ミラが隣から僕を覗き込むように声をかける。
「うん……ちょっと、胸騒ぎがして……」
そのとき、岩陰から一人の老人が現れた。
「お前たち、光の継承者の道を往く者だな?」
白髪に覆われたその顔には深い皺が刻まれ、瞳だけが異様に澄んでいた。僕たちは思わず身構えたが、バルドが一歩前へ出て応じた。
「……ああ。我らは七賢の末裔。光の継承者の眠る地を目指している」
老人は一瞬だけ目を細めると、静かに頷いた。
「ならば、この先の石碑を目指すといい。そこに辿り着いたとき、お前たちは“影”に囁かれるだろう」
そう言い残し、老人は霧の向こうに消えた。
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山道を進むごとに、空気はさらに重くなっていく。谷底には常に淡い靄が立ちこめ、歩くたびに岩肌が鈍く光を反射した。
「影に囁かれる、か……嫌な予感しかしないわね」
エリナが呟く。彼女の背中からは、いつでも炎を放てるような緊張が漂っていた。
「石碑って……どんな意味があるんでしょうか」
ミラは不安げに辺りを見回しながら言った。
「おそらく、継承の試練の一部だろう」
バルドが静かに応じる。「だがそれ以上に……“裂け目”との関係が、俺には気にかかる」
“裂け目”——闇と魔菌の浸食源であり、この世界の崩壊の兆しでもある。
その名がまた出てきたことに、僕の胸は嫌な鼓動を打ち始めた。
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数時間後、僕たちはついにそれを見つけた。
谷の奥、巨大な断崖の中央に、それはあった。
古びた石碑。表面には古代語で刻まれた文様と、神々しさすら感じさせる輝きがわずかに灯っていた。
「これは……」
ミラが手を伸ばしかけた、その瞬間。
《リオ……リオ……お前は、選ばれし者か……?》
耳元で、誰かが囁いた。
「……!? 今、誰か……」
僕が周囲を見渡すと、他の三人も同じように顔をしかめていた。
「私も聞こえた……」
エリナの声が震えている。
「……幻聴じゃない。この石碑から……何かが……」
バルドが石碑に近づき、指で表面をなぞる。
すると、石碑の光が強まった。
そして次の瞬間——僕の視界が歪んだ。
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真白な空間。重力の感覚もなく、僕はどこかに立っているのか浮かんでいるのかも分からない。
そこに、一人の“僕”がいた。
だが、それは明らかに今の僕ではない。
髪は乱れ、目には深い闇が宿り、血のように赤い光を纏っていた。
《お前は、何を選ぶ?》
その問いが、僕の胸を貫いた。
僕は思わず声を荒げた。
「……僕は、癒しと再生を司る者だ。誰も傷つけたくない。誰も、失いたくない!」
だが、影の僕は笑った。
《それで世界は救えるのか?》
光が弾け、僕は現実に引き戻された。
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「……リオ! 大丈夫!?」
気がつけば、ミラが僕を抱き起こしていた。
「うん……ごめん。ちょっと、石碑に触れたら……幻視を……」
「あなたも、か……」
エリナが呟く。「私も、過去の記憶を見た。自分が……迷いの中で、炎を振るっていた姿を」
「俺もだ」バルドが険しい表情をしている。「“裂け目”の深淵と向き合う夢だった……」
僕たちは顔を見合わせた。
——この石碑は、過去と未来の狭間を見せる“鏡”のようなものなのか。
そしてそれぞれが抱える“影”を、自分で乗り越えよという……。
「この先に、光の継承者がいるんだよね」
ミラが不安げに言った。
「きっと……」僕は頷いた。「でも、その前に僕たち自身が、影に呑まれないようにしないといけない」
目の前の石碑が、静かに光を放っていた。




