第23話「内なる獣の目覚め」
それは、ほんの僅かな違和感だった。
アゼル岩山の麓に広がる断層地帯。沈み込んだ地表には古の戦いの傷跡が刻まれ、風に混じる微かな瘴気が、まるで封じられた記憶を揺さぶるように漂っていた。
「……この辺り、空気が妙に重いな」
リオの呟きに、ミラとエリナが顔を見合わせる。岩陰ではバルドが周囲を警戒しつつ、慎重に歩を進めていた。だが、その一歩後ろ――ザイクの足取りだけが、妙に鈍く、不安定だった。
「ザイク……? 大丈夫か?」
リオが声をかけたその時、ザイクは立ち止まり、片膝をついた。
「く……ッ。まさか……この場所……っ」
ザイクの身体から、淡い雷光が漏れ始める。バチバチと音を立てながら、彼の両腕に走る紋様が激しく脈動していた。まるで“何か”が目覚めようとしているかのように。
「まさか……魔菌に反応してるのか……!?」
リオの言葉に応じるかのように、ザイクの瞳が金色に染まる。獣のように光る双眸と、苦悶に歪む表情。その姿は、もはや“人のかたち”を保とうとする限界を超えようとしていた。
「う、ああああああああっ!!」
雷鳴が轟き、ザイクの身体から放たれた電撃が周囲を弾け飛ばす。岩が砕け、空が唸り、地面が焼ける。瞬間、ミラが跳ね飛ばされた。
「きゃっ……!」
「ミラっ!!」
リオが駆け寄ろうとしたその刹那、今度は自分の足元に雷が走る。咄嗟に魔力を展開し、バリアを張るも衝撃は鋭く、膝をついた。
――暴走している。ザイクの“内なる獣”が。
そう理解したときには、エリナが即座に前へ出ていた。炎の双剣を構え、ザイクと対峙する。
「止まりなさい、ザイク! これ以上は誰も傷つけさせない!」
「エリナ、待って――!」
だがその声も届かない。雷を纏ったザイクが、雄叫びと共にエリナに向かって突進する。
鋭い雷撃と、炎の刃が激突する。耳を裂くような衝突音。迸る雷光と、弾ける炎。だが、それでも止まらない。
「ザイク! お願い、戻って!」
ミラが叫んだ。倒れかけながらも、震える声で。
その声に、わずかにザイクの動きが鈍る――その一瞬の隙をついて、リオがザイクの背後から接近した。
「……っ、セレスティアの紋よ。彼の魂を照らしてくれ」
リオの手が、ザイクの背に触れる。癒しの光が広がり、雷の魔力をわずかに鎮めていく。ザイクの身体が硬直し、苦悶の声を漏らす。
「ぐっ……! 僕は……僕は、また……ッ!!」
その場に崩れ落ちたザイクは、地面に手をつき、息を荒げながら呻いた。暴走は、収まった。
だが、場に残ったのは焦げ跡と、傷ついた仲間たち、そして――深い沈黙だった。
「……すまない。僕は、また……大切な人を、傷つけてしまった」
ザイクが呟いた声は、どこか自嘲気味で。だが、その目には確かな決意が宿っていた。
「もう……これ以上、皆と一緒に進むわけにはいかない」
「待って、ザイク。今のは……あなたの意思じゃ――」
ミラが言いかけたその言葉を、ザイクはそっと遮る。
「それでも、僕は……許せないんだ、自分を。だから……一度、離れさせてほしい」
その背中は、どこか寂しげで。けれど――揺るぎなかった。
「……また会おう。必ず、この命で償ってみせるから」
ザイクはそのまま、雷の残光を残して、岩山の向こうへと姿を消した。
風が静かに吹いた。
残された者たちの胸に、それぞれの思いだけが静かに灯っていた――。




