第18話「風の幻視と揺らぐ心⑴」
風が止んだ。
まるでこの地だけが時を忘れ、沈黙に閉ざされたかのような静けさが、リオたちを包んでいた。
風の継承者カイル――銀髪を風にたなびかせ、琥珀色の瞳で僕らを見据える青年は、無表情なまま言い放った。
「……君に問う。リオ=ヴァルエル。継承者としての“覚悟”を見せてみろ」
言葉が終わるや否や、カイルの足元に魔法陣が浮かび上がった。その中心から風が巻き上がり、淡い光とともに僕の意識が遠ざかる。
(な、に……!?)
視界が歪み、音が遠のいていく。地にあったはずの足裏の感覚が消え、まるで夢の中に落ちるような浮遊感が僕を飲み込んだ。
気がつけば、そこは見覚えのない草原だった。
風に揺れる草花の香り。青空には鳥が舞い、子どもたちの笑い声が響く。
……これは、僕の記憶じゃない。
けれど確かに、心が温かくなる。
「リオ、おかえりなさい!」
振り向くと、そこには一人の女性がいた。柔らかな栗色の髪に、微笑をたたえた瞳。――母さん、だ。
僕の記憶の中の“彼女”とは少し違う。けれど、なぜか無性に懐かしい。
「疲れたでしょう? 今日は、もう無理しなくていいのよ」
そう言って、彼女は僕の頭を撫でてくれる。その手のぬくもりに、思わず涙が溢れた。
けれど、次の瞬間。
――ドンッ。
鈍い音が響く。視界が赤く染まる。
母さんが、目の前で崩れ落ちていた。
「……やめろ……やめてくれ!」
叫ぶ声も届かない。周囲の人々が次々と倒れていく。
炎。煙。悲鳴。
そして、僕の手には――燃えさかる魔力が握られていた。
「お前が、滅ぼしたんだよ、すべてを」
誰かの声がした。振り返ると、そこには黒衣の男がいた。顔は影に覆われて見えない。
だが、その声は――僕自身のものだった。
「君はただ癒したいだけだった。でも、救えなかったんだ。大切な人も、町も、未来も」
「……違う」
僕は震える拳を握りしめる。
「僕は、もう二度と……!」
声にならない想いが喉を突き上げる。
そのとき、背後から声がした。
「――リオ。あなたの力は、絶望じゃない。希望よ」
振り向くと、そこにはミラがいた。優しく、まっすぐな眼差しで、僕を見つめていた。
「私たちは、あなたがいるから進める。過去に何があっても、今のあなたが選んで進むなら、それが“継承”なのよ」
ミラの言葉に、何かが心の奥でほどけていく。
(ありがとう、ミラ……)
次の瞬間、僕は現実の世界に引き戻された。
「……はぁっ……!」
荒い息を吐き、膝をついた僕を、カイルが静かに見下ろしていた。
「乗り越えたか。“風の幻視”に打ち勝ち、なお進む意思を保てるなら――お前は真に継ぐ者だ」
風が、僕の髪をなでた。どこか優しく、あたたかい風だった。
「……ありがとう、カイル」
僕は立ち上がる。迷いは、もうなかった。
その夜。焚き火の前で、カイルは静かに語り始めた。
「……この風の地にも、魔菌の気配が近づきつつある。早く封印の地を目指すべきだろう」
「カイル、あなたも……来てくれるの?」ミラが尋ねた。
カイルは少し目を伏せ、静かに首を振った。
「俺の役目は、ここを守ることだ。だが必要とあらば……風は、いつでも君たちの背を押す」
風の継承者――カイルのその言葉に、僕たちは力強く頷いた。
僕たちは歩き出す。次なる賢者の継承地を目指して。
過去の傷を乗り越え、仲間とともに――




