第17話「風の試練と覚悟の証」
緑風の峡谷――。
それは、アスレヴァーナ王国の玄関口とも言える場所だった。切り立った崖のあいだから無数の風が生まれ、渦を巻きながら峡谷を吹き抜けていく。草木はさざ波のように揺れ、岩壁の苔さえも生きているかのように鼓動を打つ。自然そのものが、まるで意志を持っているかのような場所だった。
「ここが……風の継承者の国……」
思わず、僕は呟いていた。胸の奥が、不思議なざわめきに包まれていた。
エリナは険しい崖道の先を睨みながら、手元の地図を確認する。
「間違いないわ。あの石柱の先が、アスレヴァーナ王国の国境」
その声に、ミラがくるりと振り返った。陽の光を受けて、その長い銀髪がふわりと宙を舞う。彼女はくすりと微笑んで、僕の横に並ぶ。
「ねえリオ、アスレヴァーナの人たちって、やっぱり風魔法を使えるのかな? 風ってさ、性格も軽そうな感じしない? ふわ~っとしてて、気分屋っぽいっていうか」
「そんな勝手な偏見で判断しないであげて……」
苦笑しつつ返すと、後ろを歩いていたザイクがぽつりと口を開いた。
「風というのは、自由を好むが、気まぐれでもある。されど、時にすべてを吹き飛ばす嵐にもなる。侮るな」
「出たよ、詩人風の言い回し……」
エリナが呆れたように肩をすくめて笑う。だがその言葉が、妙に現実味を帯びて感じられるのは、僕たち自身が、この峡谷に満ちる風の“圧”に気圧されていたからかもしれない。
峡谷の道は、やがて木々のトンネルへと姿を変えた。風は音を変え、笛のように高く、鋭くなっていく。辺りの空気が一変し、僕は自然と呼吸を整え直した。
「――っ!?」
突如、全員が足を止めた。
風が、逆流している。
いや、吸い込まれている――。
峡谷の奥から、吸い込むような風の渦が巻き上がっていた。大気の奔流がひとつの焦点に集中し、渦となり、空間を歪ませている。
「なんだ、この風は……!」
僕が思わず声を上げたその瞬間だった。
風の渦の中心に、ひとりの少年が立っていた。
白銀のローブをまとい、背に風を纏うような風貌。長い前髪の隙間から覗く蒼い瞳は、静かでありながら鋭く、何もかもを見透かすようだった。右手には一本の笛。儀式具のような、けれど楽器としても見える不思議な造形だった。
彼が、その笛を口元に添える。
――ピィィィ……
風が鳴いた。いや、風そのものが、音楽に変わったかのようだった。峡谷の木々がざわめき、岩肌が共鳴する。音は空気を染め、振動が足元から胸へと突き抜ける。
その旋律に共鳴するように、僕の右手に刻まれた《セラフの印》が、淡く蒼く輝き出した。
「お前が……風の継承者か?」
声を絞り出すと、彼はふっと微笑んだ。
「ようやく来たか。癒しの継承者よ。僕はカイル=セリオン。アスレヴァーナの“風の守り手”だ」
その名乗りと同時に、音が止んだ。
風が凪ぎ、大地が静まる。
だがその静けさは、一瞬の幕間だった。
カイルの姿が、風とともに消えた――かと思った瞬間、僕の目の前に彼が立っていた。
「試させてもらう。継承者としての“覚悟”を」
その冷ややかな声と同時に、突風が僕らを包み込んだ。
風刃のように鋭い空気の刃が、肌を切り裂くかのように襲いかかる。咄嗟にエリナが構え、ミラが魔力を練る。だがその間にも、カイルの姿は幻影のように消え、現れ、僕の意識を試すように風の軌跡を描いた。
「――これは、試練……!」
僕は前に出た。逃げるわけにはいかない。この旅が始まった時から、僕はずっと問いかけ続けてきた。
“僕にできることはなんだろう?”
“賢者の末裔として、癒すだけでいいのか?”
その問いの答えが、今ようやく形になり始めた気がした。
「カイル=セリオン。僕はリオ=ヴァルエル。癒しの継承者として、この試練――受けて立つ」
静かに、でも確かな意志で言ったその言葉に、カイルは一瞬だけ目を細めて笑った。
「ならば、目覚めよ――“風の導き”の真意を」
こうして、僕たちは“風の試練”に挑むことになった。
それは、僕たちにとって、まだ知らぬ力と責任への“目覚め”の始まりだった――。




