第12話「瘴気の中心で出会う者」
ルグレ高原――。
灰色の空の下、濁った空気が地を這い、視界は靄に覆われていた。風は止まり、森のざわめきすら聞こえない。まるで世界そのものが息をひそめているようだった。
「ここが……瘴気の中心か」
リオは小さくつぶやくと、結界を張りながら、腐った風の中を進んでいく。
靴の裏が地面の苔に沈み、瘴気が絡みつくように揺れた。
この異常な毒気は、ただの自然災害ではない。
呼吸をするたびに、心の奥に何かが囁きかけてくるような錯覚――。
そして、霧の向こうにそれは現れた。
黒いローブをまとい、顔を白い仮面で覆った異形の人物。
仮面は裂けたような口元が不気味に赤く染まり、その奥からは感情の読めない瞳がのぞいていた。
「君は……誰だ?」
リオが声をかけると、黒衣の者はゆっくりと顔を傾ける。
「ようやく来たか、“癒しの器”よ」
「この瘴気は……君の仕業か?」
「否。これは残り香。古き瘴悪――“魔菌”の、目覚めの兆しだ」
その名を聞いた瞬間、リオの背に冷たい汗が流れる。
「……魔菌が目覚めるというのか?」
「その揺らぎを防ぐのが、我ら“封印の守り手”の役目」
「封印の……守り手?」
黒衣の者は、ゆっくりと手をかざした。
「汝ら賢者の末裔が力を集めるたび、封印は揺らぐ。
だからこそ、試すのだ。“癒し”の真の力を――」
そして、黒衣の手のひらから瘴気が爆発するように広がった。
辺り一面が黒く染まり、リオの足元にすら這い寄ってくる。
「この瘴気を祓ってみせよ、癒しの継承者よ。できぬなら、お前の存在すら“害”となろう」
リオは深く目を閉じ、魔力を胸元に集中させた。
「癒環の律――第七唱」
両手を組み、空気の流れを読み、精神の中心に語りかける。
「《セレスティア・ブレス》――聖息の再誕!」
地面に光の魔法陣が広がり、蒼白い輝きが天へと昇る。
風が巻き起こり、彼の周囲に羽の幻影が舞い踊る。
リオの全身から放たれる癒しの光は、まるで天上から降り注ぐ祝福のようだった。
枯れた地に一瞬、草花が芽吹き、それが光の粒となって溶けていく。
瘴気は悲鳴のようなうねりを上げて退き、辺り一帯が清らかな空気に包まれた。
「……見事だ」
黒衣の者がつぶやく。
「ならば次なる“問い”を与えよう」
霧が晴れると、そこには一枚の石板が埋もれていた。
それは――セラフの印。
リオが手に取ると、柔らかな光がその輪郭を照らす。
翼を広げた天使を模した意匠。
中央には七芒星、その周囲に古代文字が刻まれ、銀縁の石材が僅かに宙に浮くように震えている。
「それは七賢人の一柱、“セラフ”の力を封じた聖なる鍵。だが、印は散り、封印の均衡は崩れかけている」
「……これを、正しき場所へ?」
「それを成す覚悟があるのならば、旅を続けるがよい」
黒衣の者は霧と共にその姿を消した。
残されたリオは、静かに拳を握る。
「僕の力で……必ず、癒してみせる」
彼の掌の中で“セラフの印”は淡く脈動していた。




