第10話「癒しの魔術師、リオ=ヴァルエル」
帝都メルクアナ。
図書殿の奥深くに隠された記録を読み解いたリオと仲間たちは、七賢者と魔菌封印の関係をより深く理解し、静かにその重責を噛み締めていた。
翌朝――。
街の朝靄が晴れぬうちから、リオたちは塔を出て、中央区の市街地を歩いていた。祭りの後のような喧騒の余韻が残りつつも、昨日の神殿の一件で倒れた住民が多く、街の至るところに療養の気配がある。
「リオ、あそこ――!」
ミラが駆け寄ったのは、倒れ込んでいた老婆とその孫だった。
「ばあちゃんが……ずっと苦しそうで……昨日の晩から!」
リオは膝をつき、老婆の脈をとる。
体表に瘴気の残滓。神殿から放たれたものだ。命に別状はないが、長く放置すれば危険だ。
「《再生の環・微光》」
淡い緑の光がリオの手から溢れ、老婆の胸元に染み込んでゆく。
肌の色がゆっくりと戻り、呼吸が穏やかになると、孫が泣きながら叫んだ。
「……すごい……! 魔法使いのお兄ちゃん、ありがとう!」
周囲にいた市民たちがその光景を見て、小さな歓声と感嘆の声を上げる。
その場にいた老若男女が、次々と体の不調を訴え始めたのは言うまでもない。
「ちょ、ちょっと、リオ! これ……もうちょっとで行列じゃない!?」
「……仕方ない。全部は無理でも、急患くらいは診てあげたい」
リオは微笑むと、再び手を差し伸べた。
数時間後、簡易診療所のようになってしまった路地の一角で、ようやくひと息つけた頃――。
「……あんた、ほんと、やるわね」
エリナが少し拗ねたように、でもどこか嬉しそうに声をかけてきた。
「お人好しが過ぎるっての……。でも、あんたの癒しの力、ほんとすごいんだから」
「そうね。リオの魔力は……ただの癒しじゃない」
ミラがそっと隣に座り、遠くを見ながら続ける。
「包み込むような……温泉みたい。じんわりして、心までほぐれていくの……」
「温泉って……例えが変じゃないか?」
「……いいの。リオには、そういう力があるのよ」
その言葉に、リオは返す言葉を失った。
自分の力が誰かを救えていると実感するたび、胸の奥にぽつりと灯がともる気がした。
――それでも。
その“癒しの力”でさえ、救えなかった者がいたのだ。
かつて滅びかけた村、病で失われた家族、命を繋げなかった少年少女たち……。
記憶の奥底に沈めた悲しみが、ふと蘇る。
「リオ?」
ミラの声に、我に返る。
微笑みを返し、立ち上がった。
その時――。
「……再生の環、芽吹きの子よ」
誰の声でもなかった。
脳内に、直接響くような女の声。
リオが顔を上げると、通りの先に、誰もいないはずの路地の影に“それ”は立っていた。
全身を漆黒のローブで包み、顔すら見えぬその姿。
風も吹いていないのに、マントだけが波打つように揺れている。
「賢者の血は、すでに蠢き始めた。
七の環は軋み、封印の座は崩壊を始めている……」
「……誰だ……?」
リオが一歩踏み出すと、その影は溶けるように霧へと変わり、跡形もなく消えた。
まるで――幻だったかのように。
「どうしたの?」
ミラが不安げに駆け寄る。
エリナも剣に手をかけたまま、辺りを警戒する。
「いや……なんでもない。ただの……見間違い、だと思う」
リオはそう告げたが、胸の鼓動は、次第に高鳴っていく。
(あれは……何だ? 俺に“だけ”見えた幻覚なのか……?)
その夜、リオは眠れなかった。
ふたたび夢の中、あの黒衣の者が現れ、囁く。
「鍵は、北に在り。
封印を守る者の手に、災いは訪れる。
お前が選ばぬのなら――世界が選ぶこととなる」
冷たい風が吹く夢の中で、リオはただ一人、立ち尽くしていた。




