第4話:顔と名前が一致しない日。
「おはようございまーす」
職場のドアを開けた純志が、いつものように軽く頭を下げる。
朝の挨拶は、世界がまだ“普通”かどうかを確かめる儀式だ。
返ってきたのは、三方向からの「おはようございます」。
ただし、声と顔が一致しない。
「あれ?……誰?」
見慣れたスーツ。髪型もクセも一緒。でも、顔が違う。
課の隅にいる“声が小さい佐野さん”が、今日はカンガルーの顔をしている。
口元は変わらず笑っているけど、目が無表情だ。
そして全体的に首のつけ根が、ちょっとズレてる。
昼休み、社内チャットで「この前の営業資料って誰がまとめたんでしたっけ?」と聞く。
「佐野さんですよ」と返ってきた。
(……やっぱりあのカンガルーか)
脳が頑張って“あれは佐野さん”だと認識しようとする。
でも昨日までの佐野さんの顔が思い出せない。
コンビニに行くと、レジにいたのはカバの顔をした女性だった。
「袋はご利用ですか?」
声は人間。落ち着いてて品がある。
でも、カバ。
しわしわの口元から真っ白な歯がのぞく。
笑ったときの“ムッ”とした音が、なんかやたら耳に残る。
(……見たことある気がするな)
たぶん昨日までは“顔が人間”だった。
それなのに、もう思い出せない。
その夜、ニュース番組を流しながら夕飯を食べていた。
キャスターは、クールな声のカモノハシ。
「本日、全国でのクロスヘッド登録者数が……」
クロスヘッド“登録者数”?
登録制だったの?
いや、ていうかそれニュースにしていいの?
そしてCMに切り替わった瞬間、画面がこう切り替わった。
「あなたの顔、昨日と同じですか?」
ポップなフォント。爽やかな音楽。
「はい/いいえ」の選択肢が画面下に出ている。
(いやいや、選ばせんなよ)
でも正直、自信がなかった。
今、自分の顔が“人間”のままなのか。
誰に、何に、どこまで崩されていくのか。
その夜、純志は鏡を見て、なんとなく口を開いて言ってみた。
「佐野さん……て、どんな顔だっけ?」
鏡の向こうで笑った自分の顔に、一瞬だけ**“ひげのような影”**が見えた。
―佐藤純志のあとがき―
えー、今日は顔と名前がたぶん10件くらい不一致だったね。
てか、俺の記憶がズレてんのか、顔がズレてんのか、世界がズレてんのか……
もうどれでもいい気がしてきた。
ニュースで「登録者数」って言ってたけど、何それ?
知らないうちにクロスヘッドアカウント作られてたら、ちょっといやかも。パスワード管理どうなってんだよ。
つーか、俺って昨日まで、顔どうだったっけ?
……まぁいっか