第1話:ごあいさつは首の角度で。
朝、5時55分。
佐藤純志は、アラームが鳴る3秒前に目を覚ました。
寝癖なし、目覚めバッチリ、肌コンディション良好。
ただしテンションは基本、無風。
「……ああ、だるぅ」
口癖でスタートするのが彼の毎日だ。
28歳、サラリーマン。営業職。運動神経がぶっ壊れて良すぎるのが唯一の異常で、他はほぼ“普通”。
ただ、人よりちょっと察知力が高い自覚はある。
空気を読むのが得意というより、「空気の動く音」が先に聞こえる感覚だ。
それでも彼は、そんな自分を特別とは思っていない。
「だって、普通じゃん?」
彼の“普通”は、世間一般の“超人”レベルなのだが、本人は気づいていない。
それもまた、天然というかバグというか。
昼休み。
純志は会社近くの公園で弁当を食べていた。
オフィスビル群に囲まれた憩いの空間。
砂利道のベンチ、曇り空、静かに鳴くカラス。全部がいつも通り。
サバの味噌煮と白米。安定のコンビニ弁当。
箸をつけようとした瞬間、隣に「コトン」と誰かが座った。
スーツを着た、背の高い男。
ちらりと視界に映ったその“顔”に、純志の箸が止まった。
首が、異様に長い。
顔は――キリン。
目だけは人間のように理知的で、口元には礼儀正しい微笑み。
「すみません」
穏やかで落ち着いた低音。
それがキリンの顔から出てるという事実が、脳にじんわりくる。
「180センチほどのうさぎ、見かけませんでしたか?」
「……は?」
思わず箸を止めたまま固まる純志。
そのキリン男は待つでもなく、純志の返答をじっと見つめていた。
彼の首が斜め45度にスッと傾いたことで、完全に会話が始まってることを悟った。
「いや、……見てない、ですね」
「そうですか。失礼しました」
キリン男は、深々と頭を下げて立ち去った。
その首のしなり方が、物理法則にギリ触れてない感じで気持ち悪い。
純志はしばらくベンチで固まり、口からぽろっと言葉が落ちた。
「……あれ、どっちの意味で“動物園”なんだ?」
自分で言って、自分で「きもぉ……」と呟いた。
夜。
残業を終えた帰り道、商店街の裏手を歩いていると、
向かいからゆっくりと自転車に乗った警官が走ってきた。
ヘルメット、制服、反射ベルト。完璧な警察の出で立ち。
顔だけを除いて。
――ゴリラ。
真っ黒な顔面にシルバーの目。ギラリとこっちを一瞥して通り過ぎていった。
純志は立ち止まったまま、スマホを見るふりをして振り返った。
(いや、光の加減だろ)
心を落ち着かせようとするが、頭の中に“うっすらとした既視感”がこびりついている。
(ていうか……最近、アニマルマスク流行ってんのか?)
翌日には忘れるような軽さでそう思って、家へ向かう。
彼はまだ知らない。
この世界が、昨日と同じ形で明日を迎えることは、もう二度とないということを。
―佐藤純志のあとがき―
あのキリン、なんだったんだろうな。
首、長すぎて逆に人間味あったというか……礼儀正しいし、言葉も丁寧だし。
まぁ、見かけだけで判断すんのもよくないよな。中身大事だし。たとえ首が3メートルあっても。
てか、なんでうさぎ探してたんだ? 180cmって、人間じゃんそれ。
今考えたら突っ込みどころ多すぎて、逆に覚えてらんねぇわ。
ゴリラ警官は……うん、たぶん光の加減。うん。そう信じたい。
とりあえず明日は、目玉焼きにしょうゆかけるか、ソースかで一日が決まる気がしてる。
うざぁ……どっちもうまい。