第8話
夜の闇に紛れて潜水艦を飛び立った二機のソ連製ヘリコプターは、数時間ほどの時間をかけて函館上空へと突入した。
レーダー部隊の情報を受けてスクランブル発進した航空自衛隊のF-4が照明弾を投下し、夜闇に沈んだ函館市を明るく照らす。
暗闇の中から、市街地上空を飛行するソ連軍ヘリコプターが浮かび上がった。
「敵機接近!」
無線連絡を受け、函館駐屯地の運動場に設置された二門の対空砲が動き出した。
自衛官たちは対空砲に実弾を装填し、低空飛行するヘリの一機に照準を合わせる。
「射撃用意よし!」
準備完了した対空砲の指揮官は、無線で連隊本部へと報告を行った。
「分かった。直ちに射撃を」
『待て! 撃つな!』
一切の躊躇いなく射撃許可を下そうとした八木連隊長を、突如として飛び込んできた無線連絡が遮った。口調と状況から、声の主が陸上幕僚監部の幹部自衛官でないことは、すぐに分かった。
「……あなたは?」
八木連隊長は落ち着いて聞く。
『私は官房長官の谷川だ。聞こえているな? いいか、絶対に撃つなよ。もし市街地の上空でヘリなど撃墜してみろ。その残骸がどこに落ちる思っているんだ? そもそも、まだ防衛出動も出ていない状況で、なぜ自衛隊が勝手に行動しているんだ! おかしいだろ!』
「ですが、今撃たなければ、あのヘリは函館空港に着陸します。空港内にいる市民、マスコミ関係者、それに大勢の警官が死にます。それに、向こうはソ連軍の特殊部隊です。我々自衛隊よりも遥かに強いでしょう。着陸前に数を減らせる機会を逃すべきではありません!」
八木は、強い口調で言う。
『そんなことはどうでもいい! いいか。もし君たちがソ連軍機を撃墜して、そのせいで市民が死んだとしたら、それは、自衛隊が人を殺したと扱われるんだ! 君たちだって、自衛隊という組織の立場は理解しているだろ!』
谷川は、焦った口調で言う。
「着陸後、ソ連兵たちが日本国民を殺すことは見過ごすんですか?」
八木の口調は淡々としていたが、やや怒気を孕んでいた。
『……いや……それは……。だが、今後も自衛隊という組織を日本に残すためには、必要な犠牲だ』
「これは、今後も日本という国家が残っていくために必要な犠牲です」
『おい、待て!』
八木は受話器を下ろして通話を切ると、息を吸い込む。
「高射砲隊、射撃を許可する! 今すぐソ連軍ヘリを撃墜するんだ! それと同時に、各部隊は作戦を開始しろ! これまで食ってきたタダ飯のツケを払い、命を以て我が国の主権を守るんだ!」
「「了解!」」
自衛官たちの応答には、力がこもっていた。
数秒後、運動場の対空砲が一斉に火を吹く。
ソ連軍ヘリは、大きく旋回して射撃を回避した。弾丸は虚空を切り裂く。
「おい! もっとよく狙え!」
対空砲指揮官は、砲手を叱咤した。
「射撃訓練なんてほとんどやってないんですよ! 当たるわけが」
引き金を引きつつも、そう弱音を吐いた砲手の頭を、対空砲指揮官は軽く叩く。
「いいから当てろ! 地上に降りる戦闘員の数が一人増えれば、仲間の命が百人消えると思え!」
「は、はい!」
さすがはソ連軍特殊部隊のパイロット。ヘリコプターの回避機動は目を見張るものがあったが、低空飛行するヘリという目標は、極めて迎撃されやすい。
回避が間に合わず、対空砲弾の直撃を受けたヘリの一機が、テールローターを吹き飛ばされて火を吹きながら墜落する。
ヘリコプターは、地上に広がる住宅街の一角に突き刺さり、そこで爆発した。
数秒遅れて、耳をつんざくような低い爆音が轟く。
「……墜落現場に第四中隊を向かわせろ。 生き残りのソ連兵は射殺あるいは確保、民間人を一人でも多く救出するんだ」
八木連隊長はそう命令を下して、目頭を押さえた。