第6話
日本を守る最後の砦。それが、陸上自衛隊という組織だ。
対ソ連戦争に特化した装備、編成になっており、有事の際には、広大な北海道の大地でソ連軍相手に遅滞戦術を繰り広げ、その壊滅と引き換えに米軍主力が到着するまでの時間を稼ぐことが想定されている。
そのトップとして、陸上自衛隊の自衛官たちを率いる秀志陸上幕僚長は、檜町駐屯地の執務室で机の上に設置された受話器を持ち上げ、函館駐屯地へと電話をかけた。
『こちら函館駐屯地です』
「陸幕長の秀志だ。司令に繋いでくれ」
応答した函館駐屯地の通信科隊員に対し、秀志陸上幕僚長はそう命じる。
『了解しました。繋ぎます』
数秒ほどの沈黙。
『駐屯地司令の八木です。どうしました?』
函館駐屯地司令であり、また第28普通科連隊の連隊長でもある八木駐屯地司令が、受話器を持ち上げてそう聞く。
「陸上幕僚長の秀志だ。早速だが、函館空港に、ソ連防空軍の最新鋭機、MiG-25が強行着陸した件はすでに知っているな?」
『はい』
電話の向こうから聞こえる八木の声が、何かを察したように少し低くなる。
「これは、米軍からもたらされた情報なんだがな……。ソ連軍で動きがあったらしい。どうやら、函館空港に存在するMiG-25の破壊と、ベレンコ中尉の殺害を企図しているようだ」
『……』
受話器の向こうで、八木が緊張に息を張り詰めたのが分かった。
秀志は、構わずに話を続ける。
「現状、防衛省や内閣からの指示は全く無い。どうやら総理は、ソ連や野党との軋轢を避けるため、防衛出動の命令を発しない方針のようだ」
『それは……』
「だから。私が今から行う指示は、シビリアンコントロールの範疇を外れることになる。露呈すれば、自衛隊の存続に関わるだろう」
『待ってください陸上幕僚長。私たちは』
八木が何か言おうとするのを、秀志は迷いを振り払うように止める。
「……国家の危機に戦えないのが自衛隊という組織なら、果たして、我々に存在意義はあるのだろうか?」
秀志陸上幕僚長は一呼吸おいて、言葉を続ける。
「非常呼集を行え。全隊員を駐屯地に招集し、戦闘準備を整えろ。そして、もし万が一、ソ連の兵士が日本の領域へと踏み込むような事態が発生したら、その時は、一人も生きて帰すな」
「……了解」
その電話、あるいは、日本を変えることになる決断は、ごく短時間で終わった。
ベレンコへの対応は、日本の政府組織とは思えないほど迅速に行われた。
彼の身柄は、亡命の翌日には東京の警察署へと移送され、日本警察、外務省、防衛庁による取り調べを受けた後、アメリカ政府によって保護される。
ソ連大使館は、日本政府に対しベレンコ中尉の身柄を即時引き渡すように要求し、日本でも一部野党がそれに同調したものの、アメリカ、日本政府はそれを認めず、ベレンコ中尉は、在日米軍基地経由で、アメリカ本土への亡命に成功した。
中央情報局に保護されていれば、いくらソ連のKGBといえども、手を出すのは難しい。
ソ連軍は早々にベレンコ中尉の暗殺を諦め、その攻撃対象を、函館空港の格納庫に置かれたままとなっているMiG-25に絞ることを決定した。
戦争を想定していない自衛隊に与えられた短すぎる時間は、それでも、彼らが戦争の準備を完了するのに十分だった。