1-8 竜殺し
朝日の輝きに紛れるように戦神は光となって消える。
代わりにその場に立つのはリット。彼もまた戦いを終えた緊張から疲れ果て、膝をついて肩で息をしていた。
「はぁ、はぁ……勝てた。ははっ!やれるじゃないか!僕も案外捨てたもんじゃないな」
汗が滲み引き攣った笑顔で呟く自画自賛は殆どが強がりで、震える脚を抑えて立ちあがろうにもまだ時間が必要な程だった。
「くそ……全身が痛むな」
痛みに震える腕では中々剣を鞘へと収める事が出来ずに苦戦する。
切先を揺らしながらなんとか剣を滑り込ませた時には脚の震えも無くなって、なんとか立ち上がれるようになっていた。
「──ああ、良い風だ。夜風も良かったけど朝ってのも良い。勝ち取った朝日も格別だ」
急速に天頂を目指す太陽の光と遠くから運ばれて来た風が、陰鬱な泥の匂いと湿気を押し流して清々しく澄み渡る。
リットはいつまでも風邪や景色を楽しみたい気持ちを振り切って、村へ向かって歩き出す。
自らが倒した巨大な竜の亡骸の傍を歩いていると、リットは幽かな光を見つけた。
「これは……アイツが使っていた手斧か」
使い手を失い泥の中に殆ど沈んで弱々しく光を漂わせるそれは、クルージの手の中にあった時に感じたような圧は消え失せている。
リットは今まで見た事もないその不可思議な手斧が放つ光は目に焼き付いて離れず、視界から離す事が出来ない。
それに対して違和感を持つことすら出来ずにリットは抗いようのない強い興味が湧き、少し躊躇いながらも手を伸ばす。
リットの手が近づくと手斧の側もそれを認識しているかのように光が強くなり、手を伸ばすかの如く身を震わせて泥から柄が露出する。
指先が柄に触れてしまえば後はそのまま掴むだけ。
そのままするりと手に収まり、持ち上げてみればさほど重くもなく軽すぎもせず手によく馴染む。
「案外悪くない。握りやすいし重さのバランスも──」
柄を手の中で転がしているとリットは不意に声のようなモノを、感情をそのまま脳内に放り込まれたようなソレを聞く。
『我が器。より強き器。我がモノだ。その体、魂。全て』
音であったかも定かではない情念そのもののような声はリットの脳を揺らし、天地が回り意識が肉体から離れていくような感覚をもたらす。
超えてはならないなにかの一線を認識したリットは、すんでのところで手斧を放って肉体との結び付きを取り戻す。
「──ハッ……!今のは、クッ……なんなんだこれは……っ!?」
取り落とされた手斧は再び弱々しく光り、その輝きはリットを誘うよう。
それを見続けてはならないと慌てて目を逸らすも、視界の外にあってもなお存在を主張するそれに対して不快に不安、そして魅力的に感じる矛盾がリットをジワジワと侵食する。
視野は狭くなり、抗い難い誘惑に生唾を飲み込んで無意識のうちに腕は再び手斧へと伸びて──
「──リット!」
再びリットへと届いた声はしっかりと空気を震わせて心へ響く。
それによって自らを引く誘惑を断ち切る事が出来たリットは声の主の名を呼ぶ。
「ミライ!大丈夫かい?村は……」
「大丈夫だよ!少し怪我をした人も居るけどそれだけ!それよりリットの方が……!」
心配そうに駆け寄って来て怪我はないかと周囲を回って体を調べるるミライにリットは苦笑しながら安堵の息を吐く。
「僕は問題ない。少し疲れたくらいかな?あとは洗濯が大変そうなくらいだね。まあ、なにより君が無事で安心したよ。これで恩返し出来たなら良いけど」
「もちろんだよ!ありがとうリット。あたしの大切な場所を、思い出を守ってくれて」
「なら良かった。僕に出来る事なんてこれくらいだろうからね……そうだ、アレについて聞きたかったんだけど」
そう言ってリットが指差すのは放り投げた手斧。
再び泥の中に横たわるそれを目にしてミライは驚いた表情をした後、それは険しさへと変わる。
「アレに触ったの?」
「少しだけ。嫌な感じがして手を離したよ」
「それが正解。アレは……人を不幸にするから」
普段よく笑う明るいミライの真剣な、暗い面が見えてリットはそのギャップに面食らう。
ミライは躊躇う事なく手斧へと近づきそのまま手を伸ばすのでリットは慌てて声を上げる。
「ミライ!それは──!」
「大丈夫。これについて話さないとね」
手斧を持ち上げてリットへ見せるミライの姿は平然と、しかし悲しげにそれを見つめていた。
ミライの手の中で斧は光を更に弱くして、まるでミライを嫌がるよう。
「それをあの騎士、クルージは竜の祝福だと言っていた」
「考え方次第だよね。あの人達は竜は良い存在だと思ってる。でもあたしはそうは思わない。竜は人を不幸にする……生まれてから、死んだ後も」
恨み、怒り、悲しみ。それらが渦巻くミライの瞳にリットは踏み込む事が出来ず、言葉を飲み込んで黙り込む。
「これは〈竜髄〉と呼ばれる物。竜はその身を器物へと変える力を持っているの。死に瀕した竜は生き永らえる為に、その竜の持つ最も深いところにある力と共にその身を〈竜髄〉にして……それ手にした人を蝕む」
リットにも覚えがある。
視界にあるだけで惹きつけられる強い誘惑。手にした時の奇妙な感覚。そして籠った思念がそのまま伝わるような声のようなもの。
「生きている竜は人に限りない禍をもたらす。そしてそんな存在が死に際に思う事なんて碌でもない恨みや欲望。それを人を使って代わりに満たさせようとするの」
〈竜髄〉を手にする力が強くなり、ミライの言葉にも強いものが含まれる。
「この〈竜髄〉は強い体を求めているんだね。それで多くの人を使い捨てにした……!これだけじゃない、多くの竜が禍を……竜禍を広げている」
ミライがまさに先程まで人を脅かしていた理由の亡骸を見る。
あれが村まで侵攻していたらどうなっていただろうと考えて、リットは恐ろしくなる。
あの巨体なら人は簡単に踏み潰せてしまう。
スキルのひとつひとつが容易く命を奪う。
(僕がこの【WoS】のアバターじゃなきゃあっさり殺されて終わりだった。そんな危険から力を持たない人達がどうやって逃れればいい?)
自分は運が良かっただけだと、リットは己の境遇と勝利に冷や汗をかく。
そしてこの他にも多くいる竜に対して深く、暗い穴の淵に立っているような未知への恐れを強くする。
「やっぱりこうなってしまった。避けられないと思っていた、知識では知っていたけどこんなに……」
「ミライ?大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。危険に立ち向かったのはリットだから……巻き込んでしまってごめんなさい」
ミライは強く自分を責めている。
あの騎士達はミライを狙っていたが、リットはそれに対して何か口さがない事を言うような人間ではなかった。
「なんて事ないさ!実のところ何度も倒してるし、今日は凄く《《調子が良かった》》しね」
「うん、やっぱり〈鋼の民〉は……ううん、リットは凄いね」
そう言って感情が複雑に絡み合ったミライは俯いて目を閉じる。
短い時間、深く考え込んで顔を上げた時には強い覚悟が顔に表れて、凛とした目がリットを見つめる。
「ねぇリット。昨日はあたしの旅の目的についてちゃんと話してなかったよね」
「あぁ、でも無理して話さなくても──」
「ううん。巻き込んでしまった以上これは話さなくてはならない事、楽観視していたあたしが馬鹿だった……」
ミライはその先の言葉を言う為に息を吸い、今よりもずっと強い覚悟を必要として、意を決する。
「あたしの目的は竜を殺す事……この世の竜を、全て」
恨み、怒り、悲しみ。変わらずそれらがミライの瞳に渦巻くが、それらよりも強く使命感がミライを突き動かしている。
凛として、儚く。ミライの銀髪が朝日に照らされてリットの視界は輝く。
「全て、ってそれは……現実的に可能な事?」
「一匹ずつでは世界を覆う悲劇を覆せないけど、方法はある」
突如ミライの手の中で炎が燃え上がる。
青い炎は〈竜髄〉を燃やし、悲鳴の如き甲高い音が響く。
「ミライ!?」
「大丈夫、あたしは竜を殺す力を持っているの。これはその炎。この力があるからあたしは異端者、屠竜の魔女と呼ばれて狙われる……そうお母さんが教えてくれた」
竜殺しの炎に焼かれて〈竜髄〉にはヒビが入り、音を立てて崩れてゆく。
崩れ落ちたカケラは残らず燃やし尽くされて、最終的に手斧は青い光の粒となって消える。
「でもあたしはこの力を持っているだけ。武器の扱い方なんて分からない……だから力を貸して欲しいの。リット、貴方の力を」
竜の命の最後の輝きが、儚く散ってゆく。
それに照らされるミライの姿に、リットは目を奪われる。
「分かった。昨日言っただろ?答えは変わらないさ。君について行けば良い事があるんじゃないかって気がするんだ。だからよろしく、ミライ」
「ありがとう、リット……!」
差し出しされたリットの手を、ミライは喜びと感謝を込めて強く握った。
よろしければ感想、評価、ブックマークなどいただけると嬉しいです。




