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3-20 飛翔

更新が遅れてしまいました。申し訳ありません。

代わりに今回は比較的大ボリュームです。


 朱殷へと変じた朱竜が全方位へ触手を放つ。

 爆発のように、開花のように放ったそれはあらゆるものの接近を阻み、戦神ですら弾き飛ばされる。

 武器を盾に、或いは全力で飛び退く事で難を逃れるがその圧に驚嘆の声を漏らす。


「攻撃の質が変わった!?第二形態か!」


 リットも剣の腹で触手を受け止め致命を避けるが、その衝突音の異質さに肝を冷やす。

 まるで金属同士がぶつかったかのような硬い音。

 そして触手の先端が剣を削るガリガリと鳴る嫌な音。

 赤黒の触手は今までよりも細いが硬さ速さが段違い。

 まともに当たっていたら串刺しになっていただろう。

 そうでなくとも一度の刺突で相当な距離を押し込まれてしまった。

 そうして稼いだ距離で、時間で何をするつもりなのか。

 背に形作られる翼を見ればすぐに理解が出来る。


「このままでは朱竜は逃げ去ってしまう……!」


 ウィスタリアの悲鳴じみた声が響く。

 呼応するように動揺の声が波のように広がるが、攻撃の手は一層激しくなる。

 魔力が回復し出した魔法師団の面々は在らん限り魔力を撃ち続け、投石器はアイテムボックスに詰めた石が尽きた為に瓦礫すらも装填し始めた。

 皆懸命に朱竜を撃ち落とさんとして、しかしどれも状況を決定的に変えるものにはならない。

 触手は徐々に翼を形作り、戦神の攻撃すら赤黒い触手の鋭い攻撃にて迎撃される。

 無闇に大きく太い触手ではなく圧縮し凝縮し研ぎ澄ました触手は振えば鞭、突けは槍の一撃に相違ない。

 腕はダラリと力無く垂らしたまま、触手が縦横無尽に航跡を描く。

 戦力の要である戦神は朱竜本体に近づく事も出来ず、触手を抑える事で手一杯。

 朱竜は邪魔をされる事なく静かに、飛び上がるその時を待ち……力強く風が吹いた。


「強すぎる……こんなの、もう……」

 

 最初の羽ばたきは大地を撫でる程度。

 再び翼を持ち上げればより強い風が。

 このままでは朱竜は間違いなく飛び立って、あらゆる生命を捕食し傷を癒し力を増すだろう。

 戦士達の心に諦めが僅かによぎり始めた時、ミライが叫んだ。


「そんな事にはさせない……あたしはまだ……!」


 ミライはそう叫び、双刃剣へと手のひらを押し付ける。

 刃に滑らせるようにして手のひらを押し込めば、当然のように肉が切り裂かれて血が溢れ出す。

 突如としてそんな奇行に走った様子を側で見ていたブリンジャーは思わず一層強い動揺を声にしてしまった。


「何をなさるつもりか!?」


 だがミライは構わずに手のひらを空へと、飛び立とうとする朱竜へと向ける。

 まるで掴んで引き止めようとするように。

 錯乱しての行動のように思えたそれが希望へと変わったのはその一瞬後の事。

 ミライの手のひらから、黄金の輝きが溢れ始めた。


「──まだ!諦めてない!」


 血が吹き出し、赤は黄金へと変わる。

 これこそは竜血魔法。

 竜の血という魔力に満ちた触媒を利用したドラゲンティアの術法。

 ミライは生まれてからこれまで、ずっと故郷の村に居た。

 その間に様々な知識や幾つかの技を師である母から学び、母の死後には反復練習を欠かさず日々を過ごしてきたのだ。

 だがしかし、ミライは剣はからきしで魔法も【WoS】基準ならば中級程度であり、そう強い訳ではない。

 ならばミライは未だ途上の生涯で何を磨き上げて来たのか。

 それがこの竜血魔法。

 ミライはただ剣を振るうよりも、手のひらに火を灯すよりもなにより、自傷を伴う竜血魔法の鍛錬をよく好んだ。

 母を殺した罪悪感から腕を切り、流れる血を力に変える術を磨き上げて自ら()を恨んだ。

 その血を流した努力が今、結実する。


 黄金の光は楔の形に凝縮されて、固く結ぶ為の鎖を編む。

 放たれた幾条もの戒めは確かに朱竜の翼を穿ち、絡みつく。

 だが、それだけ。

 鎖はただ繋がれただけなのだ。

 地に打ち留めるのはミライただひとり。

 だからこそ、ミライは背後の戦士達へ向けて叫ぶ。


「この鎖を!」


 続く言葉は要らなかった。

 ブリンジャーはミライの手のひらから飛び出した鎖を力強く掴み取り、束ねて腰へと引き寄せる。


「ここが正念場!奮い立て戦士達よ!竜との力比べなど比べるもののない誉が得られるぞ!」


 老戦士の一喝は強く響き、鎖を掴む者は次々と集まってくる。

 更には魔力を使い果たした魔法師団、武器を使い果たした兵士も朱竜に絡みつく黄金の鎖を見てその根本に集まってきた。

 声を合わせ、全力で鎖を引けば羽ばたく動きを邪魔する程度は出来る。

 とはいえ出来るのは些細な邪魔、時間稼ぎでしかない。

 ミライは叫び、そして託す。

 

「今のうちにトドメを!」


 その願いを、四体の戦神は聞き入れた。

 最初に動いたのはオフェル。

 背後に続く者の為に道を切り拓かんと満身創痍で朱竜へと突っ込んだ。


「足止めと時間稼ぎを務めさせてもらう!私に仕留める余力は無い!」


 触手の猛攻を受けながらスキルを使って強引に距離を詰めて飛び立つ朱竜へ追い縋った。

 闇雲に大剣を振り回して存在を誇示して、ただのサンドバッグに近い有様で朱竜の攻撃の手を割かせる。


「オフェル卿の奮闘に応える!行くぞ!」


 後を託された三人は決死で触手の飛び交う朱竜の攻撃圏へと切り込み、そこに活路を拓く。

 オフェルの挺身の為に朱竜の首へと確実に迫ったその時、何かが砕ける音がした。

 

「鎖がもう限界……!みんな!離れて!」


 朱竜と人の綱引きは鎖の限界をもって決した。

 朱竜の仕留めるでもなく、翼に振り回されるでもなく終わった自らの不甲斐なさに歯噛みしながらミライは叫ぶ。

 

「最後まで悪足掻きさせてもらうよ……"イグニッション"!」


 ミライの手元で起こった火が鎖に燃え移る。

 鎖を構成する魔力と反応し、端から燃えて導火線のように朱竜の翼へ火が飛んだ。

 被害は少ない。

 だがほんの僅かにでも時間を稼いでミライはへたり込む。

 魔力を使い果たしたのだ。

 今持っている己の全てを使った戦いの趨勢をミライはただ祈る事しか出来なかった。

 だがミライが整えた勝利への道を三人が走っている。

 迫る攻撃を払いながら突き進んでいると不意に光が溢れ出した。


「──っ!?時間切れって事か!」

「止まるなリット!まだ出来る事はある!」


 その源は戦神、維持するだけの魔力を使い果たしたリットとシグルドが脱落したのだ。

 保有する魔力の量に関してはウィスタリアの方が多く、その差が明確に表れた瞬間だろう。

 そして今までは三人で触手を打ち払ってきたのだが、一度に二人が抜けた負担が瞬間的にウィスタリアへと向かう。


「チッ……露払いは私が。おふたりは朱竜の背を目指してください」

「ホントに出来るのか!?」

「少しの間なら。ですから無駄口叩かず走ってください」


 前後、左右、頭上……全方位から迫る触手。

 対するはウィスタリアひとり。

 刀は一振り。

 触手の一本でも斬り漏らせばリットとシグルドを襲うだろう。

 圧倒的に手数が足りない。


「六方を囲まれなければ切り抜けられる。速さも手数も私の得手とするモノ」


 足りないのならば増やせば良い。

 ウィスタリアの戦神から冷気が放たれ、周囲に氷の刃が生成される。

 計五本。

 それが正面以外の周囲に配され準備は完了。

 ウィスタリアは刀を鞘へと納め、静かに瞑想を始める。

 極限で研ぎ澄まし、限界まで引き付けて放つのは彼女の必殺とする技。


「秘剣──"霜刃・六華"」


 それは抜刀スキルを軸とした秘技。

 高速で抜き放った刀で斬る技。

 触手を斬り払うには容易く、そして数が足りないもの。

 だからこそ、ウィスタリアは刀に流す魔力(スキル)を……周囲に浮かべた氷の刃へと分配した。

 今この瞬間、ウィスタリアの刀とは手にする一振りだけではなく計六つの刃全てを指す。

 全方位へと放つ高速斬撃。

 冷たく鋭い斬撃は容易く全ての触手を迎撃して時間を稼いだ。

 代わりにウィスタリアは力を使い離して"戦神化"が解けてしまった。

 そしてオフェルも。

 もはやリットとシグルドを守る者はおらず、そして朱竜を遮るものも無い。


「背だ!朱竜の背に乗るぞリット!」

「へばり付いて空中で倒す気か!?」

「それ以外に方法があるならやってみろ!」


 朱竜の羽ばたきは力強く大地を叩き、その巨体を僅かに浮かび上がらせる。

 猶予は無い。

 リットはシグルドに着いて朱竜の背に飛び乗って、離陸の揺れに足を取られながらも首を目指してひた走る。


「飛び立つ前に仕留めたいが……」

「急ぐより確実を取ろう!下手すると地面に叩きつけられるって!」


 朱竜は根のような下半身を地面から引き抜きながら飛び上がってゆく。

 ゆっくりゆっくりと力を溜めて、もはや邪魔するものは存在しないと悠然と。

 だがより細かい点では抵抗を重ねていた。

 背を駆け上がるふたりを落とそうと背中から小さな……朱竜の基準ならば小さい、人間程の太さの触手を生やして壁とする。


「突破するぞ!」

「トドメの余力は残しながらね!」


 勝利が近づき生まれる余裕もある。

 油断は無いが、それでも悲嘆ばかりを口にするより余程良い状況だと触手の壁を見据えて武器を構えたその時。

 何かが、朱竜の触手を断った。

 切れ味鋭く、極めて薄く僅かに開いた程度の傷であり朱竜の減退した再生能力であっても即座に肉を繋ぎ止める事が可能。

 だがそれは、触手を抜けてシグルドの二の腕をも走り抜けた。

 シグルドに朱竜のような再生能力は無い。

 腕を断ち切られたのならばその鋭利な断面を横目で見て、背後に飛んでゆく右腕を見送る他にないのだ。

 腕を失った。

 それを認識するより早く、シグルドは反射的に叫んだ。


「行けッ!リット!」


 右腕を抜けた斬撃の衝撃がシグルドの勢いを殺してしまった。

 朱竜の背を駆け抜けるだけの速度はもう出せず、ここで脱落する事を即座に悟ったシグルドは残った左腕を振り上げる。


「"ディサイド"……!」


 それは上級クラス【勇者】の奥義。

 戦闘中に発生したHPの減少量を基準とした大ダメージを次の一撃に載せるスキル。

 朱竜から受け続けた攻撃、今失った右腕の分のダメージの合計……否、それ以上。

 その基準とはダメージではないのだ。

 戦闘開始時に発動し、今も継続している【拳聖】の奥義"フルメタルハート"のHPの継続減少すらも対象としている。

 その極大ダメージが今──


「"コントラクトウェポン"」


 朱竜の背へと叩き下ろされた。

 黄金の籠手に象られた獅子頭が吼える。

 拳の先から衝撃を放ち、大気を揺らして朱竜の背を削り取りながらリットの障害となるモノを粉砕して突き進む。

 触手はもはや再生不可能な程に細かく砕かれ、リットの目の前には朱竜の首まで一直線に伸びた道が開かれる。

 

「──任された」


 反動でシグルドは飛び立って朱竜の背から落ち、リットはただひとり呟く。

 リットは振り返らなかった。

 ここまで多くの人がバトンを繋ぎ、前を進む者へと託し続けてきたのだ。

 オフェル、戦士団にミライ、ウィスタリア、そしてシグルド。

 リットに託す相手は居ない。

 自らが最後なのだから、それら全てを背負って進まなければならないのだ。

 だから失敗は許されない。

 朱竜は完全に安定飛行に移った。

 今居るのは地上を見下ろし雲を近くする空の中。

 落ちればタダでは済まず、再び朱竜の首を狙う機会が訪れる筈もない。


「任されたんだ。絶対に成功させないと」


 確実に遂行するために、慎重になり過ぎるなんて事はないだろうと考えて僅かな距離を確実に進んでゆく。

 剣を逆手に持ち朱竜の背に突き立て支えとして使いながら。


「ああクソ……怖い。失敗出来ないんだろ、分かってる」


 朱竜は確かに疲弊している。

 リットが突き刺す剣は再生する肉によって押し返されるような事もなく、首を這う小虫を振り落とすような動きもしない。

 出来ないのだ。

 背面飛行でもすればリットは地面に向かって真っ逆さまだろうが、そんな曲芸をする余力は無い。

 だからこそ、この好機は逃せない。


「でも逃げ出したい。こんな事やった事ない、託された事もない……」


 ゆっくり、ゆっくりとリットは這うように歩みを進めて朱竜の首筋まで辿り着く。

 これより先はここまでより余程慎重にならなければならない。


「でもやらなきゃ。託され続けた先に僕が居たんだから、期待に応えたい」


 朱竜の首は太い。

 その巨体に見あった逞しい大樹のような首をしており、切り落とすには相応の苦労が必要とされるだろう。

 だが今、悠長にノコギリのように刃を押し引きする時間はなく、朱竜の再生能力を考えれば一撃で首を断ち切る必要がある。

 リットがそれを果たすには首は細い程望ましく、朱竜で言えば発達した肩周りから繋がる筋肉に覆われた首よりも、頭に近い部分の方が適しているのだ。


「空、飛んでるんだな。スカイダイビングもパラグライダーもこのスリルには叶わないだろ」


 だから、もう少し。

 もう少し、あと少しと不安定さを増す朱竜の首を進み続けて……最適な場所を見つける。


「ここで立ち上がらなきゃいけないのか?ハハ、怖いな。怖くて堪らないけど……逃げ出すのも怖い」


 リットは心細さ恐ろしさに呑まれないよつにマフラーの暖かさを確かめながら、ゆっくりと剣を朱竜から引き抜き立ち上がる。

 剣を順手に構え直し、どのような軌道で振えば断頭が可能か視界内に軌跡を描いた。

 だが、どうしてのこの一度きりで決めなくてはならないというプレッシャーで、リットの胸では心臓が暴れ回る。


「こんなに緊張するの初めてだ……これが生きるって事かな?」


 見下ろす首には先程突き刺した剣の傷跡がゆっくりと治ってゆくのが見えた。

 朱竜は確かに疲弊しているが、それでも首を落とし損ねれば傷は癒えてしまうだろう。

 そして二度目を試すだけの余力はリットにも無い。

 断頭した後どのようにして地上に戻るか、そもそもこれが有効なトドメとなるのか?

 そのような思考を排し、リットは意を決して大上段に剣を構える。


 「よし、終わりにしようか……"コントラクトウェポン"」


 リットの剣──【コンヴァーチブル】の剣身に光が奔った。

 リットより流れ込んだ魔力を刃とし、鋒の更に先まで剣を伸ばして攻撃範囲を拡大する。

 天を突くような長さではないが、それでも朱竜を断つには十分。

 リットは裂帛の気合いと共に、それを振り下ろす。


「おおォォォッ!」


 朱竜の首に対して直角に刃は叩き込まれた。

 触手の束を幾つも断ち切り、刃は侵入を続けて勢いは徐々に緩やかに。

 だが確実に切り裂いてゆくと、やがてコツリと硬い感触へと行き着く。

 椎骨のひとつだ。


(ッ!?骨……いや!力押しで断ち切れるか!?)


 より一層の力を込めれば骨を割り進む事は出来るが、進行が明らかに遅れている現状にリットは焦りを抱く。

 "コントラクトウェポン"の持続時間が終わればそこで負け、なのだ。

 パキリ、パキリと骨を割る音の間隔の遅さがもどかしく、込める力が強くなりつつあるその時、リットを更に追い詰める音がひとつ鳴った。


(──今の音、骨じゃない。剣、か?)


 硬質な音。

 骨の割れる湿ったような音ではない、高音を含んだ破断の予兆。

 光の迸る剣に目を凝らせば、広がる罅が見つかる。

 その位置にリットは覚えがあった。

 朱殷と化した朱竜の攻撃を受け止めた位置……更にはリットが攻撃を受け止める際に癖としてよく使う位置。

 

(不味い……耐えられるのか?あの罅が反対側に辿り着くまでに剣を首の反対側側まで……)


 椎骨の割れる音と剣が徐々に限界に近付く音が交互に鳴ってリットの焦りは最高潮に近付きつつある。


(時間を掛けるのはダメだ!既に斬った場所の再生が進んでしまう!なら一気に……一気に振り抜けば、この剣は壊れてしまう)


 リットが縋る思い出の数々。

 この剣はその象徴だ。

 これを振るえばゲームを懐かしむ事が出来た。

 思い出に紐付いたリットのゲームプレイヤーとしての楔。

 

(この剣があったから戦うのが楽しいって感情にゲームと同じだからって納得を、折り合いを付けられたんだ)


 過去(遊び)の延長としての戦いが終わってしまう。

 その恐れがリットに勝利を躊躇わせる。


(このままじゃ思い出が壊れてしまう。終わってしまう。僕の【WoS】が……)


 だが剣を握る力は微塵も弛まない。

 剣はまだ朱竜に刃を立てて勝利へ向け振るわれたままだ。


(ああ……でも勝ちたいな。負けたくないって思う。いや、負けちゃいけない)


 リットにも個人の感傷と人名ではどちらを優先するべきかは分かっている。

 しかしそれ以上に勝利への欲求がある。


(この世界も悪くないんだ、居心地が良い所だってある……それが思い浮んだんだ、躊躇う理由を押し退けるには十分さ)


 覚悟は決まった。

 リットは剣へと掛ける力を最大にする。

 断ち切る役割を全う出来れば良いと、後は考えないように。

 

「ッおおおおォォォッ!!」


 椎骨を一気に押し退け刃が進む。

 剣への負荷を代償としながら。

 

(考えるな!ただ全霊を注いで剣を振れば──!)


 刃の先が肉へと触れたその時、決定的な音が聞こえた。

 剣の半ばからその先が重力に従い脱落してゆく。

 リットが手にするのは鋒を持たない折れた剣。

 朱竜の首の残る三分の一程を切り裂く前に限界を迎えたそれは纏う光を徐々に弱々しくしている。


「届かせてくれ!あと少しなんだっ!ここでやらなきゃハッピーエンドじゃない!」


 懇願の言葉を叫び、流れる血潮を注ぐ様に剣を握る。

 その願いを叶えるのリット自身。

 失った剣身を補うのはリットの魔力だ。

 剣の破断面から噴き出した魔力が一時、刃の形を結んで朱竜の首を断ち切る力を手の中に作り出す。

 だが朱竜とて死を前にすれば足掻きのひとつも放つだろう。

 首の断面から触手の一本……細く弱々しくリットを殺せる程ではない些細な一本を。


「──ッ!」


 それはせいぜい気を逸らして時間を稼ぐ為の一撃だ。

 時間を掛ければ自らの勝ちが決まると理解している朱竜が死に際にリットの顔面へと触手の刺突を放ったのだが。

 リットは手にした奇跡を取りこぼさないよう、その一撃を受けた。

 当たったのは左目。

 何かが眼窩で弾ける感覚があったがリットは止まらない。

 そこで止まっては意味を失ってしまうと剣を振り抜いて……


「──ありがとう」


 空に光が舞う。

 刃の形を失った魔力の光が霧散しているのだ。

 折れた剣に、自らを支え続けた思い出に礼を言ってリットは重力に身を任せる。

 朱竜の断頭は成った。

 断面に触手を蠢かせながら地面に真っ逆さま。

 残る胴も頭を失い翼の動きをぎこちなくして飛ぶ力を失うだろう。

 折れた剣を触手に食い込ませたリットは衝撃に備えて──そこで記憶は途絶えている。


◆◆◆


 リットは背の冷たさで目を覚ました。

 続いて全身の倦怠感。

 横になっている事は分かるが、まるで自分の上にとても重いものを乗せている様な感覚。

 瞼を持ち上げる事すら億劫になるそれに抗ってゆっくりと目を開いたのは成功したのか、というその疑問に突き動かされて。


「あ、起きたねリット」

「ミライ……?朱竜は」

「大丈夫。終わったよ、リットがちゃんと終わらせた」


 枕元に座るミライのその言葉でリットはどっと身体が重くなる。

 瞼を開けるだけの気力を維持するのも疲れる程なのだ。


「安心した……あとこの枕高いな」

「あたしの膝枕なんだけど」

「首と肩が凝りそうだ……」

「太くて硬い太腿で悪かったね!?」


 凝り固まった首と肩をほぐそうと、リットはゆっくり身体を起こす。


「っ……?」


 冷えて固まった身体は通う血の熱で徐々にほぐれるが、首を回しているとリットは違和感を覚えて顔に手をやると、そこにある包帯……顔の左、左目を押さえるそれに気が付く。


「ああ、そうか」

「その、一応詰め物と抑える為の包帯をしてるけど……」


 ミライの言いづらそうな様子を見れば、言わずとも分かる。

 

「もう見えないのか」

「手は尽くしたけど、ごめんなさい」

「君が謝る事でもないさ……うん、まだ生きているんだから」


 包帯越しに左目を撫でて、リットは自分に言い聞かせるようにそう言った。

 

「生き残れたんだから良かったよ。それで、ここは?」

「朱竜が落ちた場所の近く、ニズヘグからは少し離れているかな」

「じゃあ後は帰るだけかな?」

「ううん、朱竜の首の方を探しているの。胴体は大きいからすぐ見つかって、リットもその近くの吹き溜まりに居たんだけど……」

「首だけで生き残ってる可能性もある、か」


 あの異常な再生能力だ、その可能性もあると考えてリットの背に冷たいものが走る。


「でも捜索は任せて、リットは休んで。あたしも……みんな限界だから余力のある人に頼ろう?」

「余力のある人……例えばダスティンとかか」


 そう言ったリットの右目の視線の先には手を振るダスティンが。

 何かの包みを手にして駆け寄って来る彼にリットは弱々しく挙げた手で応えると、ダスティンは白い息を吐きながら一層速く駆けて来た。


「お疲れ、ダスティン」

「お疲れ様です、リット様!ミライ様!」

「そっちこそね、ダスティン」

「お二人のご助力のお陰で得られた勝利です!自分は何かを代表する立場にはありませんが……それでも感謝させてください」


 ダスティンの目には心からの感謝の気持ちが宿っている。

 そんな真摯な視線を受けてリットとミライは何とも落ち着かないソワソワとした気持ちになって笑う。

 照れ隠しではあるが、嬉しく思う気持ちは間違いなく存在する晴れやかな笑顔だ。


「僕らみんなで得られた勝利だよ、これは」

「うんうん!お互い頑張った!一歩前進だ!」

「はい……!きっと自分だけでなく、多くの人々が感謝しています!……あと、これをお返ししたいと思いまして」


 そう言ってダスティンは手にしていた包みの中をリットに見せた。

 銀色に輝く剣──その一部。

 折れた剣の片割れだった。

 そこでハッとしたリットは自らの腰に剣が提げられていない事に気が付いて辺りを見回す。

 鞘はすぐ側に置いてあり、見た目の上では剣も納められているように見える。

 だが剣を抜いてみればその半ばで剣身は途切れて、ダスティンの持って来た破片が断面にピタリと合った。


「ありがとうダスティン。大切な物なんだ……剣として使えるかはともかく、こうして手元にあると安心するよ」


 リットはもう使い物にならない剣を名残惜しそうにひと撫ですると、包みを受け取りアイテムボックスに仕舞い込む。

 剣を持ち主に返せた事に安心したダスティンは一礼すると遠くに集まる兵士の中へと駆けて行った。

 朱竜の首を捜索する者達だろう。

 ダスティンはまだひと働きするようだ。

 その勤勉さにはやはり、最後の奉公である事が関わるのだろう。


(ダスティンの最後の戦いが勝利で終わって良かった。僕も今後を色々と考えないとな)


 リットの視界の中には大勢の人が居る。

 その数だけ人生があり、可能性がある。

 リットにも開かれた可能性があるのだ。

 選択肢は無数に存在し、どれを選ぶのも自由。

 

 そんなリットの目の前に、何かが投じられた。


「っ!?何が!?」


 衝撃で雪が巻き上がる。

 視界を塞ぎ吹き荒れる風と雪。

 目を開く事すら辛く、肌には張り付き刺すような痛みが走り包帯がグッショリと濡れる。

 腕で風を防いでいる時間は長く、明らかに自然現象でない事はリットもミライもすぐに理解し、しかし何も出来ずに風が収まるのを待った。


「大丈夫かいミライ?」

「うん……でも何が──」


 目を開く程度に収まった風上を見て、最初に目にするのは大きな影。

 薄く舞い上がる雪の向こうに大きな何かが転がっている。

 人より大きく、歪な何か。


「あれ……首?」

「ならなんで……」


 ミライはそれを朱竜の首だと言う。

 リットはそれが何故こんな現れ方をしたのかと疑問に重い、それが即座に掻き消される。

 臭いだ。

 鼻酷く突く……血生臭い臭い。

 それが緩やかな風に乗って拡散している。

 その源は当然朱竜の首、ではなくその下敷きになったもの。


「な、なん……ダスティン……」


 リットは晴れつつある雪煙の向こうにダスティンを見た。

 衝撃に捻じ曲がったダスティンだったそれを。

 雪原に吹く風がやけに煩くリットの聴覚を刺激して、片側だけの視覚は幾つも転がる人の断片を捉えている。

 理解が追い付かず、何かを言葉にしようと口を動かすが代わりに出るのは呻き声。

 開けた口に人の中身の臭気が入り込む。


「ぅお、ぇ……」


 リットは蹲り、胃の中身を吐き出した。

 胃酸のツンとした味と臭いが口内の鼻腔を満たすが、それの方が幾分マシだと思いながらえづき続ける。


「オイオイ酷いな。大丈夫か?」


 不意に男の声が聞こえてリットは顔を上げた。

 声の方向はまさに惨劇の中心である朱竜の首、その上に現れた人影から。


「久しぶりだなぁ!リット!300年……いや、お前からしたらそんなに経ってないのか?」

「……ギデオン?」


 朱竜の首の上に立つのは見慣れた黒衣の男。

 見慣れた剣と、見慣れぬ鎌剣を手にして黒い長髪を風で揺らしている。

 その向こうにある双眸……それはリットに見慣れたものではない。

 怪しく、縦に割れた瞳孔。

 銀色に輝く竜のような瞳をリットに向けるその男、リットには見覚えがある。


「何を、してるんだ」

「久しぶりに会いに来た……と言いたいがお前はついでだ。ラウルスの報告を聞いてピン!と来てな、朱竜と戦うのを見ていたぞ?凄いじゃないか!コイツは結構な力のある竜だ。長い封印で衰えていたとはいえ倒してみせるとは流石だな!」


 血の匂いが充満するこの場所で、ギデオンは不釣り合いに楽しそうな声色で語る。

 リットはもう頭が追い付かなくなっていた。

 目の前には慣れ親しんだ友人、視線を僅かに落とせば新しく出来た友人だったモノ。


「違う、違うよギデオン……ソレを倒せたんだ。せっかくハッピーエンドで終わったのに……」

「気にするな。竜を相手にしたんだ、こんなの誤差の内だろ?なぁ?」


 爬虫類のように口の端を吊り上げてギデオンは笑う。

 

「人の命は誤差なんて言葉で表すものじゃない」

「そうか?それにしちゃお前は向こうで死んだ連中の事を気にしてないみたいだなぁ?」


 ギデオンはそう言って、剣の先を南へ向ける。

 リットがそちらを向いても見えるのは地平線だが、その先に何があるのかは分かった。


「っ……それは」

「貴方の家族は国を救った英雄です!いやぁ良かった!貴方の家族が死んだけどハッピーエンドです!……そう言えるか?」

「何が、何が言いたいんだ。それは君の行いを正当化するものなのか?」

「いいや?」


 悪びれもせずにギデオンはそう言ってのける。


「ま、そう言うけどお前だって殺したんだろ?クルージやらユイツーが結局戻ってこなかったしなぁ。その他にも竜騎士の被害もあった……言う事はないだろうが、俺は遺族に謝るような立場だ。だから人死にが出た時点でハッピーエンドとは言えないなぁ」


 当て付けの言葉にリットは思わず呼吸を乱す。

 その点に於いては自らとギデオンが同じ立ち位置である事に納得してしまったから。

 だが、そんなリットにギデオンは寄り添うような言葉を掛ける。


「だがまあ、気にするな!ああいうのは所詮、多少お高い程度の消耗品だ」

「消耗、品……?命は物じゃないだろ!」

「物さ。思い入れがあれば感傷的にもなるが、そうじゃなきゃ数字だろ。実際お前は気にも留めていない命があるみたいだしなぁ?」


 ギデオンに反発すればする程、リットは己の無自覚の命の選別に向き合わされる。

 

「お前はいつもそうだ。一歩退いた冷静な自分を演出してモラル的に正しい立ち場に居ようとする」

「やめろ……」

「常に内省的なのは自分が傷付かない為だけだろう?実際に傷付くような場面で深く考えずに済むように」

「やめてくれ……」

「結局、お前自身は何も選択せずに結果を見て『一緒にやれて良かった』『だから僕は反対したのに』なんて後ろから言うだけ」

「だとしても……!」

「ハハハ!冗談だ」


 顔を青くするリットを笑い、ギデオンは朱竜の頭から飛び降りた。


「良いんだよそれで!俺達はそうなんだ!〈鋼の民〉は力を振るう形に出来ている!それを後ろめたく思う必要なんてない!」

「は……はぁ?」

「分からないか!?振るう為の力こそ俺達に与えられた祝福だ!誰よりも強く確かな力!」


 ギデオンはすっかり陶酔しきった様子で歓喜の叫びを響かせる。


「この世界で生き抜く為に与えられた贈り物だよリット!こんな場所に連れて来られた俺達への!」

「お前……おかしくなってるよ、ギデオン……」

「……おかしい?いや違うなッ!おかしいのは世界だ!」


 先程まで喜色に染まっていた表情を憤怒に変えて、ギデオンは手にする鎌剣を朱竜の首へと突き立てる。

 驚く事にそれによって朱竜は弱々しく悲鳴を上げて表情を歪めていた。


「そもそも俺達がこんな場所に来た事も!そして俺達の力を手に入れようとする浅ましい畜生共もなぁ!?俺達以外の全てがお前の言うところのおかしいってヤツだ!右も左も分からない〈鋼の民〉はこの世界の喰い物にされている!自らの意思でやって来た訳でもない連中がなぁ!?」


 この異常な状況にギデオンの怒声だ。

 周囲には人が集まり始めて、しかし異様さに手を出しかねて周囲を囲うに留まっている。

 その人垣の中から、一際大きな人影が現れた。


「ああ!これはシグルド殿下!ご機嫌よう」


 ギデオンがわざとらしく演技がかった礼をして、しかしシグルドは緊張を表情に貼り付けたまま出方を伺っている。

 相手は見える限りでは単身。

 打って出るべきだろう。

 だが兵士達は皆疲弊してシグルド自身も……


「おおっと……右腕の事は悪かった。出来ればリットに活躍してもらいたかったんでな」


 シグルドの右腕は二の腕の途中で無くなっている。

 朱竜の背で受けた斬撃、それの攻撃者が目の前のギデオンだというのならば利き腕が無いというハンデ以上の力量差がある事をシグルドは感覚として理解していた。


「ひとつ問いたい」

「内容次第だ」

「此度の一件でドラゲンティアは何を得た?何処までが貴様らの手によるものだった?」

「貴様、ね……それにふたつ聞いていないか?」


 ギデオンは朱竜の首に寄り掛かり、この場でただひとりリラックスした様子で鷹揚に振舞っているが、その内心は誰にも分からない。

 だが途方もない恐ろしさだけは感じていた。

 みじろぎひとつすら死に繋がるのではないかと思うような緊張の中で、シグルドはギデオンから発される敵意を一身に受けている。


「これは長い期間掛けた計画……四世代とか五世代とか掛けてミスルトを堕落させて陥すつもりだった、が。別の目的が出来たんでな、国の存亡なんてのはどうでも良くなった」

「それは〈竜髄〉か?」

「それもあるな。繁竜の力は回収したかったお前達も見ただろう?生物を増やす力がある。この世界に存在する亜竜の大半は繁竜が増やしまくった個体の子孫なんだそうだ」

「つまりドラゲンティアは無尽蔵の亜竜の軍勢を手にしたのか」


 軍事力としても、資源としても。

 亜竜を増やせるのは途方もない脅威だ。

 だがギデオンはそこに然程の重要さを持っていないようで、つまらなそうにシグルドを眺めている。


「アンタ自身に恨みはないんだぜシグルド殿下。だが〈鋼の民〉を利用したアンタの先祖には腹が立つ。アンタが必死こいて守ろうとしてる連中にもな」


 ギデオンはそんな事を口にしながら朱竜に突き刺した鎌剣をより深く突き込む。

 剣の動きに合わせて弱々しく響く朱竜の鳴き声が、先程まで殺し合っていた相手だというのに憐憫を誘い、しかしその行為を誰も咎める事が出来ない。


「だが〈竜髄〉は回収しなくちゃあな」

「ドラゲンティアの理念か?」

「少し違う。俺の理念だ……竜の力は〈鋼の民〉こそが持つに相応しい」


 そう言って、ギデオンは朱竜に刺した剣に向かって何事かを囁いた。

 それは密やかであり、しかしよく響く声ならぬ声。

 呪文や力ある言葉と表現出来るそれを向けられた朱竜は……酷く鳴き叫びだす。

 悶え、踠き、狂ったように。

 間違いなく朱竜の意思からは離れた何かが起きており、朱竜はその苦しみから離れようと必死に抵抗している事がよく分かる。


 そんな酷い光景を網膜と耳朶に染み込ませた短い時間が過ぎた頃、朱竜の首のシルエットが崩れ出した。

 光へと変わって溶け出す形で首はより小さな形へ流れてゆく。

 渦巻き、衝突して……やがて集束するその形は長い棒状。

 光に包まれたそれが雪の上に落ちて沈み込み、ギデオンは満足げに頷いた。


「リット!この〈竜髄〉を持っていけ!お前の戦利品(ドロップアイテム)だ。お前には持つ資格(ルート権)がある」


 そう言って鎌剣を引っ掛けてリットへと投げて寄越したそれは見事にリットの目の前に落ちる。

 それは槍。

 骨のような質感の槍に朱の肉がへばり付いている異様な見た目。

 そしてまさしく〈竜髄〉だと一目で理解出来る悍ましい気配。


「ちょうどお気に入りの武器が壊れただろ?〈鋼の民〉が最も最適な〈竜髄〉の使い手なんだ。お前にピッタリだよリット」


 まるで友人にプレゼントを贈るような優しく思い遣りに満ちた声色でギデオンはリットへ話し掛けている。


「コイツは珍しい事に自己の拡張よりも生存を優先する竜だ。持っていればきっとお前を守ってくれるだろう。だから世界を見ろリット!今はまだ理解出来ないかもしれないが、知ればきっと俺と……また一緒に戦う事を選ぶ!」


 ギデオンの背に突如、鴉のような黒翼が生えて羽ばたき始めた。

 朱竜の首が現れた時と同質の風を巻き起こして浮かび上がったギデオンは名残惜しそうにリットを見つめ……そして何かを思い出してハッとした顔をする。


「ああ!そうだ忘れていた……その槍の銘は──朱滴槍。お前に与えられた祝福だ。手放すなよ?」


 ギデオンがそれだけ言い残した直後、暴風が吹き荒れた。

 ジェットのように一瞬吹き荒ぶそれと黒い羽根を残してギデオンは飛び去って行ってしまった。

 どちらの方角に飛んだのかも分からない高速で、耳を叩く余韻が響く。


「なんなのか……まるで理解出来ないよ、ギデオン……」


 リットはもう限界だ。

 精神も、肉体も。

 何も分からず倦怠感だけが全てを支配して、倒れ込む。


「リット!?」


 ミライの声を聞きながら、リットの視界には……ギデオンから渡された朱滴槍が収まり続けていた。


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