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3-18 朱竜討伐戦①


 城塞都市ニズヘグに居る全ての人が生き残る為に全力を尽くしている。

 我先に逃げ出そうと必死になって走る人も、年老いた母を背負って大きな流れに揉まれる人も。

 なんとか家財を持ち出そうとしている人もまた、生き残ろうと必死な人だ。

 今必死に逃げて人を押し除ける事も、逃げた後の生活を考えて荷物を多くする事も、どちらも生存への欲求によって動かされている。

 

 だがそんな人々とは僅かに異なるものによって動いている者も居る。

 家々を回り逃げ遅れた住民が居ないかと確かめて回る兵士や、自らそのような行いをする人々。

 地図を広げて怒号の如きやり取りで配置を決める戦士達。

 都市を囲う巨大な壁は亜竜の侵入を防ぐ物だ。

 その上には連弩や様々な兵器が並び、遠く朱竜目掛けて照準を合わせている。


 しかしそれら兵器よりも先に巨竜目掛けて奔る一条の紅があった。

 重厚な全身鎧を鳴らして南へ猛進。

 目指すは朱竜の鼻先。

 ただひとり、真正面から朱竜を見据えて平野を駆け抜けるのは騎士オフェル。


「勝てるとは思っていない」


 自ら言い出した単独での足止めに赴きつつ口ではそんな事を言う。


「ましてひとりでは……」


 彼の後ろに続く者はおらず、短くとも孤独な戦いとなる事は明らかだ。

 

「──だが」


 しかし、オフェルの口元は楽しげに歪み、胸に煌々と紅蓮の輝きが灯る。


「こんな良い場面を他人に譲る気もない!」


 輝きは膨れ上がってイバラを纏った騎士巨人へと変じ、その一歩一歩が大地を揺るがす鋼の衝突となった。

 

「俺を見ろ朱竜!今この瞬間は俺が主人公だ!」


 その接近に朱竜も苦痛に歪む感覚の中でオフェルの姿を捉えて、そして力強く咆哮をひとつ。

 ただの咆哮、しかしそれの圧は凄まじく今まで朱竜を覆っていた地吹雪は弾け飛び、その全身を……剥き出しの肉が躍動する竜の上半身を露わにした。


「やはりバケモノじみているな!そして貴様が再生しきる前に殺さねばならないと分かった!」


 その竜に鱗は無く、皮もない。

 無数の触手が束ねられ、巨大な豪腕にて地を掻き進む。

 背に翼は無く、代わりに飛び出して蠢く幾本もの触手が生えていた。

 それ以上に続く身体は存在せず、腹より先からは長い触手を垂れ下げ、引き摺っている。

 最初はタールのような液状、そして今はこの状態だ。

 これが時間を掛ければどんどんと形を取り戻す事は一見して明らかであり、オフェルは覚悟を新たに剣を取る。


「さあ行くぞ朱竜……とっておきの秘技だ、受け止めてみろ」


 オフェルは腰だめに大剣を構え、朱竜との距離を見計らう。

 自らの技を最も強く扱える状態を探り……脚を止めた。

 駆けた勢いを乗せたまま戦神の脚が雪と土を削り、激しく巻き上げながら力を溜める。

 スキルの、発動モーション。


「"クリムゾンサージ"ッ!」


 大剣を大きく振りかぶり、そして脚に蓄えた力を解放して飛び出し爆発的に加速。

 真正面から朱竜の鼻先へ、猛烈な勢いで突き進む破壊の只中へと飛び込む。

 近付けばオフェルも内心に僅かな焦りを抱く。

 なにせ朱竜は大きい。

 伏せた状態で戦神を超える高さの筋骨隆々な肉体。

 巨木でもそうないだろう太さの首から伸びるのは、戦神の半分ほどの巨大な顎門は迫るオフェルを迎え撃とうと開け放たれている。

 だが止まれない。

 スキルは既に発動し身体は動き出している。

 それにオフェルも止まるつもりなどなかった。


(最高の瞬間だな……俺もミスルトに染まったか?)


 朱と紅は正面から衝突し、波が襲う。


「──ッッッ!!」


 衝撃。

 全身が鋼の戦神が激しく軋み火花を散らすほどのそれは周囲へ撒き散らかされ大地を覆う雪を弾き飛ばす。

 オフェルは無事だ。

 その衝突の余波が鎧を振動させるが、健在。

 ならば朱竜はどうか。


「ああ、喰らったか。さぞや衝撃的な味わいだろう」


 その顎門に大剣を深々とめり込ませ、歩みを止めていた。

 腕は地面を撫で削り、衝撃に首は押し潰されて歪に湾曲している。

 ……だが。


 朱竜の爪が大地に突き立てられた。

 そうしてひとつ手繰り寄せ、もうひとつ突き立てる。

 これを繰り返し、徐々にオフェルは押し込まれてゆく。


「そう上手くはいかないな。いいだろう付き合ってやる」


 そうして生まれる押し合いは、一見すれば朱竜の勝利が明らかなもの。

 なにせ体格差がありすぎるのだ。

 朱竜が簡単に押し除けて、持ち上げればそれで終わる話だろう。

 だが実際はどうか?

 実際はオフェルは抗っている。

 朱竜の前身の明確な妨げとして機能しているのだ。

 それはひとえにスキルの力。


 オフェルの秘技"クリムゾンサージ"は彼が巨大な敵や防御を固めた敵へと斬り込む際に使うスキルだ。

 組み込まれた上級スキルの"アバランチ"は威力もさる事ながら強力なノックバック能力を持ち、中級スキルの"アイアンレイド"と"ブランデッシュ"は防御を破るのに十分な勢いを備えている。

 そして更にもうひとつ、中級スキルの"アンカースタンス"。

 効果は強制移動に対する耐性獲得。

 これらに加えてオフェルは装備に強制移動能力強化と耐性獲得を付与している。

 これがオア・オフェル・ウィオーク。

 不動であり、彼の前ではあらゆるものが薙ぎ倒される。

 かつて【WoS】では一番槍を任された強力な重戦車。

 それが今、竜と押し合っているのだ。


「さあて鬱陶しいだろう朱竜。目の前を蝿が飛び回っていたらどうする?」


 朱竜はようやくありつけそうな御馳走を前に歩みを阻まれ怒りを高め鼻息を荒くする。

 オフェルの大剣が喰い込み開かれたままの大口では獲物を求める舌が蛇のようにのたうっていた。

 進めはするが、多くの獲物が逃げていってしまう。

 そんな焦燥を怒りに変えて、朱竜は全身の触手を蠢かせる。

 そして無数の蠢きは波となり背へと……翼になりかけている触手へ伝い、朱の一閃が放たれた。

 触手が空へと急速に伸張し、そのまま勢いのまま向きを変えて狙うはオフェル。

 撃ち下ろす朱は槍となり鋒をオフェルへと突き立てられる。

 ──その瞬間。


 オフェルの戦神に巻き付く二重の【荊棘のサッシュ】が起動する。

 内と外に結晶質の棘を……戦神サイズにスケールアップされ騎乗槍(ランス)とそう変わりない大きさのそれを撒き散らす。

 外側に放たれた棘は朱竜の柔軟さを持った肉の身体に幾つも突き刺さり、オフェルに放った触手の倍の数での返報とする。

 そして同時に内側へと放たれた棘は鎧へ鋒を立てて火花が飛び散り傷を付けた。


「起動したか……あとは壊れるまで止まらない。付き合って貰うぞ朱竜!」


 オフェルへ棘が刺さったその直後、着用者の被ダメージを感知した【荊棘のサッシュ】は再び内外に棘を放つ。

 更にそのダメージに反応して三度目の起動は一瞬のちに。

 それが瞬間的に、爆発的に連鎖を開始した。


「ぐぅっ!?──やはり身体に棘がめり込んでは治され続ける感覚は不快だな……だが!」


 オフェルは自身を削る火花に包まれ、対する朱竜はオフェルから放たれた無数の棘に包まれる。

 オフェルは【摘蕾心臓】の効果により常に回復し、朱竜も棘が刺さるなり即座に傷を癒して棘を押し除けるのだが。

 それよりも早い速度で棘は放たれるのだ。

 全方位に放たれる機関銃の対空砲火のような弾幕に口内を棘だらけにした朱竜が苦悶を叫び、這い進む。

 雪原に狙う相手も居ないまま突き刺さった棘が墓標のように乱立し、猛進する朱竜が叩き付けた腕がそれらを踏み潰す。


 そんな怒りに任せた前進が上手くいったのは僅かな間。

 蓄積する棘が、朱竜の腕の筋をズタズタに引き裂き破片が関節に噛んだのだ。

 それらが明確に朱竜の進行を遅らせた。

 遅れて生まれた時間を活かし、都市の内部では着々と準備が進められている。

 避難の誘導、兵器、兵士の配置。

 その懸命な努力が報われるようにリットは固く閉ざされた南門の側、高い屋根の上で祈っていた。


「全て上手くいく……そう信じるところから始めるんだ」


 小さく呟いた声は遠く聞こえる朱竜の咆哮に掻き消され、思わず壁の向こうへ向き直る。

 どうにも落ち着かない心地でリットはひとりぼやく。


「待ち伏せ、待ち伏せだろわかってる。もどかしいけど待たないとな」


 リットに任されたのは朱竜の()()()

 南門を越えた朱竜へ強烈な一撃を叩き込む役割を──


「分かってる!大丈夫だ!理解してるよ!」


 通りを挟んで対面に居るウィスタリアと担っていた。

 リットは何か手振りをしている彼女に大声と手を振り返す事で応えるが、ウィスタリアは何やら怒ったような様子でリットの近くを指差すのだ。


「何!?僕か!?何かやったか……?下!?そっち……見る?あの建物を見ろって事か!?」


 ウィスタリアの手振りが見る方向の指示である事に気が付いて、リットは近くの建物へと目を凝らす。

 ミスルトによくある至って普通の集合住宅。

 三階建、雪が落ちやすい三角屋根、窓はリット側から見れば各階三つずつ。

 その窓、冷気を防ぐ為に固く閉じられたそれをつぶさに観察しているとリットやがてひとつの事に気が付いた。

 2階にある窓へ注視する。


「あのベッド膨らみがある。取り残された人が居るのか」


 ウィスタリアはこれを指摘していたのだと気が付いてリットは通りへ降りてその部屋を目指す。

 玄関をくぐり、木造の階段を軋ませて窓から見えたあの部屋へ。

 扉の前へ立ち、深呼吸してからノックして人が居るかの確認をまずひとつ。


「もしもーし!ごめん下さーい!」


 少し待っても返事は聞こえず、リットはどうしたものかと悩みだした頃、扉の向こうから何かが落ちて砕ける大きな音がした。

 それを返事と受け取りリットは扉を開こうとして、鍵が掛かっている事に気が付く。

 押せども引けどもガタガタと音を立てるだけの扉を蹴破る判断をするのにそう時間は掛からなかった。

 数歩下り、強烈な蹴りを見舞えば扉の固定は解除されて盛大な音と共に開け放たれる。


「ホント申し訳ないけど状況が状況なんでね!」


 謝罪を述べながら部屋へと入り込み素早く目的の部屋へと向かえば、やはりそこには人が居た。

 幼い少女がベッドの上で安堵の表情を浮かべてリットを出迎える。


「こほっ……助けにきてくれたの?」


 咳混じりの声は弱々しく、大きな声を出せそうにもない。

 ベッドの横に散乱している陶器の破片が、扉の向こうのリットを呼ぶ声だったのだろう。


「ああ……君、逃げ遅れたのか」

「ベッドからうごけないから」

「病気かい?」

「うん」

「そっか。僕が安全な所まで連れて行くよ」


 助けを呼ぶ事もできず、ただここで終わりを待っていたのだろう。

 リットは部屋の中を見回し漁って、少女の物であろう防寒着を手早く着せて抱き上げた。


「そら、これで多分寒くないだろう」

「ありがとう……お兄ちゃん、戦士さま?」


 彼女を連れて来た道を戻り部屋を見回せば、当然ながら他の住民が居るのだろう痕跡がある。

 家族だろうその人は既に避難したのか、彼女はどうするつもりだったのか……リットそのような事を考えるも、彼女を不安に思わせないように優しく笑う。


「僕?……うん、そうかな。僕らが竜をやっつけちゃうんだ」

「すごいなぁ」

「ははは、照れるね」


 少女は目を輝かせてリットを見上げる。

 階段を慎重に降りる最中にギュッと服の端を掴まれた事でリットは頼られているのだ、命を預かっているのだと緊張感を高めてしっかりと抱き直す。


「でもお兄ちゃんは怪我しない?」

「するかもしれないけど大丈夫。僕はとっても強いからね、あのシグルド王子とも友達なんだ」

「王子さま!?」

「凄いだろう?だから安心していいよ」


 外の光は眩しいのだろう、輝かせた目を細めながら少女は驚き、リットは内心でダシにしたシグルドへの申し訳なさを募らせる。


「うん……王子さまと友達なの、ほんと?」

「案外疑り深いな君?ホントさ、なんせシグルドは僕の淹れたお茶を飲んでくれた。苦かったみたいで辛そうな顔してたけどね」

「王子さまでも苦いのはいやなの?」

「そりゃそうだろう」


 その言葉に少女は存外ショックを受けたようで俯いてしまう。

 視界の端では屋根の上から見下ろすウィスタリアがリットへ頷き、北側を真っ直ぐに指差していた。

 そちらへ向かえという事だろう。

 リットはどの程度残っているかも分からない時間の余裕に急かされ足を早めた。


「わたしもいや。おくすりきらい」

「薬は苦いもんな……僕も嫌いだよ」

「戦士さまでもおくすりのむの?」

「飲むさ。みんな我慢して飲んでる……それに僕も昔は君と同じだったんだ」

「おなじ?」

「病気でずっとベッドの上」


 通りを早足で駆けていると遠くに人垣が見えてくる。

 殆どは街の外へと出ていったのだろう、そこに居るのは兵士達が多くを占めていた。


「おんなじだね……それなら、わたしも戦士さまになれるかな?」

「っ…………」


 その問いにリットは即座に答える事が出来なかった。

 自分の身に起きたのは、まさしく奇跡だと理解しているから。

 その経験から導き出された前向きな回答をこの年端の行かない子供に、かつてのリットと同じ少女に言えるものか。

 掛ける言葉に逡巡し、それでもなんとか間違っていない事を話そうとする。


「無責任になれるとは言えない。急に病気が治って戦士の様な肉体が手に入るなんて……それは奇跡だ。でも、でもね」


 無闇に希望を見せる事がどんなに酷い事か知っている。

 だがリットは同時にある事も知っているのだ。


「信じなきゃ奇跡なんて起こりようもない。君の奇跡の可能性は僕が守るから……」


 リットは戦わなくてはならなくなった。

 もう朱竜と相対した時には背後にこの少女が居る事を知ってしまったから。

 

「さあ、ここからは兵士さん達が連れて行ってくれる。僕は竜退治だ」


 避難の最後尾である兵士の元へ近付いて少女を受け渡すと、少女はゆっくり手を振った。


「げんきでね」

「君こそ元気で」


 手を振り返しリットは踵を返して走り出す。

 持ち場に戻る為、そして胸の内に使えたモノを吐き出そうとして。


「……ミライには楽観的な事を言えて、あの子には言えないのか。無責任だな、僕は」


 自己嫌悪の言葉を白い息と共に吐き捨てて、素早く壁面を駆け上がり元の場所へ。

 通りの向こうではウィスタリアが腕を組んでリットを見ていた。


「無言が一番怖いな……そもそもこれで合ってるんだよな?」


 ウィスタリアは組んだ腕を何度か動き出そうとモゾモゾとさせ、やがで少し恥ずかしげにサムズアップをしてリットへ送る。

 間違いなく賞賛だ。

 間違ってなかったのだという安心と善行を行った満足感がリットの胸を熱くしした。


「時間稼ぎの意味は間違いなくあったよ。稼いでくれた一分一秒が人を救った」


 南を向けば、オフェルは朱竜を前に未だ持ち堪えている。

 周囲へ無秩序に撒き散らかされる棘はその投射範囲を徐々に防壁へと近づけて、しかしオフェルはそこまで保つものではないだろうと予想していた。


(装備の耐久はそろそろ尽きる……避難と準備は間に合ったのか?)


 不意にピシリ、と甲高い音がする。

 【摘蕾心臓】の耐久が限界に近づいた音だ。

 それは次々と鳴り、カウントダウンのようにヒビも広がる。

 止める術はなく、最初の蕾が砕け散れば一気に全てが光を反射する粒へと変わった。

 戦神を無数の輝きが包み、そして消える。

 朱竜に突き刺さった棘も連動して砕け散り、引き裂かれた触手の再生を邪魔するものはもう存在しない。


「堪えろ……っ!」


 オフェルが自らを鼓舞する言葉を言うと同時に朱竜も叫んだ。

 大地を泳ぐように力強く掻き分け這い進む。

 雪も土も巻き上げ真っ直ぐに人間を目指してニズヘグの南門へと進路を向ける。

 そのまま北門を抜け人間を捕食する事を目指した直線の移動には多くの障害物があるが構わない。

 朱竜は飢えていた。

 この飢えの前には阻めるものなど存在しないと考えて更に速度を上げる。

 たった二本の腕で巨体と触手を引き摺って門扉を打ち破ろうと力強く、剛腕は大地を送り出した。


 元が巨体に速度も十分。

 鼻先のオフェルを破城槌とし門扉は軽く破られる。

 飛び散る様々な材質の破片。

 当たれば無事では済まないような重量のある破片すら爆発じみて弾け飛ぶ最中で、空気を揺らす号声が響いた。


「総員──戦闘開始ッ!」


 シグルドの声を嚆矢に戦いが始まる。

 都市内には装填済みの投石器、幾つもの罠、長い長い詠唱を伴う魔法の準備があるのだ。

 そして何人もの人間。

 ただ喰われるだけを良しとしない戦う力を持った人々の矛先が朱竜へと集中し、まず最初の一撃は光と共に──


「"猛渦墜"!」

「"嵐雪"」


 "戦神化"したリットの秘技と、同じく戦神の姿のウィスタリアが放った抜刀スキル。

 剣気の渦と嵐が朱竜を襲う。


「マトモに入った──!けど!」


 傷が再生してゆく。

 そのスピードは早く、切っている最中にその手応えに違和感を抱く程。

 斬られながらも再生力で押し返す朱竜の化け物じみた……化け物そのものの力にシグルドは笑う。


「斬撃ならばそうなるか。ならば打撃はどうだ!?」


 朱竜が大通りを這い、建物を草木でも掻き分けるように崩してゆく様を真正面から睨んでシグルドは叫んだ。

 漲る戦意で黄金の籠手を打ち鳴らし、光に包まれ金色の戦神となって立ちはだかるのだ。

 戦士らしく、真正面から、深く瞑想し、気を練り上げる。

 叩き潰す意志を拳に込めて、頭は透き通るような澄んだ思考で。

 唱えるのはシグルドが保有する最高の力、そのひとつ。


「"フルメタルハート"」


 シグルドの鋼の心臓が熱を持ち始める。

 心臓を炉とし、力強く駆動を開始したのだ。

 これは上級クラス【拳聖マーシャルアーツマスター】のスキル。

 スキルの中でも最も強力な奥義と呼ばれるそれは極めて強力であり、そして扱い辛い。

 

「オフェル卿!避けろッ!」


 足止めの役目を終えたオフェルは朱竜の顔面に叩き込んだ大剣を力任せに捻り出して横っ飛び。

 交代にシグルドが朱竜の顎へと拳を引き絞る。


「"ヘヴィブロウ"」


 爆ぜる音だった。

 シグルドは朱竜の顎に右フックを放ち、結果としてその衝撃は顎……肉から骨から口内までを吹き飛ばして逃しきれなかった分で朱竜の針路を捻じ曲げる事にすら成功したのだ。

 リットは転移後に初めて見る奥義に瞠目しつつ、シグルドの戦闘プランを理解し焦る。


「"フルメタルハート"は莫大なステータス上昇と引き換えに継続HP減少と防御系スキルの使用不可を負うスキルだ。短期決戦にしないとシグルドが死ぬぞ……」


 HPや防御能力を犠牲に強さを得る事はゲームならばままある事だ。

 負けてもそれはただ負けただけ。

 所詮ゲームなのだからリトライする気力があればやり直せる。


(これはゲームじゃない。現実で低耐久ビルドなんて……!どうして僕は気が付かなかった!?シグルドと話した時にビルドは聞いただろ!)


 朱竜を倒せれば良し。

 生き残るのならばなお良いと、シグルドは予想外の襲撃があった時点で覚悟をしていた。

 いや、それ以前からか。


(ああ、やっぱり君の事を理解してなんていなかった。こんな直接的に自分の命を削って戦う覚悟なんて、僕には到底理解出来ない強いものだ。戦うってこういう事なのか……)


 リットは低耐久高火力ビルドの()()()()()を知っている。

 敵の攻撃を適切に対処して、一度の失敗すればゲームオーバーへと明確に近づく。

 そんな綱渡りを繰り返す緊張に命までかかっていののなら?

 一歩前へ踏み出すだけでも途方もない勇気と覚悟が必要だろう。

 

(でも命懸けなのは全員同じだ。この中で僕だけが遊び気分を引き摺っている。生き死にの中に楽しさを持ってしまった)


 だが、リットは既に戦場に居る。

 引き返す事は出来ず、覚悟の有無など関係なく戦いは続いているのだ。

 殴り飛ばされ地面に伏せった朱竜は顎を吹き飛ばされたというのに、再び顔を上げた時には傷跡など残らない程に回復しきっていた。

 殺しきるのにどれ程の力が必要なのか。

 そんな不安がよぎった時、都市の一角から火球が空へと打ち上げられた。

 煌々と太陽のように輝く火球を見上げ、シグルドは手を振るって退避を命じる。


「魔法師団の全力を込めた大魔法が来る!巻き込まれるなよ!」


 朱竜と火球の一対一。

 迫る熱を前に朱竜はただ見上げる。

 下半身を構成する触手を根のように地面に打ち込み身体を起こし真正面から。

 彼我距離が近づき触手に熱を感じても動かず、火球と接触し内部に蓄えられた爆発的な熱量の放射を受けても構わずに。

 熱と衝撃は建物を吹き飛ばし、余波で積もった雪を溶かして蒸発させるまでの威力を誇ったのだが。

 朱竜はただ火球の熱を享受した。


「……化け物め」


 爆心地を睨むシグルドが悪態を吐き、都市に煤が舞う。

 発生源は朱竜、その体表。

 炭化した部位が割れ、中から朱の肉が現れる。

 黒焦げになりつつも、即座に治癒し纏った黒衣を脱ぎ捨てているのだ。

 物が焦げる嫌な匂いが充満する都市の中心で朱竜は王者の如く君臨した。

 威風堂々と、殺せるものなら殺してみろと。

 

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