3-11 最終関門
王都まで残すところ僅かという所。
空からは雪、視界の殆どが降り積もった雪、吐いた息は白くなり、寒さに凍える手指も白くなる。
ウンザリする程白一色のここがミスルトの常冬となっている土地。
その中にある王都すら白に呑まれているのだから、この国が如何に過酷か一目見れば分かる程。
そんな白を背景に、山道を進む戦士団の隊列の先頭で馬上のシグルドが拳を掲げて鼓舞をひとつ。
「目的地である王都トエリコはあと少し。最後のひと踏ん張りだ!」
「オォォォ!」
「俺達に出来ない事なんてないぜ!」
「これから竜退治なんだ!ここでへばってらんないよな!」
それに応える鬨の声が響き渡り力強く歩みを進める……が、しかし。
その意気に比べて周囲の環境は厳しく戦士団を苛むものだ。
闘志に燃える瞳から少し視点を動かせば寒さに震える青白い唇や細かく打ち付ける歯が。
この数日は何度も襲撃に遭った事で精神的にも肉体的にも休まる暇が無く、如何に精強な戦士達と言えども疲れが見える。
それでもなんとかここまで来れたのは、死線をくぐり抜けた経験豊富な彼等だからこそ。
王都にはもう今日中に辿り着けるだろう。
そうしたら今晩は暖かい部屋で温かいスープを啜り、ゆっくりとベッドで身体を休めて英気を養える……と近づくにつれ段々と希望を抱き始めた頃の事。
シグルドと轡を並べるリットが肺まで冷たい空気を吸い込んで、そこから流れる血液まで冷やすのではないかと思うような深呼吸をしている。
代わりに吐き出すモクモクとした白い息が霧散し、再びリットは息を吸い込み……
シグルドは側で何度もそれを見ていたので思わず笑いを漏らしてしまった。
「寒い土地は珍しいか?」
「ああ、新鮮だよ。頭まで冷えて面白いねこれは」
「お前は時折少年のようになるな。今度雪遊びでもするか?俺は幼い頃に爺とやった覚えがある」
「それも楽しそうだね。今ならそれはもう立派なかまくらを作れそうだ」
雪はただ冷たいだけでなく、リットにとっては新鮮な感覚を与えてくれるものだ。
雪が降り積もった地域に入ってからリットは深雪に飛び込んでみたり口に含んでみたりと、ただ戦うだけでなく旅を楽しもうとしていた。
(ゲームの再現の再現が甘い五感とは大違いだ。血管の一本一本に冷たさを感じる……ゲーム内の雪より断然楽しいなこれは)
刺すような冷たさも新鮮に、リットは寒冷地を満喫して世界を面白がっている。
そんな様子を見て心配になる者がひとり……ミライだ。
リットの背後から馬を近づけて、自身の指先をリットの首筋に伸ばす。
「冷た!?」
「やっぱり冷えてるじゃん!」
「君の手がだろ!?」
「リットが防寒しっかりしてないからだよ!」
リットの服……というより装備は転移より変わらず白い革のコートだ。
ゲーム時代から愛用していたそれは性能をこだわり抜いて選んだ逸品。
そう簡単に変える気は無いとずっと着続けているのだが、ゲーム内と違って現実には気温というものがあり、それに適した服装というものもある。
それに基づいて考えるならリットの服装はこの場には適していない軽装と呼べた。
戦士団の面々やミライがこの気温の変化に合わせて防寒具を身に付け始めただけに、リットの変わらぬ格好は悪目立ちしているのだ。
「このコートを脱ぐ気は無い。本当に良い物なんだよコレは」
「頑なだなぁもう!マフラーとか無いの?」
「無いね」
「その上に何か着るってのは?」
「出来るのかな?装備枠的には限界だけど別にステータスウインドウがある訳でもないし……」
リットがブツブツとひとり呟き始めて、ミライは呆れてシグルドを見るが彼も苦笑し肩をすくめる。
(【WoS】の防具装備枠なら僕は限界まで使ってる。この状態じゃ軽くマントを羽織るなんて事すら出来なかった筈だ。それが今なら出来るのか?いくらなんでも重ね着するのは動作に支障が出そうだけど、アクセサリーならジャラジャラ大量に身に付ける事くらい出来るだろうし装備効果を大量に得る事が出来たなら──)
指や腕には籠手と見紛う程大量の指輪と腕輪、首には何かしらの刑罰なのではと思うような大量のネックレスを身に付けた自身の姿を想像してリットは即座に無いな、と頭を振る。
そもそもそれに意味があるのかというところまで思い至った為に。
(いや、そんなにステータス盛ったところでステータスがカンストしたんじゃ意味が無い。あとそれを試すような装備の在庫が無い。そもそもステータスの確認のしようがないし……)
こうしてリットの脳内で魔改造ファッション計画は即座に中止して、しかし新たにひとつの考えが浮かんでミライへ向き直る。
「そうだ、その髪飾りのお返しに僕に何かを選ぶって言ってたろ?それならマフラーにしてくれよ」
「いいじゃんマフラー。リットのその寒そうな首筋を見なくて済むようにね!」
「色は任せるよ。君のセンスを信じてもいいかなぁ……?」
「任せなさい!」
頼もしく胸を叩くミライにリットは一抹の不安を覚えるが、それでも不安すら少し楽しげに笑う。
馬に乗るのも幾分慣れた。
こうして笑う余裕が生まれる程には。
だからこそそんな時間が終わる事がとても惜しく、遠くから聞こえて来た蹄の音が酷く恨めしかった。
「この先に敵が待ち受けています!」
斥候として先を進んでいたダスティンが告げたその事実が戦士団の身を引き締めさせる。
王都を目前としたこのタイミングで敵が居るのならそれは最後の関門という事。
敵も後がないのならば待つのは最大戦力だろう。
「ここが正念場という事だろう。敵勢を食い破り、王都まで辿り着き我等の矜持を示さなくては道は無い」
勇猛な戦士の顔になったシグルドが言い聞かせるようにそう言った。
それは自身の背後に居る戦士達、そして自分自身にも。
その意思を確認して、ダスティンは道の先で見たものを告げる。
「敵はこれまでの傭兵とは異なり質の良い装備に身を包み、山を抜ける最短の道を塞いでいます」
「迂回しては時間を無駄にする……それこそが狙いか?何か策があっての時間稼ぎなのか、やぶれかぶれの足掻きなのか区別がつかん!やはり打ち破るぞ!」
そうしてシグルドは前進の脚を早め、飽きるほど白い景色を見送った頃にそれが目に入った。
雪が踏み締められた跡が道だと判断できる材料となるような不確かな道……左方を崖にしたその先に、道を封鎖する一団の姿がある。
統一された装備、統率の取れた兵士と陣形。
馬で飛び抜けられないようにと拒馬まで設置した万端の構え。
共に視認した敵の姿に息を飲み、彼我の空間に張り詰めたものが満ちる。
「それで、どうするんだい?」
「そうだな……アレだ。奥にひとり、太った男が見えるか?」
シグルドが顎で差した先……敵陣の最奥には特注の鎧にでっぷりと贅肉で膨らんだ腹を収めた男の姿が見える。
周囲に侍従を引き連れて心意気だけは充分といった様子で嘲るように戦士団を眺めていた。
「あれはセッポ伯爵。恐らくこの兵士達は彼の私兵だな。指揮官は……まあ別の者かもしれんが伯爵が要には違いない」
「あの人がこの騒動の黒幕……には見えないけど」
「良いように使われているだけだろう。金を持っている上に兵も居る。本人は優れた戦士で将などと自称してはいるが彼が戦場に立ったのは10代の時に、父親にお膳立てされて参加した戦の一度切りの筈。おだてて甘言でも吹き込めば捨て駒には丁度良い」
「ボロクソだな……」
敵ながら哀れなものだと苦笑して、リットは敵陣を見るがひとつ、やけに目を惹く人影があった。
赤い鎧、背の丈ほどの長大な剣。
そして他とは明らかに違う存在感。
ただ陣形の前へと歩み出ているだけで進軍しているかのような堂々たる姿であった。
「オア・オフェル・ウィオーク卿……あれは不味いな」
「レベル100ってところか?僕や君と同じくらいの強さだ」
「ああ、しかも彼はアウロラ殿下に古くから仕えている騎士。彼がこの場に居るという事は、やはり糸を引いていたのは……」
シグルドがいかに逡巡しようとも時が過ぎるのと同じように馬が前へと歩みを進める。
そうして戦士団の前進は声を届かせるのに十分な位置で停止し、足音が止み吹き荒ぶ冷たい風の音ばかりが場に広がった。
そのままどんどんと高まる緊張に心臓の鼓動が早くなり──シグルドが堂々たる様子で声を上げる。
「我等はミスルト戦士団!その責務を果たすべく、王都に迫る竜を討たんとする者だ!何故、我等の道行を阻む!」
対して道を封鎖する集団の中からはセッポが従者から魔法の道具を受け取り、それの拡声効果によってよく響く言葉の応酬を行った。
「キサマはもうミスルトには不要なのだよシグルド殿下!いや、シグルド!」
「話が見えんな!退かぬのならば押し通る!道を開けるならば今だぞ!」
脅しつけて道を開けさせようとも、既に勝利を確信したような顔をしているセッポには届かず、代わりにオフェルが声を張る。
「シグルド殿下!ここで徒に戦士達の命を失う必要はない!必要なのは貴方の首ただひとつ。それさえあれば貴方の背後に控える者らの命は保証いたしましょう」
その声は頑なさを感じさせるものではあったが、セッポの言葉には感じなかったシグルドに対する敬意が籠っていた。
そして、そんな言葉を掛けられればシグルドの心は揺らぎ──
「なりませんぞ、殿下」
「爺……」
いつの間にか横へやって来たブリンジャーが、そっとシグルドの肩へと手を置いた。
優しく微笑み、真剣な眼差しで。
「己が本分を見失ってはなりません。残酷なようですがミスルトという国がある内は、貴方は国の為に決断しなければならない。例え何を失おうとも貴方は生きなければならない。貴方の背後に続く者が在る限り前を向き続けなければならない。ですが我等が共にありますゆえ、恐れなさるな」
「そうか……そうだな。どれだけ恐ろしくとも立ち向かう気持ちがあれば力をくれる」
内心の不安を見透かされたシグルドは胸に手を当て、奥深くにある心臓の力強い鼓動に身を任せて……息を吸う。
肺に溜め込んだ空を吐き出した時には晴れた表情をして前を見据える。
そうして覚悟を決めたシグルドにリットがひとつ、相手に悟られないように声を掛けた。
「ひとつ質問があるんだ。仮にあの偉そうな──実際偉いんだろうあの人をひっ捕えて王宮に連れて行けば解決かい?」
「解決に近づきはするだろう。アレは小心者だからな、口はいくらでも軽くなるだろう」
「じゃあ……あの赤い騎士。アレを僕が引き付ける。その隙に君達で何とか出来る?」
「本気か?彼は俺が産まれる前からミスルト最強と謳われ、その強さは今も衰える事なく健在……」
「でも君が相手するより僕が相手する方が良いだろ?君は戦う以外にもやる事が多いんだから。嫌になるけど僕には戦う以外に能がないからね」
リットが半ば冗談めかして軽く笑ってみせて馬から降りる。
肩を回して首を回して、準備は万端。
あとはシグルドが背中を押せばすぐにでも飛び出す状態だ。
「良い感じに時間を稼げばいいんだろ?別に勝つとかそういう事しなくても、君が駆け抜けてくれたらそれでさ」
「ああ……よし、お前が時間を稼いでいる間に王宮に辿り着く。そして王の御前で事の次第を明らかにしてみせよう」
シグルドはリットを見つめ、強く頷く。
それを受けてリットは正面を、厳しい鎧姿を睨む。
「任せたぞ、リット」
「任された……じゃあお先に行ってくるよ。少ししたら突撃でもしてくれ」
リットが一歩踏み出し……その姿が掻き消える。
超常的な身体能力による爆発的な加速で駆け出して、何も恐れないかのように敵へ向けて真っ直ぐに。
無謀に見える行いに、むしろ狼狽えるのはセッポの側。
慌てふためき手を振り乱して、唾と共に指示を飛ばす。
「ひ、ひとりだけで何が出来るというのか!射殺してしまえ!」
指揮官ほどではないまでも兵の中にも動揺はある。
単騎駆けでまさか突破するつもりなのかと僅かに不安を抱きつつ弓に矢をつがえ、狙いを定めた。
当たれば如何に強者たる〈鋼の民〉とて無傷とはいかない。
弓も矢も射手も地球よりも遥かに強力だ。
矢尻の先が真っ直ぐに走り続けるリットへ向いて、しかしリットは怯む事も動きを変える気もなく直進を続けた。
「ええい!射て!射てぇ!」
「──!」
張り詰めた弦が力を解放し矢は猛烈な加速と共にリットへ飛翔する。
ヒュウと風を切る音がして、その直後には彼我の距離を詰めて……リットの左腰で剣が鞘走った。
「"ソニックエッジ"……!」
一定時間の攻撃速度バフ。
それを受けたリット剣速は雨の如く迫り来る矢を残らず矢切る。
小気味よくバチバチと音が鳴り、その度地面にバラバラになった矢が転がり射手は次第に恐怖を募らせ始めた。
射てども射てども矢は当たらず、そんな存在が次第に近づいているのだ。
そして更に。
「──来い。来い来い来い来い来い!」
剣を振るう傍ら、ひとりごちるのは自分への発破。
戦いの中で感じる高揚に身を任せ、より大きな波を待つ。
やがてそれは……リットの胸に灯る赤い光として現れる。
「ここで"戦神化"するつもりか!」
オフェルはリットの狙いを即座に見抜いて舌打ちをひとつ。
(戦神の相手をするならば、こちらも"戦神化"せざるをえない。だがここに戦神同士が戦う幅はない。ヤツの狙いは戦力の分断!このオフェルを釣り出す為の餌……どのみち戦力など足りてはいなかったが、それでも引き剥がされれば──)
オフェルは兜越しに味方の姿を見る。
が、しかしここにシグルドに対抗できる戦力は居ない。
ドラゲンティアからの援軍も期待出来ない。
あらゆる想定外が積み重なって計画は破綻寸前だ。
もはや捨て鉢になってオフェルは隊列より進み出る。
「──だが、それでも意地でやらなければ」
オフェルの胸に真紅の輝きが灯った。
鎧を越えて膨れ上がるその輝きは、リットの胸で輝く光と共鳴し……やがてそれは奔流となる。
天へと伸びる光の柱へと変化して、裂帛の気合いと共にそこから飛び出る騎士鎧の巨人。
「オオオォォッ!」
片や勢いの乗ったリットの戦神。
片や真紅の防壁の如き威容を誇るオフェルの戦神。
風を切る鋭い刃と唸りを上げる剛刃が、2体の戦神が白銀の荒野に激突した。
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