3-10 灰狼、騎士、貴族
傭兵団の長、灰狼のヴルは舌打ちをした。
二つ名通りの灰色の狼の毛皮を外套として外連味たっぷりの熟練の傭兵。
多少はガラの悪い仕事も金次第で請け負う彼ですら、今回の仕事は明確に失敗だったと後悔していた。
彼が今いるのはミスルト南方、王都に近い場所……もっと細かい所まで特定したならば森の淵、街道に近い木立の中だ。
枝にはたっぷりと雪が積み重なり、地面にも深々と。
森が白く染まったその中で、この灰色の外套は落ち着いて戦場の様子を確認するのに役に立つ。
深雪の上に腹這いになり、冷え始めた指先を握り込みながらヴルはジッと動かず戦況を見守っている。
「おーおー死んでく死んでく。クソみてぇな連中がゴミになってら」
味方が次々とやられてゆくのを目の当たりにして、半ばヤケクソになって呟いた言葉にヴル自身が笑ってしまう。
視界の中ではまたひとり、敵の中でも一際大きい体躯を誇る戦士──シグルド王子の鉄拳により、身体をくの字に折り曲げて吹き飛ぶ様がよく見えた。
「ハァ……せめて、せめて情報に無かったあの茶髪と紫髪が居なけりゃあなぁ」
ヴルが悔恨と共に見つめるのは長剣を手に大斧とすら打ち合い全てを薙ぎ倒す茶髪の男。
そして盾であろうと鎧であろうと構わずに、その刀で両断する紫髪の女。
「クソ、クソ、クソの祭りだな。依頼者、俺達、イレギュラー。あんなのが居るなら何割増で請求してやったから分からんっての全くよぉ」
見れば茶髪の男が一振りで群がる傭兵を細切れにしているのが目に入る。
紫髪の女は全身鎧の偉丈夫相手に瞬間的に何度も刀を走らせて、金属ですらまるで薄紙のようになんの抵抗すら生み出していないかのようだ。
「知らん奴が居たなら金増やすくらい良いだろうになぁ。頭の硬えお貴族様だぜ」
頭の中の算盤を弾けば、仕事の内容に対して明らかに足りない報酬がヴルの気分を重くする。
こうして肩に乗っかる物言わぬ灰狼に愚痴でも溢さなければやっていられない程に。
「……うーん?そろそろ半分まで減ったか?しんどい仕事だったからな、分前増やしてやんねぇと文句が出ちまう」
だならこそ、せめて一人当たりの分前を大きくしようと、対して役に立たない連中を前にして強く当たる事にしたのだ。
「ハン、馬鹿が。適当な言葉に踊らされる哀れな傭兵共と、あんな化け物連中に喧嘩を売った無鉄砲な貴族共がよ」
戦場では雪が血で溶けている。
それも次第に、かつて生あるものの中で脈動していた痕跡を失せさせて凍ってしまうだろう。
半分は死んで、半分は生きている。
それで十分だとヴルは懐から角笛を取り出し、吹き鳴らす。
撤退の合図となるそれが響き渡り、傭兵達は一目散に逃げ出した。
先程まで敵の屍を踏み付けにしていた脚は脱兎の如く逃げ出す為に。
一瞬前まで武器を手に、敵の脳天目掛けて振りかぶっていた腕を全力で振って。
そうしてヴルが潜む森へと一斉に駆け込んだ傭兵団は、追討もなくまんまと逃げおおせたのだ。
森の深い所に一旦集合して、その後さらに移動。
迷った奴は運が無い。
そのような作戦だった。
「傭兵の心得その1を足りねぇ頭にちゃあんと詰め込んでたみてぇだな」
「逃げる時が全力の出しどころ……へへ、早く酒が飲みてえ」
ヴルは肩で息をしている運の良いマトモだった方の仲間を労い、生き残りを見回す。
皆、傷を負って無事な者はひとりも居ない。
戦士団とはやはり強敵だと、ヴルは腹の底から冷え上がる気がして自らが生き残っている幸運に感謝する。
とはいえここから更にヴルの仕事は続くのだ。
「戦士団の連中は立て直しに時間が掛かる筈だ。おサイフ連中に会うのに時間の余裕はまだまだある」
森に隠した馬に飛び乗り、傭兵達は南下する。
更に、更に、森の深くへ突き進み深雪を越えて目当ての場所へ。
それは森の中の開けた場所にポツリと存在する小屋。
煙突から上がる煙と、足元を見れば雪の上に複数の足跡が残っている事から先客が存在が分かる。
ならばと腹を括り、ヴルは大きく息を吸い込んだ。
「ご機嫌麗しゅうございますぜお貴族様よぉ!」
荒くれ者しか見えない森の中で、ヴルは大声で叫び出す。
全ての音を雪が吸い込んでいるのではないかと思うような静謐な森の中で、扉が軋む音がする。
木材の扉を押し開けて、ひとりの男が現れた。
「ふん。相も変わらず見苦しい連中だ。もう少しまともにワタシを迎えられんのかね」
ヴルの狼の毛皮の外套とは比べ物にならない遥かに良い素材と仕立ての外套を羽織った貴人の男。
やけに静かな森の中では、無警戒に雪を踏み前へ出る彼の足音が鮮明に聞こえる。
たっぷりと蓄えた贅肉は日頃の贅沢な生活の現れ。
足音には慎重さのカケラも無いドスリ、ドスリと体重を地面に叩きつけるような音。
下卑た表情に加えてこのような寒さは堪えるのだろう、不快さを加えて。
その男から得られるあらゆる情報が、この場にはそぐわない事を知らせてくる。
彼は明らかに荒事を生業とする者ではない。
「丁度一仕事終えたところでしてね。学のないあっしらには難しい事が多いんでさぁ」
過剰に遜るような演技をして、笑みを貼り付けてヴルは恭しくしてみせる。
しかしその目は獲物を狙う獣のもの。
周囲への警戒を怠らず……木の裏に幾つかの影を見つけた。
(包囲されてやがんぜ、全くよぉ)
このまま口封じでもするつもりか、それならば目の前の肥え太った男を人質に、まで思考を走らせたその瞬間。
重々しく一歩を踏み出す音がした。
ガシャリ、と金属鎧が動く音。
一歩一歩踏み締めるその音の元は小屋の裏から、深雪を容易く踏み締められる超重量。
白く染まった景色で異様に目立つ、赤い金属製の全身鎧の騎士。
背丈を超える片刃の大剣を背負い、存在するだけで周囲を威圧する圧倒的な強者の姿だ。
「あまり無駄口を叩くな。時間が惜しい、簡潔に終わらせよう」
鎧の中で反響して、恐ろしげに響く男の声が傭兵達を威圧する。
その騎士に守られている貴族の男すらも。
「そりゃあすいませんね、口から産まれたもんでして……それじゃあ話しましょうや、報酬の増額について」
「何を言うか!まともに戦えもしない無駄飯食らいにやる金など──」
睨むようなヴルに対して、ある種の鈍感さ故に貴族の男は要求を突っぱねようとしたのだが、騎士がそれを制した。
ただ手を伸ばし、ヴルとの間に置いただけで貴族の男はひっくり返る程には驚いていた。
「な、何をするか!オフェル卿!?」
「……フゥ。ただ手を伸ばしただけですよ。貴方を害するつもりはない。そのように命令されていないのでね」
赤鎧の騎士──オフェルが表情の窺えない兜の奥から溜め息を漏らしつつ、腰に手をやる。
ただそれだけでヴルは警戒を最大限に引き上げて、傭兵達も毛を逆立てる獣のように緊張が張り詰めた。
しかしそんな事をオフェルはまるで気にする事もない。
「金だな?受け取れ」
オフェルは腰に下げたアイテムボックスから大きな袋を取り出した。
それをヴルに向かって片手で投げてよこして、しかしヴルは予想外の重さに両手で抱える。
受け止めた時にジャラリ、と景気の良い音がした。
思わず口の端を緩めそうになるヴルだったが、気を引き締め直して騎士を見る。
「オフェル……オア・オフェル・ウィオークだな?聞いた事あるぜミスルト最強の騎士だって──おっと!金を貰ったならもう関係ない事だなぁ?」
「ならば何処へなりと消えろ」
吐いて捨てるような言葉だろうと、金を抱えたヴルには労う言葉にしか聞こえない。
一礼したなら怖い依頼主には背を向けて、手早く指示を飛ばして傭兵団へ移動の準備をさせる中で、ふと思い出したようにヴルは振り返る。
オフェルは兜越しですら滲む怪訝さを隠そうともせずに、厳しく兜を傾けた。
「まだ何か?」
「ご愁傷サマ、あんな連中と戦うハメになるなんてよ」
しかしヴルから発されたのは憐憫すら感じさせるような……本心からの同情の言葉。
それだけ言い残し、あっという間にその場を去った傭兵団に対して貴族の男は偉そうに鼻を鳴らした。
「フン、傭兵風情が偉そうに……案の定役に立たなかったではないか。ドラゲンティアの連中も姿をくらませおって、これなら初めから我が精兵で事に当たれば良かったものを」
「貴方の兵を徒に消耗させない為の方策です、セッポ伯爵」
「卿は我が手勢を見た事なかろう。如何にアウロラ様に信頼される騎士といえども、この斧の冴えには気が付かんか?」
貴族の男──セッポはでっぷりと肥えた腹に隠れて見えずらいが、ベルトに下げた手斧に触れる。
これは彼の自慢の一振り。
寝る時ですら傍らに置く自らの力の象徴だ。
だが、しかし。
(こんな物はナマクラだ。ただ見た目が良いだけの価値しかない。換金用のアイテムと同程度の性能しかないだろう)
オフェルは兜の内に侮蔑を隠してソレを見る。
彼ならば斧を持ったセッポを素手で殺す事すら容易い。
かといってそんな事をする程オフェルは愚かでも堪え性が無い訳でもないので、ただ溜飲を下げる行いは思考から排除し淡々と仕事をこなす自分へ切り替える。
「私如きの審美眼ではセッポ伯爵の足元にすら及ばす、遠く見上げる程です。さあ、お召し物が汚れてはいけない。計画通りに手早く終わらせましょう」
「指図するでない!フン!手柄が欲しいのは分かるが人を立てる事も学ぶべきだなオフェル卿!」
肥大化した自尊心とは支えるのが難しいもので、セッポは苛立ちを地面へとぶつけながら歩き去る。
それを小屋から飛び出してきた使用人や、木々の裏から現れた護衛らが素早く囲み行列となって森へと消えた。
オフェルはその背を見送り、堪えていたものを全て吐き出すように深々と息を吐き出す。
「ハァ……なんでこっちに来てまでご機嫌取りをしなきゃならないんだよ。ドラゲンティアも途中で飛んだし、最初から取引相手として見られてないんだよ俺達は……」
兜越しに頭を抱え、頭痛の種を振り払うように頭を揺らす。
早くセッポらを追い掛けなければと思いつつも、この静かな時間に対する名残惜しさから脚を動かせずに足元を見つめてポツリと溢すように呟いた。
「手柄なんで必要無い。ただアウロラ様に恩を返せれば、それだけで……」
全ての音が雪の中に吸い込まれ、降り始めた雪が賑やかに空を舞っている。
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