3-9 戦士の習い
戦士団は更に南へ進む。
進めば進むほど、景色から色が抜け落ちる。
草木を覆う白い雪が徐々に増え、この道行のようなどんよりとした曇り空が空に塗り広げられて鬱屈と。
更に戦士団を苛むのは王都までの道を半分過ぎた頃に襲撃してきた傭兵らの事だ。
強さにおいては比べるまでもなく戦士団が上回り、しかし数において上回る傭兵のやり口がジワジワと消耗を強いてくる。
流石に熟練なのだろう、その集団は散発的な襲撃を繰り返してはすぐに退いて戦士団へ警戒を行わせて精神を擦り減らす。
そんな状態で偶に強く当たれば戦士団にも負傷者が出て、それを介抱する為に人手が割かれ……目指す王都への道行は折り返しを超えたところ。
しかしこれよりが難所なのだと、否応なく戦士達に突き付けられている。
そしてリットにも。
「うぉえ……」
「何故貴方は毎回こうなるの……」
勝利とも言えぬ勝利の後始末を淡々と済ませる戦士団から少し離れて、リットが嗚咽を漏らしながら地面へ向けてえずいていた。
その傍にはウィスタリア。
彼女は普段通りの冷たい眼差しではあるものの、呆れを滲ませた表情でリットの背をさすって介抱していた。
「戦う前は気にならないんだ……精神が昂っているから。でも全部終わったあとは、突き付けられる」
「今まで人を殺す事は無かったの?それこそホワイトファング城では竜騎士と聖騎士を殺したのでしょうし」
青褪めた顔をしたリットは脂汗を垂らしながら、鳩尾の辺りを抑える。
吐き出す物はもう残っていないのだが、身体はまだ胃を押し上げてリットを苦しめる。
「あの時は次から次に危機が迫ってたから落ち着く暇が無かったんだ。今は考える余裕がある分──ぉえ」
「なら脳天から真っ二つに叩き割るなんてしなければ良いのに」
「知らないよ……戦ってる最中の僕に言ってくれ」
自分が両断した相手の事を思い出し、リットは再びえずき始める。
それに呆れた顔で付き添うウィスタリアはその冷たい態度からは隠せない面倒見の良さが見え隠れし、リットはそれに甘えるだとか考える余裕も無くただ嗚咽を漏らしていた。
しかしそこから少し視点を動かせば、言ってみれば殺しの手管を上達させた事に喜ぶ者も居る。
ブリンジャーの側でその戦い方を学んでいるミライは今日、ひとつ技を身に付けた為に確かな手応え共に拳を握り締めていたのだ。
「これ、良いかも」
「いやはや!ミライ殿は上達が早い!儂が"ファイアウェーブ"を習得した半分以下の期間でああも上手く使ってみせるとは!」
「先生の教え方が上手いからかな?もっと沢山の魔法を学べば、きっと今よりもっと強く……!」
自らの糧になった実感がより多くの学習意欲を湧き立たせる。
ミライは今が最も楽しい期間だ。
学び始めて、どんどんと技術を理解し知識を蓄え実行に移して成功している。
それによって行う事がどうあれ、学びがミライの旅に新鮮な喜びを与えている事もまた事実であった。
「それならばもう一段進んだ技を学ぶのも良いやもしれませんなぁ。火とは力強く荒々しく、そして行先を照らすもの。その力があれば旅の助けにもなりましょうぞ」
ブリンジャーは白髭を撫でて笑う。
この老人に於いても教え導くという行いに喜びを得ていたのだ。
シグルドや戦士団の面々を教えるのとはまた違う、幼さを残しつつも期待が持てる新たな生徒の存在に心を踊らせている。
次はあの魔法を教えたい、この魔法を教えたいと内心で思っている事を決して明かしはしないのだが。
「一段かぁ……それで竜に敵うなら幾らでも進んだ技術が欲しい」
「これはまた大きな獲物を見据えておりますのぉ。いやしかし!それこそが戦士の本懐!強大な敵を打ち倒すならば何より強い力が求められるでしょう!」
「それって何?あたしもそれが欲しい」
ミライの純粋で真剣な疑問に対して、ブリンジャーはニヤリと笑う。
不敵に、得意げに。
「それは団結の力!ひとりでは足りずとも、より集まれば大きな敵とも戦える。それこそが人が人である強みでしょうなぁ!」
「えぇ……そんなのじゃなくて、凄い魔法とかかと思ったのに」
想像していた答えとはちがったようで残念がるミライを見て、不意にブリンジャーは優しく笑う。
ミライを見る目は温かく、後進を見守る年長者のものだ。
「結局、卓越した個人が居ようともそう多くの事は出来んのです。我らは確かにシグルド殿下よりも弱い。ですがあの方が全てを背負う必要も無かろうと思うからこそ、我らは共に戦うのですな。あの方の一歩を少しでも楽にする為に盾を掲げ、あの方が守ろうとするものを代わりに守る。背中を預けて頂ける仲間が居ればこそ、力は十全に発揮出来るもの故に」
ブリンジャーは目を細め、シグルドを見る。
怪我をした戦士の様子を確かめて、慌ただしく指示を飛ばしている様子に頬を綻ばせながら。
後背を気にしては敵に専心とはいかないものだ。
あとは任せた、と少しでも荷物を預けられるならばそれに越した事はない。
果たして今のシグルドにそれが出来ているのだろうか?
ブリンジャーの目には値踏みするようなものが含まれている。
教育係として生徒の成長を期待する目、そして臣下として仕えるべき主であるか確かめる目でもあるそれが、優しくも厳しくシグルドを見守っている様をミライは羨ましく思っていた。
(でも、あたしにそれを得る資格はあるのかな……)
胸に寂寥感を抱きミライが外套の端を小さく握った頃、グロッキー状態のリットがフラフラとしたおぼつかない足取りでやって来る。
相変わらずの青褪めた顔をして。
「すこし……少し楽になった……」
「いやはや勇猛果敢な戦いぶりのリット殿にこんな一面があったとは。儂が気付けに何か探して来ましょうぞ」
「ありがとう……」
白い眉を下げて苦笑するブリンジャーは仲間の元へ。
リットは力なく手を振って、その手をミライが掴んだ。
「大丈夫?ううん、ごめんね。こんな事に付き合わせちゃって」
「気にしなくていいよ、切っ掛けは君でも僕自身が選んだ事だからね。それに、これも多分慣れてしまうだろうし……」
額に浮かぶ脂汗を拭いながら、リットは言葉を漏らした。
それはその時が来た自分への落胆。
少しずつ変わってゆく恐怖の発露だった。
「ねえリット、無理しなくてもいいんだよ。例えば人間はあたしが担当するとか──」
「貴女の腕ではあの傭兵達相手でも到底足りないと思うけれど」
そんなリットを気遣うミライの言葉は、しかしウィスタリアの現実的な言葉にて遮られる。
冷たい風に紫の髪を靡かせて、彼女自身の方が余程冷たいと思わせるような態度で歩み寄って来た。
左手は刀の柄頭に置いて、未だ周囲へと糸を伸ばすように警戒を続けているウィスタリアの視線に貫かれれば、ミライは身をすくませる。
それこそが力不足の何よりの証拠でもあった。
「お二方の旅の目的は知らずとも、この調子では上手くいきそうにはない事は分かるわ。力不足の魔法使……剣?どっちつかずの半人前に、人を殺す度にダメになる〈鋼の民〉ではね」
ウィスタリアの言葉にミライは明確にムッとして、リットは胃からムカムカと込み上げるものに具合を悪くしていた。
ただふたりとも、ぐうの音も出なかったので口を硬く結ぶ事で行き場のないモノを治めようとするが……ミライの限界は低い。
「あたしだって!魔法を覚えてスキルも使えるようになって強くなってる!」
「危険が成長を待ってくれるといいわね」
「筋肉だって結構ある!あたし腹筋割れてるからね!?」
「魔力を伴わない身体機能ではそう多くの事は出来ない。私の細腕の方がより大きな膂力を発揮するでしょうね」
「危ないものを避けて──」
「得てして災難とは回避の余地なく降り注ぐものよ」
「っ!……っ!」
何か言い返す言葉が無いものかと頭の中を探せども、ただ言葉にならない何かが空気として漏れ出す程度。
地団駄でも踏み出すのではないかと思う程にはミライの負けず嫌いが膨れ上がっている。
そんな状況を解決するのはミライ程熱くもなく、ウィスタリア程冷たくもないリットだった。
「なら僕が変わるのが手っ取り早いって事だろ……」
「人はそう簡単には変わらない。〈鋼の民〉の力に振り回され続ければ精神をすり減らす事になるわ」
「確かに頭の中弄られてるような感じするけどさ……現実的にどうにもならない時に助けてくれるとも考えられる」
「そんな場当たり的な思考も破滅へ向かう一助ね」
「なんなんだ。文句しか言わないな君は」
「……?これでも心配をしているつもりだったのだけれど」
キョトンとした顔で、至って真面目に言葉通りの心配をしていたのだとウィスタリアは言ってのけて微動だにしない。
弁明も何もなく、心配から出力された言葉に疑いはないと胸を張って。
そうも堂々とされればリットとミライは唖然とする他になかった。
「凄い口下手だねぇ」
「なあミライ、彼女と一緒に旅しないか?僕より下が居ると分かれば安心して話す事が出来る」
「性格悪いよリット」
「私は何か間違った事を言ったかしら?」
「正解を叩きつける事をコミュニケーションだと思うタイプかい?……いや、これは今この状況にブーメラン刺さるな」
「心配してるなら心配だって言葉にしなよ!なんであたし達を心配してくれるのかも聞きたいけど」
ひとり自省するリットは置いておくとして、ミライの言葉に目を落とし、ふむと考える仕草をしたウィスタリアは少しの間言葉を整理して、長いまつ毛が上下する。
「あなた達が未熟だから?」
「まあ、あたしはそれを言われたら反論出来ない」
「困らせるつもりはないわ。でも側から見ていて危なっかしいふたりだもの、力に振り回されているようにしか見えない」
「僕は心技体の心抜きって感じだものな」
「良い付き合い方を見つける事が肝要ね。割り切るとはそういう事よ」
必要な事は言い切ったと、ウィスタリアは去ってゆく。
シグルドと襲撃が続いている状況について話すのだろう。
リットとミライの相手はわざわざ時間を割いて行っていた訳であり、アレで本当に心配からの言葉であったのだ。
リットとミライは緊張で篭っていた力を抜いて、ふぅとひと息。
肩を回して、困ったように眉を八の字に。
「結局、解決策はくれなかったな」
「でも良い人だね、ウィスタリアさん。美人だし、てっきり取っ付きにくいのかと」
「取っ付きにくくはあるだろう。まあ、いちいち凹んでもいられないって話だよな。僕にはわざわざ殺さないって選択肢を選べる程余裕なんてないんだから」
「うーん、リットは自省的だよね。力がどうとか、そういう事を凄く気にしてる」
ミライの言葉を反芻し、リットは確かめるように何度か頷いた。
自分の中にある言葉の、より大切なものを選ぶ為に。
そうして少しばかりの真剣さが篭った表情で、しかし弱々しく笑いながらリットは言う。
「今のところ、それが見失いたくない僕の軸なんだ。定期的に見つめ直して、位置を直さないと」
「軸、かぁ。あたしの軸ってなんだろう」
「無意識だとしても案外大切にしてるものがあるもんさ。それこそが自分だって思える部分がね」
「へえ、なんかカッコいいじゃん」
「生き方とか死に方とか考える時間が多い人生だったからね……ほら、出発の準備が済んだみたいだ」
見れば怪我人の手当ては終わり、雑然としていた状態から統率を取り戻しつつある。
ぬかるんだ地面を踏み締め、徐々に隊列の形に戻る戦士達の流れの中へとリットが合流しようとした時、人の流れに逆らい飛び出した人影がひとつ見えた。
「リット殿ぉ!見つけましたぞ気付け薬!コイツをカーッといってくだされ!」
遠くからブリンジャーがなにやら液体が入った瓶を片手に駆け寄って来る。
液体は瓶の残り半分程、ブリンジャーの口には瓶の中身であろう液体が付いていた。
「これ……酒だろう?」
「万能薬、と我らは呼びますな」
「少し飲んだ?」
「コレは効きますぞぉ!」
「僕はいいや、さらに吐きそうな気がする。ミライは要る?」
「要らない!」
「ならばコレは儂の物、と言う事でよろしいか?」
「返してきなよ。ミスルトの人の酒に対する情熱なんなんだい?」
「寒い冬を生き抜く知恵でしょう。これより進むと一層冷えますからのぉ……本当に、冷えるのです。骨身まで冷え切ってしまう程」
不意にブリンジャーは憂いを見せた。
悲しみ、辛さ、そういった感情が混ぜ合わさって、胸の奥から過去と共に湧き出しているのだ。
見据えるのは王都トエリコ。
常冬国、厳冬の都……そして陰謀の城。
田舎育ちのミライは日常から負荷が掛かる運動をしており、それはそれとして瞑想がわりに父親を真似て懸垂や腹筋をよく行っていた。
よろしければ感想、評価、ブックマークなどいただけると嬉しいです。




