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3-7 ミスルト王家


 やはり特別大きな体躯は簡単に見つかる。

 それ以外にも彼に合わせた特別立派な天幕の側を歩いて探していたからというのもあるが。

 シグルドは彼の天幕の側の焚き火で、やはり思考を重ねて微動だにせずに火を眺めていた。


「隣いいかい?」

「リット?ああ、構わない」


 地面に敷いた厚い布の上に2人は並んで座り込み、少しばかりの無言の時間を過ごす。

 パチパチと音を立てて燃える枝を見て、外気の冷たさと焚き火の暖かさが混ざり合う空気の中で、先に口を開いたのはシグルドだった。


「爺に言われたのか?」

「分かるかい?邪魔しに行ったら邪魔だと言われてね。それなら君のところで茶でも淹れて来いってさ」

「邪魔をしたなら仕方ないな」

「ああ、仕方ないから茶を淹れてやろう。王子様の口に合うかは分からないけれど」

「正直に言って茶はよく分からん。お前は分かるのか?」

「まさか。何日か森を彷徨ってた時に木の実を煮出したりしたくらいさ」

「……はぁ」


 急に堪えるような表情をして深々と溜め息を吐いたシグルドを横目に、リットは焚き火を使って湯を沸かし始める。

 アイテムボックスにはこのような時に使える道具がひと通り備わっているのだ。

 ゲーム時代からバフの為に煮炊きをする事があった為だが、簡略化されていない調理工程をリットがどれ程まともにこなせるのか。

 少なくとも本人の基準において飲めれば良い、という物をこれから淹れ始める。


「そういえば、僕が戦った聖騎士は時間稼ぎだと言っていた。そっちも同じかい?」

「ああ、昨晩は戦士団に痛手を負わせる程の相手が、たった一晩で弱体化したのでもなければな」

「方針の変更でもあったのかな」

「かもしれん。理由はわからんが……」


 そこまで言って、シグルドは考え込む素振りを見せた。

 真剣に火を見つめるそれは、昼間に亜竜の亡骸を通してどこか遠くを見ようとしていた瞳と同じ。

 

「方針を変えた理由は、分からんが。それ以外に分かるような事がある」

「話したくないなら話さなくても良くないか?」

「いや、既にお前達を巻き込んでしまった。ならば説明せねばなるまい」


 シグルドは深々と息を吐き出し、吸い込む。

 言い難い事を上手く言えるようにと、気を鎮めながら。

 

「ではまずは……この国の話。俺が生まれるまでの話からしようか」


◆◆◆


 シグルドの父、国王こそがやはり国の事を語るのならば中心にある。

 シグルドが通常ならば王が率いる筈の戦士団を率いている事も、原因はやはり王へと行き着く。

 それは何故か、王はその責務の大半を放棄しているからだ。


 ならば何故、王は暗愚に陥ったのか。

 それはシグルドが産まれる前、そしてシグルドの産まれに関わる話となる。


 王にはふたりの妻が居る。

 正妃であるアウロラは都市連合がミスルトとの政治的な繋がりを保つ為に差し出された、いわば取引材料だ。

 〈鋼の民〉の血を引くアウロラはミスルト王家の権威を保つ為に必要とされる駒のひとつ。

 都市連合との長きに渡る同盟の維持の為に送り込まれた貢ぎ物。

 ただ〈鋼の民〉の血を継いだ王家の子供を産む為にやって来た女。


 だが王はそれを気にしてはいなかった。

 何故ならば、自らの結婚は政治的な材料である事を理解していた為に……真の愛を別に持っていたからだ。

 相手は身分に差がある娘。

 たがそんなものはふたりの愛の前には些細な事であり、王は周囲の反対を押し切って、しかしいくばくかの冷静さによって側室という形で結ばれる事となった。

 もうひとりの妻は側室でありながら、王の愛を一身に受ける下賎の女。


 ふたりの仲は悪かった……というよりもアウロラに限らずシグルドの母に対する風当たりは強かった。

 それは生まれもそうなのだが、なにより身体が弱かった事にある。

 自室に篭りきりで、王はそこへ足繁く見舞いに行く。


「周囲からの声に耐えられなくなった事での詐病ではないか?」

「自らの元に通わせて、まるで王が召使のようだ」


 そのような声が王宮にて囁かれる中で、アウロラも同様に彼女を見下していた。

 直接顔を合わせて嫌味を言うような機会は無かったが、それでもアウロラには自らの優秀な後継者を産む事、という責務を果たす気概があったのだ。

 それを果たせそうにはない虚弱な女に負けるつもりは毛頭ないと、丁度良い時期に第一子を懐妊。


 王宮は安堵に包まれた。

 これでミスルトは安心だ、次代の後継者を守り育てねばと、そういった声で誕生を望まれた第一王子は何の因果か……〈鋼の民〉の力を受け継がず、そしてなにより虚弱だった。

 〈鋼の民〉の血こそミスルト王家の誇り。

 その血を継ぎ続けた王家と、〈鋼の民〉の血を持つアウロラの間の子供だ。

 その血は子供に受け継がれる事を誰も疑わなかった。

 しかしこれはどうか。

 王宮では口さがない者達によってアウロラや都市連合への非難の声が聞こえてくるようになった。


「アレは本当に〈鋼の民〉の血統なのか?都市連合に騙されたのでは」

「そもそもあの子供も本当に王の子なのか?」


 アウロラへの落胆がそのまま評価へと繋がった第一王子の誕生は、しかし即座に次の報にてかき消される事になる。

 側室が子を産んだ。

 自らの命と引き換えに。


 虚弱な彼女は出産に耐えられず息子──シグルドを産んでそのあと容体を悪化させてそのまま亡くなってしまった。

 元より他人からの評価など受けよう筈もない女の死に、噂を好む貴族達には然程の衝撃もなく受け止められたのだが、王だけは違う。

 生涯で唯一愛した相手が死んだ事、それを受け止めきれなかったのだ。

 三日三晩嘆き悲しみ、彼女の居室に篭り、食事も摂らず政務を放り出す程に。

 その後家臣達の懸命な説得により王を何とか部屋から出して、それらしく整える事に成功したが……王の心は死んでしまった。

 シグルドにしても愛した女との子供だと言うのに、まるで顔も見ずに名前すら忠臣(ブリンジャー)に任せた程。

 それ以来の王と言えばただ威厳があるように座っているだけで、周囲の話を聞いているような聞いていないような態度を取る事を生業として、それ以外は部屋に閉じこもるばかり。


 そんな状況でより激しく混沌とした感情に苛まれたのがアウロラだ。

 自分の子供は見下していた下賎の女と同じく虚弱であり、更には〈鋼の民〉の血を継いでいない。

 王は暗愚となり更には……成長したシグルドは〈鋼の民〉の力を目覚めさせて壮健に育っている。

 王宮内は針の筵といった状態で、病床に臥せる我が子を心より心配するのは自分しかいない。

 全ての言葉が上べのもので、かつて聞こえた悪意が見え隠れする。

 周囲を敵に囲まれていると相違ないと思い詰めたアウロラが取った行動は権力の掌握。

 王を操り人形のようにして、政治に介入した。

 王宮内外に味方を増やそうと様々な工作をし……

 都市連合よりやって来た才女は舌鋒鋭く、またその才覚もあったのだろう、シグルドが物心ついた頃にはアウロラは大貴族達と通ずるミスルトの実質的な指導者と言える状態にまでなっていたのだ。


 そんなアウロラとシグルドの関係当然、良くはない。

 アウロラは明確にシグルドの事を避けていたし、シグルド自身も幼少の頃より周囲の大人達から扱いかねているような雰囲気を感じて、王宮よりも練兵場に居る事を好んだ。

 なにせそこに行けば数少ない心を開ける相手であるブリンジャーが居て、戦い方を学べば彼との時間を過ごす事が出来た。

 しかし、それこそがアウロラの癪に触る行いでもあったのだ。

 シグルドが練兵場に通い詰めれば詰めるほど〈鋼の民〉の力は周囲に示されて、シグルドは強く逞しく成長を続ける。

 その力はやがて本来ならば王が率いる筈の戦士団の団長へ、と推す声を抑えられない程にまで。


 シグルドとアウロラの不仲さは明け透けだ。

 と言ってもアウロラが一方的に嫌っているだけなのだが。

 それでもシグルドは自身の立場を弁えようと努めてきた。

 周囲から推されてなった戦士団の団長ではあるが、あくまで一介の戦士として国に忠を尽くす事で玉座から自らを遠ざけたのだ。

 それは物理的にもそうであり、シグルドが王宮に戻る事はあまりない。

 王都はアウロラの擁する兵力が防衛し、シグルドの居城はホワイトファングに。

 ミスルトの辺境を守護して回る事こそ戦士団の務めとした。

 

 だが今、それが決定的な何かを見逃す原因になったのではないかと、シグルドは後悔していた。


◆◆◆


 ひと通り話し終えて、シグルドは深々と息を吐き、背中を丸める。

 俯いて、勇猛な戦士の瞳には憂いが強く映っていた。


「リット、この国の中興の祖の話はしたな?」

「ああ、〈鋼の民〉だろ?」

「そうだ。かの王は南の山脈から吹き下ろされる冷気によって常冬であったミスルトを大きく発展させた偉大な王だ。今では食料を都市連合に支援として送る余裕すらある……だが、そんな余裕が何故得られたんだ?」

「それは魔力で育つ作物のおかげなんじゃないのかい?」

「本当にそうか?当時のミスルトは小国だ。とはいえ一国を豊かにする程の作物がたったひとりの異邦人から得られるものなのか……」

「じゃあつまり何が言いたいんだ?」


 シグルドは明確に答えを持ちつつ、しかし発される言葉はその答えの周囲を回るばかりで核心を突く事はない。

 焦ったくなりリットは直球で問い掛けてみるがシグルドのは目を瞑り、眉間に皺を寄せて答えあぐねている様子だ。


「ミスルトを救ったかの王は竜を討ち払ったと伝えられている。ならば、ミスルトには〈竜髄〉が存在した筈だ」

「あるのかい?」

「そのように聞いた覚えはないが、プロロ王は王宮の宝物庫の最奥に、国の危機以外で決して開けるなとの厳命した扉を残したんだ」

「そんなもの確実に()()だろう」

「この事は王家にのみ伝えられている」

「なんで僕に話した……」


 思わぬカミングアウトにリットは頭を抱える。

 そんな情報を抱えてしまって、心なしか頭が重く感じるような気がしてしまう。

 リットの苦悩はいざ知らず、シグルドはこの事に重要性は然程無いと考えていた。


「あの聖騎士はこう言った『愚かしくも目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉じた貴様らにはコレが何かもわからないだろう』とな。あれはただの〈竜髄〉というだけでなく、他の意味があるんじゃないかと思うんだが」

「そこまで言えば僕にも分かるよ。つまりはあの黄金の腕輪こそ宝物庫に隠された〈竜髄〉って話だろう?おおかた〈竜髄〉の存在を隠した事に対する当て擦りかな?あの時1体から分裂した亜竜を見るに、昔のミスルトはあの力を使って〈鋼の民〉の作物を沢山増やして、常冬のミスルトにひもじくない冬を提供したって事だ」


 竜を崇めるドラゲンティア故に、ミスルトの〈竜髄〉を封じて隠すような行いは愚の骨頂といったところ。

 ましてその恩恵に預かって国を栄させたのならば尚更だろう。

 とはいえそれらは推測によるものではあるのだが。


「わざわざドラゲンティアが関わって、聖騎士を何人も使う理由も納得だろう。ミスルトが〈竜髄〉を差し出したのならば向こうも無碍にはすまい」

「じゃあ問題はその秘密の宝物庫から誰がお宝を拝借したのかって事だけど……」


 流石にリットも気が付いている。

 何故わざわざシグルドがミスルトについて、今現在この国を誰が支配しているのかを語ったのか。

 それらを繋げばこの件の背景にあるものが見えてくる。


「正直に言って今の父上がこんな事を出来るとは到底思えないが、アウロラ殿下なら父上から宝物庫の事を聞き出してドラゲンティアと交渉するくらいはやる」

「君がそう言うんならそうなんだろう。それで?作戦は?このまま黙って思うままにさせるのかい?」


 リットは少しばかりの挑発的なニュアンスを含めて尋ねてみた。

 それを受けたシグルドも鼻で笑い、意を決したように口角を上げる。


「否だ。我々は進まなければならない。奴等の手には既に〈竜髄〉があり、そして昨日から今日に掛けての方針転換。陰謀は既にアウロラ殿下の手から離れているのだろう。そんな状況で竜が現れた以上、ドラゲンティアはこの国を竜禍に呑み込ませるつもりやもしれん」

「なんというか不誠実だな。そんなやり方して問題ないのか?」

「問題にならないんだろうさ。元よりドラゲンティアの周囲は全方位が敵だ。それに万が一、ミスルトでの企みが失敗したとしても……内戦が起き、都市連合への支援が滞ればそれだけでドラゲンティアの利になる」


 現王を操り第一王子を擁するアウロラ妃と、第二王子のシグルドを旗頭とする内戦。

 今はそれに向かう前哨戦だ。

 この戦いの結果がミスルト王国の今後を左右する分水嶺となり、そもそも国が竜禍に呑まれるか否かという存亡に関わりかねない重要な局面。

 とはいえリットには、そこにまで関わる義理は無いのだ。

 流されるままに関わったも同然であり、目指す場所があるのならば戦士団と共に行かなくとも良い筈。

 だが、しかし。


「じゃあ、僕は君を無事に王都まで送り届ければ良いんだろ?僕がこの国の親切な人達に出来る事なんてそれくらいだから」


 カッコつけたような事を言ってしまって、小っ恥ずかしさを隠すようにはにかみながらリットは拳を突き出す。

 シグルドも優しく微笑んで、巌のような拳を突き合わせた。


「リット……ありがとう。心から感謝する。お前のようなまれびとがこの国を救い、冬を乗り切る豊かさを与えてくれた。ならば我々はお前のような人々が安心して脚を休める事が出来るミスルトを守る事で恩を返そう」


 コツリと拳をぶつけ合い、心を強く打つ。

 ほんの少しでも強くなった気がしつつ、ふたりは焚き火を眺めて決意を新たに拳を握った。

 

「それ、沸いているんじゃないか」

「おっと!そうみたいだ……あっつ!」

「本当に茶を淹れられるのか?それに俺は苦いものがあまり好きではない」

「奇遇だね。僕もだから安心してくれよ」

「苦い汁でも分かち合えば多少マシか……」


 これから訪れる試練の時を察して溜め息を吐くシグルドと、茶を振る舞うというイベントに楽しげなリット。

 旅は道連れ世は情け。

 これこそが旅なのだろうと、今この瞬間を噛み締め……少し後には啜った汁によって苦虫を噛み潰したような表情にもなった。


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