2-13 目標
噂が回るのは早いもので、ホワイトファングに帰還したリット達を待ち受けていたのは歓声だった。
初めてこの街にやって来た時と同じく、沿道には亜竜と戦った戦士達を一眼見ようと、日も落ちているというのに市民達が群がっている。
「前は何もしていないのに歓声を浴びてしまいましたからの。これで胸を張れるわい」
そう言って負傷をまるで感じさせない堂々たる態度で馬に揺られるブリンジャーはやはり勇猛な戦士の横顔で、白髭が鬣にすら見えるほど。
先頭を進むあたり彼は群れのリーダーか。
(違う世界の人……僕とはまるで違う生き方をした人なんだな。僕もいつか、こうなるんだろうか)
戦う能力だけを持ちそれに伴う積み重ねが無いリットには、この生き方を選んだ人達と共に歩いて栄誉を得る事は後ろ暗く、恥ずかしさを感じる行いだった。
(少なくとも今はまだ、僕はこの場には相応しくない。これを受け入れてしまったら僕は暴力に溺れ、増長してしまいそうだ)
今日を振り返り、亜竜と戦った事が楽しかったような自分自身が何よりも恐ろしい。
自己批判をしてバランスを取りたいような衝動が胸の内から湧き上がる。
(僕は不意に得てしまった力を振るう正当性を得る為に、良い行いと感じる事を積極的に取り組んでるんじゃないか?なにせこれは……ゲームに近くて、とても楽しい)
それら内心のドロドロとした澱のようなモノの渦巻きを閉じ込めて、リットは無表情に息を吐く。
馬の歩みを遅くして、ダスティンの近くへ来ると有無を言わさず手綱を預ける。
「少し離れるよ。斧も返しておきたいしね」
「リット様?ちょっと──」
素早い身のこなしで馬から飛び降り群衆へと紛れたリットをダスティンはあっという間に見失い、背中が軽くなった事に気付いた馬の軽快な足音がその場に残った。
「悪いね。少し1人になりたい気分なんだ」
歓声に背を向けて呟いた謝罪の言葉が薄暗く湿った裏路地へと消える。
大まかな方向感覚を元にブレンダの鍛冶屋への道を行くリットの進む道は背の高い建物に囲まれて人の気配もない。
まさに今のリットが求めている場所だった。
不潔という程でもないが、表通りのような整備された綺麗な道という訳でもない。
単純に表通り程は人に使われない道というだけだ。
ただそれでも存在するからには役目を持った道であり、看板を掲げた建物もちらほら見える。
何の店なのか、リットは興味が無かった為に次々通り過ぎるがあるひとつの店の前で立ち止まった。
それは酒場。
ポツリと存在するその店は、店内から漏れる暖かな光と盛り上がる声がその存在を僅かに主張している。
「──」
言葉も無く、ただ目を見開いて口を動かす。
看板に掲げられている店の名前「ソリチュードアライアンス」は懐かしく、愛おしい名前。
端の方には「ユリエの酒場」と付け加えられていて、その名前もまたリットにとっては懐かしいもの。
(ユリエ……)
仮にソリチュードアライアンスだけならまだ不確定だっただろう。
しかし添えてあるこの名前はクランの仲間、酒が好きで拠点にバースペースを作った彼女の名前だ。
「来ていたのか、君も……」
店の中に入れば見知った顔があるかもしれない。
一歩踏み出す。
しかし本当にそうだろうか?
リットの脳裏に不安がよぎって足が止まる。
(この店は、いつからここにあるんだ?もし、もしユリエがこっちに転移したのが遥か昔だったら、既に彼女は亡くなっていたとしたら。この店は誰かが受け継いだものなんじゃないか?)
友人の死を確かめるのが堪らなく怖くなる。
他に足を縫い付けられたように動けなくなり、冷や汗が流れて口が乾く。
身動き一つ取れなくなったリットは思考のループに陥って、恐怖によって答えを確かめる事が出来なかった。
「おーい、そこの兄ちゃん大丈夫かぁ?」
そんな逃げ場のない思考を断ち切ったのは道の端、暗い所から聞こえた声だった。
振り返りって暗闇に目を凝らせば、そこには地べたに座り込んだ酔っ払い、軽鎧を身に付け槍と酒瓶を抱えた傭兵の姿が見える。
「あぁ、大丈夫……この店、見知った店のようで」
「おぉ!?兄ちゃんも都市連合の出かい?いやぁ遠く離れた土地でも地元の味が食えるってのは良いねぇ」
「いや違うんだ、都市連合には行った事なくてね。申し訳ない」
「何だ違うのかい。でも意外だね、都市連合の出でも無いのにこの店知ってるなんて」
残念そうにアッシュグレーの髪を掻きながら、しかし何やら嬉しそうに無精髭の男は笑う。
「もしかしたら勘違いかもしれないね。良ければこの店の事を教えてもらっても?」
「勿論さ!故郷の事を話せるなんて今日は良い日だな!ほれっこっち来い!」
隣を叩く陽気な酔っ払いに誘われるまま、リットもひんやりと固い地面に座る。
彼に近づけば酒の匂いが漂って、中々の量を飲んでいる事が窺えた。
「しかし兄ちゃん堅っ苦しいな!もっと楽に行こうぜ!」
そう言って酔っ払いはリットの肩を揉みほぐす。
それはもはや砕くに近い力で行われていたが。
「ぐっ!?そう、か?分かった」
「おうおう!若者なんてのはこの世の全てを舐め腐ってるくらいで良いんだよ!……まぁ俺を舐めたらぶっ飛ばすけどな」
「なんて厄介な……」
「ハハハ!兄ちゃんも大概厄介そうだぜ?俺達仲良くなれるかもな!」
リットの肩を抱いて揺さぶり、ご機嫌に笑う男は自身を指差し名を告げる。
「俺はクルス、自由気ままな傭兵さ」
「僕はリット。そうだな……多分傭兵」
「なんだぁそりゃ。そんなんじゃなくて胸張って言ってやろうぜ!」
過剰に胸を張り、金属製の胸当てが光を反射して煌めく。
そしてそれをガンガンと叩くものだからリットとしては圧倒される他ない。
「実のところ今やってるのが初仕事でね。護衛みたいな仕事だよ」
「へぇ、護衛か!俺も護衛を終えたばっかりでなぁ。南から荷を運ぶ依頼でね、その報酬をパァーっと酒に変えちまったのさ」
「南……都市連合かい?」
「いんや、ミスルト領内での荷の移動さ。お貴族様からの依頼だったんで金払いがまぁー良い事……おっとこいつはあんまり言っちゃいけないんだったわ。コレが良かったんでな、なるべく良い印象持ってもらわねぇと」
金のハンドサインをしながらクルスはニンマリと笑う。
しかしそれらをあっという間に酒に使ってしまうのは何とも豪快で、リットには真似出来ない事だった。
「金ねぇ……やっぱりそんな感じなのか」
「お?おいおいカモられないように気を付けろよぉ?先輩が教えてやろうか?」
「いや大丈夫、ただ今後の資金が問題だなと思ってね」
「護衛の依頼で金貰ってねぇのか?」
「報酬は金じゃないからね。取り敢えず都市連合まで行くんだ」
ミライとの旅はひとまず都市連合まで向かう事が決まっている。
この店がユリエに繋がって、それが更に都市連合まで辿れるのならリットには旅の目的が出来た事になる。
「だからこの店の事とか都市連合の事とか教えて欲しいな」
「おうおう任せとけ、先輩が可愛がってやんよ!」
リットの頭を乱暴に撫で回し、ぐちゃぐちゃになった髪を見てクルスはゲラゲラと笑う。
酔っ払いにしてもよく笑う人だとリットは髪を整えながら思い……少しばかりの面倒臭さも感じていた。
「つってもな、もう俺の故郷──リリウムはもう都市連合じゃないんだ。ドラゲンティアとの戦争で飲み込まれちまった」
赤い顔のまま、酔いが急に覚めたように呟くクルスは力無く笑う。
抱えた槍を握り、空を見上げて語り出す。
「ドラゲンティアに国境を接する都市国家、今はもうドラゲンティアの持ち物になったあそこにもユリエの酒場があったんだ」
懐からタバコを取り出して一本咥えると火打石で火を付ける。
慣れた動作で紫煙を燻らせ、美味くもなさそうに煙を天に昇らせた。
「俺は孤児でな、治安の悪い場所の十字路に住んでたからクルスって奇特な婆さんに名付けられた。これ以外の名前は持ってねぇ……いや違うな、こんな事を話したい訳じゃねぇんだ」
「好きな話をしてくれて構わないけど……」
「なら楽しい話がしてぇ。そんな俺に酒場の主人だったその婆さんが飯を恵んでくれてな、そんで俺はその美味さに感動したぜ……そしてその倍は惨めに思った」
「……」
リットはそれに返す言葉を持たず、ただ身動ぎせずに黙って聞くことしか出来ない。
「だからな、またアレを食う為に金を稼ごうと思ったのよ。それで傭兵団の雑用係になり、槍を覚えて一人前。そこまで上手くやれた理由としては親父かお袋が良い血をくれてな、〈鋼の民〉の力が使えんのさ」
「いや、それはきっと貴方が努力で勝ち得たものだろう」
「へへっありがとよぉ!」
整え直したリットの茶髪を掻き乱し、クルスは笑う。
調子の良いやつだと思いつつ、リットは意外にも満更でもなかった。
「だからあの店の味は故郷の味で、頑張らせてくれる味なのさ。もう死んじまったがあのユリエ婆さんが世界中に同じ味を広めたいって一人前になった弟子達のケツを引っ叩いて追い出したんだとよ。ありがたい話だぜ」
「なるほど……彼女らしいな」
隣にいても聞こえない程に小さく呟いたリットは、姉御肌の仲間を思い出して笑う。
きっとこれはクランの仲間が彼女を見つけられるように遺したメッセージなのだ。
(既に死んでいた事へのショックより、実際どうであれユリエらしく生きていた事を知れたのが何より嬉しい)
思い出の中の彼女は酔っ払っている事が多く陽気で、ギデオンと気が合いリットを2人がかりで連れ回していた。
クランメンバーの様子がおかしいといち早く気が付いて、人を求めているのなら隣に座って話を聞く。
「そうか、そうか……なら僕もいつか君の故郷へ行ってその味を食べてみたいよ」
「目の前にあんだろ?」
「元の味が食べたいのさ」
「へっ……ああ、俺もまた食いてえよ」
リットは立ち上がり、すっかり冷えた尻を叩いて土埃を落として息を吸う。
冷えた空気が肺に溜まってチクチクと刺すような感覚がする。
しかしそれも今のリットには心地良く、晴れやかな気持ちにさせるのだった。
「ありがとう、お陰で気分が晴れた。仕事に戻らないとね」
「あいよ、頑張んな兄ちゃん。俺も楽しかったから頑張るぜ。お互い仕事してりゃあまた会えんだろ」
「そうだね。またいつか」
軽く手を振り、リットはユリエの酒場を通り過ぎる。
今日はこの何も分からない異世界での旅に、ひとつ目標が出来た日となった。
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