disturber
順調に仕事をこなす水菜。
オファーも徐々に増えていき、順風満帆と思えたのだが…
その日は田中さんからの電話で目が醒めた。
なるべく早く来て欲しいとの事。
私に仕事のオファーがあったらしく、しかも地上波のアニメだ。
シーズン1作目ではあるものの、エピソード12までで私の出番は相当あるらしい。
今までであれば鞠さんのようなトップクラスの人の仕事なのだが、状況が状況だ。
しかも今回の配信は大手広告会社の「曙企画」アニメそのものもビッグタイトルであるのは勿論だけど、その制作に携わる関連会社も一流どころばかり。かなりの数字が期待できる。
今回のオファーはやはり先日のゲームキャラクターの成功が大きい。
スマホゲームの配信を手掛けている大手の最新ゲームなのだから注目度は高い。
幸運な事に私の担当キャラはゲーム利用者のアンケート調査でも人気 No.3 これは凄い事だ。
私のキャラの人気ぶりに気を良くした運営会社の担当様から他のゲームの打診も来ている。
そして今回、曙企画のアニメ制作に関わる関連会社、キャスティングのスペシャリストで構成された下請け会社のスタッフの方が私のCVに目を付けて下さったそうで…
悪魔との契約以来、全てが上手くいっている。
田中さんは事務所の入っているビルの玄関脇に設置されている簡易喫煙所で煙草を吸ってる。
ポケットに手を入れたままでモウモウと煙を吐いている。
私が声をかけると田中さんはそそくさと煙草を消して私と一緒にエレベーターに乗り込む。
「この仕事成功させような、いよいよお前もメジャーデビューだ」
そうだ、こんなチャンスはまたと無い。絶対成功させなくちゃ。
事務所に入ると田中さんから今回の資料を渡される。
企画書から脚本、台本、物語の内容など凄い量だ。これがメジャーの仕事かぁ…
私の役は気の弱いヒロインのサポートをしながら成長を見届ける脇役だが、全エピソード通じて登場する線は細いが気高い女性の役だ。
(これならいける!私の得意な役だ!)
山ほどある資料に目を通しながら、自分なりのシュミレーションを巡らせてみる…
「もうひとつ良いニュースがあるんだ」
そう言って田中さんは別の資料を持って来た。
(海外映画の吹き替え!) これこそ声優の登竜門!
「いや、これな。公開は10年ぐらい前のB級映画なんだが、結構話題作だったんだよ。今回は劇場公開じゃなくて動画配信のみだけど、ヒロインだよ!」
どうやら田中さんの話では10年前のB級映画に改めて日本語吹き替えをするにあたり、あまりギャラの高い声優さんは使えないらしい。
当然、売れっ子の声優さんもわざわざ安いギャラで10年前のB級映画の吹き替えはやらない。
それでも私にとってヒロインはとても魅力だ。
「まあ、ここんとこ水菜もちょっと忙しいけど…この映画なら再生回数もそこそこ見込めると思うし…ギャラはまあ、あれとしても…業界アピールの良いチャンスかなと思うけど…」
「私やります!やらせて下さい!」
「そう言ってくれると思ったよ」
満面の笑みで田中さんはスケジュールの確認と調整に入る。
膨大な資料を前に私と田中さんは仕事に没頭した。
(悪魔の力は偉大だ)
20時を過ぎた頃から他のスタッフも帰宅し始めた。
「お先失礼しま〜す。」
「お〜お疲れ様〜…お、もうこんな時間か」
田中さんは立ち上がって伸びをしながら時計を見て言った。
「遅くまで悪かったな、飯食って行くか?まあ、いつもの定食屋だけどね」
仕事で遅くなると田中さんはよく事務所の近所にある定食屋さんに連れて行ってくれる。
全くお洒落ではない何でもない普通の定食屋さんだ。
この素朴な定食屋さんが私は結構好きだった。田中さんはトンカツ定食か焼き魚定食でビールを飲むのが定番メニュー。
定食を食べ終えて追加のビールを注文した後で田中さんは気難しい顔して言い始めた。
「実はな、ひとつ気になる事があるんだ…」
「え?何です?急に改まって…こわいんですけど」
私は冗談混じりに返した。
「いや、今回のアニメな、あれ曙企画だろ?ウチに話持ってきてくれたのは曙の下請けの会社でさ、キャスティングつまりCVを当て込む仕事に特化した会社なんだが、曙のプロデューサーがどうやら藤田みたいなんだ。」
曙企画の藤田プロデューサー。良くない噂ばかりの人だ。名前だけは私でも知ってる。
「あいつ、声優にもタレントにも無茶な注文平気でしてくるし…正直あんまり一緒に仕事したく無いんだよな…」
「あの、でも私頑張るので、多少の事は平気です…」
「ん、まあそうだな、制作委員会の人達はみんなまともだからね」
プロデューサーが多少変人でも構わない。私は目の前にある仕事に期待して胸膨らませていた。
この時点では藤田という人間を全く解っていなかったのだから。
あくまでフィクションです。
会社名、人物名は全て架空であり、実在する名称とは一切関係ありません。