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無事に皇国に帰った勇樹は、今まで以上によく働いた。
皇国民としての知識を吸収し、武術の特訓もやめず、そして時間を見つけると皇女の備品庫の仕事も手伝うようになった。
故郷に別れを告げたことが、いい心の区切りになったのだ。
皇女との仲も良好で、子どもが生まれるのも時間の問題だった。
そんなある日、まだ甘い空気が残るベッドの上で、2人並んで寝ている時。
「あ、そういえば、リリィ」
まず口を開いたのは勇樹だ。
「明日、サファイア宮に呼ばれたんだけど」
「セイン兄様に?」
サファイア宮は皇太子宮になっている。それだけで、呼び出した人間が皇太子だと、皇女は予想したらしい。
「いや、えーっと……アンジェリーナ?皇太子妃に」
「あぁ、アンさんね。好きにしていいわ。きっとマルティーナさんとエーファリッテさんもいると思うけど」
「他の皇子たちの妻……ってことだよな」
「えぇ、お母様が亡くなられてから、皇城の奥を取り仕切るのはわたしの役目。でもわたしは備品庫の管理で忙しいから、実質皇太子妃の役目よ。彼女たちは定期的にお茶会を開いているの。それに招待されたんでしょうね」
「気を付けた方がいいことはあるか?」
「一応皇族だもの。でも……そうね。あなたは彼女たちの中では下の人間。それを忘れない方がいいわ。無礼を働いたからって怒るような人たちではないけどね」
「わかった」
皇女からそれを聞ければ安心だ。一通りの礼儀も身に付けた。それを試す場として、いい機会だった。
「皇太子妃殿下、拝謁致します」
「初めまして、ユウキさん。頭を上げてください。わたしたちは家族なのですから」
初めて顔を合わせた皇太子妃アンジェリーナは、おっとりした綺麗な女性だった。
肖像画でしか見たことがない皇妃を彷彿とさせる姿だ。
続いてその両隣に座る2人の皇子妃たちにも頭を下げる。
「マルティーナ妃殿下、エーファリッテ妃殿下、拝謁致します」
「ふふふ、会えて嬉しいですわ、タクマさん」
「堅苦しい挨拶は最初だけにしましょう」
優しい言葉をかけられて、勇樹もいくらか気が抜ける。
「さ、座ってください。紅茶は飲めますか?」
皇太子妃が笑って椅子を勧めてきたため、勇樹は一応もう一度頭を下げてから、その椅子に座った。
「こちらの生活には慣れましたか?」
「おかげさまで」
「それはよかった。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね」
「わたしたちと違って、里帰りも充分にできませんし」
「それより、ユウキさんが育った外の世界は、どういう世界なのですか?」
「どういう……とは、少し難しいですが」
「皇女様から聞きましたわ。とても便利な世界だったって」
「まぁ……非魔法士の割には便利です。が、皇国には敵いませんよ。魔法を使えばできないことがないですから」
「だから、非魔法士にはどうしても……ね」
事前に彼女たちについては調べていた。皇太子妃を除いて2人の皇子妃たちは、確か非魔法士だ。
魔法士の子どもだけを産むことを義務付けられた皇太子妃と違い、家柄だけで選ばれた皇子たちの結婚相手。
そのせいか、皇太子妃が産んだ子どもたちは全員魔法士だが、2人の皇子妃たちが産んだ子どもたちには非魔法士もいる。
「確か皇国では、外の世界をあまり良く教わらないはずですが」
「そうですね。危険な場所だと何度も言われました。憧れる価値もない場所だと。……でも、わたしたち非魔法士には、魔法士ではなく非魔法士が優先される世界というのはどうしても憧れてしまいます……」
「優先されるわけではありませんよ。人種差別はありますし、同じ国の人間でもいろいろあります」
「それはどこも一緒ですね」
皇太子妃のおかげで、空気がわずかに緩む。やはり非魔法士はジェラシーを感じてしまうらしい。
「ユウキさん、皇女様との仲睦まじい様子は拝見していますが、よくあんなに親しくなれましたね。皇女様の信頼を得るのは、長年仕えるメイドたちでも難しいと言われているのに」
「それは異世界人だからかと。殿下から直接聞きましたから。この国に逃げる場所がないから、裏切るはずはないと」
「ふふ、羨ましいですわ」
「その様子では、皇女殿下のお子様にお会いできるのも間近ですわね」
それからも、妃たちのお茶会は続いた。
「殿下、精が出ますね」
皇城の庭で剣をふるっていた勇樹に、テオドールが声をかけてきた。
そばで見ていたスプリングス将軍も、その場で軽く頭を下げる。
「テオドール、何をしているんだ?」
「皇城内を見て回るのも、陛下の側近の役目ですからね」
「テオドールはもう引退しているはずだろう。たまには登城せずに屋敷で休んでもいいはずでは?」
「とんでもない!殿下、この老体の楽しみを奪わないでくださいませ!」
「あ、あぁ……すまない。テオドール、それはなんだ?」
彼の手に見慣れないものがあるのを見つけて、勇樹はタオルで汗を拭きながら聞いてみた。
「こちらは魔法補助具でございます。市販されている弱いもので、その中でも特に効果時間が短いブレスレット型をお持ち致しました」
「へぇ、これが……。見せてもらってもいいか?」
「もちろんでございます。こちらは殿下のものでございますので」
「え、俺の?」
「はい。皇女殿下から、そろそろ補助具を用いたトレーニングをと」
「リリィが?……そうか。わかった」
やっと補助具を使う許可が下りたらしい。ブレスレット型ということで、腕につけてみる。
特に変わった様子はないが、本当に補助具だろうか。
「殿下、そのまま剣を振ってくださいませ」
将軍に言われて、勇樹は言われた通りに剣をふるう。その瞬間、刃から強い風のようなものが出た。
「なん……っ!」
「おぉ、さすがでございます。立派な魔法でございますね」
「これが、魔法……?」
「風魔法の攻撃でございます。今はまだ威力が弱いようですが、今後強くすることも可能です」
将軍が冷静に説明する。確かに身体を鍛えることで魔法がコントロールできると皇女は言っていた。
一瞬理解に苦しんだが、初めて魔法を使えたことが嬉しくて、さらに剣を大きく振り上げる。
「殿下!ユウキ殿下!大変でございます!」
その瞬間、慌てた様子のメイドが駆けてきた。
驚いてそちらを見る勇樹の前に、スプリングス将軍とテオドールが立ちはだかる。
「何事だ」
勇樹に代わり、テオドールが彼女に尋ねる。
「皇女殿下がお倒れに……!」
「……!」
メイドの口がそう動いた瞬間、勇樹の足は勝手に動き出していた。