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「皇女殿下―!」
「わああぁぁ!」
大歓声に包まれた広場に、城のテラスに立った皇女がヒラヒラと手を振る。
勇樹もその隣に立ち、同じように大観衆に手を振っていた。
この1ヶ月、怒涛のように過ぎていったが、振り返るだけでうんざりする。
1ヶ月前の自分に言ってやりたい。皇族になるということを、決して侮るなと。
結婚式に必要な作法を身に付けるだけで1ヶ月ギリギリだった。
ようやく式は終わったが、まだまだ結婚式という一連の儀式は終わらない。
広場に集まった民衆へのお披露目の次は、貴族たちが集まった立食パーティーだ。
「皇女殿下、ユウキ様、ご成婚心よりお喜び申し上げます」
決まった席に座り、目の前にゾロゾロと並んだ貴族たちの挨拶に無言で答えていく。
この時間はまだいい。ただ黙って座っていればいいのだから。柔らかい椅子のおかげでお尻が痛くなることはないが、ずっと同じ姿勢を保つのが少しきついだけだ。
問題はこの貴族たち全員の挨拶を受けた後だ。
「ご成婚おめでとうございます、皇女殿下、ユウキ様」
「フォーシュロン侯爵、よく来てくれました。今日は祝い事です。ぜひ楽しんでください」
「もちろんでございます。しかし、皇帝陛下もようやくご安心されることでしょう。皇子殿下のように、一刻も早く喜ばしい知らせがあることを願っています」
「そうですね。お父様をお待たせしないようにはしたいです」
結婚式に現れる主要な貴族と皇族との関係も、事前にチェックはしている。
が、やはり、皇女がいてくれてよかった。意識的に名前を出してくれることで、名前と顏を一致させることができる。
「これはこれは、皇女殿下。今日この日をどれだけ心待ちにしていたか……。ご成婚おめでとうございます」
「……えぇ、ランネリウス侯爵。お待たせしてすみません」
皇女が告げた名前で、勇樹はハッとした。
ランネリウス侯爵。この国に3つある侯爵家の中で、最大の要注意人物。
その証拠に、今まで穏やかに答えていた皇女の顔が、わずかに固まっている。
もちろんそれをわかっている人間にしかわからない程度だが。
立食式のパーティーが終わると、本日五度目の衣装チェンジ。
次が最後だと思うと、うんざりする反面ホッと安堵する。
「ユウキ、疲れた?」
「……さすがにな。お前は?」
「これくらいの忙しさ、備品庫に比べればマシよ」
「……そうか」
「次で最後。といってもお父様に正式な結婚の挨拶をするだけ。そんなに難しく考えなくていいわ」
「はぁ……」
皇女にとっては実父への挨拶だろうが、勇樹からすれば義父への挨拶だ。
1ヶ月の間での関わりは、初日の召喚の場とその後の皇女との初顔合わせの時だけ。
家族といえど皇室の人間は、特別な時にしか食事の場も共にしないらしい。
結婚式では皇帝に結婚の誓いを立てることがあったが、まともな会話などなかった。
「さ、頑張って。これで結婚の儀式は一通り終わりよ」
「……あぁ」
新しい衣装に着替え、勇樹は皇女に手を引かれて皇帝の私室、ルビー宮に向かった。
「お父様、20年間の数々のご配慮、感謝申し上げます」
膝を折って深々と頭を下げた皇女の隣で、勇樹も何度も教えられた最敬礼の姿勢を取る。
形式通りの挨拶が終わると、皇女はすぐに立ち上がり、皇帝に歩み寄った。
「お父様、これが最後ですし、幼い頃に戻ってもよろしいですか?」
それが父と娘の合図なのだろう。勇樹がいることなど気にせず、皇女は父の腕の中に飛び込んだ。
「今までありがとうございました。お父様、リリィはいつまでもお父様の娘です」
「……」
勇樹にかろうじて聞こえた皇女の声に、皇帝は何やら口を動かすが、何を言っているのかまではわからなかった。
これで、結婚式の一連の儀式が終わった。
「疲れたの?」
「……当たり前だろ」
「そう。でも慣れてもらわないと困るわ。これより疲れる儀式なんて、山のようにあるんだから」
「……そうだろうな……」
皇族を舐めていた。生まれ変わったら王様の家族になって楽したい、など罰当たりなことを考えていた罰なのか。
皇女は特に疲れた様子も見せず、装飾品をケースに入れていく。
彼女の胸で輝いていたエメラルドの美しい宝石もまた、ケースの中に入れられた。
「そういえば、今更だけど、お前のこと、なんて呼べばいいんだ?」
「何でもいいじゃない?リリアンローズ……家族での愛称はリリィだけど」
「じゃあリリィにする」
「わたしはユウキと呼ばせてもらうわよ。呼んでほしい名前が他にあるなら、考えてあげなくもないけど」
「ユウキでいい」
「それと、この前言い忘れていたことだけど」
「ん?」
「わたしは皇女の役目として子どもをつくるけど、それ以上の関係になる気はないわ。だから、浮気したいなら勝手にして。問題にならない相手ならね」
「……どういうことだ?」
「恋愛なんて邪魔にしかならない感情を持つ気はないってこと。皇女の夫として最低限のことをしてくれれば、それ以外のことには何も言わないわ。あなたがどこの誰と関係を持とうが、わたしには関係ない」
感情が伴わない契約結婚ということだろうか。
「……この国では20歳までに結婚するのが普通なんだろ?」
「そうよ。だから結婚したの。異世界の人間としか結婚したくないと言えばお父様もお兄様たちも諦めるかと思ったけど、本当に召喚しちゃったんだからね。その責任は果たすわ」
「……なるほどな」
皇女に結婚する気は全くなかったらしい。提示した有り得ない条件をクリアしてしまう人間が現れたため、仕方なく結婚したのだろう。
「……けど、残念だな」
「何が?」
「俺はお前が気に入った。お前以外と関係を持つ気にはなれない」
「……そう。勝手にして」
わがままな皇女の教育。勇樹は久しぶりに、おもしろいおもちゃを見つけた時のような胸が高鳴る感覚を覚えた。




