38
その日、勇樹はいつものように働いていた。
注文通りに倉庫からトラックに荷物を積み、それを記録していく。
そんな単純作業の中、大きな積み荷をトラックの荷台に下ろした時だった。
ふと頬をかすめる風に顔を上げた。何も変わらない普通の風。しかし、何かが違う。
「……?」
それが何かわからないまま、彼はまた倉庫の中に戻っていく。
間もなく仕事を終えると、いつもはまっすぐ帰宅するその足で、違和感の正体を突き止めることにした。
何もなければそれでいい。万が一自分や娘たちに危害を及ぼすようなものだったら、早いうちに排除しておくのが正解だ。
そうして辿り着いたのは、帰り道の河川敷。不思議な感覚はそこから漂っていた。
しかし、そこには誰もいない。そんなはずはないと、魔法を使って視ることにする。
すると、河川敷に佇む1人の男がいた。
「……!」
それは懐かしい後ろ姿だった。慌てて河川敷を駆け下り、彼に駆け寄っていく。
「ルビラス殿下……」
「よう」
彼はまるで勇樹が来るのを知っていたように振り返り、そして微笑んだ。
「何十年前の呼び方だ?それは」
「あ……申し訳ありません。アルムクヴィスト公爵閣下」
かつての第二皇子であり、義兄にあたるルビラス。10年間で年相応の落ち着きが出てきたが、少年のような笑顔は今も健在だ。
「老けたな、ユウキ」
「10年ですからね。……皇国の方は、何か……」
「まぁ、いろいろな」
10年も経てば、変わるものはたくさんあるだろう。ただ気がかりなのは、迎えに来たのが妻ではないこと。
リリアンローズのことを聞いていいのか迷っていると
「“パパー!”」
河川敷の上の方から、学校帰りらしいアイリスが、大きく手を振っていた。
「“お仕事頑張ってー”」
もう仕事ではないが、アイリスにはそう見えるのだろう。
「“気を付けて帰れよー”」
特に訂正することもなく、そう言って手を振り返した。
「今のは……、カトレアか?大きくなったな」
「アイリスですよ。今年11歳になります」
「……!ハハ……」
かなりの時間が経っていることを自覚したのか、ルビラスは乾いた笑い声を漏らす。
「家、寄って行ってください。お茶くらい出します」
「あぁ、いや。今日のところはこれで帰ることになってるんだ。ルーナとレアも元気にしてるんだろ?」
「えぇ、まぁ。ルーナなんか、最近は口調までリリィに似てきてますよ」
「ハハハッ、そりゃ会うのが楽しみだ」
懐かしそうにそう笑った後、ルビラスはどこか遠くを見つめた。
何か大切な話をしに来たに違いない。勇樹は黙って彼の言葉を待つ。
ついに彼が、深いため息を吐き、勇樹を見た。その目は別人のように厳しい。
「兄貴……いや、皇帝陛下からのお言葉だ」
「……はい」
「皇国の内乱は落ち着いた。お前たちをいつでも呼び寄せられる準備もできている。が、思ったよりも時間がかかったからな。お前たちに選ぶ権利を与えられた。皇国に戻るか、このままここで暮らすか。お前たちが決めていい」
それが何を意味しているか、勇樹にはわかってしまった。妻は無事ではないのだ。
命を落としたのか、大きな怪我を負ったのか。少なくとも、召喚を受けられる身体ではない。
ただ、マリアルーナを無理に連れて行こうとしないということは、皇帝や皇太子は無事らしい。
「……娘たちと相談して決めます」
「そう言うと思った。もう10年だもんな。お前の意思1つで決められる問題じゃない」
「……すみません。わざわざ来ていただいたのに……」
「今回は、これを伝えるためのものだから。答えが決まったら、これを使ってくれ」
それは白いカナリアだった。
「結界を超えられる伝書鳩のようなものだ。YesかNoか、身体の色で伝えてくれる。細かいことは足に手紙でも巻き付けてくれればいい」
「わかりました」
白いカナリアの入った鳥籠を受け取り、そして
「自分からも、1つお伝えしたいことがあります」
真っ直ぐな目でそう告げた。
「この世界のイギリスという国にウィクダリア皇国があります。詳しいことは時間が掛かるのでまた次の機会にお話しますが、そちらがウィクダリア皇国の本国のようです。10年間、連絡を取ってもらっていたのですが、繋がらないみたいなので、もしよければ日本から連絡を取ってみてください」
「……」
ルビラスは静かに目を見開き、その事実を黙って聞いていた。
勇樹の態度からそれが嘘などではないとわかると、続いて瞼を閉じ、また厳しい目をする。
「わかった。皇帝陛下に必ず伝える」
「お願いします」
「その国の座標はわかるか?だいたいでいいんだが」
「あ、えっと……」
慌ててスマホを取り出し、イギリスの位置を検索する。
「これが正確ではないのですが、この近くの島国でした。こちらからも伝えておきます」
「あぁ、頼む」
そうして彼は、その場から蒸発するように消えた。
「ただいまー」
いつものように帰宅すると、すぐにマリアルーナとアイリスが飛び出してきた。
「お父様!」
「どうした?ルーナ」
「さっき……アイが……」
マリアルーナは何やら興奮しているらしく、まともな説明を期待できそうにない。
そこでアイリスの方を見ると、
「さっき、おとうさまと一緒にいた人、遠くからだったからよく見えなかったけど、ルブおじさまみたいだったの」
「……!」
アイリスが何も反応しなかったため、見えていないのだと思っていた。
「見えたのか……」
「うん……。近くにお友達がいたから、知らないふりしたの……」
「そっか。偉いぞ。レアはまだ帰ってないよな?」
「まだよ。お父様、叔父さまだったの?なんて?」
「レアも帰ってから話そう。大切な話だから」
「でも……!」
「大丈夫だ。急がなくていいから、落ち着いてな」
マリアルーナが焦る気持ちもわからなくはないが、だからといってどうにかなるものではない。
涙を流す娘を慰めながら、カトレアに早く帰るよう連絡を入れた。
「大事な話ってなにー?」
それから間もなく、カトレアが帰宅した。
「座りなさい、レア」
「……?」
いつもとは違う重苦しい雰囲気を感じたらしく、カトレアは首を傾げながらソファに座る。
「今日、皇国からアルムクヴィスト公爵閣下が来た。覚えてるか?ルビラス叔父さんだ。皇国で起きていた内乱が収まったから帰ってきていいという話だった。でも、このまま日本に留まるという選択肢もある。お前たちはどうしたいか、聞いておきたいんだ」
「そんなの決まってるわ。今すぐにでも帰りたい」
マリアルーナは強い瞳で言った。
「あたしも……おかあさまに、あいたい……。おかあさまのおかお、魔法石でしか知らないもん……」
アイリスもそれに同意する。しかし、カトレアだけは、俯いていた。
「一応言っておくけど、もし日本に残りたいなら、お父さんも一緒だから安心していいからな。絶対に1人にはしない。お前たちが自立できるまで、お父さんも日本に残る」
「……わたし……は……」
ようやくカトレアがその口を開く。
「……お母様に、会いたい……」
皇国に帰りたいではなく、母に会いたい。それは、わずか2歳で別れることになった母親への、わずかに残った恋しさだろうか。
「わかった。じゃあそう返事する」
それ以上問うことはなく、勇樹はルビラスにもらったカナリアに魔法を込めた。
その瞬間、カナリアの身体が淡いピンク色に変わる。それを窓から出すと、どこかへ飛んでいった。
その日のうちにカナリアは白い体になって戻ってきて、さらに足には手紙が巻いてあった。
明日召喚を行うということだけ。明日は家族そろって家にいることになった。




