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アールグレーン侯爵邸の一室を借り、子どもたちを寝かしつけると、勇樹は窓の外を見た。
ぱっと見で特別なところがないところも、なぜか懐かしい。
故郷は日本のはずなのに、皇国がこんなにも恋しくなっているとは。
感傷に浸っているその時、ドアがノックされた。
「はい」
と返事をし、魔法でロックを外す。
「失礼しますよ」
ボトウィッドだった。
「夜遅くに申し訳ありません。庭からお姿が見えましてね」
「あぁ……、すみません。皇国の空気が懐かしくて、つい」
「いえいえ、いいのですよ。お嬢様方はお休みになれましたか?」
「おかげさまでぐっすりです。こんなにいい部屋をお貸しいただき、ありがとうございます」
勇樹はボトウィッドを室内に招き入れ、しばらくお喋りを楽しむことにした。
「日本の皇国は、イギリスの皇国と似ていましたか?」
「雰囲気はとても似ていると思います。私も魔法士になれたと気付いたのが、皇国を出た後だったので、詳しい事はわかりませんが……。なんとなく体になじむような空気が、すごく懐かしく感じます」
「そうですか。やはり魔法士たちが作り上げる国というのは、空気すら魔法士に適したものになっているんですね」
「私たちの国では、皇国民の大半が魔法士ではないと聞いていました。かつては魔法士のみが生まれる国だったのですが、時代の流れとともにその数が徐々に減少し、今では皇族と公爵家の1つだけが魔法士の血を受け継ぎ、それ以外では突発的に生まれるだけだと」
「我々もいずれはそうなるのでしょうね」
「……今は、そうではない、と……」
「いえ、魔法士同士のカップルの間に産まれる子どもが魔法士である確率は、近い研究でも60%、どちらか片方が非魔法士であれば50%とまで言われています。日本の方ではどれほどかわかりませんが、我々の国でも似たようなことが起きていると思います」
魔法士たちの急激な減少は、世界各地で変わらないのだろうか。
「ユウキさんは、元々皇国の方ではないのですよね」
「はい。元々は日本で生まれ育ち、22歳の時に皇国に召喚され、妻と結婚しました。皇国民になってまだ7年程です」
「我が皇国でも外界とのつながりはほとんどありません。そういった方の意見は貴重でしょうね」
「……私のような人間が皇国の役に立つなら、なんでもしたいとは思っているのですが……。妻は、私が皇国の政治に関わることをよく思わないようで」
「それは、それは……。奥様はあなたをとても大切に思われていたのですね」
「そうでしょうか」
「そう思いますよ」
リリアンローズの意図はわからないが、ボトウィッドにそう言われて、いくらか救われる気がした。
「明日から、皇帝陛下のご命令により、日本の皇国にコンタクトを始めます。魔法士独自の手段を順番に試していくので、それほど時間はかからないと思いますよ。ユウキさんがこちらにいらっしゃる間に、なにかわかればいいのですが」
ボトウィッドの言葉は、人生の中でなによりも安心できるものだった。
「ルーナ!レア!アイ!こっちよ!」
「きゃあー!」
皇城の中庭で、三姉妹は皇女たちとともに元気に駆けまわる。
勇樹はそばのテラスに座り、その様子を見守る。そばには皇帝と皇妃もいた。
「ユウキさん、明日帰られるとか」
「はい。妻はわたしたちが日本にいると思っているので、あまり離れているのはよくないかもしれないと思いまして。子どもたちの学校も始まるので」
「寂しくなりますね」
「……せめて帰られる前に、日本の皇国の小さな情報だけでもお伝えしたかったのですが……」
「仕方ありません。また日本で、召喚を待とうと思います」
悔しそうな皇帝に、責任を感じさせないようにと、勇樹は笑顔を見せた。
「ただ、来年の夏、また来てもいいでしょうか。子どもたちに、皇国の空気を忘れてほしくなくて」
「もちろんです」
「いらっしゃる時は連絡をして下されば、アールグレーン侯爵を迎えにやりますわ」
「ありがとうございます」
「おとうさまー!」
そこへ、マリアルーナが駆け寄ってきた。
「ルーナ、どうした?」
「あのね、リズとアドレス交換してもいい?」
「アドレス?」
マリアルーナの後をついてきたリズベットの手には、スマホが握られている。
日本の皇国にはなかったものだが、ここにはあるのか。
「いいよ。自分でできるか?」
「うん!」
マリアルーナはまだスマホを持っていないため、勇樹のを受け取ってリズベットとアドレスを交換する。
「この国にはスマホがあるんですね」
「侯爵には外界での流行りを調べて取り入れてもらう役目も任せています。非魔法士が増えていますから、魔法を使わない便利道具も必要でしょう」
皇妃が穏やかに答えた。確かに、日本の皇国にそんな発想はなかった。
イギリスとの交流が盛んというわけではないが、イギリス政府との交流はあるらしいこの国だからこそできるものだ。
「おとうさま、できた!」
「あ、うん」
専用のメッセージチャットアプリで登録したらしい。
「レアも!レアも!」
「レアは、ルーナと仲良く一緒に使って。1つしかないから」
「やー!レアもー!」
「あー!」
「アイも一緒にね」
姉の真似をしたいと娘たちをなだめることになり、勇樹はそれ以上の話ができそうになかった。
翌日の朝、一行はボトウィッドとともにイギリス本土に来ていた。
「この1ヶ月、何もお役に立てなくて申し訳ありません」
「いいえ、とても有意義な時間でしたよ。久しぶりに皇国の空気を吸って、不思議と体が楽になった気がしますし。子どもたちも、人の目を気にせずに魔法を使えたことが楽しかったようです」
「そう言ってくださると救われます。ぜひまた来年、お待ちしています」
「ありがとうございます。ルーナ、レア、アイ、おいで」
その場所はもう空港だった。広い窓から見える飛行機にはしゃいでいた三姉妹を呼び寄せる。
「ボトウィッド侯爵とはここでお別れだ。ご挨拶は?」
「ありがとうございました」
「あぃがとーごじゃーました!」
「あーと」
それぞれのお礼に、ボトウィッドはその場に膝をついて答える。
「お嬢様方も、我が皇国に遊びに来てくださって、ありがとうございました。来年の夏休みにまたいらしてくださいね。皇女殿下もきっとお待ちになっておられますから」
彼の言葉に、マリアルーナたちも笑顔で頷いてみせる。
そうして、夏休みは終わりを告げた。
「“おかえりなさい!”」
「“ばぁばー”」
帰国したその足で、勇樹は実家に子どもたちを連れて行った。母親から連絡が来ていたからだ。
「“ママといっぱい遊んだ?”」
「“うん!たのしかった!”」
「“そう。よかったねぇ”」
子どもたちもある程度の事情を汲んでいるらしく、少し説明すればそれに合わせてくれるようになった。
「“あのねぇ、リズたんとねー、レーナたんとねー、なかよしなのー”」
「“お友達ができたの?”」
祖母に楽しそうに思い出を話して聞かせるカトレアに対して、マリアルーナはまた大人しい子に戻ってしまっている。
「おとうさま」
カトレアが話している隣から逃げてきた。
「どうした?ルーナ」
「リズからメッセージきてる?」
「まだきてないぞ」
皇国から出てもう何度目だろう。マリアルーナには、日本より皇国の方が落ち着くのか。
「ルーナ、あとでスマホを買ってあげようか」
「……!」
暗い顔の娘を元気づけようとそんなことを言ってみると、わかりやすく元気になった。
「ただし、ルーナ、約束してほしい」
「……やくそく?」
「皇国の方が居心地いいのはわかっている。お父さんもルーナのおかげで魔法士になったってわかったから、皇国の空気が肌に合うのは感じた。でもな、日本はお父さんの故郷なんだ。強要……無理にでも好きになってほしいとは言えないけど、それでもルーナが日本を嫌いって言われると悲しい」
「……」
「お母さんからも、日本で不自然にならないように生活してほしいと言われている。だからな、ルーナ。皇国と同じようにとは言わないから、日本のことも少しだけ好きになってみてくれないか?」
「……わかった」
マリアルーナはまだ不服そうながら頷いてくれた。




