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夏休みの初日、勇樹は子どもたちを連れて、空港にいた。
「“パパ、ひこーきー”」
「“しこーちー”」
「“あぁ、飛行機だな。あれに乗るんだぞ”」
子どもたちの夏休みと重なるように長期休暇を取り、ずっと考えていたある計画を実行しようとしていた。
それは、日本のインターネットで調べて見つけた『イギリス領ウィクダリア皇国』という国名。
地図にも詳しい場所はなく、ただイギリスの国土のどこかにあるということだけだった。
皇国を出てもう1年が経とうとしている。
もちろんまだまだだとはわかっているが、疑問が次から次に溜まり、このままではいられなくなった。
皇国に戻ることはできないが、それでも皇国に関することを調べることはできる。
じっと待っているよりはマシだ。
夏休みの1ヶ月を使ってのイギリス旅行。そう考えて、イギリスに行くことを決めた。
両親や姉には、子どもたちを母親に会わせてくると説明して。
「“パパー、おしっこー”」
「“え、おしっこか?”」
「“おしっこー、でるー”」
「“だからジュース飲みすぎるなって言ったろ……。ほら、トイレ行くぞ。我慢できるか?”」
「“もれるー、もれるー”」
慌ててカトレアを抱えて、トイレに急ぐ。
アイリスの手を引いたマリアルーナも、後をついてきた。
多目的トイレに入り、手早くトイレをさせる。
「“出たか?”」
「“しー……しゅっきり~”」
「“よかったな”」
子どもは本当にのんきだ。こちらは飛行機の時間が気になって仕方ないのに。
「“アイ、お前もオムツ替えようか”」
「“きゃーう!”」
「“ルーナもトイレしとけ。飛行機に乗ったら長いぞ”」
「“うん”」
アイリスとマリアルーナにもトイレを済まさせ、なんとか飛行機には間に合った。
12時間以上のフライトに加え、約9時間の時差。
子どもたちが飛行機で騒ぎ出さないようにと、出発を夕方にした。
日本時間の夜なら、子どもたちの体内時間では眠っていてくれるはずだ。
イギリスに着く頃には、今度はイギリスが夜になるのだが。
幸い空港からほど近いホテルを取れた。空港からホテルに直行し、そのままホテルの室内で大人しくさせていればいい。
勇樹の願いは子どもたちに通じたようで、飛行機に乗って夕食を食べると、子どもたちはすぐに寝てしまった。
アイリスを腕に抱いたまま、子どもたちの寝顔を見つめる。
勇樹も今のうちに寝ておきたいが、それよりも興奮していた。
皇国の秘密に触れてしまうかもしれないという恐怖と歓喜。相反する感情が並ぶ不思議な心情。
インターネットで知れる情報は、もう集めた。
起きていても何もできないと、無理やり眠った。
翌朝は機内食を食べ、ついに飛行機が到着した。
英語に自信はなかったが、そこは補助具のおかげだ。無事に通訳してくれた。
まずはホテルにチェックインする。
ホテルマンの感情も読み取れるため、イギリスでのマナーもわかった。
「“ミスターミヤノ、部屋番号は2322です。お荷物、お持ち致します”」
「“ありがとうございます”」
子どもたちの存在が騒音にならないようにと、それなりに高いホテルを選んだせいか、サービスは抜群だ。
「“イギリス旅行は初めてですか?”」
「“えぇ、まぁ……”」
ホテルマンが荷物を持って案内しながら、にこやかに聞いてくる。
世間話は好きな方ではないが、今回は別だ。確かめておきたいことがある。
「“すみませんが、あなたはイギリス領モニーク皇国という地名をご存知ですか?”」
「“えぇ、もちろん知っていますよ。日本人からその地名を聞いたのは初めてですが”」
「“そこに興味があって、イギリスに来たんです。どこにあるのかとか、どうやって行くのかとか、何かご存知のことがあれば教えてほしいのですが”」
「“えぇっと……すみません、なんて答えればいいか……。その国は、イギリス人でも行ったことがある人はいません。特別な申請が必要なんです”」
「“特別な申請ですか……”」
「“はい。噂では、バッキンガム宮殿のそばの広場に銅像があるのですが、その銅像に手紙を置いておくと、モニーク皇国人が来るらしいのです。そのモニーク皇国人と話ができると、モニーク皇国に連れて行ってくれると。もちろん噂でしかないのですが”」
「“……なるほど。わかりました”」
騙されているのか。外国には、観光客をからかう現地の人もいるという。
それを信じていいのか迷うが、しかしそれが今持っている唯一の手掛かりだ。
イギリス領モニーク皇国につながるものなら、試してみる価値はある。
「“もしよければ、その手紙、今から書いてくれれば、僕が持っていきますよ”」
「“え、いいんですか?”」
「“えぇ、もちろん。僕の帰り道にバッキンガム宮殿を通りますから”」
親切な人なのか、何か他に意図があるのか。
「“……わかりました。じゃあすぐに書くので、お願いしてもいいですか?”」
初めての海外旅行で、最初に出会った現地の人だ。信じたい。その気持ちが勝った。
が、当然手紙には、英語でも日本語でもない、皇国語で文字を書く。
皇国人でなければ解読できないものだ。
そうしてホテルマンにたくすことにした。
「おとうさま」
ホテルマンが出て行ってすぐ、マリアルーナが呼びかけた。
「どうした?」
「あのひと、うそつきだよ」
魔法士の勘ともいうべき直感が働いたらしく、教えてくれた。
「あぁ、わかってる。でもな、親切心が全くないことはないって、信じたかったんだ。大丈夫。中身は皇国語だ。あの人には読めないからな」
「よかった」
マリアルーナなりに、魔法士よりも弱い父親を心配してくれたらしい。
「きゃああ!」
「たあああ!」
ベッドの上で飛び回るカトレアたちに、勇樹は歩み寄った。
「レア、アイ。寝る時間だぞ」
「やだ!レア、ねむくないもん!」
「やー!」
「やだじゃない。ほら、外を見て。もう夜だろ?早く寝ないと、怖いおばけが来るぞ」
「おばけ、やー!」
「やー!」
「じゃあ早く寝るんだ。ルーナもな。……って、ルーナ、何してるんだ?」
「ねむくないから、なつやすみのしゅくだい、するの」
「せめて朝になってからにしような。今日はもう終わり。早くベッドに入って」
勇樹の忙しさは、まだまだ終わりそうになかった。




