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毎週日曜日は、自宅から徒歩数分の姉の家に行く日だ。
小学校や保育園でそれぞれ従兄弟たちとは会っているはずだが、学校や園で遊ぶのとは違うらしく、毎週従兄妹同士で楽しそうに遊ぶ。
その間勇樹も姉やその夫と話しができて、この地域の子育て術や生活術を教われる。
娘たちが同年代の友達と遊ぶ姿はなかなか見られないため、勇樹はそれも目的だった。
「“そういえばあんた、習い事はさせないの?”」
「“習い事?”」
その日も姉と話していると、突然姉が言い始めた。
「“そういえば……、チヒロはサッカーと塾、行ってたっけ?カナタは……”」
「“奏太もそろそろね。英語とか”」
「“まだ3歳だろ?そんな早くから必要なのか?”」
「“今はどこも習い事戦争よ。どこの習い事に通っているかで、ママ友の派閥もあるくらいね”」
「“そ、そうなのか……”」
ママ友グループと言われても、勇樹はどこにも属していない。
女性たちの集団に男である自分が入れる気はしなかった。それに姉がいれば、それに困ることもなかった。
「“それにね、子どもたちだって関係あるのよ。習い事が同じ子たちで固まりやすいんだから。子どもたちにだってグループや派閥はあるしね。早い子は小学校でも”」
「“え、マジで?”」
勇樹もこれには驚く。
「“そうよー。女の子って、そういうところはおませさんなんだから”」
「“ル、ルーナは……仲間外れにされたりとかしてないかな……”」
「“今のところは大丈夫じゃない?友達もいるみたいだし”」
姉は息子から聞いているのか、軽くそう言っただけだった。
確かにマリアルーナからも、友達がいて楽しいことは聞いているし、仲間外れにされていることは聞いていない。
「“……なんか習わせた方がいいのか?”」
「“あんたはシングルなんだし、3人もいるんだから、無理することはないだろうけどね。それにルーナちゃんがやりたいかどうかが、一番大事なんだし”」
「“おとーさん”」
そこへ算数ドリルを持ったマリアルーナが歩み寄ってきた。
「“どうした?ルーナ”」
ここでの生活に慣れてきたのか、家族以外の人間がいるところでは、日本語で話すようにもなった。
まだ完璧に滑らかとは言えないが、それでも6歳の少女としては特に不自然には聞こえない。
「“あのね、ここ、おしえて”」
「“ん?どこだ?あぁ、これは引き算だ。落ち着いて考えてみろ”」
マリアルーナは不安そうに唇を尖らし、勇樹の前の机にドリルを置いて座った。
「“ん……”」
「“ちゃんと隣で見てるからな”」
鉛筆を持って固まるマリアルーナに、勇樹は隣に座って頭に手を置く。
「“ん……っと……こ、う……?”」
「“あぁ、そうだ。正解だぞ。よく頑張ったな”」
マリアルーナは、落ち着いて考えればわかることが多いのだ。
頭を撫でてあげると、その顔に笑顔が戻った。
「“偉いわねぇ、ルーナちゃん。今週の宿題って、そこだけ?”」
「“んと……ここと、ここ……あとかんじドリル1ページと、かんじののーと3ぺーじ。ぜんぶおわった”」
「“まぁ、すごい!千尋!あんた今週宿題あるんだって?!金曜日聞いた時ないって言ったでしょ!”」
「“な……っ!おい、ルーナ!へんなことおしえるなよ!”」
「“……ほんとのこと、いっただけだもん……”」
従兄に責められて、マリアルーナが勇樹に甘えてきた。
そんな娘を抱きしめながら、
「“ルーナは間違ってないぞ。偉いことしたんだ”」
と教えてあげる。マリアルーナは安心したように笑った。
「“ルーナちゃんは悪くないでしょうが!今すぐ宿題しなさい!宿題終わるまで、今日はゲーム禁止よ!”」
「“なぁー!おーぼーだ!”」
「“なにが横暴よ!”」
こちらの母と息子の関係は、相変わらず乱暴だ。
「“ルーナ”」
賑やかな隣で、勇樹は腕の中のマリアルーナの顔を覗き込んだ。
「……?」
娘は首を傾げて見つめ返してくる。その仕草を愛おしく思いながら、
「“ルーナのお友達は、習い事に通ったりしてるのか?”」
と聞いてみた。するとマリアルーナは、コクンと頷く。
「“あのね、ゆかちゃんとここあちゃん、ピアノとバレエしてるんだって”」
「“そっか。ルーナも同じのしたい?”」
「“んー……ちょっと”」
「“ちょっとしたい?”」
「“ん。でもね、あたし、できるかわかんない”」
「“じゃあ、今度お父さんと見学に行ってみようか?”」
「“……おとーさん、いっしょ?”」
「“あぁ、一緒に行くぞ。会社には、ちゃんとお休みくださいってお願いするからな”」
「“じゃ、いく”」
まだまだ親と一緒がいいらしい。いったいいくつまでそう言ってくれるのか。
その日の夜のことだった。
リビングのパソコン近くのバレエ教室やピアノ教室の評判を探している時。
隣の和室では、カトレアとアイリスがおもちゃ箱を次から次にひっくり返しながら、楽しそうに遊ぶ。
そこへ、マリアルーナがピンクのクリアファイルを持って階段を降りてくる。
「おとうさま」
「ん?どうかしたか?」
元気がない顔だ。なにかあったのだろうか。
「あのね……、しゅくだい、わすれてた……」
皇国語で悲しそうに呟く。家族だけの空間では、未だに皇国語が普通だ。
「じゃあ今からしようか。お父さんが手伝ってあげるから」
「ん……」
大事な宿題を忘れていて落ち込んでいるらしい。
せっかく従兄弟たちと遊ぶのを諦めて終わらせたのに。
「ん?これ、明日までじゃないな。来週までじゃないか」
プリントの上に書いてあった提出期限に、勇樹が気付いた。
それに気づいたマリアルーナは、ホッとしたような、どこか恥ずかしいような、そんなはにかんだ笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、また今度にするか?」
「んーん。いまする」
「いい子だな。何の宿題?」
「んっと……『なまえのゆらいをしらべよう』だって」
「名前の由来かぁ……」
マリアルーナが産まれた時、リリアンローズが初めてその名前を呼んだ瞬間を思い出す。
もう6年も前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出せる。
あの後、リリアンローズからその名前の意味を聞いた。
「ルーナ、お前には2つ名前があるって言ったよな」
「うん。マリアルーナと、ミヅキ」
「その名前な、ミヅキっていうのを考えたのはお父さんで、マリアルーナっていうのを考えたのはお母さんなんだ」
「おとうさまと、おかあさま、ふたりでかんがえたの?」
「あぁ、そうだ。ルーナも、レアとアイもな」
それぞれ皇国語での名前と、日本語での名前。リリアンローズが、勇樹にも考えてほしいと言ったから。
「マリアルーナっていうのはな、まずマリアっていうのは、先皇妃……お母さんのお母さんの名前から取ったんだ。それからルーナっていうのは、皇国の古典語で月を現す言葉らしい。ルーナはわかるな?皇国で月を現すのは?」
「おばあさまと、アンおばさまだよ」
「そうだ」
皇帝を現すのが皇国語での太陽なら、月が現すのは皇妃だ。
「じゃあ、おかあさまは、あたしにつきになってほしかったの?」
「いや、そうじゃない。皇妃になってほしかったわけじゃなくて、皇国にとって、皇妃のような……、皇国を支えられる人になってほしいって思っていたんだ」
「……あたし、なるよ」
「そっか。お母さんが喜んでくれるといいな」
「おとうさま、なんでミヅキってしたの?」
リリアンローズから聞いた言葉をそのまま伝えるよりも、こちらの方が自信はある。
「翠月っていうのは、漢字を教えたことはなかったな。翡翠っていう緑色の宝石があるんだけど、その翠っていう字。ほら、このかわいい目の色だ」
マリアルーナの顔を両手で挟んで、綺麗な瞳を見つめるように言うと、照れたように笑う。
「それから月は、さっき言った月な。皇国での月の意味を知っていたから、お父さんも、皇国の月になってほしいと思ったんだ」
「あたし、アンおばさまみたいになるの?」
「皇妃になってもいいけど、次の太陽はカイラード皇太子だからな。カイラードくんと結婚しないと、ルーナは月にはなれないな」
「カイラードにいさま、すきだよ。けっこんしてもいいよ」
「結婚するのか?お父さんじゃないんだ。ちょっと寂しいな」
「おとうさまは、おかあさまとけっこんしてるから、ダメなんだよ。おかあさま、おこるもん」
「そっか。泣いちゃうかもしれないな」
確かに皇国の法律も、日本と同じく三親等以内の結婚はできない。
従兄妹であればギリギリ結婚はできるのだが、6歳のマリアルーナを10歳近く年が離れた現在の皇太子にと考えると、勇樹はできれば避けたかった。
しかし子どもの言うことだ。いつかは結婚の本当の意味もわかってくるだろう




